reviews: August 2015アーカイブ

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 相も変わらず、ネットやレコード・ショップで面白いダンス・ミュージックを探しもとめているが、なぜだか最近、カセット・リリースの作品に〝面白い!〟と感じるものが多い。クッキーシーンで取りあげた作品でいえば、ノイ・バランスケイタ・サノヘレナ・ハウフなどなど。レーベルでいえば、いまや多くのリスナーから注目される存在となった1080pを始め、Where To Now?(ホウェア・トゥー・ナウ?)、Hylé Tapes(ヒュレー・テープス)、Bootleg Tapes(ブートレグ・テープス)、J&C Tapesといったところか。これらはすべて、カセットを中心にリリースしている。


 とはいえ、カセット・リリースだから、ダンスフロアで流れることはほとんどない(mp3のダウンロード・コードなどがある作品は別だが)。つまり、カセットでリリースされているダンス・ミュージックの多くは、DJが使いやすいようにと作られたものでもなければ、フロアライクなものでもない。言ってみれば、ひとりヘッドフォンをしながら音楽に浸ったり、ベッド・ルームでささやかに踊りながら楽しむような者に向けて作られている。それは〝みんなのダンス・ミュージック〟というより、〝あなたのダンス・ミュージック〟という親近感のあるものなのだ。この親近感こそ、ここ最近カセットでリリースされているダンス・ミュージックのほとんどに共通する、魅力のひとつだと思う。


 なんてことを考えていると、またひとつ興味深いカセットが手元に届いた。名はズバリ、『Cassette Club 3』。以前レヴューを書いた『#Internetghetto #Russia』(2014)と同じくらい秀逸なタイトル。『Cassette Club 3』は、オーストラリアのカセット・レーベルMoontown(ムーンタウン)からリリースされたコンピレーションで、収録アーティストもオーストラリアを拠点に活動する者が選ばれている。


 そのなかでも特に興味深いトラックは、フォー・ドアの「Refresh」だ。一定の間隔で淡々と刻まれるヘヴィーなキックに、妖しげでドラッギーなシンセ・サウンドが聴き手を飛ばすそれは、さながら『Frequencies』(1991)期のLFOである。明るいトラックではないが、深淵の底を這いずるようなグルーヴに筆者は心を奪われてしまった。


 そして、ルイ・マルロの「Divvy In The Rear-View」も出色の出来。「Refresh」と同様、ダークで妖しげな雰囲気を漂わせているが、「Divvy In The Rear-View」はシカゴ・ハウスの要素が色濃いビートを特徴としている。アシッディーかつトリッピーなサウンドと、高い中毒性を生みだすヴォイス・サンプルの使い方も秀逸だ。


 また、ポエトリー・リーディングとミニマルなビートで構成されたカルリ・ホワイト「You Can Drive」も、ポスト・パンク好きの筆者としては見逃せない曲。聴いているとヤング・マーブル・ジャイアンツを連想してしまうのは、筆者だけだろうか?



(近藤真弥)




【編集部注】『Cassette Club 3』はMoontownのバンドキャンプで購入できます。

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スリーフォード・モッズ.jpg

 最近、イギリスのロックをいろいろ聴いていると、政治/社会問題に言及した曲(あるいはそうしたニュアンスを含んだ曲)を見かけなくなったなと思う。もちろん、マニック・ストリート・プリーチャーズは健在だ。プライマル・スクリームのボビー・ギレスピーも、イギリス保守党政権による労働組合取り締まり政策案に、「これはもう階級戦争としか言いようがない。もし、この法案が成立すれば、労働者たちによるストライキは実質不可能になるだろう」(※1)と怒りの声をあげ、そうした姿勢を作品に反映させることも多い。だが、いま挙げた者たちは、すべて40~50代だ。それより下になると、曲のなかで政治/社会問題に言及することが極端に少なくなる。もはやイギリスのロックに、強烈な反骨精神を求めるのは難しいのかもしれない。


 とはいえ、〝イギリスのポップ・ミュージック〟にまで範囲を広げれば、強烈な反骨精神はいくつもある。たとえば、共産主義者として知られる作家グレアム・グリーンの小説と同名のパーク『The Power And The Glory』(2014)には、英首相デーヴィッド・キャメロンと英財務大臣ジョージ・オズボーン(現在は筆頭国務大臣も兼務)を指した「David & George」という曲があるし、ケイト・テンペスト『Everybody Down』(2014)は、高騰する都市部での生活費に苦しみながら、それでも何とか生きる若者たちの殺伐とした心情を鮮やかに描いてみせた。さらにはジャム・シティーも、最新作『Dream A Garden』(2015)で、〝ブロークン・ブリテン〟と言われるイギリスの現況を悲観的に表現した。


 そうしたなかでも、ジェイソン・ウィリアムソンとアンドリュー・ファーンによるスリーフォード・モッズは、とりわけストレートに怒りを表明していると思う。〝Fuck〟などの卑語は当たりまえ。英語が堪能な者であれば、思わず顔をしかめたくなるかもしれない。ふたりとも現在40代半ばで、音楽活動歴もそれなりに長いのだが、大きな注目を集めたのはここ2~3年のこと。サウンドは、ひたすら同じパターンを刻むビートに、ひたすら同じリフを奏でるベースという、極めてシンプルなものである。そこにジェイソンの暑苦しいラップを乗せることで、スリーフォード・モッズ・サウンドの出来上がり。一言で表せば、ヒップホップとポスト・パンクを掛けあわせたミニマルなサウンドスケープとなるのだろうが、正直、サウンド面に革新性はないし、卓越したプロダクション技術が見られるわけでもない。ざらついた質感の音粒は筆者の好みだし、反復による高い中毒性も面白いとは思うが。


 では、スリーフォード・モッズの魅力とはなにか? ずばり言葉だ。本作『Key Markets』では、エド・ミリバンド元労働党党首や、ニック・クレイグ元自由民主党党首を血祭りにあげている。しかし、それが無慈悲に聞こえないのは、言葉に込められた怒りの矛先が、常に強者、もっと正確に言えば、多くの犠牲と抑圧を強いたうえで調和を保とうとする権力に向けられているからだ。どんなに言葉が汚く、どんなに攻撃的で過激だったとしても、スリーフォード・モッズは弱者やマイノリティーに刃を向けたりはしない。そこがスリーフォード・モッズの上手いところであり、大きな注目を集めることができた理由のひとつでもある。強者側(権力)からすれば、本作は耳が痛くなる言葉で埋めつくされた作品に聞こえるだろう。だが、そんな強者側に抑圧され犠牲を強いられた者たちからすれば、明日を生きるための糧になるような笑えるユーモアと、弱者やマイノリティーをしっかり捉える眼差しという優しさが込められた音楽に聞こえるはずだ。もちろんそこに、怒りもあるのは言うまでもない。こうした、ギリギリの状況でもユーモアと優しさを保てるタフネスは、ゲイ・ライツのアクティヴィストとしても有名な俳優イアン・マッケランが、コメディー番組(※2)で過激なゲイネタを浴びても成立するイギリスならではと言えるかもしれない。


 そして筆者は、このような表現を可能にするセンスこそ、多くの人が持つべき強さだと思う。言うなれば、イメージが武器となるメディアという戦場において、世界中の人々を笑わせたチャップリンがなぜヒトラーに打ち勝つことができたのか? ということ。ユーモアと優しさを失った強さは、単なる弱さでしかないのだ。


(近藤真弥)



※1 : NME JAPANの記事『プライマル・スクリームのボビー・ギレスピー、デモを犯罪化するイギリスの法案に激怒』より引用。



※2 : 英BBC『Extras』のこと。イアン・マッケランはシーズン2の第5話にゲスト出演。

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 クエドことジェイミー・ティーズデールのファースト・アルバム『Severant』(2011)は、実に素晴らしい作品だ。ローランドのTR-808というドラムマシーンを大々的にフィーチャーし、アフリカ・バンバータに通じるエレクトロや、当時はまだ物珍しいスタイルだったジューク、さらにはデヴィッド・ボウイ『Low』(1977)を連想させる冷ややかなシンセ・サウンドも見られるなど、多くの要素が詰まった作品だ。ジェイミーはかつて、ローリー・ポーターと組んでいたヴェクスドというユニットでダブステップ黎明期を盛りあげた男だが、ソロ作品では、ダブステップやベース・ミュージックの要素をあくまで〝ひとつのパーツ〟として扱い、主にIDMやアンビエントの要素を強く打ちだしてきた。ゆえにダンスフロアに適したプロダクションでありながら、ホームリスニングでじっくり味わうタイプの作品に仕上がるという良質な折衷性を実現してきた。そういった意味でクエドの音楽は、幅広い層に受けいれられる可能性を秘めている。ただ、その可能性が〝秘められている〟ままなのが、難点といえば難点だった。


 しかし、そんなクエドの難点は、最新EP「Assertion Of A Surrounding Presence」では解消されている。まず、本作で目を引く曲は、「Case Type Classification」。ジュークに通じるビートと低音が効いたトラックで、ダンスフロアで抜群の威力を発揮するだろう。わかりやすい展開はなく、音の微細な変化でグルーヴを生みだす手法は決して派手とは言えない。だが、執拗に反復されるキックと、その周りを飛びまわる磨きぬかれた音だけで、平熱の高揚感を作りあげる手腕は実に見事。リヴァーブやディレイといったエフェクトの使い方も秀逸だ。聴くたびに新たな発見があり、ダンスフロアだけでなく、ベッド・ルームでひとり集中しながら楽しみたい曲でもある。


 そして、本作を語るうえで見逃せないのは、「Border State Collapse」や「Eyeless Angel Intervention」でうかがえる、インドネシアの民族音楽ガムランの要素だ。特に「Eyeless Angel Intervention」は、もろにガムランなフレーズを衒いなく用いており、そこに冷たくも耳心地がよいシンセ・サウンドが交わることで、ミニマルかつ神秘的なサウンドスケープを描いてみせる。この曲は、クエドがネクスト・レヴェルに突入したことを告げる、本作のなかでも屈指の良曲。


 また、すごく嬉しいのが、「Event Tracking Across Populated Terrain」でローリー・ポーターとコラボレーションしていることだ。そう、先に書いたローリー・ポーターである。ヴェクスドは事実上活動休止状態なだけに(それゆえジェイミーも〝元ヴェクスド〟と紹介されることが多い)、このコラボレーションはヴェクスドのファンにとって嬉しいニュースになるはずだ。


 こうした嬉しいトピックもある本作には、ダンスフロアはもちろんのこと、ベッド・ルーム、通勤通学中の電車内などなど、あらゆる場面で通用する全方位型のサウンド・プロダクションが施されているし、そのぶん聴きごたえもある。ただ、車の運転中に聴くのはオススメしない。本作の鋭くも気持ちよい高揚感に身を支配されると、最悪の場合ハンドル操作を誤り大事故に繋がりかねないからだ。それほどまでに本作の高揚感は、美的かつ陶酔的なのだ。そういった意味で本作は、〝死〟と隣りあわせの危険な魔力をまとった作品とも言える。



(近藤真弥)

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 2010年代に入って、自身のルーツに意識的だったり、あるいはルーツを示すことに躊躇しない音楽が増えてきた。たとえばスカイ・フェレイラの『Night Time, My Time』(2013)は、彼女が好んで聴いてきたプライマル・スクリームやジーザス・アンド・メリーチェイン、さらにはクラウトロックの要素が明確に表れたポップ・アルバムであり、ホット・チップの最新作『Why Make Sense ?』(2015)は、R&B、ファンク、ハウスといったジャンルへ向けた敬意を折衷的な音楽という形で表現している。いま挙げたふたつのアルバムは、過去の音楽を引用しつつも焼きなおしに留まっていない秀逸な作品であり、〝新しさ〟を強迫的に追求しないことで新鮮さを獲得している。その新鮮さは、〝好きなものは好き〟という姿勢にも見えるが、このような姿勢によってもたらされる軽やかさが、2010年代のポップ・ミュージックにおいてはデフォルトなのかもしれない。


 そう考えると、Ykiki Beat(ワイキキ・ビート)のデビュー・アルバム『When The World Is Wide』は、2010年代のポップ・ミュージックそのものである。彼らの音楽には、実にさまざまな要素が表れている。本作は、ザ・ストロークスやフォスター・ザ・ピープルといった、2000年代以降のバンドに通じるメロディー・センスが随所で見られるが、リヴァーブが深くかかったドラムとノイジーなギターによる甘いメロディーが印象的な「Vogues Of Vision」は、ジーザス・アンド・メリーチェイン「Just Like Honey」を想起させるなど、バントにとってのルーツと思われる要素が垣間見れるのも興味深い。また、ダンサブルなディスコ・ビートにラップが乗る「Never Let You Go」は、彼らが持つ引きだしの多さを象徴する曲だと思う。


 そして、ひとつひとつの言葉をハキハキと発するNobuki Akiyama(ヴォーカル/ギター)の歌唱法は、イギリスのポップ・ミュージック史を飾るヴォーカリストたちを思いださせる。具体的には、ブラーのデーモン・アルバーン、フランツ・フェルディナンドのアレックス・カプラノス、カイザー・チーフスのリッキー・ウィルソンなどなど。これらのヴォーカリストたちの歌い方を、筆者は〝唾吐き系〟と勝手に呼んでいるのだが、Nobuki Akiyamaの歌い方もまさしく唾吐き系。特に、「Never Let You Go」の〈オオオオッオッオウ〉と歌うところなんて、〝イギリスのロックじゃん!〟と言いたくなってしまう。


 こうして、それぞれの曲を細かく聴いていくと、音楽に詳しければ詳しいほどあれやこれやとたくさんのバンドを思い浮かべてしまうのだが、本作がすごいのは、そこまで音楽に詳しくない人でも楽しめる親しみやすさがあるということ。それを可能にするソングライティング能力の高さも、今年アルバム・デビューを果たしたバンドたちのなかでは群を抜いていると思う。奥深さと幅広さを兼ね備えた素晴らしいバンドがまたひとつ現れたことに、盛大な拍手を。



(近藤真弥)