もうすぐ友だちの一周忌。これは、きっと天国にいるだろう彼の魂にむかって書いている。もちろん読んでくれてるあなたにも...ってことは言うまでもないけれど、もうひとり、その確率は30%以下であると思える、彼女にむけても(笑)。

彼女と知りあったのは、骨折した野球部のエース・ピッチャーを見舞いにいった病院で(ぼくは控えのキャッチャーだった:笑)。そのあとしばらくつきあっていたけれど、中学校の卒業を機に別れた。でも、ときどき偶然駅前で顔をあわせるたび、甘酸っぱい胸の痛みに襲われていた。

亡くなった一道くんと一緒にクッキーシーンを作っていた00年代前半、突然彼女から編集部にメールがきた。二浪して東京芸大に受かった彼女が現代音楽をやっていたことは知っていたんだが、なんとアメリカ人作曲家と結婚してニュー・ジャージーに住んでいるという。彼女の音楽を聴かせてもらったり、しばらくメールのやりとりをしていたけれど、00年代後半にはそれもなんとなくとぎれてしまった。

今は初冬。この季節になると、中学生のとき一度だけ彼女と映画に行ったことを思いだす。親以外のひとと行くのは初めてだったし、楽しかった。そして、当時はやっていたこの曲をさっき聴いていたら、なんかいてもたってもいられなくなってしまった。だから、これを書いてみた。

まあ、とにかく、ぼくはなんとかやっていく。まだ数年は、たぶん一道くんのいることころには行けないんじゃないかな? だけど、遅くとも数十年したら、ぼくも絶対そっちに行く(笑)。ごめん、もうちょっとだけ、待っててね。





世界はきみやぼく以外のひとたちであふれてる
見てごらん
ぼくらはすぐに笑ってしまう 誰かが失敗すると
そしてみんなの気分をへこませる

さあいこう
ぼくらはそんなにホットじゃないんだよね
ローラーコースターみたい
おちていくときの
一方通行
足もおぼつかない
廃墟へ一直線
自分がなにをしてるかもわからないまま

彼女はおとなしいかも
シャイかもしれない
だけど彼女をおちこませちゃいけない
無視しちゃいけない

彼女の瞳の奥には世界のすべてに通じる知恵がある
そこにはあらゆることに対する答がある
「きみとぼくのこと」について以外の

白昼夢のなかをさまよってるみたい
まわりが見えてなてかったんだよね きっと
世界はきみやぼく以外のひとたちでいっぱい
ぼくらは彼らをおちこませる

さあいこう
ぼくらはそんなにホットじゃない
ローラーコースターみたい
おちていくときの
一方通行
足もおぼつかない
廃墟へ一直線
自分がなにをしてるかもわからないまま

彼女はそれほど美人じゃない
でも そうかな?
きみは重要なことを見おとしてる
これはゲームじゃない
黄金の心
さえない感じの裏にあるそれが
あらゆるひとの心をなごませる
「きみとぼく」以外の

ものごとを裏から見てごらん
衝撃的だよ
きみも驚いちゃうだろう

世界はきみやぼく以外のひとたちであふれてる
見てごらん
ぼくらがペースを作るんだ ほかのひとたちが聴いてるあいだ
音もたてずに

また雨がふるだろう
でも ぼくらは変わっていく
きみとぼくは理解しあっていた
その事実は永遠に残る

だから ちょっと時間をとろう
疑問ってやつを持つためにさ
世界は変わりつづけている
きみとぼくに代わって

訳:伊藤英嗣
 約半年ぶりに、この個人ブログを打ちこんでます。

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 ツイッターにもその気持ちをぶちまけてしまいましたが、中村とうよう氏の自殺が、あまりにもショックだったから...。ツイッターでは「(ぼくの両親は幸いにも存命中だが)父親が亡くなったら、こんな気分なのかも」と言ったけれど、そういったことを考えながらニュー・オーダー『Movement』を聴いていたら、また眠れなくなってしまった...。

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 以前...80年代くらいまではそういうことを平気で公開してたんですが、久々にはっきり述べると、ぼくは高校3年生のとき、激しく精神のバランスを崩しています。

 1週間、完全にブラックアウト状態になってしまい、学校も3ヶ月ほど休みました。強制入院させられそうになったけれど、そのとき首を縦にふらなかった両親には感謝してます。

 ブラックアウト直前には体が硬直して全身の血管が浮きでるというエクソシストもかくやという状態になったので、あれがある種の思春期性精神異常のメタファーでもあることがわかったりとか、フィリップ・K・ディック『火星のタイムスリップ』を初めて読んだとき、そこに登場する精神分裂症の描写があまりにもリアル...自分に近くて「これは作者もぼくと同じ体験をしているにちがいない!」と泣きながら(実際、最初は狂ったように傍線をひっぱりまくりながら読みすすめ、とくにラストのサブ主人公のセリフに)激しく共感を覚えたり...というメリットも(結果的には)あります。別に恥ずかしいことだとは思っていません。

 そのブラックアウト寸前の2、3年、ぼくは『ニューミュージック・マガジン』の、超がつくほど愛読者でした(そのあいだに誌名が『ミュージック・マガジン』に変わりました)。

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 まだ中学生のころ、まずは、いろいろな雑誌を買ってみました。『ミュージック・ライフ』『音楽専科』『ロッキング・オン(当時は300円以下で、完全な"同人誌"でした。渋谷陽一氏らの文章はともかく、岩谷宏氏のそれの青臭い"文学青年"っぽさに反吐が出るほど辟易して、もう絶対に二度と買いたくないと思いました。"情報"もゼロに近かったし...)』等々。

 そのなかで『ニューミュージック・マガジン』〜『ミュージック・マガジン』が最も肌にあいました。当時(1978年〜1981年ごろ)のそれは、"オルタナティヴ"な音楽の情報もむちゃくちゃ充実していて、かといって『フールズ・メイト』や『ロック・マガジン』みたいな、気持ち悪い神秘主義に走ってるわけでもなく、むしろすごく"リアリスティック"で...。

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 ただ、1981年後半には"オルタナティヴ"な音楽が誌面に占める割合が徐々に減退してきていました。今思えば、いわゆる「ポスト・パンク」的な動きが下火になってきた、という状況の反映でもあったのでしょうが、それに危機感を抱いた(笑)ぼくは、原稿用紙20枚以上の原稿を徹夜で仕上げ「読者のページ」宛に郵送しました(当時はメールどころか、ファックスもなかった)。ブラックアウト直前には、編集部に「ぼくの原稿、届いてますか? どうですか?」とか電話をかけて、1時間くらいキチガイみたいにしゃべりまくったりもしました(って、「みたい」じゃなくて「キチガイ」そのもの、ってわけか...。そのとき、どなたが対応されたのか? 本当に迷惑だったと思います...。今ふりかえると申し訳ないかぎり...)。

 ブラックアウトから(一応それなりに)現実世界に戻って、すぐに大学受験です。鉛筆もろくに持てない状態でしたが、進学校に行っていてそれなりに成績もよかった自分は、当然大学に進むものだと思っていました。しかし、ぼくがあまりに(狂ったように...というか狂って)『ミュージック・マガジン』『ミュージック・マガジン』とぶつぶつ言うのを見かねた父親が、「そんなにそこに行きたいなら、大学行かなくてもいいぞ。面接とか受けられないか、保護者として頼んでみてもいいけど?」と言ってくれました。

 まだろくに働かない頭でしばらく考え、ぼくは断りました。そこには、いろんな思いが交錯していたと思います。もちろん、大学くらい出ておきたい...という(狂ってるわりには)冷静な(いやらしい)計算もあったでしょうし、「なに言ってるんだ! 父さんが頼んだって、向こうは向こうの事情があるんだから、面接なんてうけさせてくれないよ!」という気持ちもありました。しかし、ぼくのなかでは、こういった考え方が最も強かった気がします。

「ぼくは『ニューミュージック・マガジン』〜『ミュージック・マガジン』が、そして編集長の中村とうようさんが大好きだ。そういうことをやるのは、意義のある行為だとも思う。だけど、今そこに入ってしまって、本当に自分のやりたいことができるのだろうか? 編集者や文筆家としてなんの経験もない自分が、今『ニューミュージック・マガジン』〜『ミュージック・マガジン』で『自分の好きだと思う部分』をのばしていくなんて、無理だよ、そんな...」

「最近の若者」にも通じる、「逃げ」の姿勢、ですね(笑)。

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 ただ、もしかするとそこで、のちの自分に通じる態度の萌芽が、すでに現れていたのかもしれません。

 それが『ミュージック・マガジン』という場であるか否かは、どうでもいい。「ああいう感じの、オルタナティヴな音楽を紹介する媒体」が、やってみたい。

 そして、いつか中村とうようさんに、「ああ、問題はあるけど、まあ、いいんじゃない? 伊藤くん(笑)」とか言ってほしい...。

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 そのあと、1984年(上記の都合で「1年間は自宅にいなければいけない」と精神科医に言われたので、ヘヴィーな安定剤飲みつつ1浪してます。だから大学2年生のとき)から商業誌(なぜか『フールズ・メイト』。主宰者の北村昌士氏の文章とか、正直大嫌いだったんですが...)に書くようになり、90年代には『ミュージック・マガジン』にも書きはじめていました。

 編集部にも何度かうかがったんですが、とうよう氏にお会いできる機会には、残念ながらめぐまれませんでした。

 1997年に『クッキーシーン』を始めたころは、まだときどき原稿発注があったんですが、それが何年もつづくうちに忙しくなって、『ミュージック・マガジン』編集部ともつい疎遠になり...。

 現編集長の高橋修氏は(たしか、ほぼ)同年齢で、ぼくはオタクとしてのシンパシーも持っている(正直「オチャムちゃん」と呼んでます。もちろん面と向かっては「オサムさん」ですが...)。『クッキーシーン』も「雑誌」ではなくなったことだし、またそのうちご挨拶に行きたいな...。そして今度こそとうよう氏にも紹介してもらいたい...。彼、ぼくがどういうことをやってきたか、認識くらいはしてくれるかな? そうじゃなくても、絶対に一度お話しはしたい...。

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 それも、かなわぬ夢になってしまいました。

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 というか、今、ちょっと、パニック状態になってます。でも、なんとか生きていくつもりです。よく鬱状態に陥るぼくも、遠い将来には、自殺してしまうかもしれません。なにかの事故や病気で数年後...いや明日死ぬかもしれません。

 だけど、その日まで、とうようさんの遺志を(勝手に)ついだつもりで、ぼくはぼくなりにがんばります。

 本当に、おつかれさまでした。これからは、7月21日を、ぼくの個人的な「お盆」とさせていただきます。今はそれくらいしかできない自分が、歯がゆいです...。

 どうか、安らかに、お眠りください。
あけましておめでとうございます。

仕事始めは3日か4日の予定ですが
(そのあとも、1日くらい休んじゃうかもしれませんが)
まずは新年のご挨拶を...。

今年が誰にとっても素晴らしい年になりますように...。

2011年もよろしくお願いします!
 公式発売日は明日ですが、早いところではもう今日あたりから、お店に並んでると思います。クッキーシーンが紙媒体として1年ぶりに復活した、このムックが。

 ただ、ぼくのなかでは正直言って「紙媒体」と「ウェブ媒体」どっちが上という気もまったくないというか、5月にウェブ「ヴァージョン4」を立ちあげたときが「復活」気分のピークだったんですけどね...。

 でも「紙媒体」の場合、それがそのまま「商品」...(ひとによってはなけなしの)お金(実際、税込1500円は大金だと今のぼくは思う...)を払って買ってくださる方がいなければ成りたたないわけで、より緊張感が漂うというか...(クッキーシーンの場合、それが比較的少ないように見えるかもしれないけど、ぼくはぼくなりにかなり緊張してるわけで...)。

 ぼく自身も昨日初めて「本」になったものを見て、いろいろ思うところがふくらみ眠れなくなってしまった。

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 いい意味でも悪い意味でも、すごく「クッキーシーン」っぽいというか。

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 ぼくの場合「デビューしたころに戻った...原点回帰したように見えて、実はそうじゃない。長年の経験がいい意味で反映されている。新しい段階に達したような、ぐるっとまわってもとにもどった...メビウスの環のような」アルバムがけっこう好きだったりする。自分の(編集長としての)作品であるので客観的には見られないと断っておきつつ、ぼく自身にとってはそんな本になった。

 初期クッキーシーンのようでもあるし、それを自費出版で創刊した翌年に(「ソロ活動」として)作った『ネクスト・ジェネレーション』っぽいところもあるし、当時の編集者である畠山実くんやスペシャル・ゲストの岡村詩野さんらと作った『USインディー・ポップ・マップ』っぽいところも、そのあと(やはり当時の編集者だった)和田晃太郞くんと作った『アワー・チョイス』的なノリもある。

 新しい読者の方からすれば、また違うふうに見えるところもあるだろうし、いろんな方の感想/解釈を知りたいけれど、(あたかもミュージシャンがインタヴューに応えるように:笑)自分で勝手にしゃべれば、50号台なかばくらい以降の「雑誌」版クッキーシーンを作っているときよりも、その前のほうが、より楽しかったという感覚がある。

 ぼくとしては、なんとなくそのころ(50号台なかば以前)に近いノリで作れたような気がするんですよね...。

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 たとえば、↑この「区切り記号」。

 つい先日から変えました。これまで、PCのブラウザ(少なくともFIrefox)で見たときに、いちばんきれいに見える形にしてたんですが(あ、でも、たとえばウィンドウズで別のブラウザで見たとき、きれいに見えていたかは、はっきり確認してなかった。すみません...というか、このあたりも「紙媒体」との違いですね!)、最近ぼくもようやくiPhoneに変えて、そのときに激しく奇妙に見えていたことに気づき、早速なおしてみたわけです。

 PCのブラウザで見ると、妙に未来的(笑)な感じがして、これまたいいじゃん! みたいな(笑)。

 こういう、妙なこだわりを発揮していくことが、たぶんぼくは好きなんでしょうね。それも、かなり「わけのわからない」レベルで。

 クッキーシーンも50号台なかばすぎると、なんか「媒体のイメージ」みたいなものが固定されてきて、編集スタッフがそれを妙に気にするようになったりして(実際50号もつづいている雑誌のスタッフになるのと、海のものとも山のものとも知れない段階でそうなるのとでは、まあ自ずから「別もの」っぽくなっちゃうよな...)。

 正直、それが息苦しかった、というのもあるかもしれませんね。

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 そんなこんなで、決して「クッキーシーンの愛読者と言えるような存在ではなかった」と(少なくとも、ぼくには)公言している小熊くんと、さらには今まで「発行元」のひとには編集に一切タッチどころか口出しもさせなかった(61号から「CDをはずして月刊にする」という形式に関しては逆に版元の要請を100%のんでみた。当時すでに社長を退いていた日暮さんに「気でも違ったの? 大丈夫?」と真顔で言われたときには「いやー」とヤケクソ的に応えるしかなかった:笑)けれど、今度は(株)音楽出版社でCDジャーナル誌の編集をばりばりにやっている徳武さんにも深くからんでもらった。

 「紙媒体」としてのクッキーシーンがつづいていくことに関して、それはすごく大きな力になったとマジで思う。

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 さて、本当はこのあたりでそろろしめくくりたいところだけど、実は今まで眠れなかった理由が、もうひとつある。

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 90年代にデビューした、パラダイス・ガラージという日本のアーティストによる、唯一のメジャー・ディストリビューション・アルバム『実験の夜、発見の朝』(1998年)が、DIWレーベルから再発された。それも、おそろしいことに、ボーナスDVDつきのデラックス・エディションとして。

 信じられない。

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 ぼくは90年代、フリーランスのA&Rでもあった。そんななか、最後に手がけたのがパラダイス・ガラージこと豊田道倫のマネジメントだった。客観的な事象に関しては、岡村詩野さんによるぼくのインタヴュー(笑)がブックレットに載っているので、そこにくわしく書いてある。

 かいつまんでいえば、それまで東芝EMI(当時)でやっていたレーベルが、あくまで会社の事情によりつぶされてしまった。そうなる寸前、彼らは「パラダイス・ガラージとメジャー契約しよう」と口約束してくれていた。彼らが「マネジメント・オフィスとして契約するつもりなら法人にしなければいけない」と言ったので、仕方なく有限会社を作り、豊田くんにも給料(当時の大学卒業生の初任給よりちょい少ないくらい)を払い始めて準備を始めていた。しかし、まさにその瞬間に、東芝EMIの社長が変わり、口約束をしてくれたひとが現場のヘッドとなっていたセクション自体が消えてしまった...。

 ぼくは豊田くんの音楽が大好きだったし、大きな可能性も感じていた。ええい、乗りかかった船だ! とばかり、収入はぼくのライターとしての原稿料だけという状態で(ちなみに当時すでにクッキーシーンは始めていたけれど、これは趣味みたいなものというか、完全に採算度外視。実際最初の2、3号は完全に赤字だった)、がんばることにしたわけだ。

 それから1年と数ヶ月後に『実験の夜、発見の朝』が、ようやくリリースされた。

 その段階で、ぼくはすでに1千万近い赤字を出していた。当然ながら貯金はすべて食いつぶし、数百万円の借金もできてしまった。もうこれ以上は無理だろう...と思い、豊田くんのマネジメントを知り合い(当時、インディー時代の黒夢の原盤を持っていたひと。なんか、フェラーリとかに乗ってた:笑)に委託し、A&R活動からはすっぱり足を洗うことにした。

 それで『ネクスト・ジェネレーション』を出した。それはもともと大栄出版という出版社にいた編集者のひとがブルース・インターアクションズに移ったから、自然とブルースが版元になった。そこで社長(当時)の日暮さんと知り合い、意気投合して1999年からクッキーシーンの版元になってもらうことになったわけだ(ちなみに、ぼくのなかではそのときもうひとつ、京都にあった某出版社も候補になっていたのだが、そこは数年後に倒産した...。一方、日暮さんとしては、ぼくにA&R的なことをやってほしかったという気持ちもあったようだ。実際90年代になかよくしていたドミノと契約しないか? という話を持ちかけたのだが「収益が見こめない」ということで「現場」にあっさり却下された。あそこで契約してれば、今ごろフランツやアークティックも? まあ歴史にもしもは禁物だけど:笑)。

 話がずれた。とにかく、あのアルバムはぼくにとって、トラウマ以外の何者でもなかった。それゆえ、聴きかえすこともないどころかアートワークを見るのさえつらい...という感じで封印していた。

 「客観的判断ができない」という意味では、クッキーシーンの比じゃない(笑)。

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 本当はこのまま死ぬまでふれずにいたかったんだけど、岡村さんが自分のインタヴューをどうまとめているか気になったし(される側の気持ちがよくわかる...。結果、素晴らしいものでしたー!)、この機会に聴いてみるか...と思い実際そうしてみると、あのアルバムが「トラウマ」になってしまったことの、もうひとつの理由がよくわかった。

 12年ぶりに聴いても、本当に細かい部分まで「ああ、あのときはこういうことで、こういう音になったんだよな」「このアレンジになった『意味』は、あれだった!」みたいなことが鮮やかに思いだされる。

 あそこで最も重要な自分の仕事は「場所をつくる」ことだと思っていた。それゆえ、「自分の意見を絶対にとおす」とかじゃなかったにしても、すべてに関して納得しないと気がすまなかった。だってさ、卑近な話だけど、個人で1千万近い金額をつぎこんでたら、そんな気分にもなるよね(ちなみに、結局のところインディーがインディーたりえるのも、そういう理由なんだろうな...と旧友瀧見などを見て当時から思っていた:笑)。

 豊田くんも、ああ見えて実は優しいところがあるので(というか、人間的に「まとも」なので)、無意識のうちに歌詞から曲調から(それ以前の、趣味的レベルをこえて)「伊藤寄り」になっていたような気がする(伊藤に対する無意識の? 揶揄も含み。そういうの、ぼく大好きだし!)。少なくとも、ぼくからすると、「共感できる」などといったレベルを、はるかに超えて、当時の自分の「理想の音楽」そのものになってしまっている...。

 そういった意味で、この先、これ以上のものが出てくることは(理論的に言って)絶対にありえないだろう。これって「評論家」としては致命傷じゃね(笑)?

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 でもいいんだ。あれをとおして、ぼくはポップ・ミュージックに関しては「(主役の)ミュージシャン(と、ほかのミュージシャン)」と有象無象のスタッフ、どちらが「上」ということはない、という事実がはっきりとわかった。

 もちろん、そういった「制作」サイドと「評論家」、どちらが上ということもない。ただし、それは「ミュージシャン」と「リスナー」のどちらが「上」でもない、というのと同じ意味だ。「リスナー」と「評論家」は、まったく等しい存在にすぎない、とぼくは昔も今も強く思っている。

 このあたり、勘違いしてる「評論家」も「リスナー」も、まだまだ多い気がする。というか、このインターネット時代(笑)に、それは絶対ふさわしくないでしょでしょ?

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 当時からAV監督として我々(豊田くんと伊藤、そして多くの人々)から尊敬されていたカンパニー松尾さんは、ぼくと同じくパラダイス・ガラージの大ファンだった。ライヴのたびに「どーもー!」と現れてヴィデオを撮影していた。本当であれば、それに対してなにかお返しをしなければ...と思っていたのだが、できずにいた。大阪にまで自費で来てくださっていたのには(マネジメント・オフィスにお金がなかったので、交通費さえお出しできなかったのが)本当に心苦しかった。

 今回の付録DVDは、そのカンパニーさんが当時の映像を(だいたいLPくらいの長さに。このあたり、彼もポップ・ミュージック/ロックが身体にしみついたひとなんだろうな...と思う)まとめたもの。

 1曲目からして、ぼくがパラダイス・ガラージに対して当時感じていた魅力を集約した映像となっており、目が離せない(早送りしようとしてもなかなかできないのは「効率を追求しているわけではない...つまり比較的特殊と言われる感じの」AV監督として培ったワザのたまものだろう)。

 2曲目(当時の新宿ロフトの楽屋の模様)から、タバコを吸いまくるぼくの手だけが出てきて「ああ、当時からぼくはヘヴィー・スモーカーだったんだな...」とか苦笑しつつ、これ以上は出てきてほしくない(だって裏方だし...)と思ってた。そのあと、ワーナー・スタジオでのレコーディングの模様のとき、カメラの脇を通って外に出る自分ががーんと写ってた(汗)。「裏方だから、あまりヴィデオには映りたくない」とか思って出ていったんだよな...とか記憶が蘇りつつ、当時の自分の(80年代前半のマイケル・スタイプを意識していた...というより、単に散髪に行く時間がなかったゆえ、70年代のジミー・ペイジが浮浪者化したような髪型を含む)気持ち悪さに唖然...。キチガイそのもの...。そのあとまた戻ってきてしまった自分の姿は、たしかにあのアルバムの制作に関して自分が果たした(と、ぼくは思っている)役割を適確にとらえているような気がする(このあたり、松尾さんの「ドキュメンタリー作家」としての才能、かもですね)。

 そしてあのスタジオの階上にあるロビーで、事務所に残してきた畠山くんと携帯で連絡とりつつ(当時は携帯の普及率も今ほどじゃなかった。まだぎりぎりでポケベルの時代? でも、ぼくわりと「新しいテクノロジー」が好き)クッキーシーン4号の「レヴューの場所決め」を、いっしょうけんめいやっていたことも、まるで昨日のことのように思いだした。

 そんなこんなで、ムックの校了以来1週間ぶりに、また徹夜してしまいましたー(汗&笑)。
新サイトによる、クッキーシーン新展開、なんかワクワクしてますし(だから必然的に)がんばります。どうかよろしくお願いします!

ハイテンションのまま徹夜して、もう朝の8時すぎ...。書き物とかやってても、なかなかこうはならないけど(さすがに、もう40代後半なので:笑)、編集作業やってると、ついこうなっちゃいますね...。以前は2ヶ月に一度、もしくは毎月の校了日にこうなってたわけで(もっと前には、これが数日つづいたり...)。

さすがに、そろそろちょっと寝ようと思うんですが、その前に...。

前々回のポストを見ていたら、そこで宣言していたのに、やっていないことがふたつ...。

1)ウェブ・サイトに(音楽と関係ない)バナー広告募集する、と書いてあったんですが、やってない...。これは、いろいろ考えた結果、です。ぼくはもともと普通の広告営業もやってたし(バブル末期に、名古屋のタウン誌の編集やってたときは、ふたりで毎月500万円というノルマを、中心になってこなしてました:笑)、それを避けたいわけじゃないんですが、とにかく時間がない、time waits for no oneというわけで、まずは内容を充実させたい。それで、多くの人が見てくれるようになったら、と考えました。甘い、かもしれませんが(笑)。

2)リニューアル・オープン前に、いろんなレーベルの方にご連絡差しあげます、とか書いてあったんですが、これもやってない...。もちろん、GW明けから大車輪で動くつもりですが、上記と同じ理由で...。

少なくとも20世紀のポップ・ミュージックは、資本主義的ビジネスから逃げることはできなかった、というのがぼくの持論ですけど、なんか(某誌系の人たちのように)言行一致ができてないなー、と微妙に反省しております(笑)。

別に営業が苦手とかではないし嫌いでもない(もちろん、プレッシャーはありますが)けれど、どっちかっつーと自分は「職人」タイプなのかな? いや、そんなカッコいいもんじゃないな。たとえば、地道な研究とかそれに基づいた分析も好き、ってことかも。だから、アカデミズムとかにはなじめないけれど、研究も、そして生徒となにかいっしょにやっていくのも大好きな、しがない教員みたいな(「しながい教員」というのは、ぼくの妻! いや、収入的には完全に彼女に頼ってるので、「しがない」とか言ってすみません...)。

こんなこと考えたのも、現在のクッキーシーンが、創刊して20号までくらいの「非営利団体」っぽいノリを再び強めているから。もちろん、それに安住してるわけじゃないし、それではつづかないこともわかってます(公的援助金とか別にないしー:笑)。書いてもらったら、ギャラを出すべき、それは当然。にしても (もしかしたら、それを厚顔無恥とか言われても)、現状のようになっているのは(すみません!)、どこかで(日本語ではなく、英語の)volunteer精神みたいなものを、たぶんマジで信じてるんでしょう。ぼく自身の姿勢も、けっきょく「音楽」に対するvolunteer活動、みたいな感覚もある。だから、D.I.Y.。

とか言いつつ、少しでもきちんと運営できるように、がんばります!

絶賛作業中

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とりあえず、リニューアル・プレ・オープンしましたが、記事の書式の統一など、公開後であるにも関わらず、作業をつづけております(笑)。

それが終わったら、「News」部分を更新します。

あと、コントリビューターさん募集は、既に〆切をすぎています(旧サイトの 「Feedback」コーナーに書いてあったのですが、4月10日〆切でした。これが言っておきたくて、上記作業をいったん中断、当記事をポストしてます...)。

ただ、これからもときどき募集できれば...などと思ってます。間に合わなかった方は、次の機会に是非!

夜露誌苦!
雑誌(紙媒体)としての復活に関して忘れたりあきらめたりしているわけでは決してありませんが、その前に、4月20日(火)のウェブサイト・リニューアル(遅くなってて、すみません...)。

それに向けて、コントリビューター(記事&情報提供者)を募集します。

以下は(旧サイトの)「Feedback」コーナーでお伝えしたことの補足説明になります。

              *              *              *              *              *              *

コントリビューターは計15~25名くらい、そのうち既にお願いしようと思っている方が10~20名ほどいらっしゃいますので(既にお声をかけさせていただいた方も、そうでない方もいらっしゃいます)、今回のご応募を受けてお願いするのは最大で10名さま程度になると思います。

              *              *              *              *              *              *

レヴューおよびライヴ・レポートに関しては、基本的に書きたいものを自己申告していただくことになります。こちらからお願いすることもありますが、気乗りしない場合やご多忙でご無理な場合は、お断りいただいてもまったくかまいません。

もちろん「外に出さない」ことを前提にリリース前の音源をご試聴いただいたり、ライヴを「招待者」枠で見ていただくことも、「こちらからお願いする」ときには可能となる場合がございます。

              *              *              *              *              *              *

インタヴューに関しては、大きく2種類に分かれます。「新譜リリース・タイミング時のインタヴュー(主にメールもしくは電話でおこないます)」と「ジャパン・ツアー時の対面インタヴュー」です。

前者(「新譜リリース・タイミング時のインタヴュー」)に関しては、質問作成&原稿まとめのギャランティーとして、薄謝をお支払いします(海外のアーティストの場合、翻訳などもおこなっていただければ、その分も上乗せされます)。

後者(「ジャパン・ツアー時の対面インタヴュー」)に関しては、レヴューなどと同じく、大変申し訳ありませんが、ノー・ギャランティーとなります。ただし、これ(「ジャパン・ツアー時の対面インタヴュー」)を担当していただいた場合、ライヴを「招待者」枠で見ていただけることが(多くの場合)可能となります。

              *              *              *              *              *              *

印刷費や紙代、より規模の大きな人件費がかかる雑誌(紙媒体)と異なり、ウェブ・サイトは比較的低コストで制作できます。ただし、ゼロではありません。そして従来の雑誌のように販売収入もありません。

もちろん立ちあげ時から数年間のクッキーシーンがそうであったように、ぼく自身の「持ち出し」も覚悟しています。しかし、ある程度収益が見込めなければ、複数の人々が絡むメディアとしては存続が比較的困難になりがちです。

音楽自体とはまったく関係ないバナー広告もリニューアル・スタートと同時に募集しますが、しばらくはあまり反応がないことも予想されます。

というわけで「新譜リリース・タイミング時のインタヴュー」に関してのみ、趣旨をご理解いただけたレーベルやマネジメントのみなさまに(過去、雑誌広告などでそうさせていただいていたように)「制作協力費」をいただこうと考えております(これまでおつきあいいただいていたレーベルやマネジメントのみなさまには、リニューアル前に、なるべく早く、必ずご連絡さしあげます)。

              *              *              *              *              *              *

「新譜リリース・タイミング時のインタヴュー」に関する「制作協力費」以外、レーベルやマネジメントのみなさまとの金銭のやりとりは一切ございません。「新譜リリース・タイミング時のインタヴュー」に関しても(これまでどおり)「お金が目的で」おこなうことは一切ありません。

「良い!」「みんなにガツンとお伝えする価値あり!」と編集部側で判断させていただいたもののみ、掲載させていただくことになります。この姿勢は(ここで、はっきり断言させていただきますが)自費出版で始めた創刊時から、今後もまったく変わりません。

将来的には「新譜リリース・タイミング時のインタヴュー」に関する「制作協力費」を、レーベルやマネジメントのみなさまにいただかなくとも成り立つようになれば...とは思っていますが、最低でも1年くらいはきっと無理ではないかと...。それができた暁には、ギャランティーの体系も必ず見なおすことをお約束させていただきます!

              *              *              *              *              *              *

それから、もうひとつ。コントリビューターの方々には、すべての記事の署名から、ご本人の個人ブログ、もしくはツイッター「プロフィール」ページへのリンクを貼らせていただきます。

また、コントリビューターではない方々にも、気軽にご参加いただけるような企画も考えています。

そんな意味でも、クッキーシーンの新サイトは、旧来のメディアにはなかった「インタラクティヴ」なものにすることを目標のひとつに置いています。

というか、クッキーシーン創刊時に「こういうふうにしたい」みたく思っていた形が13年目にしてようやく実現...いや、少なくともそれに向けて新しい一歩を踏み出せる? みたいに思ってます。形や印象は、1997年のアレとはずいぶん違ってるんですけど、まあ、時代は変わる、ってことで...。

創刊3年目から昨年まで、約10年間おつきあいさせていただいた(株)ブルース・インターアクションズを離れたとたん、より「インタラクティヴ」に、というのも皮肉なものですが、まあ、そういうものでしょう(So it goes...)。

              *              *              *              *              *              *

「インタラクティヴ」といえば、ぼくもこの1月末ころから、ツイッターを本格的にはじめました。それで、なんというか、かなり目の前が開けた部分もあります。あれ、かなり「インタラクティヴ」だし、ウェブの新しい可能性を感じさせます。この先も、できるかぎり、ツイッターでみなさんと交流したいと思ってます。

まだツイッターを始めていない方は、ご参考までに、どうかぼくの「プロフィール」ページを覗いてみてください(笑)。

また、すでにツイッターで、ぼくをフォローしてくださっている方々。先日もポストしたとおり、上記コントリビューターに関しては、あくまで、クッキーシーンというメディアおよびご本人にとって、お互いのプラスになるだろうという、わりと冷静な(すみません、勝手な)判断にもとづいて選ばせていただきたいと思ってます。

なので、ご応募いただいて、コントリビューターからはずれてしまったとしても、どうか今後ともよろしくお願いいたします。

              *              *              *              *              *              *

クッキーシーンのコントリビューターを公式に募集させていただくのは約10年ぶり、2001年以来となります。図らずもそうなってしまっていたとはいえ、微妙に反省してます。

今後は、もっと短いスパンで募集させていただくことも考えつつ、とりあえず、まずは今回...!

              *              *              *              *              *              *

長々と述べてきましたが、けっきょくは「いい音楽(や映画や本)を(その意義も含み)みんなに伝えていきたい」「少しでも多くの人と楽しみたい」みたいな思いが、ぼくらの根本にあります。

Always pop and alternative! いっしょに、盛りあげていきましょう!

昨日の夜は...

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昨夜のクリエイション・レコーズ・ナイト、ここを見て、来てくださった方がいらっしゃたとしたら、本当にありがとうございます! 楽しめましたでしょうか? ぼくはムチャクチャ楽しかったです! でも、感じ方は人それぞれ。イマイチ、という方がいらっしゃったら、申し訳ありません。精進します...。

昨夜はたくさんのDJが回してたんだけど、みんな良かったです。けっこう深い時間に回してたKurockさんの、レッド・クロスによるTFC 「Everything Flows」カヴァーとか(これ、初めて聴く! とか思ったけど、あとでググったら、それが入ってるCD持ってた:笑:→amazonHMV)から オアシス「Don't Look Back In Anger」に至る流れでは、とくに「Don't Look Back In Anger」をみんなが歌いまくってました。渋谷のオシャレなクラブがカラオケ化(笑)? いや...。

オアシスのデビューから、彼らが大ブレイクするころまで、かなり頻繁にイギリスに行ってました(へたしたら、年の3分の1くらいとか...)。ブラー対オアシス騒ぎのころとか、日本でいえばワイドショー的な番組でそれをおもしろおかしくとりあげてたり...ってこともあったんだけど、とにかく当時のイギリスでは本屋さんにいる若者からパブでとぐろを巻くオヤジまで、いたるところで彼らの歌を口ずさんでる人を見かけたんですよ。日本でも、もちろん彼らのライヴでは (お客さんが)みんな歌いますけど、それとあの完全閉鎖空間であるカラオケ屋さん以外で、ああいうふうに人が歌ってるところを見るのは、初めてでした。 あ、でも最近のクラブだと、みんな歌うのかな? そうだったら、ごめんなさい(笑)。

とにかく、ぼくもつい歌ってしまいました。でもって、なんとなく、その歌ってる人たちに対して、酔っぱらいの集団を眺めるような、冷たい視線も微妙に感じました。いや、気のせいだったらいいんですが(笑)。

知り合いもけっこういて、この先の仕事につながる話もちょっとできました。そういえば、先述したイギリスに入り浸ってたころ、エドウィン・コリンズとロディ・フレイムと、ぼくの妻と4人で食事したあとロディが「クラブに行こう!」と言い出して、そこで彼がおおいにはしゃぎまくっていたことを思い出します。

エドウィンは、ちょっと大人な感じで椅子に座ってたんで、「ロディ、楽しそうだね(笑)」と言ったら、「いやー、こういうところでは(ぼくらは音楽を仕事にしているのだから)少しは仕事につながる話をするもんだけどねー」と、ちょっと困ったような顔で笑ってました。ふたりのキャラの違いがよく出てる、とか思いました。

昨年クリブスに対面取材できたとき、(誌面に出すかどうかは別として)もっとエドウィン話もすればよかった、と思います。nme.comのニュースを見ても、彼の病気からの回復、けっこういい感じのような気がするので、本当、よかったです。
先ほど(暦のうえでは昨日)の項で述べた「重大(というほどのことでもない?)発表」とは全然違うんですが(笑)、ひとつお知らせすることがありました!

先日のカメラ・オブスキュラ公演時に、知り合いに紹介されて意気投合した若い者の誘いにより、今週金曜19日夜、渋谷のクラブ、エフェクトでおこなわれるDJイベント、クリエイション・レコーズ・ナイトにDJとして参加することになりました。

入場料1000円ということで比較的お安いと思いますし、いい音楽を聴きながらお酒でも飲んで騒ぐこと(もしくは、音楽ファン同士でしゃべること)がお好きで、その手の音楽に目がなくて、(場所&時間的に)ご都合のつかれるうえに夜遊びオッケーの方は、ぜひ遊びにいらっしゃってください!

詳細は、こちらをご覧ください。よろしくお願いします!
ご無沙汰してて、すみません! 「紙媒体」としてのクッキーシーン再起動に向けて、いろいろ動いてます。昨日も、わりと意外な(?)会社とミーティングをおこなってきました。ある意味、進展はありましたが、まだまだ(たぶん)先は長い...って感じですかね...。もちろん、今年中にはなんとか、という(とりあえずの)目標は、まだキープしてます。

ウェブ用におこなったインタヴュー、順次アップしていますが、ダス・ポップ、カメラ・オブスキュラ、そして2メニーDJsがまだ残ってます。3月の、ウェブサイト・リニューアルの前後には必ずアップします(手順を考えると「リニューアルと同時」のほうがベターかも...。制作側の勝手な都合で、申し訳ありません...)。

2メニーDJsに関しては、ちょっとした特集と合わせた掲載(「アップ」でも「掲載」だよね:笑)を企てています。それに関して、近々、重大(というほどのことでもない?)発表をおこないますので、お手数ですが、ひきつづき、チェックしていただければ幸いですー!

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