reviews: April 2014アーカイブ

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TRAXMAN『Da Mind Of Traxman Vol.2』.jpg

 2年前、トラックスマン 『Da Mind Of Traxman』がリリースされたときのジュークは、"広がりつつある" という段階だった。もちろんクラブで流れることはあったし、注目も集めてはいたが、"一般的" と言えるほどではなかった。


 しかし今では、ジュークの影響を感じさせるトラックが本当に多くなった。レコード・ショップ、バンドキャンプ、サウンドクラウドなどを散策し、"Bass" とタグ付けされた曲を聴いてみる。すると、不意に鳴らされる乾いたスネア、規則的に刻む人間の鼓動からどんどん離れていく忙しないリズム、そして強烈なベース。こういったジュークの特徴を匂わせる曲に遭遇することが増えたように思う。一方では、サグ・エントランサー『Death After Life』やスラヴァ『Raw Solutions』のように、ベッドルームを根城にするインディー・ファンも巻き込めるジューク・アルバムが生まれたり。そんな現況を見ていると、ジュークは文字通り "定着した" と言えるのではないか。


 それは日本も例外ではない。代官山ユニットでおこなわれたトラックスマンの来日公演、新宿LOFTで定期的に開催されているイベントSHIN-JUKE(シンジューク)、それから日本のジューク界を語るうえで欠かせないレーベル《Booty Tune》。これらのパーティーやレーベルの多大な努力によって、日本はジューク生誕の地シカゴにも負けないジューク大国となった。音楽メディアFACTに取りあげられた食品まつりのように、国外から注目を浴びるトラックメイカーも現れている。


 トラックスマンの最新作『Da Mind Of Traxman Vol.2』を聴くと、そうした状況においても揺るがない自らのスタイルに対する自信を感じる。DJラシャド『Double Cup』のようにジュークとジャングルを混ぜるわけでもなければ、アイタル・テックなどに通じる初期IDMの要素が強いジュークでもない。ソウル、ヒップホップ、ハウス、ジャズといった要素が散りばめられた上品な色気をまとう心地よいジュークであり、言ってみればこれまでトラックスマンが生み出してきた曲群との大きな違いはない。


 とは言っても、それで本作の魅力が削がれるかといえば、決してそうではない。むしろ、深化をしながらも変わらず残っている部分にこそ、本作の素晴らしさを見いだせるからだ。その「部分」とはズバリ、ジュークという音楽がさまざまなブラック・ミュージックの因子を内包し、作り手の解釈次第でその姿をいかようにも変える音楽であるということ。そんなジュークの真髄を本作は教えてくれる。


 こうした作風は、冒頭で述べたジュークの「定着」をふまえると非常に興味深いものだ。ダブステップがいくら商業化したところで、そういった潮流とは別のところでディープなトラックがアンダーグラウンドから次々と生まれ、商業化する以前のダブステップにあった精神やスタイルが脈々と受け継がれてるように、もしやジュークもそういう段階にきたのかもしれない。だからこそ本作でトラックスマンは、そのような残していくべき精神やスタイルを提示したのではないか?


 テクノを掘りさげれば必ずデリック・メイに遭遇し、ハウスに傾倒すればフランキー・ナックルズを避けて通れないように、トラックスマンもまた、ジュークという音楽の原点を教授してくれる伝道師なのだ。



(近藤真弥)

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ふぇのたす『胸キュン'14』.jpg

 繰り返しのリズムで寿司のネタを挙げていくダンス・チューン「すしですし」で始まり、ボーカロイド、エレ・ポップ的な音作りを基調としながらも、見え隠れするのはNUMBER GIRL(ナンバーガール)への愛。ヴォーカルのみこ、デジタル・パーカッションの澤"sweets"ミキヒコ、そしてギター/シンセサイザーと全ての作詞作曲をこなすヤマモトショウからなる3人組ふぇのたすは、羊の皮をかぶった狼である。


 2曲目「たびたびアバンチュール」は、NUMBER GIRLからの影響を公言するBase Ball Bear(ベース・ボール・ベアー)を彷彿させるニュー・ウェイヴ・ディスコだし、3曲目「有名少女」はNUMBER GIRL「透明少女」へのオマージュ。ギターの音圧が上がり、舌足らずなヴォーカルも熱を帯びてくる。けれども深追いはせず、以降は80年代アニメ・ソングのようなエレ・ポップへ回帰していく。乱暴な例えだが、彼らの音楽性は高橋留美子『らんま1/2』の女らんま。一見可愛らしい容姿で中身は武闘派なのだ。


 高橋留美子の諸作品は萌え文化の源流のひとつであり、アニメ同人誌やボーカロイドで描かれるキャラクター・デザインのルーツかもしれない。萌えという感覚は諸説あるが、私が思うに、ある種のフェティシズムであり、個人対個人の物語へ発展しない。彼や彼女の中だけで完結する二次元への恋である。アニメの美少女は生身の女性と比べて情報量を格段に減らす一方で、ありえない大きな瞳や胸といった形で魅力をデフォルメし増幅している。ボーカロイドも肉声をデジタル化して情報を減らしながらも、人には歌えないとっぴな加工が可能。つまり情報を削ぎ落とし単純化し、ある部分に限局して反復しイメージを増幅する。


 これは昨今の精神科医療の大きなトピックス、自閉症スペクトラムと結びつきやすい特徴だ。国際的な精神疾患の診断基準であるDSM-5において、アスペルガー症候群や従来の自閉症などを包括する概念として新たに定められた疾患単位である自閉症スペクトラムは、生まれつき感覚過敏があり膨大な情報にさらされることに弱く、その程度が甚だしければ、著しい興味の限局と反復、コミュニケーションの不具合を引き起こす。その一方で、ときに人並み外れた創造的才能はこの特性に基づく場合がある。


 この視点に沿ってふぇのたすを聴けば、彼らの曲で一貫して歌われるテーマはあらゆる角度から襲いくる情報の渦だ。「有名少女」における注視妄想に、「もどかしいテレパシィ」のメールと伝言板だけで確認される恋、「おばけになっても」で歌われる幽体離脱する恋人。逃げ場のない情報社会で、繰り返されるリズムを盾に情報を遮断し彼女は身を守る。嫉妬や憎しみだけでなく、優しさや思いやりさえも負担になるのかもしれない、そんな彼女は「透明少女」。極まれば光も闇もこの世界の真実全てを受け止めてしまうような、その過敏性ゆえに、ときに現実を拒否し引きこもる。しかしひとたび世界と彼女の歯車が合えば、凄まじい才能を発揮するポテンシャルを秘めている。


 アイドルの作詞作曲も手がけるヤマモトショウは、萌え、オタク文化と彼の愛するNUMBER GIRLの音楽との接点を無意識に、半ば本能的に見出してしまった。そしてそれは時代の空気と必然的にリンクする。彼らのA&R加茂啓太郎が言う「音楽的発明」とは斬新なアイデアに加えて、そのアーティストが生きる時代のリアルを切り取っていることが必須条件なのだろう。



森豊和

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Habits Of Hate「Habits Of Hate」.jpg
 ダンス・ミュージックの "今" と "未来" を知りたければ、「Habits Of Hate」を聴けばいい。と、柄にもなくセンセーショナルな書き出しになってしまったが、このシングルを聴いたあとでは、そう書かせるほどの興奮状態に陥ってしまうのだからしょうがない。


 さて、なぜこうした書き出しになったのか?それにはまず、ハッパという新進気鋭のアーティストについて説明しなければいけない。英リーズ出身のハッパは、現在16歳のトラックメイカー。客としてではなくパーティーの出演者としてクラブを初体験したという。


 彼が注目を集めることになったキッカケは、2012年に発表された「Boss」。このトラックがリンスFMでプレイされると、ハッパの名は早耳リスナーたちの間でたちまち話題となった。それはダブステップを "過去の音楽" と認識し、若いリスナーに "再解釈" という形で届ける世代の登場を告げるトラックだった。その後ハッパはフォー・テットにリミキサーとしてピックアップされ、以降もジョン・ホプキンスやフォンデルパークといったアーティストの曲をリミックス。一方で自身のレーベル《PT/5》を立ち上げ、第1弾リリースのウィッチ「Vent」ではシフテッドをリミキサーに迎えるなど、UKハード・ミニマルの潮流とも邂逅している。こうしたさまざまな潮流を行き来することで、デビュー当初はベース・ミュージック界隈の新世代に過ぎなかったハッパは、将来のUKダンス・ミュージックを背負って立つアーティストのひとりとなった。


 そんなハッパが、《Black Sun》などからリリースを重ねるマンニ・ディーと結成したユニットこそ、デビュー・シングル「Habits Of Hate」を発表したばかりのハビッツ・オブ・ヘイトである。このシングルは、昨今のインダストリアル・ブームがベース・ミュージックに接近しつつある流れを反映させ、同時にダンス・ミュージックの攻撃性を極限にまで高めたヘヴィーなサウンドも鳴らしている。それはテン年代に向けた "ダブステップの再解釈" でありながら、プロディジーやケミカル・ブラザーズといった、ロック・ファンも巻き込んだビッグ・ダンス・アクトの血筋を見いだせるものでもある。言ってしまえば、将来的にディスクロージャーと肩を並べられるポテンシャルを示しているということ。それこそ、数年後には大型音楽フェスのメイン・ステージに立っていてもおかしくないほどの。「Boss」以降のサクセス・ストーリーや16歳という年齢ばかり注目されるハッパだが、そうした外部の煽動がなくても、生まれもって授けられた素晴らしいセンスだけでダンス・ミュージックの未来を切り開けるアーティストなのだ。この事実を「Habits Of Hate」は雄弁に鳴り響かせる。さすがのスクリームも、うかうかしていられないだろう(それゆえか、先日《Of Unsound Mind》というレーベルの立ち上げを発表したばかりだ)。


 そして、こうしたシングルが、ダブステップ以降のベース・ミュージックを牽引してきた《Hyperdub》の10周年記念コンピ『Hyperdub 10.1』と同じ年にリリースされたのは、なにか運命めいたものを感じてしまう。おまけに、ミリー・アンド・アンドレア『Drop The Vowels』が示せなかった、飽和状態にあるインダストリアル・ブームの "先" をたった1枚のシングルで私たちに見せてくれる。いやはや、すごい新世代が現れたものだ。


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Copeland『Because I'm Worth It』.jpg
 インガ・コープランドことアリーナ・アストロヴァが、ソロ・デビュー・アルバム『Because I'm Worth It』をコープランド名義で発表した。このタイトルを日本語に意訳すると、『私には(それなりの)価値がある』といった感じ。捉え方にもよるが、筆者からすると、背水の陣であっても前向きに行こうと歩きだす彼女の姿が見えてくるタイトルだ。


 2013年夏、ディーン・ブラントと共に結成したハイプ・ウィリアムスの正式なコンビ解消が伝えられ、その後ディーン・ブラントは《Rough Trade》と契約。コープランドもコープランドで音源の制作を続け、いまは別々に活動しているそうだ。こうした背景をふまえると本作は、ディーン・ブラントに対する当てつけのように解釈できなくもない。「Insult 2 Injury(侮辱されて傷ついた)」や、アクトレスとコラボレーションした「Advice To Young Girls(若い女性たちに送る助言)」といった曲名は、そう考えるのに十分な説得力を持つものだ。もうひとつ興味深いのは、本作のプレス・リリースに記された次のような言葉。


 "spill a tear and then you cry for ldn is it the kinda place you'd die for? how does it feel to be lied to? but then again what's a girl to do?"


 これは7曲目「Inga(インガ)」(このタイトルはインガ・コープランド自身を指すと思われる)の歌詞から引用した一節で、このことも本作が内省的でパーソナルな作品であることを窺わせる。言ってみれば本作には、アリーナ・アストロヴァという女性の内観が記録されているのだ。


 これまでに彼女は、実験的かつディープなエレクトロニック・サウンドを展開し私たちを魅了してきたが、本作でもその姿勢は相変わらず。スティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスといったミニマル・ミュージックの要素が漂うサウンドスケープは荘厳な抑制美を生み、不意に鳴らされる強烈なベースには聴き手を驚かせようとする彼女の遊び心が込められている。「Advice To Young Girls」では地鳴りのような低音を響かせ、さらに「Inga」はダビーな音使いを際立たせたりと、ベース・ミュージック好きに受け入れられそうなプロダクションが目立つのも特徴だ。お世辞にも最先端のサウンドとはいえないが、変に肩肘張ったような雰囲気は見られず、自身の求める音を自由に鳴らしている。


 本作にはディーン・ブラント&インガ・コープランド『Black Is Beautiful』、それから「Don't Look Back, That's Not Where You're Going」といったインガ・コープランド名義の作品で見られた、ナンセンスの極みに到達した皮肉があるわけではない。だが、ソロとしての第一歩という意味では文字通り良作、 作品のクオリティーを確保しつつ "これから" も期待させてくれる内容である。そして何より、陶酔的で美しい。


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CSジョセフアルフポルカ.jpg

 シーンの主流からはみ出しているからこそ生まれるトリックやミラクルがある。名古屋のインディー・シーンでも《THISIS(NOT)MAGAZINE》の周辺に、そういった異端かつ奇異なミュージシャンが集まっている。6eyes(シックスアイズ)やMILK(ミルク)のようなポスト・パンク/ハード・コア系のバンドから、ジョンのサンやYOK.(ヨック)のような叙情的アーティストまで様々だが、最近注目されているtigerMos(タイガーモス)は特に変わったユニットだ。アメリカ帰りのSSWイケダユウスケが、レミ街のキーボード/トラック・メイカーの荒木正比呂を誘って結成し、幻想的なフォーク、サイケデリア、エレクトロニカを折衷したサウンドをバックに、優しく滋味深いファルセットで歌い上げる。


 本稿の主役ジョセフ・アルフ・ポルカも変わった音楽性という点では負けていない。ヴォーカル/キーボードのてんしんくんとギター、ベース、ドラムの4人組である彼らが奏でるのは10年代の和製アシッド・フォーク。のどかな自然の風景がびろーんと拡張したり、だらしなく垂れ下がったり、目眩のようにふわふわ、ぐるぐる回ったり、時にすごい速さで迫ってきたりする。6曲入りの本EPは、前作に比べて良い具合に力が抜けたへろへろな疾走感、サイケ具合がより極まっている。長久手の大自然の中にある彼らの母校、愛知県立芸術大学が育んだ異形サウンド。USインディー直系のきらびやかに爪弾かれるギターは平原に昇る朝日のように我々を照らし、リズム隊がしっかりとしているからこそ、ヴォーカルやキーボードが思う存分暴れることができる。まるで野原を転げ回る小動物のように。


 長久手はかつて愛知万博が行われた土地。リニア・モーター・カーによる路線が新設され現在も運行されている。国道以外ほとんど何も無い風景に、突然、万博跡地である国営公園が現れたときの気分といったら、まるでSFの世界だ。静かな車内ではるか上空から眺めるその景色は古代文明の遺跡のよう。本作収録のカヴァー曲、沢田研二「TOKIO」はこの風景を歌ったのかもしれない。そして万博の各国ブースを引き継いだかのように彼らの音楽からはどこか異国情緒も漂う。


 前述のtigerMosにしても、このジョセフ・アルフ・ポルカにせよ、奏でる音は違うが、今の感覚で70年代のサイケデリック・ロックが持っていた色気を再現しようとしている。かつて繁栄した文明が滅んだ後の、無人の廃墟が点在する世界を歩むイメージ。万博の繁栄が断ち切られた愛知の郊外で、大阪や東京、そして海外からの影響を断片的に取り入れながら、彼らなりのいびつで、しかし筋の通ったポップスを編み出している。



(森豊和)



【筆者注】「天声人語」はライヴ会場、FILE-UNDER大須の服屋『麻芽』、itunesで購入できます。

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model aeroplanes.jpg

 素敵な女の子に出逢い、全身に電流が走り、一瞬で恋に落ちる。まさにその感覚を2本のギターで表現する。モデル・エアプレーンズのサード・シングル「Electricity」は看板に偽りなしのキラー・チューンだ。


 今月のMusic Alliance Pactをチェックしていて、スコットランドはダンディー発のこの若手4人組ギター・ポッパーを知った。爽やかなギター・リフとベタなメロディー・ライン。なぜだか懐かしさがこみあげて胸が熱くなるデビュー曲「Crazy」のサビの歌詞は「君に首ったけ、君さえいれば全てうまくいく」ときたもんだ。セカンド・シングルは軽快なダンス・チューン、名付けて「Innocent Love」。純愛だなんてタイトル、今どき誰もつけない。でもそれがいい。情熱的なヴォーカルと愉快なコーラス。そのテンションと容赦ないキャッチーさに、不覚にも私はモーニング娘。の「LOVEマシーン」を思い出してしまった。ディスコ歌謡っぽいというか、日本人の大好きなフィーリング。つんく♂はそもそもロック・ミュージシャンだったわけだし。共通項はためらいのないダサさ、気持ちよさ。ポップ・ソングは本来そうあるべきなのだ。


 齢も30歳も過ぎると20歳やそこらの若造の曲なんて、と軽視しそうになる。「年をとらないと人生の苦しみなんて分からないわ!」と、ついつい頭の固いオヤジになって(笑)。それはいけないと反省した。最高のポップスは年齢も経験も超越して響くし、才能と偶然はときにマジックを引き起こす。そのメンバー、その時代がぶつかりあった末のケミストリー。また、フィル・スペクターのビートルズ関係の仕事、あるいはジョー・ミークが後世のロックに与えた遠隔的な影響などを挙げるまでもなく、ロックはガール・ポップと深い関係がある。ザ・スミスだって、スウェードだって、それにアークティック・モンキーズも、オールディーズのような甘酸っぱいメロディーを聴かせてくれる。だからスコットランドのギター・バンドと日本のアイドル・ディスコ歌謡に相似性を見い出したって不思議はないはず。ジャンル的にも、地理的にも、時間的にも、様々な音楽が影響し合い、折衷され今ある形となったのだから。文化は継承される。


 チャイルドフッド、ドラウナーズ、そして彼ら。UKギター・ロックはまだまだ元気で、わくわくするアクトが次々と出てくる。モデル・エアプレーンズはネットにデモ音源を上げてライヴ活動開始後、半年足らずでザ・ヴューの前座を務め、グラストンベリーに次ぐ英国最大規模のフェスティバル、ティー・イン・ザ・パークに出演を果たしたという。今、くすぶっている若いバンドマンもあちこちにデモ・テープをどんどん送ってしまえばいい。行動しなければゼロ。何も始まらない。



(森豊和)

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A2A.jpg

 ファースト・アルバム『Space Is Only Noise』で話題を集めたニコラス・ジャーという男は、デイヴ・ハリントンと結成したダークサイドとしても『Psychic』を発表するなど、デビュー当初からほぼ休まず活動を続けてきた。さらに彼はこうした音楽活動に加えて、《Other People》の主宰としても興味深い作品をいくつもリリースしている。ジャングルとジュークを混ぜ合わせたヴィンテージナイキ『Dubna』、幽玄なアンビエントにロマンティックなディープ・ハウスのサウンドが溶け込んだドリュー・グラッグ「Over-Under」といった具合に、特定のレーベル・カラーを打ち出すというよりは、ヴァラエティ豊かなカタログが《Other People》の特徴だ。


 そんな《Other People》が新たにフックアップしたのが、アシュリーと名乗る女性アーティスト。彼女のサウンドを端的に表すと、極端に音数が少ないミニマルなエレクトロニック・ミュージック。それでいて、反復するビートによって高い中毒性も得ている。実験音楽に没頭するシリアスな雰囲気を窺わせるが、何度か聴いているうちにリラックスとした抜けの良さがあることに気づく。こうした肩肘張っていない遊び心はインガ・コープランドのサウンドを想起させる。


 とはいえ、そのコープランドと比べれば、アシュリーにはヒップホップやR&Bからの影響を感じさせる歌心がある。同時に、自らの歌声を曲全体の一部として扱う鳥瞰的視点と冷徹さもアシュリーの音楽には存在する。この点は18+とも共振する側面だと言えるだろう。


 だが、こういった近年のアンダーグラウンド・ミュージックと接続できる彩度を備えた「Ashes 2 Ash」は、面白いことに先述の『Space Is Only Noise』に近い作風だ。このアルバムもまた、過剰に音を盛ることはせず、ニコラスの渋く味わい深い歌声をひとつのパーツとして機能させた作品。それこそ、18+やインガ・コープランドのソロ作品との類似性を見いだせるほどの。言ってしまえば「Ashes 2 Ash」は、ニコラス・ジャーの感性が未来を的確に捉える鋭いものであることもわかる作品なのだ。


 そう考えると《Other People》は、あまり知られていないアーティストを紹介すると同時に、ニコラスの感性を素直に反映させたレーベルなのかもしれない。もしかすると、ニコラスがピンときた音をそのままリリースしているのでは? そう思わせるほど、《Other People》の作品群は見事にバラバラな音楽性である。だとすれば、どうしてもニコラスの次、つまり『Space Is Only Noise』に続くセカンド・アルバムのほうにも期待を抱いてしまう。レーベル主宰者としての活動をいかに取り入れ、表現するのか・・・。だからニコラス、そろそろセカンド・アルバムを出してくれないだろうか?




(近藤真弥)

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Ben-Watt-CS.jpg

 例のごとく、「その言葉でタグづけされているアーティストが好きじゃない」ってことではないけれど(笑)、レイドバックというやつが苦手だった。


 まあ、パンク/ディスコ世代の特徴かもしれない。当時苦手だったフュージョンって言葉も時代をへるに従って許容できるようになったものの、レイドバック...は、だめだ...。


 たぶん、ぼくは心底「くつろいだ、のんびりとした、ゆったりした」音楽を求めていないのだろう。性格的に。


 だからベル・アンド・セバスチャンが『Dear Catastrophe Waitress』のラスト曲で、イラついたようなサウンドにのせて《どうやって事態を改善していけるんだ?/もし きみの望むのが うだうだ怠けているような状態だけだとしたら》と歌ったときは完全に快哉を叫んだし、ティーンエイジ・ファンクラブが『Howdy』収録曲「My Uptight Life」で《ぼくの人生はずっとはりつめた神経質さにあふれていた/でも それでいい》と歌ったときにも激しい共感を覚えた。


 エヴリシング・バット・ザ・ガールの片割れベン・ワットが、そのグループを始めた少しあとに発表したファースト・ソロ・アルバムから30年以上の歳月をへてリリースした、セカンド・ソロ・アルバム。


 彼も当然ジジイになっている。もともと「若々しいけれど、枯れた味もある」人だった。にしても、変なふうに歳をとってたらやだな...と不安を抱えつつ聴きはじめ、冒頭のバーナード・バトラー(元スウェード...というより、ぼくにとっては、それを脱退して最初におこなったエドウィン・コリンズとのコラボ・ワークや、クリエイション・レコーズから出していたソロ・アルバムが印象的。今回、多くの曲に参加している)のギターで「うっ、ちょっと、エリック・クラプトンみたい(汗&笑)」と思った瞬間、まさか「レイドバック」アルバムか? と...(笑)。


 いや、しかし大丈夫だった。


 アルバム全体をとおして(本質的なブルース...もしくはブルーズ...もしくは憂鬱ってやつを会得した表現であるという意味で)エリック・クラプトンに通じる部分はあるかもしれないが、少なくとも、「レイドバック」などまったくしていない。


 もともと前作や初期エヴリシング・バット・ザ・ガールの作品をとおして「アズテック・カメラと並ぶ、メジャー・セヴンス(・コードを効果的に使った)・ポスト・パンク・ポップ」の代表格としてその名を知られるようになったベンだが、近年はいわゆるエレクトロニック・ミュージックに傾倒していた。DJとしても活躍していただけに、クラブなどの現場で、若い者たちと交流する機会も多かったから、そうならずにすんだのかもしれない。


 このアルバム自体は、近年の彼の活動からこちらの頭に浮かぶ予想をくつがえすように、ハウスやテクノ的ノリは皆無に等しい。バーナードのギターを除けば、ブルースというよりはメジャー・セヴンスな感じ...つまり、同じ黒人音楽でいえばジャズやそれ系中南米音楽に近い? でも、あえてなにかに例えろと言われれば...そうだな「スーパー・キャッチーじゃない」ときの(そして、もちろん女性ヴォーカルじゃないときの)フリートウッド・マックとか?


 彼の世代/年齢的なことを考えても、いわゆる70年代AORに近づいてしまうのは、もう本能的...というより、それに近い形で子どものころから身にしみついてしまった素養として、仕方ないことだろう。そして、あれだ。本作には(それほど目立たないけれど)ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアも、こっそり参加している。この世代の、それほど遠くない位置づけにあるアーティストが彼(ら)と接近した前例としては、ドリーム・アカデミーが挙げられる(このアルバムには、彼らの作品に近い面もある。感動的なラスト・ナンバーとか...)。そして、ベン自身は、先述のソロとほぼ同時期に、ロバート・ワイアットの共演EPを出していたなあ...などということも思いだしてしまった。原盤供給元の「まだ作られていない道」から、欧米でライセンスされたレーベル名義は、なんとキャロライン(70年代にはヴァージン傘下レーベルとして、当時は完全にマニアック・レーベルだったヴァージンという会社のなかでも、さらにマニアックな部分を担当していたというか...:笑)だし...!


 プリファブ・スプラウトの近作ほど、この先もしつこく愛聴していくかどうかはわからないけれど、いいアルバム。好きです。



(伊藤英嗣)

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Coni「Comfort Zone」.jpg

 ここ10年のフランスのダンス・ミュージック・シーンを語るうえで欠かせないレーベルといえば、やはり《Ed Banger》になるだろう。2003年に始動したこのレーベルは、これまでにジャスティスやセバスチャンといった、いわゆるフレンチ・エレクトロの中心人物を輩出してきた。他にもペット・ショップ・ボーイズ、DJメディ、ローラン・ガルニエなど、そうそうたる顔ぶれがカタログに並んでいる。先日《LuckyMe》から「Wedding Bells」という良質なEPを出したカシミア・キャットを逸早くピックアップしたりと、鋭い嗅覚も健在だ。《Ed Banger》は、文字通り名門レーベルとしてその存在感を放ってきた。


 とはいえ、もはや《Ed Banger》ばかりに注目していられないほど、現在のフランスからはさまざまなダンス・ミュージックが生まれている。その盛り上がりは世界中のリスナーに届いているようで、イギリスのDJ/クラブ雑誌DJ MAGは、1950年代末にフランスで起こった映画のムーヴメントをまんま引用したフレーズ、「FRENCH NEW WAVE !」を掲げたりもしている(おまけに「VIVE LA FRANCE !」なんて言葉も)。


 そのなかでも、特に面白いのが《Bromance》と《ClekClekBoom》というレーベル。前者がジャスティス以降のフレンチ・エレクトロなサウンドを影響源として色濃く表すのに対し、後者はグライムやダブステップといったベース・ミュージックの要素が際立っている。ゆえに《ClekClekBoom》はイギリス的というか、フランスの匂いがあまりしない。それでいて、ただイギリスの流行りを追いかけるだけで終わらないサウンドも確立している。こうした方向性に至ったのは、急速に盛り上がったあと瞬く間に勢いが落ちてしまったフレンチ・エレクトロの諸行無常を見てきたせいかは定かではないが、少なくともパリにアンダーグラウンドな音楽シーンを作ることに腐心しているのだけは確かだ。それは2013年にリリースしたレーベル・コンピのタイトルが『Paris Club Music Volume 1』だったことからも窺える。《ClekClekBoom》は、フレンチ・ハウスでもフレンチ・エレクトロでもない、新たな音楽と文脈をパリに築きあげるという難題に挑んでいるのだ。


 そんな《ClekClekBoom》のアーティストで筆者が熱心に追いかけているのは、コニことニコラス・オリエ。ニコラスは2011年の「Luz In Pool / Suma / Crush」で甘美なUKガラージの要素を漂わせ、さらに「My Secret Diving E.P.」では妖艶なハウスを鳴らすなど、ベース・ミュージック中心の《ClekClekBoom》にあってハウス/テクノ寄りのサウンドを売りにしている。その音楽性は《L.I.E.S.》周辺のミニマルなロウ・ハウスに通じるものだが、それはあくまで一要素に過ぎなかった。


 しかし本作「Comfort Zone」においてニコラスは、これまでよりもディープでダークなサウンドスケープに到達してしまった。シカゴ・ハウス、インダストリアル、ベース・ミュージックが交雑するサウンドはラフな質感を携え、音数を少なくすることでドラッギーな陶酔感も獲得している。ここまでくると、《Minimal Wave》が偏執的にリイシューしつづけるチープでヒンヤリとしたポスト・パンク作品に近いものを感じてしまう。それほどまでに本作の電子音とビートには、現在と過去の間を彷徨うゴーストのような雰囲気がまとわりついている。正直、《ClekClekBoom》主宰のフレンチ・フライズやミニストルXよりもブっ飛んだ音で、面白い。


 それにしても、「Comfort Zone」をマスタリングしたスチュアート・ホークスはどんな気持ちだったのだろう。スチュアートはケイティ・Bやリリー・アレンの作品にも関わっている売れっ子エンジニアだが、本作をマスタリングする際に聴いたときはさすがに驚いたんじゃないかなって。まあ、余計なお世話かもしれませんが。



(近藤真弥)

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Joey Anderson『After Forever』.jpg

 ジョーイ・アンダーソンは、DJジャスエドやDJキューといった、いわゆる《Underground Quality》周辺のアーティストと共に、USハウス・シーンにおける新たな中心人物として注目を集めてきた。《Strength Music》より2008年にリリースされたコンピレーション・シングルに曲を提供して以降、彼は印象的なトラックを量産。しかし面白いことに、USハウスと括られがちなジョーイのサウンドは、ハウスと言うには少し違和感を抱いてしまうものだ。もちろんハウスが基調にあるのは間違いない。だが、DJジャスエドにDJキュー、さらに『Naturally』という良盤を発表したのも記憶に新しいダナ・ルーといった人たちに共通する、ロマンティックで開放的なサウンドスケープとは一線を画する。ジョーイのそれは意識の深層世界に潜り込むようなものであり、内観的な抑制美すら感じさせる。ミラーボールきらめくダンスフロアのさらに下、それこそアンダーグラウンドという言葉が相応しい音。これは《Underground Quality》周辺において異端的なサウンドだと言える。


 そうした姿勢は、待望のファースト・アルバム『After Forever』でも変わらない。まず一聴して驚くのは、ハウスというよりは初期のデトロイト・テクノを引き合いに出したほうがしっくりくるそのプロダクション。正直、"USハウス" と聴いて思い浮かぶであろうアーティスト、例えばフランソワ・ケヴォーキアンなどの顔が浮かんでくることはない。むしろデリック・メイやカール・クレイグの姿が脳裏をかすめる。基本的に4つ打ちとはいえリズム・パターンも多彩で、ジャズの要素をちらつかせる「Sorcery」、ファンキンイーヴンなどのアシッド・ハウスから影響を受けたベース・ミュージックとも共振する「Amp Me Up」など、ジョーイの豊穣な音楽的背景をうかがわせる曲群も聴いていて飽きがこない。先に「初期のデトロイト・テクノを引き合いに出したほうがしっくりくる」と書いたが、もうひとつ付けくわえるなら、ジャズやソウルの香り漂うダブステップをリリースしてきたレーベル《Eglo》と接続可能な音楽性が本作にはある。まあ、それを言ってしまえば、「Keep The Design」は『Frequencies』期のLFOを想起させるプリープ・テクノなサウンドが飛び出してくるし、「It's A Choice」はシカゴ・ハウスそのもの・・・といった具合に連想が止まらなくなってしまうのだが。


 いずれにしても本作は、USハウスに愛を捧げてきた往年のダンス・ミュージック・ファンだけでなく、ダブステップ以降のベース・ミュージックに感化された若い層にも訴えかける多様な作品だということだ。




(近藤真弥)

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