reviews: March 2014アーカイブ

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Todd Terje『It's Album Time』.jpg

 ノルウェー出身のDJ/プロデューサーであるトッド・テリエが、上品なディスコ・トラック「Eurodans」を《Soul Jazz》からリリースしたのは、実に10年近くも前のこと。当時高校生だった筆者は、パーカッシヴで中毒性の高い反復リズムを駆使した「Eurodans」に文字通り魅了された。おかげで頻繁にクラブへ、というのは未成年だったゆえに叶わなかったが、そのかわり、自宅のターンテーブルに乗せてヘヴィー・プレイをしていた。


 テリエが作るディスコ・トラックには、腰を振らせる肉体性と同時に、聴き手をふわふわとした心地良さに導くトランシーな恍惚感もある。そんな彼のサウンドは "コズミック・ディスコ" と形容されることも多く、リンドストローム、プリンス・トーマスといったアーティストと一緒に語られることがしばしば。特にリンドストロームとは深い交流があるようで、2013年にはテリエが主宰する《Olsen》から、「Lanzarote」という共作シングルを発表している。このシングルは一言で表すと、お水で享楽的なダンス・ミュージック。世界中の都市名を連呼するだけの歌詞と、イタロ・ディスコのいなたい雰囲気が聴き手を笑わせてくれる。フロア仕様のディスコとして申し分ないクオリティーも備え、多くのDJたちによってスピンされた。こうしたインテリジェンスを感じさせる遊び心もテリエの持ち味のひとつだ。


 本作『It's Album Time』は、その遊び心がこれまでよりも鮮明に表れた作品である。シングル、EP、それから数多くのリエディットやリミックスにおけるテリエは、"フロア" を必ず意識していた。しかし、本作でのテリエはそうした意識を抑えている。全体の流れは明確に練られ、シングル中心に活動する者がアルバムを作る際に陥りがちな "寄せ集め感" の罠にハマっていない。全曲がひとつの壮大な物語を描くためのパーツとして存在し、そういった意味では捨て曲なしと言っていい。「Intro (It's Album Time)」で幕を開けてから最後の「Inspector Norse」まで、だれる場面が一切ない。ロバート・パーマー「Johnny And Mary」のカヴァーでブライアン・フェリーをヴォーカルに迎えるという面白い試みも、『It's Album Time』の世界観に上手く馴染んでいる。


 もちろんダンス・ミュージックの機能性も健在だが、本作でもっとも際立っているのは、ホーム・リスニングも可能なメロディー・センスと多様な曲群だろう。こうした側面は、テリエが豊富な引き出しを持つメロディー・メイカーの才に恵まれていることを堂々と証明している。



(近藤真弥)

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 テンプルズとポーティスヘッドを足したようなサウンド、あるいは13thフロア・エレヴェーターズをもっと露骨にカヴァーしたプライマル・スクリームとでも言えば通りはいいか。サイケデリック、ハード・ロック、シューゲイザー、様々な要素が感じられる。


 名古屋大須の『矢場とん』ビルの前はいつも観光客による行列があるが、そのすぐ南、弁当屋の横の雑居ビル、その急な階段を登った4階に『FILE-UNDER』というレコード店がある。店主である山田岳彦の情報収集能力の高さは目や耳が三つ付いているのではと勘ぐらせる。マニアックな品揃え過ぎて、いつか店が潰れないか心配しているのだが、意外とそんなこともないようだ。「深夜に店に戻ったら幽霊が出たよ」とうそぶく彼が今、店で猛プッシュしているのが、異形の化け物を想起させるサイケデリア、カリフォルニア出身の宅録ミュージシャン、モーガン・デルトだ。


 ターン・テーブルに乗せると空気が変わる。スクラッチ音から始まり軽快に跳ねる1曲目「Make My Grey Brain Green」で、我々をフラワー・ムーヴメントの時代にトリップさせる。カルト教団を連想させるスロー・ナンバー「Barbarian Kings」を筆頭に、映像イメージの湧く曲が続く。後半の「Sad Sad Trip」と次曲「Backwards Bird Inc.」の重低音ファンク2曲は、プライマル・スクリームの『Screamadelica』に収録されていてもおかしくない。約2分でフェイド・アウトする最終曲「Main Title Sequence」は映画のエンディングを思わせる。実際に映画にインスパイアされて作曲していると彼はインタヴューで語っている


 60年代のサイケデリック・ロックは、ドラッグによる意識拡張と切れない関係にあった。ミュージシャンに全てを与え、ときに全てを奪い去ったドラッグ。10年代ではインターネットがそれに当たるかもしれない。どんな辺境の一室からも世界への発信が容易になった今、個性的な表現であればいずれ広がっていく。世界は自宅のデスクトップにある。個々人の精神が知覚し得る領域を押し広げる一方で、時には深刻な依存、そして中毒を引き起こすという点でも、ドラッグとインターネットは近い。


 60年代のミュージシャンには明快な仮想敵としてベトナム戦争があった。そしてドラッグ自体が身体を蝕む見えない敵。双方ともに地上の地獄だ。対して10年代のインターネット、とりわけSNSは便利なコミュニケーション・ツールだが、同時に実態のみえない圧力を絶えず受ける。誰かに認められる一方で、誰かに激しく非難される。地獄はパラノイアになる自分自身の奥底にある。商売柄、山田はインターネットを手放せない。海外への発注、問い合わせは勿論、新鋭レーベル、アーティストを探すこともほぼ全てネット経由だ。ロックDJでもある山田が行うレコード店業務は、モーガン・デルトが行う宅録作業と似ている。様々な音楽を聴き、自らの音(あるいは店の商品)としてアウトプットする。


 夜遅く、最後の客も他の住人も帰った後の雑居ビルで、山田は黙々と作業している。店内に並ぶ無数のレコードやCD、手作りジンには、製作者の生霊が宿っている。魔界は我々一人一人の内にあり、インターネットを通して繋がり拡大していく。モーガン・デルトは言う。「聴き手であるお前の中にこそ物語がある」。想像しろ。



(森豊和)

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Untold『Black Light Spiral』.jpeg

 《Hessle Audio》や《R&S》から良質なダブステップをリリースしながら、《Hemlock》というレーベルの主宰者としてジェームズ・ブレイク、コスミンTRG、そして今ではパーソン・サウンドの名で知られるラマダンマンのシングルをリリースするなど、ベース・ミュージック・シーンで着実にキャリアを積み重ねてきたアントールド。


 そんな彼が待望のファースト・アルバム『Black Light Spiral』を発表したのだが、聴き手の想像力をくすぐる面白い作品だ。まず、ピギー・バンクに重石が落下した瞬間をとらえたジャケット。アントールドが生まれたイギリスでは、台所に豚の貯金箱を置き、そこに余ったコインを入れる習慣が根強く残っている。そうしたこともあり、筆者は本作のジャケットを見て、これはアントールドなりの反骨精神を表したのか? と思ったりもした。言ってみれば、ダブステップが最新鋭だったのはとうの昔となり、刺激に乏しい定型的なベース・ミュージックが量産されるようになった現在に対する批判精神。それこそ、「音楽よ、安らかに眠れ」と題された短い詩を公開し、最新作『Ghettoville』で新たなサウンドを偏執的に追求したアクトレスと類似する姿勢・・・。


 と、ここまでは筆者の邪推に過ぎないが、本作がそう思わせるような作品であることは間違いない。低域を強調したベース・ミュージックでありながら、そのサウンド・プロダクションはとても粗く、ビートもゴツゴツとしたラフな質感が際立っている。筆者にしてみれば、それはブラワン「Why They Hide Their Bodies Under My Garage」を一瞬思い浮かばせるものだが、本作はもっとダークでドロドロした雰囲気を醸し出す。もしかすると、近年の《Modern Love》みたいなインダストリアル・サウンドを想起する者もいるだろうか。少なくとも、本作でのアントールドが新しい音を鳴らすことに執着しているのは確かだ。ベース・ミュージックやインダストリアルはもちろんのこと、ノイズ、ドローンといった音楽の文脈でも解釈可能な作風からもそれは窺える。


 本作はけたたましいサイレンが鳴り響く「5 Wheels」で幕を開け、その後は地を這うようなグルーヴが終始うねりつづける。ゆえに強烈な酩酊感を宿し、ぶっ飛んだら2度と目覚めないのでは? と思えるほどにダウナーな恍惚感をもたらしてくれる。こうしたトリッピーな側面に触れると、やはり本作はダンス・ミュージック・アルバムであると実感する。体を激しく踊らせるのではなく、心を躍らせるという意味で。


 おそらく本作は、これまでのベース・ミュージック・シーンにはあまり見られなかったサウンドとして享受されるだろう。hanali(ハナリ)といったアーティストを中心に確立された、ゴルジェという音楽をすでに通過している者たちを除いて。



(近藤真弥)

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Millie & Andrea『Drop The Vowels』.jpg

 2010年代に入ってから、"インダストリアル" という言葉が至るところで見られるようになったのは、多くの人にとって驚きだったかもしれない。例えば、2000年代半ばに起きたポスト・パンク・リヴァイヴァル。このときはジョイ・ディヴィジョン、ギャング・オブ・フォー、エコー・アンド・ザ・バニーメンといったバンドの名が誌面におどることはあっても、インダストリアル・サウンドを特徴とし、オリジナル・ポスト・パンク期における最重要バンドのひとつであるスロッビング・グリッスルの名を見かけることはまずなかった。彼らが主宰する《Industrial Records》周辺のアーティストやバンドについても同様。そもそも、"インダストリアル" という言葉自体が無視されていた。


 しかしどういうわけか、2~3年前から「インダストリアルな...」「盛り上がるインダストリアル・リヴァイヴァル...」「必聴のニュー・インダストリアル...」みたいなフレーズが、レコード・ショップのポップ、音楽誌のレヴュー、プレス資料などに現れはじめた。こうしたブームといえる状況は、発展を遂げながら今も続いている。


 そんなブームの中心にいるのが、マンチェスターを拠点に活動する《Modern Love》。初期の頃は一介のテクノ・レーベルに過ぎなかったが、ここ数年はアンディー・ストット『Luxury Problems』を筆頭に、インダストリアル再評価の震源地として強い存在感を放っていた。だがここにきて《Modern Love》は、インダストリアル再評価の先を目指すような動きを見せている。それは、ダブ・テクノとベース・ミュージックをダークな音像に流し込んだライナー・ヴェール「New Brutalism」、そしてザ・ウィーケンドに通じる2010年代以降のR&Bとヒップホップを交雑させたジャック・ダイス「Sip Paint」など、《Modern Love》のレーベル・カラーを拡張する作品のリリースが続いていることからも窺える。


 本作『Drop The Vowels』も、その拡張路線にある作品だ。本作を作り上げたミリー・アンド・アンドレアは、デムダイク・ステアのマイルス・ワイテカーとアンディー・ストットによるユニット。このユニットは、これまでにシングルというフォーマットで作品をコンスタントに発表し、ダブステップ、トラップ、ジュークといったベース・ミュージック寄りの音を鳴らしてきた。ふたりは共に昨今のインダストリアル・ブームを代表する存在だが、ミリー・アンド・アンドレアでは、インダストリアルから離れた音を自由気ままに鳴らしている。


 それは本作でも変わらない。もっと言えば、ミリー・アンド・アンドレアとしてやってきたことの集大成と言える内容だ。ガムランを連想させる音色が印象的な「Gif Riff」で始まり、続く「Stay Ugly」ではダブステップ以降のベース・ミュージックを鳴らしたりと、マイルスとアンディーのパブリック・イメージとは程遠い音が展開されている。


 本作でもっとも際立っている要素は、ずばりジャングルである。しかも「Temper Tantrum」はロゴスといった《Keysound》周辺のサウンドに通じ、さらに「Corrosive」ではトラップのビートで幕を開け、突如激しいジャングルに変化したあと再びトラップに戻るという荒業を披露するなど、その取り入れ方は多彩。


 興味深いのは、「Back Down」「Quay」というインダストリアル・トラックが収められていること。女性のヴォイス・サンプリングを使い、ラフなビートはシカゴ・ハウスを想起させる「Back Down」、さらにラストの「Quay」も耽美的なアンビエントに仕上がっていたりと、この2曲でふたりはミリー・アンド・アンドレアという仮面を外し、アンディー・ストットとデムダイク・ステアの顔に戻っている。そんな2曲をアルバム終盤に持ってきたのは、デムダイク・ステアとアンディー・ストットにそれぞれ回帰するストーリーを描くため? と邪推してしまったり。こうした聴き手の想像力をくすぐる遊び心も本作にはある。


 とはいえ、不満がないと言えば嘘になってしまう。というのも、本作は習作の域でとどまっているからだ。本作でのふたりは、サージョンが「The Power Of Doubt」でインダストリアル・テクノとダブステップを接続したときのような斬新さを見せることもなければ、マーク・プリチャードのように深い理解力でベース・ミュージックを消化できているわけでもない。踊り狂うクラウドで満たされたフロアに相応しい曲群を作り上げた点は素直に称賛したい。しかし、ふたりのポテンシャルからすると、シーンの流れを決定づける仕事ができたのではないか? そう思ってしまうのも本音である。



(近藤真弥)

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 発色を抑えた物憂げな横顔のジャケットとは裏腹に、カラフルで豊潤という言葉がぴったりなサウンドが鳴り響く。ネナ・チェリーのソロ名義としては96年の『Man』以来の新作となる『Blank Project』が最高にカッコいい! 12年にリリースされた北欧の爆音フリー・ジャズ・トリオ、ザ・シングとの共演作『The Cherry Thing』のインパクトが大きかっただけに、ご無沙汰な感じはまったくない。ジャズを基調としながらも、ストゥージズからマッドヴィリアンまでをカヴァーする意外性たっぷりなセンスと斬新なアレンジで、僕たちを存分に楽しませてくれたばかりだから。


 『The Cherry Thing』は、ジャンルの垣根が(当然、いい意味で)曖昧になってきている「今、これから」を象徴するサウンドとして、もっと多くの音楽ファンに聴かれるべき1枚だと思う。そして『The Cherry Thing』をさらにパワー・アップさせた『The Cherry Thing Remixes』も忘れずに。ジム・オルーク、メルツバウ、ホートラックス・コブラ(ピーター・ビヨーン&ジョンのジョンによるソロ・ユニット)など、個性豊かすぎるメンツが揃ったこのリミックス・アルバムは、リビング・ルームでまったり聴くのも良し、フロアでガンガン鳴らすのも良しな全方位的な仕上がり。パンク/ポスト・パンクからクラブ・ミュージックへと広がり続ける音楽性、必然的とも言える新世代ジャズとの接近、そしてソウル・ミュージックへと繋がるルーツ。彼女の長いキャリアで培われた豊かな感性は、"今"という時代にこそ相応しい。


 満を持してリリースされた『Blank Project』は、『The Cherry Thing』と『The Cherry Thing Remixes』での緻密なサウンド・アレンジと冒険心を引き継ぎながらも、よりパーソナルなフィーリングに満ちたアルバムとなっている。プロデュースは、キエラン・ヘブデン。フォー・テット、と言えばピンとくる人も多いはず。先述のリミックス・アルバムでもスーサイドのカヴァー「Dream Baby Dream」をトライバルなハウス・サウンドに生まれ変わらせていたキエランが、今作でもその手腕を存分にふるっている。


 滴り落ちる水音をイメージさせるビートとスポークン・ワード風のヴォーカルが重なりあうミニマムな「Across The Water」、電子音と生ドラムが脳内を飛び交う「Naked」、ヘヴィーなシンセ(ブラック・キーズのギター・リフみたいだ!)がブンブン唸るダンス・ナンバー「Weightless」、そしてスウェーデン出身の女性シンガー、ロビン(Robyn)とのポップでクールなデュエットが聴ける「Out Of The Black」などなど、聴きどころがいっぱい。エレクトロニックなダンス・アルバムなのに、オーガニック。どの曲もネナが目の前で歌っているような親密さが心地良い。


 そんな変幻自在のサウンドを鳴らしているのは、全曲でバック・バンドをつとめるロケットナンバーナイン。キーボード&ドラムというミニマムな編成でジャズからポスト・ロック、エレクトロニカまでを縦横無尽にプレイする彼らも要チェック! つまり、このアルバムはネナとフォー・テットとロケットナンバーナインがガッツリ組み合わさったコラボ・アルバムだということ。それは単なる"足し算"ではなくて、予想外の答えをはじき出す素敵な方程式。ザ・シングとの共演と同様、聴くたびに新しい発見がある。


 デンジャー・マウスとスパークルホースデヴィッド・バーンとセイント・ヴィンセントジ・オーブとリー・"スクラッチ"・ペリーなど、近年のコラボ作品の充実を挙げ連ねるまでもない。インターネットの発達、レコーディング機材の進歩はもちろんだけれども、それ以上の速さで音楽は変化/進化し続けている。ジャンルも国籍もキャリアも関係なく、アイデアは融合され、具現化される。この瞬間にも、世界のどこかで真新しいビートが人々を踊らせているに違いない。


 "カテゴリー分け"はCDショップの棚かPCのデータ管理機能に任せておけばいい。ダンス・ミュージックにも、ソウル・ミュージックにも、パンクにも聴こえるネナ・チェリーの新しくて、懐かしい音楽に耳を傾けよう。前作がカヴァー・アルバムだったことを思えば、今作こそが彼女の集大成といっても過言ではないはず。挑戦と可能性、それこそが音楽の本質だと思う。その楽しさに改めて気づかせてくれる素晴らしいアルバムに出会えた。



(犬飼一郎)

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D. Edwards『Teenage Tapes』.jpg

 D.エドワーズことデルロイ・エドワーズによる『Teenage Tapes』、実に中毒性の高いアルバムだが、同時にすごく厄介でもある。というのも、筆者自身こんな作品にお金を出して良かったのだろうかと思っているからだ。お世辞にも音が良いとは言いがたく、ハイレゾで聴くような作品でもない。パソコンに備えつけられたスピーカー、あるいは100円ショップで売られているしょぼいイヤホンで聴いたときの、あのヘナヘナとした薄っぺらい音。そんな音で埋め尽くされた作品が商品として世に放たれ、それを享受してしまっていいのかという葛藤を筆者は抱えている。


 とはいえ、そこにスロッビング・グリッスルが《Industrial Records》を立ち上げる際に掲げたスローガン、「Industrial Music For Industrial People(産業的な人々に向けた産業音楽)」と類似する精神を見いだしほくそ笑んでしまうあたり、筆者は本作の虜になっているのだと思う。


 これまでにエドワーズは、ロン・モレリと共に設立した《L.I.E.S.》、さらに自身が主宰する《L.A. Club Resource》などからシングルをコンスタントにリリースしていたが、意外にもアルバムというフォーマットは本作が初。だから筆者も、いつも以上に楽しみな気持ちを抱きながら再生してみたが、ビックリするほど変わっていない。もちろん収録曲はすべて「Untitled」(エドワーズは "Untitled" のままリリースすることが多い)。言ってしまえば拍子抜け。それでもインダストリアル、ノイズ、ドローン、ハウスをドロドロになるまで混ぜ合わせたサウンドの妖艶な魅力に取り憑かれ、愛聴盤となっている。


 それにしても、家で聴くとインダストリアルを基調とした実験的なドローン・サウンドに聞こえるのに、クラブで流れると心を飛ばすトリッピーなサウンドになってしまうのだから不思議。特に6曲目は、ドラッギーなアシッド・サウンドに仕上がっているせいか、フロアで鳴り響くと秘めた爆発力を発揮する。拳を振りあげ絶叫の嵐、とはさすがにいかないが、それまでバラバラに揺れていたクラウドが一斉にグルーヴを共有したかのように体をくねらせるのだ。これはおそらく、先日エドワーズがDJパニッシャー名義でリリースした「Untitled」な(こちらもタイトルがつけられていない)EPを聴いてもわかるように、もともと彼がフロア仕様のトラックを作る才能に恵まれているからだろう。こうした側面に焦点を絞ったアルバムも聴いてみたい。



(近藤真弥)


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 2013年6月2日、京都磔磔にて細野晴臣のライヴを観た。近年のソロ三部作が中心ではあるが、サニーデイ・サービスがカヴァーした「恋は桃色」や、はっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」まで披露してくれた。東京公演ではYMOのライヴでも取り上げたクラフトワークの「Radioactivity」を演奏したという。


 本書のなかで細野は今、「40年代の音楽が特に面白い」と語っているが、単なる回顧趣味ではない。現在の作風は、はっぴいえんど、YMO、アンビエント期の作品群を経て行き着いたもの、ライヴからもそう感じられた。一見、回り道に見える過程にこそ意味がある。結果ではなく、そこへ至る意思。「今は、YMOの頃とは逆でテクノの曲を有機的な生演奏で再構成するのが好きなんだよ」と細野は語る。


 cero森は生きている吉田ヨウヘイgroupなど、昨今、細野からの影響を公言するミュージシャンは多い。Sayoko-daisyCRUNCHはより直接的に、カヴァー音源配信という形で影響を伝えている。細野晴臣の音楽が今なお多くの若者の心を惹きつけるのはなぜだろう? その答えがこの本にはある。


 本書は『TRANSIT』誌のために語った旅と、それにちなんだ音盤の話をまとめたものだが、世界各国、都会と森の比較、果ては宇宙やはらいそ(楽園)、銀幕の美女についてまでとめどなく語っている。サーフィンをしたことのないブライアン・ウィルソンが、サーフィン、ホット・ロッド、水着の女の子についての曲を書いたように、想像力こそが音楽の源泉だ。


 文中で細野は、13年作『Heavenly Music』 の裏テーマを「忘却」だと説明している。レコードでもリリースされた近年のソロ三部作のジャケットを比べると、『FLYING SAUCER 1947』では煙草をくわえ新聞を読んでいた細野は、『HoSoNoVa』では窓から差し込む光の下でまどろみ、最新作『Heavenly Music』では遂に姿を消し、代わりに鳩が写っている。


 「僕が音楽を作るときは、彼方の記憶を引っ張り出したり、夢を思い出したりするような気持ちでやっているから、常に忘れることとの闘いなんだ」と語るが、ジャケットの変遷は、細野が忘却のなかへ消え、天上に昇っていくことの暗示なのだろうか、いや違う、先述のライヴで私は細野と会話する機会を得たが、笑顔で挨拶される一方で、鋭く光る眼光、その奥に宿る、燃えさかる何かを感じた。


 「YMOの最初の2枚は宇宙人が聴くかもしれないと本気で思いながらつくっていた」と本書で細野は語っている。世界で認められるかどうかの次元を飛び超えて、宇宙で聴かれるはずだと思っていたのだ。それくらい自分のつくる音楽の魅力を信じている。UFOの存在と同じくらい確信している。

 

 細野の著作は数多く出版されているが、最新の口述筆記ということもあり、フラットな本音が出ている。「レディー・ガガのように素顔がわからないどぎついメイクはしんどくて」と訴え、「化粧をしていない女性の素顔の美しさが心地よいんです」と述べるさまは、そのまま現在の細野の音楽への姿勢に通じる。また最近のメイン・ストリームのJ-POPを評して「無意識的に外国の音楽を受け取って、自分のものと錯覚しつつ活動しているだけでしょう」とばっさり。その他、紹介しきれない数多くの名言がある。


 本書のジャケット・イラストでは、過去/現在、世界の生き物、自然、インディアン、UFOまで、全てが共存する小宇宙で、細野がくつろぎ、のんびりした風情でこちらを見つめている。ひょっとして、細野が語る「忘却」とは、震災の記憶を癒していくことかもしれない。ぼんやりとだが、本書を読み終えてそう思った。



(森豊和)

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 デビュー作で破格の成功をおさめたフォスター・ザ・ピープルが、至極まっとうな、堂々たるセカンド・アルバムをドロップした。世界中で1000万人以上がフィジカルを手にしたシングル「Pumped Up Kicks」に代表されるように、元々彼らのサウンドはシンセサイザーが肝になっていたのだが、今作は力強いギターが印象的だ。いま改めてアルバムを最初から聴いてみて、ちょうど3曲目に差し掛かったところなんだけど、こんなに堅実な進化を遂げるなんて、彼らは次世代のメインストリームとしての役割を担うことにとても肯定的なんだな、と実感する。何せファーストに並ぶアンセム揃い。そして、ファーストはダンスして汗だくになるアルバムだったけれど、今作はギター少年の心くすぐる見事なロック・アルバムに仕上がっている。浮遊感は後退し、かわりに地面にめり込むようなミドル・ビートが繰り出される。


 ここまで書いてみて、お洒落サウンド全盛の現代において、このアルバムが商業的な成功を得ることにはほとんど確信を抱いているのだが、作品性に関してはまともに評価されないんじゃないか、といらぬ心配をしてしまった。わたしは、10年遅くデビューしていたらゴキゲンなポップ・パンク・バンドで歌っていたであろうマーク・フォスター(ヴォーカル)の少年っぽい部分と、社会や人間の暗部をあぶり出すリリックと、人をちょっと小馬鹿にしたような象徴的なコーラスの、この絶妙なバランスのうえに成り立つアンセミックな魅力の虜になっている。純粋にオーディエンスを楽しませるために、まず自分たちが全力で楽しんでいるのが伝わってくるし、そのサウンドロジックは複雑に入り組んでいるが、一聴しただけでは分からないようにうまく工夫されている。どの曲を聴いても彼らっぽさはきちんと残されていて、ただ何回も聴くうちに、とてもひとつのバンドが作り出したとは思えない豊富なヴァリエーションがあることに気付く。


 結果論でいえば、彼らは成功したミュージシャンなのだが、デビューは意外に遅く、それまで自分たちの人生がけっして順風満帆ではなかったことがリリックからも窺える。だから、日常生活のなかでアイデンティティー・クライシスに苦しみ続けている人たちが、「ひょっとしてこいつらも同じような思いをしたんじゃないか」と想像することができる。たとえば今作に収録されている「Coming Of Age」では、自分に自信を持てず、それによってまわりの人たちを傷つけてきたことを認め、そのうえで自らの成熟を意識する、という内容が歌われている。成熟することは生きるうえで一種の喜びとなるが、それは若気の至りゆえに起こってしまった内外部のいざこざに疲れてしまった証拠でもある。わたしはいま20代後半を頭悩ませながら必死で生きている最中だから、この曲のメッセージにはひどく共感したな。そう、何かが完璧にうまくいかないのであればまだ吹っ切ることができるんだけど、問題なのは自分がいるべきではないと思っている場所で生きる時間が意外に長いということだ。



(長畑宏明)

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 デビューEPに裸のピンナップとキスマークを添えて、バイセクシャルなイメージを打ち出した彼。どうしたって奇行のイメージばかり取沙汰される。スイートで眠気を誘う声。「最低の人間として生きたい」とガーディアンのインタヴューで語る。しかしそれは、ジョナサン・リッチマンをヒーローに挙げる彼の本質から、我々の目を背けさせるための一流の"手"だ。


 マック・デマルコの作曲能力は高く評価されている。だが優れたソングライターに限って、真実を見すえ過ぎて早逝する。同インタヴューで彼はこうも語る。「僕のポリシーは、物事を深刻に受け止めすぎないこと。僕はお気楽な人間、最も個人的な曲を書いたって、完璧にシリアスになんてなりっこない。ちょっくら舌を出してるのさ」。シンプルなアコースティック・タッチのギター・サウンドからは、匂い立つような色気とおどけ、そして哀愁が漏れ聴こえる。トリップを誘うサイケ感からはドラッグ疑惑も出るかもしれない。実際に母親にそう疑われた彼はすぐに電話して、「クスリなんかやってない! 俺は大丈夫だよ」と伝えたという。彼はクスリなんかやらなくたって裸なのだ。矛盾だらけの世界で正気を保つための、ごく自然な営みであるし、ジョージ・マイケルみたいに「外に出よう(Outside)」と言い出さない限りは大丈夫だ(もちろん私は彼もワム!の音楽も大好きだ)。


 ピッチフォークによれば、彼が5才の時、両親は離婚した。彼の母はいう、父は魅力的だがアルコール依存の傾向があったと。今でも年に数度会うが、父は彼のパフォーマンスを観ない。スティーリー・ダンの影響を感じさせる収録曲「Chamber of Reflection」のテーマは一種のセラピーだという。曲名は「音の反響を録音するための部屋」とも訳せるし、「内省のための部屋」ともとれる。2013年秋に故郷カナダのモントリオールからアメリカはニューヨーク、ブルックリンへ移住、10年来の恋人キエラと暮らす小さな部屋、そこで楽器演奏含め、本作の全てを録音した。それは同時に、彼の23年の人生を振り返り、過去から未来へ踏み出そうとする試みだったという。『青春の日々(Salad days)』というタイトルからも、自分のキャリアを俯瞰し、遠い何年か先を見すえる意思を感じる。ピッチフォークの記事に題されたように、彼はいまだ「大人になろうとしている少年(Mannish Boy)」、発展途上であり、可能性を秘めている。



(森豊和)

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 nhhmbase(ネハンベース)のシングル「水辺の鼓」をiPodに入れて、繰り返し聴いている。昼間の雑踏の中を歩きながら、夜更けの列車に揺られながら。2分にも満たない2つの歌と3分ちょっとのインストゥルメンタルがひとつ。それぞれが独自の表情を持ちながらも、まるでひとつの曲のように響く。


 幾何学的なアートワークと呼応する変則的なビート。幾層にも折り重なるギター・リフとそのレイヤーの狭間を自在に動きまわるベース・ライン。そして、素っ頓狂にも真摯にも聴こえる歌声。"ポスト・ロック" だとか "音響派" だとか形容されることも多いそのサウンドは、確かに緻密に計算されているのかもしれない。けれども、人懐っこくて、どこか儚げなメロディーが耳に馴染むとき、そのイメージは一変する。数学的というよりも文学的。しっかり構築された音像だけれど、どこまでもエモーショナル。目の前に横たわる色のない雑踏や列車の窓から見える街の明かりが消え去って、遠い記憶が呼び覚まされるようだ。


 タイトル・トラック「水辺の鼓」では、こぼれ落ちるしずくを思わせるギター・リフとたった10行の歌詞で、無常な、そして残酷なほどに無垢な世界が描かれる。どこかにぽつんとひとり取り残されるような不安と、ひとりぼっちだからこそ得られる自由。そんな思いは、ポップなメロディーと一筋縄では行かないリズム・パターンが印象的な「ノスタルショートカット」で、さらにかき立てられる。2ndアルバム『3 1/2』に収録されていた「廃る(Single Mix)」の透き間だらけの混沌で、このシングルは締めくくられる。そして僕はもう一度、PLAYボタンを押す。


 例えば、ルーツにノイズ、ハードコアを持ちながらミニマムな実験性を発揮し続けたガスター・デル・ソル。彼らが最後に辿り着いた『カモフルーア』の無邪気な遊び心が2011年を経た、今の日本で鳴らされているみたいだなと思う。もしもフィッシュマンズが現在でも活動を続けていたら、どうなっていたかな? という妄想も楽しい。サウンドの感触は違うけれども、ビートと言葉への繊細な感性はnhhmbaseと共通するような気がする。つまり、もう"ポスト・ロック"だとか"実験性"って言葉が面倒くさくなるくらい、サウンドの冒険を恐れていないってこと。間口がグンと開かれた(良い意味での)ポップさを持ち合わせながら。


 そして特筆すべきなのは、やっぱり常軌を逸した(!)特典CDについて。この3曲入りシングルは税抜きで1,000円。それは普通。でも、特典として付いてくるのは、なんと1stアルバム『波紋クロス』のリニューアル・ヴァージョン丸ごと! オリジナルの『波紋クロス』が過酷な状況下でのレコーディングだったことや、その後すぐに「第一期」と呼ばれるメンバーが、メインのマモルを除いて全員脱退してしまったことはすでに周知のとおり。そんな「いわく付き」ともいえるアルバムが『2014』ヴァージョンに生まれ変わっている。


 自由なサウンド、無謀な価格設定とパッケージが素敵だ。あえて『波紋クロス 2014』のレヴューはしない。それは、手に入れたみんなが思い思いのイメージを描くべきだと思うから。初期からのファンは2枚を聴き比べるのも楽しいはず。初めてnhhmbaseを聴く人にとっては、きっと彼らの歩みを知る絶好の機会になる。消費税が8%に上がっても1,080円。それが日本の現状だし、それだけで今の日本から鳴らされるべき音楽を聴くことができる。




(犬飼一郎)

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