reviews: February 2015アーカイブ

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The Pop Group『CITIZEN ZOMBIE』.jpg

 ポスト・パンクを代表するバンド、ザ・ポップ・グループが35年ぶりのオリジナル・アルバム『Citizen Zombie』をリリースする。このニュースだけでも多くの人に驚きをあたえたのは言うまでもないが、そのアルバムをプロデュースしたのがポール・エプワースというニュースにも驚かされた。


 ポールといえば、アデル、U2、 コールドプレイとも仕事をしている大物プロデューサー。そんなポールを語るうえで欠かせないのが、2000年代に起こったポスト・パンク再評価のブームだろう。このブームはザ・ラプチャー、ブロック・パーティー、マキシモ・パーク、ザ・レイクス、フューチャー・ヘッズなど多くの良質なバンドを輩出したが、これらのすべてをポールはプロデュースしている。さらに自らもフォンズ名義で興味深いリミックスを発表することで、ポスト・パンク再評価の盛りあがりに一役買っていた。いわば、ポールのプロデュースでザ・ポップ・グループがニュー・アルバムを完成させたということは、オリジナル・ポスト・パンク世代によるポスト・パンク再評価以降の更新がおこなわれているということ。こうした邂逅も、『Citizen Zombie』の面白さだ。


 さて、その邂逅によって生まれた音は、端的に言うと洗練されている。もちろん、マーク・スチュアートの叫びに近いヴォーカル・スタイルや、メッセージ性が強い歌詞は健在だ。ダブ、ファンク、パンク、カリプソなどをドロドロになるまで撹拌させたアクの強いサウンドスケープも、ザ・ポップ・グループのファンにとってはお馴染みだろう。しかし、ひとつひとつの音を丁寧に聴いてみると、そのすべてが絶妙なバランス感覚のうえで成り立っているのがわかるはず。『Y』や『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』の頃みたいに、ただ全力で音を鳴らすだけでなく、バンド全体のアンサンブルに対する意識が強い。そういった意味で、現在のザ・ポップ・グループは、かつての破壊的なサウンドを鳴らしていないとも言える。この点をどう評価するかによって、『Citizen Zombie』に対する態度が変わってくると思う。


 とはいえ、筆者からひとつ言わせてもらえれば、メンバー全員がキャリアを積み重ねてきたなかで、それなりに熟成していくのは避けられないことだ。若いフリをする年寄りたちを見てカッコいいと思うだろうか? 筆者はそう思わない。しかし、だからこそ筆者にとって『Citizen Zombie』は、とても正直なアルバムに聞こえる。このアルバムでザ・ポップ・グループは、〝今のザ・ポップ・グループ〟を披露しているからだ。


 大人にならなければ生みだせない音は、確かに存在する。そういった味わい深さを示してくれるのが『Citizen Zombie』という作品だ。



(近藤真弥)

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左右『スカムレフト スカムライト』.jpg

 聴き手に最短距離で届く言葉を持つポップ・ミュージックは、言葉だけが突出してるわけではない。どれだけ鋭い言葉があっても、それを聴き手に届けるためのリズムや音像が疎かでは、言葉は宝の持ち腐れとなってしまう。言ってみれば、F1カーのエンジンを軽自動車に積んでもチグハグして機能しないのと同じ。言葉、リズム、音像がそれぞれガッチリ噛みあわなければ、聴き手の心に残る音楽は生まれない。もちろん、噛みあわせ方は人それぞれだ。そして、このそれぞれによって生じるのが〝音楽性〟という名の個性である。なんてことは、偉そうに書くほどのことではないのかもしれないが...。


 しかし、あらためてそう強く思わせてくれるのが、『スカムライト スカムレフト』というアルバムなのだ。本作を作りあげた左右(さゆう)は、花池洋輝(ヴォーカル/ベース/ドラム)と桑原美穂(ヴォーカル/ギター)による2ピースバンド。2010年に結成され、横浜を拠点に活動している。2012年に「左右-EP」をリリースしており、本作がファースト・アルバムとなる。


 そんな左右の音楽は、ヒリヒリとした緊張感を漂わせるミニマルなサウンドが持ち味。花池がドラムとベースを同時に演奏するなど、形態は変わってるかもしれないが、サウンドにはそこらのバンドなんかでは生みだせない凄みが宿っている。左右を初めて聴いたときに想起したのは、70年代後半から80年代前半にかけてのポスト・パンクとノー・ウェイヴ。バンドでいうと、ギャング・オブ・フォー、オー・ペアーズ、ザ・ポップ・グループ、ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズなどなど。ただ、ギャング・オブ・フォーやオー・ペアーズなどが得意とする、性急な4つ打ちを前面に出しているわけではない。グルーヴも直線的ではなく、間を活かした変則的なものだ。それでも、桑原の鋭利で金属的なギター・サウンドは、ギャング・オブ・フォーの中心人物、アンディー・ギルのギター・サウンドを連想させる。


 そうした要素は本作でも健在だが、アルバムとして左右の音楽を聴いてみると、新たな発見もいくつかあった。まず、ギター、ベース、ドラムといった音のリズムと歌詞のリズムが密接に関係しているということ。それは「簡単なことだろ」「なくならない」などで顕著に表れているが、左右は音のリズムと歌詞のリズムをシンクロさせることに意識的なのかもしれない。言うなれば、すべてがリズム・パートと解釈できる曲で本作はほぼ占められている。こうした聴体験は、『Whatever People Say I Am, That's What I'm Not』期のアークティック・モンキーズや、ザ・ラプチャーを聴いたときのものに近い。


 もうひとつは、歌詞にさまざまな解釈を受け入れる懐の深さがあるということ。たとえば「平和なのか」は、他愛のない日常的風景に隠された闇を浮き彫りにするような歌詞である。この歌は、ユーモアという名のフィルターを通した焦燥が目立つ他の曲群とは違い、淡々と言葉を紡ぐ独白的なものに仕上がっている。もしくは、現実に疑問を抱いた者の自問自答と言っていいかもしれない。だが、この自問自答はその実、聴き手のあなたにも当てはまるものだ。なぜかといえば、「平和なのか」の冒頭で歌われる日常的風景は、歌に出てくる〝俺〟だけではなく、あなたも普段よく見ている風景だからだ。それこそ、〈普通の街の風景〉(「平和なのか」)。


 左右というバンド名、それからアルバム・タイトルの『スカムレフト スカムライト』から、一種の〝政治的〟な匂いを嗅ぎとることも可能だろう。〝どちらでもない〟という選択肢を許さない風潮が広まっている現在の日本をふまえれば尚更。とはいえ、こうした推測に対するハッキリとした〝答え〟を本作は示していない。〈壊れたフリしてうたった歌の味はすぐになくなった〉(「なくならない」)、〈俺はそういうことをされるのが嫌だからいますぐやめてくれ〉(「やめてくれ」)など、断定的な言いまわしが多く見られるものの、あくまで裁量権は聴き手に委ねられている。いわば本作の言葉は、言い切ってるが言い切ってないというアンビヴァレントな言語感覚を獲得している。この言語感覚と類似する作品を強いて挙げれば、坂本慎太郎『ナマで踊ろう』と、オウガ・ユー・アスホール『ペーパークラフト』になるだろうか。


 ただひとつ、本作について確実に言えるのは、本作に込められた音や言葉が〝今〟と〝その先〟を見せてくれるということだけだ。



(近藤真弥)

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WILCO_Whats_Your_20_J.jpg

 さてウィルコ。いつのまにか「『このバンドを聴いてる』と言えば誰にもディスられないどころか、語りかける対象が同時代ポップ・ミュージックについて詳しければ詳しいほど『おっ、わかってるじゃん(笑)?』と言われるような存在」になってしまった。まあ「そういうバンドに対して、いいね!と言う」なんて行為はむしろ嫌いなんだけど(汗&笑)、バンドの音楽性やらメンバーたちにはなんの罪もないわけで......。


 正直言って、90年代なかばにデビューしたころから「最高に好き!」というわけじゃないにしても、常に二番手三番手的に愛聴してきたバンドだった。


 最初のころは、サン・ヴォルトらとともに、グランジ・ブーム全盛のアメリカで素敵なカントリー・オルタナティヴ・ロックをやってるいいバンドのひとつと目されていた。なかでも、ポップでキャッチーなメロディー作りの才能がずばぬけている...ようで、ジェイホークスあたりには負けてる......みたいな(笑)。


 90年代後半、ジム・オルークの力をかりて音楽的によりオルタナティヴな方向に傾くとともに、大昔はいわゆるクラシック/電子音楽のレーベルだったノンサッチに移籍、さらに00年代後半、ニュー・ジーランドの元スプリット・エンズ/クラウデッド・ハウス/セブン・ワールズ・コライドらとも深くからみつつ「ごつごつしたポップ性」を強調したこともあった。


 そのどれもが「さすが!」としか言いようのない動きだっただけに、最初に言ったような印象を強めた、ってことかな。


 これは、そんな彼らの20年以上におよぶキャリアを総括した(日本盤通常盤は2枚組という大ヴォリュームの)ベスト・アルバム。あらためて聴いた。そしたら、やっぱ、いいわ! こうやってまとめると、さらに聴きごたえが増す。超満腹!


 ビリー・ブラッグと組んで古いアメリカン・フォーク系音楽をカヴァーした企画盤2枚も含み、きれいに発表順に並んでる。こういう構成のベスト盤って、大昔は普通だったけど、(最初は新鮮だった)リリース時期を無視した並びのベストがむしろ最近は増えただけに、逆に新鮮であり「リッピングして発表年などを自分で入れこむ」作業も、やりやすくて、実にありがたい(笑)。


 こういうふうに「音楽マニアにとって、かゆいところに手が届く感じ」だから(以下略)。


 それはそれとして、あらためて聴いて感じたのは、先述した彼らの「音楽性の動き」が、当時感じた以上に自然な流れだってこと。彼らの音楽性は、常に幅広いものだった。ある一方向に強く傾いていないから、「押し」は強くない。


 ねじれてるけど、上品?


 いや、そうでもない。「わかりづらい」けど、ちゃんと「極めて素直に言いたいことは言ってる」感じ。ウィルコの音楽って、やっぱ理想的な汎米的同時代ポップ・ミュージックだよ、と思いつつ、その分「Impossible Germany」なんて曲もあることが、あらためて気になったり...。


《Impossible Germany / Unlikely Japan / Wherever you go / Wherever you land / I'll say what this means to me / I'll do what I can》

《ドイツ人ってのは無理...違うし / 日本って感じでもない / どこへ行っても / どこに着地しても / こんなふうに自分にとって意味のある / 自分にわかることを言う......できることをするだけ》


 ね、アメリカ人っぽくない? いい意味でさ!


 そういえば...。もうすぐ? フィリップ・K・ディックの『高い城の男』が映画化されるらしい。もちろんアメリカ人であるディックが60年代初頭に描いた、いわゆる枢軸国側が勝利を収めたパラレル・ワールドのお話。でも、原作は意外と「政治的」ニュアンスは薄かった。むしろ「情けないアメリカ人の(狂った世界での)日常生活」に、おおいに共感できた。



(伊藤英嗣)

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Viet Cong『Viet Cong』.jpg

 元ウィメンのマット・フレーゲルを中心とした4人組バンド、ベト・コン。このバンド名、ピンときた方も多いと思うが、1960年に組織された南ベトナム解放民族戦線の通称を引用したものだ。となれば、ポリティカルな姿勢を打ちだしているのかと思う方もいるだろう。しかし今のところ、そうした姿勢は見られない。


 それでも、デビュー・アルバムとなる本作『Viet Cong』は、バンド名が聴き手にあたえるであろうイメージとシンクロする内容となっている。まず、オープニングを飾る「Newspaper Spoons」のイントロ。このイントロを聴くたびに、どうしても軍隊の行進をイメージしてしまうのだが、どうだろう? さらには、その名もズバリ「Death」という曲があったりと、死の匂いも振りまいている。ただ、「Death」についてはさまざまな想像ができると思う。たとえば、〝戦争〟を想起させるベト・コンというバンド名と繋げて聴いてみたりとか。あるいは、ウィメンのギタリスト、クリス・ライマーが2012年にこの世を去ったことと関連づけるとか。また、ステージ上で喧嘩したのをキッカケに解散へ至ったというウィメンの背景をふまえると、「March Of Progress」の歌詞も意味深に聞こえる。この曲は、次のようなフレーズで締められるからだ。


〈What is the difference between love and hate?(愛と憎しみの違いは何だ?)〉


 本作の歌詞は、聴き手の想像を促す言葉選びが目立つが、ベト・コンにまつわる物語を頭に入れてから触れてみると、その想像をより深いものにすることができるはずだ。


 サウンドは、70年代後半から80年代前半にかけてのポスト・パンクを連想させる。シャープなギターが印象的な「Pointless Experience」は、『Heaven Up Here』期のエコー・アンド・ザ・バニーメンを思わせるし、そもそもアルバム全体を包む雰囲気がもろバウハウスなのだ。そこに、クラウトロックの要素とサイケデリックなサウンドスケープをスパイスとして振りかけることで、本作をより魅力的な作品に仕上げている。


 そんな本作は、お世辞にも〝斬新〟な音楽性を披露しているわけではない。だが、これまでたくさんのアーティストたちが残してきた素晴らしい音楽的遺産を現在に通用する形で表現しようと試み、それを見事に成功させたという点だけでも、本作は称賛に値する。



(近藤真弥)

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RSS B0YS『HDDN』.jpg

 RSSは、ウェブサイトの更新情報をまとめ、配信するための文書フォーマットのこと。その配信された情報を受けとるためのアプリがフィードリーダー(RSSリーダー)と呼ばれるものだ...という説明は、ネットが当たりまえとなった今ではありがた迷惑かもしれない。だが、RSSボーイズと名乗るポーランドのふたり組について書くためには、必要な説明でもある。筆者からするとふたりの表現は、フィードリーダーで集めた情報を自分たちなりの文脈に変換したようなものだから。


 ユニット名が示唆しているように、ふたりの表現がネット以降を意識したものであるのは確かだ。しかし一方で、莫大な情報量に晒されるネット以降の現在においては、過激さや奇抜さだけで他人との差別化を図るのは難しいということも理解している。 だからこそふたりは、これまで発表してきた曲のほとんどに読み方が不明なタイトルをつけ、無闇な主張を避けてきた。ボイラールームに出演した際は覆面を着用し、詳しい素性も明かしていない。言うなれば、女子高生などがニコ生でヴューワー数を稼ぐために服を脱いでいく過激さと、そうした過激さとは反対に〝普通〟を標榜することで、他との差別化を試みたノームコアの中間に位置する感覚。こうしたものが、ふたりには備わってるように見える。理性と感情を上手く両立させる優れたバランス感覚と言えるものが。そう考えるとふたりは、新しいとされる情報を狂信的に追いかけるよりも、一歩引いて情報で弄ぼうとする意識が強いとも言える。


 その優れたバランス感覚は、本作『HDDN』のサウンドにも反映されている。音の抜き差しで起伏を作り上げる手法は見事なもので、実に渋い。人の歯やペニスをジャケットにフィーチャーしてきたショッキングなヴィジュアル面とは裏腹に、音の組み立て方は職人的。音楽性も、LFOなどが有名なプリープ・テクノを思わせるベースの使い方や、D.A.F.やリエゾン・ダンジェルーズを想起させるEBM的ビートなど、さまざまな要素を掛けあわせる手際の良さが目立つ。このことからも、RSSボーイズが新奇さだけを狙った凡庸なユニットではないことがわかるはずだ。


 また、ハイハットがあまり使われていないのも興味深い。それでも本作がグルーヴを生みだすことに成功しているのは、音の置き方が巧みだから。無駄を徹底的に省き、必要な音だけを鳴らしている。それゆえ本作の音像はミニマルかつドライであるが、そこがまたクセになる。以前紹介したザミルスカも含め、ポーランドのテクノ・シーンは本当に面白い。



(近藤真弥)

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NEU BALANCE『Rubber Sole』.jpg

 最近、オーストラリアのエア・マックス97(Air Max'97)というトラックメイカーにハマっている。彼の音に触れたキッカケは、ビョーク「Pluto」のエディット。その強烈なベースと破壊的なキックに筆者は一瞬でノックアウトされてしまった。そのあと、彼がロンドンのLiminal Sounds(リミナル・サウンズ)からリリースした「Progress And Memory」と「Fruit Crush」という2枚のEPも手に入れた。特にお気に入りなのは前者で、Fead To Mind(フェイド・トゥ・マインド)やNight Slugs(ナイト・スラッグス)に通じる無機質でメタリックなサウンドとジュークの性急なビートが交わる表題曲は、いまでもよく聴いている。


 そんなエア・マックス97を発見したある日、偶然にしては出来すぎなユニットも見つけてしまった。その名もズバリ、ノイ・バランス。スペルは〝新しい〟を意味するドイツ語の〝Neu〟に、英語の〝Balance〟。なんだか靴のニュー・バランス(New Balance)みたいで面白いと感じながら、彼らのツイッターアカウントを見てみると、アイコンがニュー・バランスのアウトソールで思わずクスッとしてしまった。エア・マックス97にノイ・バランス、どうやら現在のダンス・ミュージック・シーンは靴であふれているようだ。


 カナダのヴァンクーヴァーを拠点に活動するノイ・バランスは、サム・ビーチとセバスチャン・デヴィッドソンによるふたり組。1080pからリリースされた本作『Rubber Sole』がファースト・アルバムで、これまで主なリリースもなかったらしい。ゆえに本作でノイ・バランスを知ったという方も少なくないだろう。ちなみに彼らのルックスは、1080p主催のライヴ・イヴェントに出演した際の映像でチェックできるが、いわゆるオタクそのもの。ふたりとも眼鏡をかけており、たくさんのクラバーに囲まれたなかで演奏するその姿は、クラブよりベッドルームが似合う気もする。


 そのベッドルームというキーワードは、本作にも当てはまる。100%Silkに通じるラフなビートと夢見心地な音粒が光るハウス・ミュージックを基調としており、いわゆるDJがプレイしやすいフロア・トラックはほとんどない(もちろん、優れたDJはプレイできるセットリストを組みたてるのだが)。全体的にBPMも遅く、往年のダンス・ミュージック・ファンはアンビエント・ハウスなんて言葉が頭に浮かぶかもしれない。また、100%Silkに通じるという点をふまえれば、このレーベルを旗頭に巻きおこった数年前のインディー・ダンス・ブーム以降の音とも言える。ほんの少しサイケデリックで、どこか郷愁を抱かせる音。それでいて心を飛ばしてくれるグルーヴがあり、ひとりヘッドフォンをしながらニンマリしてしまう人懐っこさ。音数が少なく、それゆえひとつひとつの音がまっすぐ耳に飛び込んでくるサウンドスケープ。しかもその音がどこか煌めきを宿しているのだから、何度も聴いてしまう。そう考えると本作は、ひとつひとつの音を楽しむためのアルバムと言えるかもしれない。


 そして、多彩な音楽性もノイ・バランスの特徴だ。「Sheffie」のベース・ラインはジャズの要素を匂わせ、耳触りがよいホワイト・ノイズが印象的な「trsx moon」は、スティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスなどが有名なミニマル・ミュージックを想起させる。さらに桃源的なアンビエント・トラック「May B. So」は、Rainbow Pyramid周辺の新世代ニュー・エイジ・サウンドを思わせる仕上がり。このように本作は、どの文脈でも解釈できる大きな余白を備えている。あなたから見て本作はどう映るだろうか?




(近藤真弥)




【編集部注】本作はカセット・リリースです。デジタル版は1080pのバンドキャンプでダウンロードできます。