これはもう、ジャケ買いでしょう。ライトなホラー感のあるモノクロ写真。背後には薄っすらと人影が。でもバンド名はピンクだからポップ・センスを感じさせる。音の方も男女ツイン・ヴォーカルによるデュエットがロマンティックでいてポップ。5人組の彼らが繰り出すサウンドはヴァリエーション豊かだが、そのどれもがポップ感十分だ。アンドリュー・ホワイトマンがゲストとして参加。ブロークン・ソーシャル・シーンと共にカナダを拠点とするスターズが、自ら立ち上げたレーベルからの1作目『The Five Ghosts』、それはロマンチシズムをひょいっという具合に提示する。
特に女性ヴォーカルの歌声がキュートでいてセクシー。ドット・アリソンとムームの元ヴォーカリスト、クリスティンを意識しているのか? と思えるような一人二役的な歌声が楽曲の雰囲気の幅を広げている。男女のヴォーカルを何重にも重ね幻想感を出したかと思えばシンプルに艶っぽい歌声を押し出す。さらにエコーを効かせてどんどん歌声を伸ばしていき、ぱたんと途中で途切れさせ、次の瞬間、おとなしかった歌声が軽やかにステップを踏み出すところにキュンときた。確信犯的なロリータ・ヴォイスはトミー・フェブラリー級だ。
どちらかといえば、「ありそうでなかった」というよりは「ありそうで、やっぱりあった」というインディー・ポップスでとんでもなく目新しいわけではないが、そんなことはどうでもいいよというノリが良い。室内楽的なストリングスもアコースティック・ギターも、そっと触れ合う程度に添えられて、茶目っ気のある電子音もエレクトリック・ギターもピアノの音色もかわいらしく、つまりはアルバム全編がチャーミングなのである。しかし糸を切られた操り人形が意志を持ち、勝手に繰り広げる劇を観ているような奇妙な風景が目に浮かぶところもあるからたまらない。大げさで強引な例えを出せば、ビートルズのサージェント・ペパーズの世界をチャーミングにした感じ(とはいえ、なんとかリヴァイヴァルみたいなものでは全然ないよ)。凝っているけどお高くない。庶民的な朗らかさがあるというか、身近な暖かさがじんと伝わる。かなりの傑作だ。
ただ、ボーナス・トラックは賛否両論だと思う。アルバム・リーフやオブ・モントリオールなど、「おお!」となる名前があるけど、妙にエレクトロニカっぽくしていて奏功しているとは言い難く、実験が実験の域を脱していない。ボーナス・トラックだと割り切って聴けばそれはそれでいいのかもしれないが、個人的には輸入盤の方が好みかな。
30年周期で巡ってくるタームというのはあるのだろうか、思えば、90年代には60年代のロウな音をディグするのがクールな要素因はあったし、00年代は70年代のラフさを好む傾向にあった。前者はベックにしろ、コーネリアスにしろ、サウンド・レファレンスの引き出しを多く持つ人間こそが、ブルーズやフォークへの目配せをしたのもあり、ポップ・システムのサイクルが構築されてから以後のスタイルや音には殆ど興味を向けなくなったというのもある。それを対象化する形で、後者側においてザ・ストロークスやザ・リバティーズは≪反≫ではなく、≪非≫を望んだら、ニューヨークの「なにもなさ」にサウンドがドロップインして、グラウンド・ゼロの荒野を鑑みた。見渡した時に、アート・ロック的なファクトリー的な無為なステーションが浮かび上がることになった。まるで、いつかのデヴィッド・ボウイのように。
例えば色香、あるいはエロス、もしくは狂気、そしてエレガンス。その全てが、スウェーデン人とアメリカ人によるトリオ、シーヴス・ライク・アス(情報があまり見付からず、どこを拠点にしているのかイマイチ分からない...)のセカンド・アルバムに存在する。このバンドの多面性は不思議なことに思えるが、同時に必然だとも思える。耳元でささやかれる歌声、柔らかい電子音、気持ち良さそうに浮遊するその全てのサウンドが巧妙に溶け合って、聴き手をここではないどこかへ、それはきっと本作の世界へと眠りに落ちるように導き浸らせる。セックスに乙女のようなロマンチシズムを抱くティーンが、ドクロが漂うディズニーランドで無邪気に遊ぶ。そんな世界観を持つこのエレクトロ・ポップスは、優美とほんの少しの狂気を合わせ持つ。
LA出身の「永遠の夏を歌うナイスな奴ら」ルーニーが3年ぶりのニュー・アルバムをリリースした。前作が5年振りだったのでなかなかのスロウ・ペースだ。欧米では根強いファンがついていて(日本人が大好きなサウンドだと思うのだが、不思議なことに熱心なファンには遭遇したことがない)、アーティストからも人気が高く、彼らはストロークスやトラヴィスともツアー経験がある。シュガー・レイのようなサーフ・ポップ(夕焼けを受けてキラキラと光る砂浜...)が魅力のルーニーだが、時間をかけているだけあって彼らのアルバムのソングライティングのレベルは最高峰と言っても過言ではないだろう。ファウンテインズ・オブ・ウェイン並みだ。ジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」が2010年に制作されたとすれば、ルーニーのナンバーがそのサウンドトラックに名を連ねることは間違いない。私が彼らに深く入れ込んでいるのは、中学生のときに彼らのファースト・アルバムの虜になって、それ以来その感覚を忘れられずにいるからだ。ノスタルジアと言われればそれまでかもしれないが、何か特別な風景を思い出させてくれる音楽というものはとても愛おしく、いつまでも手放せないもの。前作は終始はち切れんばかりのハイ・テンションで次々にキラー・メロディが飛び出してくるような印象だったが、今作は少し落ち着いて後半はルーニーの新たな一面(AORのような)も見ることができる。こりゃまた素晴らしいサマー・アルバムを作ってくれた。また現実逃避してしまいそう。
一昨年辺りから話題を集めるポスト・ロッキンなレーベル、The Mylene Sheath。07年に始動し始めてから早一年でCaspianや、筆者が必死にお薦めするBeware Of Safety、そして飛ぶ鳥を落とす勢いの残響レコードからも見染められたYou.May.Die.In.The.Desertらの音源をリリースしている。そしてここに紹介するGifts From Enolaもまた例に漏れず、破竹の快進撃を極めんとするヴァージニアの暴れん坊4人組なのである(You.May.Die.In.The.Desertとは以前にスプリット作もリリース済み)。
そりゃそろそろ真っ当なのは避けたくなるよね。セカンド、サードととにかくポップを全面に打ち出した作風で、しかもそれが大受けしていたので、反動で今度はファーストの頃の「ヘンテコ」感が戻ってくるだろうな、という予感はしていた。アメリカのポップ番長、オーケー・ゴーは最新作でファンクとも取れる新たな領域に踏み出したが(そしてそれは見事に成功した)、カナダのポップ番長もまた3年のあいだにバンドの音楽性を一歩も二歩も先へ推し進めた。ふむ、たしかにこれは初めてホット・ホット・ヒートを聴く人にお勧めするようなアルバムではない。だが、少しでも彼らの音楽に興味を持ってきた人ならばその進歩をありありと感じることができるはずだ。一度正面切ってポップに取り組んだバンドが、再び自分のルーツに立ち返り(彼らの場合はやはりニューウェイヴ。そしてアヴァンギャルドというフレーズも欠かせない。)、一枚のアルバムを完成させるというのは並大抵の作業ではない。ましてや彼らは2000年代に「Goodnight Goodnight」という最高のポップ・アンセムを残しているだけに、あえて安住を嫌ったのはそれだけでも賞賛に値する。アルバムの「実際の」出来も文句なし。私が個人的にホット・ホット・ヒートを追いかけ続けてきたということを抜きにしても、いますぐ輸入盤をゲットしたほうが良い。
大きなフードのついた服を着た横向きでモノクロの少女を、ヴィヴィッドな色合いの丸い葉をもった二本の木が両脇から挟んだ美しすぎるジャケット。2007年にリリースされたイノセンス・ミッションのアルバム『We Walked in Song』は当時、気がつけば音楽誌から個人ブログ、レコード店など至るところで目にした記憶がある。僕も思わずデザインに惹かれ手にとってしまい、スピーカーから流れた穏やかで清浄な音に感極まってしまった。そこから遡って聴いた2003年の『Befriended』にも強く胸を打たれたし、更に遡って1999年の『Birds of My Neighborhood』にも感動を...ちょっとクドイか。
困っちゃうんだよなホント。こんなに良いエレクトロ・ポップスを作られてしまうと、(エレクトロニカ・ファンの僕としては)エレクトロニカはもはや大衆音楽として働いていないのかな、なんて、思ってしまう。というのも、Chees Clubからデビュー7inchシングル「NO SURPRISE」をリリースし、絶賛されたイギリスのジェームズ・ユール(彼はジャケットのイラストそっくり)。親日家でもある彼が<Moshi Moshi Records>から発表した本作『Movement In A Storm』は、エレクトロニカだろうとテクノだろうと、ハウスだろうとトランスだろうと、結局のところ全部文字通りの意味でポップじゃないか! という具合に、ぱぱっと手品みたいな手さばきでポップな部分を選り抜く。そして誰もが楽しめるエレクトロ色満載のポピュラー・ミュージックにしてしまう。
シアトルのSSWであるJarid del Deoによるプロジェクトであり、6年振りにして6枚目のオリジナル・アルバムである。 アコースティックギターの弾き語りを基盤に、フォーキーでアメリカンなロックを渋く歌い上げる。ポップというよりは、ニールヤングに憧れる少年がそのまま大人になってしまったような、ノスタルジーさが魅力的のアーティストだろう。 私は一聴して溜め息をもらした。あの時代のフィルターを見事に透過している。ミックスの云々では突き抜けられない質感と哀愁の境地に立っている。舞い上がる砂が目に入ってくるようなリアルな音像だ。そのようなごつごつした質感に辿り着いたのには、背後で鳴るギターソロであったり、コーラスであったり、ピアノであったりの要素も不可欠であっただろう。しかし彼らは自己主張をしない。良いメロディが練り上げられている以上、過多の主張は野暮なのだ。 アルバムのタイトルがそうであるように、本盤の哀愁は夜道の哀愁である。広大で暗然とした夜の荒野を俯き気味に歩いている。だが本当に暗い夜道になるほど、我々は改めて青白い月の光の優しさにはっとさせられるのだ。
90年代半ばになり、モダン・ヘヴィネスというジャンルができあがり、代表格としてはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンがいた。つまり、ヘビーロックのサウンドスケイプを参照点に、ラップ的に速射砲的なボーカルを乗せるスタイルと言えるだろうか。セカンドの頃のリンプ・ビズキット『Significant Other』はその優秀なモデルであり、最大公約数であり、マリリン・マンソンをして(揶揄込みで)「スポーツ・メタル」と言わしめるだけの軽やかさと徒花性を前景化させたが、当時、世界中で大型のフェスが台頭している中、確実に機能的に多くのクラウドを煽動させることが出来るサウンド・スタイルとしては発明だったのも確かだった。そこには、メタルもヘビーロックもヒップホップも平準的に煮込まれており、非の打ちどころのないサウンドスケイプを築き上げており、その代表格のバンド勢はそれぞれの色を強く打ち出した。例えば、冒頭のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは硬のようなバンド・サウンドにザックの政治性の高いライムが乗るというシリアスさを提示し、311はレゲエやヒップホップの影響を上手く咀嚼したミクスチャー・ロックの反射神経の高さを表象するといったように。