伊藤英嗣: June 2014アーカイブ

2014年6月30日

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2014年6月30日更新分レヴューです。

坂本慎太郎『ナマで踊ろう』
2014年6月30日 更新
吉田ヨウヘイgroup『Smart Citizen』
2014年6月30日 更新
Caro kissa『Door』
2014年6月30日 更新

2014年6月20日

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2014年6月20日更新分レヴューです。

GUIDED BY VOICES『Cool Planet』
2014年6月20日 更新
HERCULES & LOVE AFFAIR『The Feast Of The Broken Heart』
2014年6月20日 更新
MARTYN『The Air Between Words』
2014年6月20日 更新

2014年6月11日

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2014年6月11日更新分レヴューです。

SAM SMITH『In The Lonely Hour』
2014年6月11日 更新
SHARON VAN ETTEN『Are We There』
2014年6月11日 更新
KATE TEMPEST『Everybody Down』
2014年6月11日 更新

2014年7月

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  • フォルティDL

    僕はミステリーを残すのが好きなんだ

  • テンプルズ

    ポップだと言われても、けなされてるとか感じない

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音楽配信サイト、オトトイ傘下TV♭(フラット)で絶賛放送中、テレヴィジョン・クッキーシーン。最新のものから昔のものまで「時代を超えていいと思える曲(いいミュージック・ヴィデオ)」をがんがん紹介していく番組です。


全10曲程度で合計40数分くらい(昔のLP1枚分くらい)のセットリストが、基本「毎月第1木曜日の夜22時」に更新され、時間枠いっぱいに何度もリピート・ストリーミング放送されます。


初回放送時、最初にセットリストが一巡するくらいまで、今回のセレクター伊藤がツイッターの個人アカウントから軽く(?)曲紹介をおこなう予定です...が、もしなにか緊急の予定が入ってしまったらできないかも(そうなったら、すみません...)。


6月5日(木)22:00-24:00に初回放送される第48弾の「裏テーマ」は...ペイズリー・アンダーグラウンド...! なんとなく雨の季節にあってる感じ? と思ったので(笑)。


ペイズリー・アンダーグラウンドというのは80年代前半、サン・フランシスコあたりを中心に活躍していた、USの「ちょっとサイケデリック」な雰囲気のギター・バンドたちを指す言葉。あのプリンスも(たぶん)それに触発されたレコードを発表したり、初期クリエイション・レコーズの音楽性もそれに通じるものがあったり...という感じで、地味ながら「その後」のポップ・ミュージックに与えた影響は実に大きかった。


まあ、これは「1ヶ月間、楽しんでいただく」ための番組であり、決して「お勉強のため」のものではないので「80年代前半のレア・ヴィデオ・オンリー」というわけではなく(もちろん、それも結構ありますが)60年代のものから最新のものまで、「ペイズリー・アンダーグラウンドという言葉を頭の片隅に置いて視ていただけると、さらに楽しめる(それを知らずとも楽しめる)」ものとなっているかと...!


ちなみに、プリンスの上記レコードから、大好きな「Raspberry Beret(ラズベリーのベレー帽)」かけたかったんですが...ユーチューブになかった...(さすがプリンス。徹底的に「削除」してるんでしょう:汗&笑)。でも、以前アラン・マッギーが「クリエイション・レコーズを始めたとき、本当は彼らのレコードが出したかったんだけど...」と語っていたUSバンドのヴィデオは...いい感じのがあった! 当然かけます。


なお次回、第49弾の初回放送予定日時は、通常であれば7月3日(木)のはずなんですが、その日は...これが...(汗)! たぶんこの日は避け、その週もしくはその翌週に...と今のところ考えています。詳しい日程が決まったら、またここでお知らせします。とりあえず(少なくとも)6月いっぱいは、この第48弾が毎日再放送されます。放送時間については、その都度TV♭(フラット)のページをご参照ください。


よろしければ、是非!


2014年6月5日9時38分(HI)

2014年6月4日

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2014年6月4日更新分レヴューです。

TRAXMAN『Da Mind Of Traxman Vol.2』
2014年6月4日 更新
ふぇのたす『胸キュン'14』
2014年6月4日 更新
HABITS OF HATE「Habits Of Hate」
2014年6月4日 更新

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may.e「REMINDER」.jpg

 やはりというべきか、may.e(メイ・イー)の最新ミニ・アルバム「REMINDER」がリリースされてから、何度も聴いてしまう筆者がいる。『Mattiola』 『私生活』と、作品を重ねるごとに早耳リスナーの間で話題を集めていった彼女。優しいメロディーに、耳馴染みのよい歌声と言葉が多くの人に知られていくのは、may.eの音楽の虜になったひとりとして嬉しい限り。また、シチュエーションによってその響きが変わるのも、may.eの音楽が持つ魅力だ。電車に乗りながらでもいいし、あるいは街を散歩しながらでもいい。may.eの音楽は、どこで聴いても心にスッと寄り添ってくれる。筆者にこうした感覚をもたらしてくれる音楽は、may.eとニュー・オーダーくらいのもの。


 その魅力は、「REMINDER」でも相変わらず。"デモ・ミニ・アルバム" というだけあって、これまでの作品よりも少々ラフな質感が際立っている。とはいえ、それが欠点にならず味となっているのがまた面白い。なんというか、寝そべりながらラジオやレコードを聴いている感じに近い。以前に筆者がおこなったインタヴューでは、「私はキレイにしたいんです」と言っていたが、筆者からすればこれはこれでアリ。喜怒哀楽、そしてこれらにまつわる複雑な機微も喚起するサウンドスケープは、本当に心地よい。もちろん、キレイに録れる環境で作られた作品も楽しみにしているが・・・。


 そして、「REMINDER」を浴びるように聴きながらあらためて思ったのは、may.eの音楽にはアンビエント・ミュージックに近い要素があるということ。アンビエント・ミュージックはブライアン・イーノが提唱した音楽ジャンルであり、リスナーを無理に引き込んだりはせず、むしろリスナーがどれだけ能動的に聴くかで聞こえ方が変わってくる音楽だ。こうした要素がmay.eの音楽にもある。例えば、そこにあって当たりまえな空気のようなもの、もしくは夏の青空に浮かぶいくばくかの白い雲、あるいは森を歩いていると聞こえてくる虫の鳴き声でもいい。言ってしまえば、may.eとはアンビエント・シンガーである。まあ、そんな筆者の戯れ言は放っておくとして、まるで日常の一部であるかのようにmay.eの音楽は存在しているということ。それは、ひとつの曲に膨大な量の音楽的要素や情報を詰めこんだ昨今のJ-POPとは異なるもので、ゆえに彼女がオルタナティヴ的側面を孕むことにも繋がっている。



(近藤真弥)




【編集部注】「REMINDER」はmay.eのバンドキャンプでダウンロードできます。

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ハリネコ.jpg

 大友良英も関わる『音遊びの会』という取り組みがある。知的障害者とその家族、音楽療法家や様々なアーティストが集まり、即興演奏を通して新しい表現を開拓する試みだ。そのメンバーである原山つぐみが、2013年に神戸でスタインウェイ・リレーという順番にグランド・ピアノを演奏していくイベントに出演したのを観た。故・佐久間正英や早川義夫、モーマスにDODDODO(ドッドド)といった顔ぶれに挟まれて。極めて直感的なプレイ、というか瞬発的な叩き方、感情が染み出してくるようなパフォーマンスだった。


 既成の常識にとらわれないゆえに素晴らしい表現をするアーティストがいる。彼らこそ新しい普遍的なポップスを作る可能性がある。札幌出身のSSW沙知を中心としたプロジェクト、ハリネコもそのひとつだろう。勢いと艶のある彼女の歌がまず心臓をわしづかみする。さっぱりとした色気と生命力あふれる声。時にギリギリな響き、喘ぎ、あるいは切実な祈りを思わせる。ギター、シンセサイザー、ベース、チェロ、ドラムからなる彼女を支える演奏はシアトリカルというか、歌舞伎、浄瑠璃のような日本古来の伝統芸能、舞いと演奏が一体になったパフォーマンスを想起させる。次々と展開していき、とりとめがないようで整合性がある。収まる所に収まる。また、沙知の声はもちろん大人の女性のそれだが、歌いまわし、声色の端々に年端もいかない少女が見え隠れする。全体として大人の豊満な女性の質量ではなく、中性的で軽やかな響きとなる。演劇をイメージさせると書いたが、ある少女の波乱に満ちた成長を描く物語に聞こえてくる。


 ここまで書いて、ハリネコの音楽から冒頭に書いた原山つぐみの演奏を思い出した理由が分かった。その日の演奏中、妨害する街頭の騒音にさらされた彼女はその場を立ち去りたい衝動を必死にこらえているように見えた。何度も中断しながらも、しかし演奏を途中でやめなかった。つらさの尺度は人それぞれ、泣きたい、叫びたいくらいの苦しさを乗り越えて表現する。彼女の演奏が終わると観衆は一際大きい拍手を送っていた。そのとき微笑んでいた彼女が沙知のなかに居る少女とだぶったのだ。拍手する観衆は彼女にとってのバンド・メンバー。北の都から出てきた少女は東京で7人の小人ならぬ精鋭ミュージシャン達と巡り会う。誰の人生においても困難を乗り越えるためには仲間の存在は欠かせない。アバンギャルドなようでスタンダードな安心できるものにちゃんと行き着くのは、多彩なメンバーが彼女を支えているからなのだろう。



森豊和

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#INTERNETGHETTO #RUSSIA.jpg

 「Someone's Missing」という曲で、《ここにあるのは成長中のカルチャー 死体の奥深く さまざまな時代がまじりあい その源へ》と歌ったのは、確かMGMTだったか。今から4年前、2010年のことだ。もう少し時を遡って、2002年。LCDサウンドシステムことジェームズ・マーフィーは、「Losing My Edge」のなかで、インターネットが一般化して以降、誰もがさまざまな時代の音楽や文化に触れることができる現在を予言するような "神の視点" を歌った。《1968年ケルンで最初のカンのコンサートを観た》《パラダイス・ガラージのDJブースにラリー・レヴァンとともに俺はそこにいた》といった具合に(ちなみにジェームズは1970年生まれ)。この歌は、音楽マニアによるうんちくとレコード・コレクションの自慢に聞こえるが、その豊富な知識がもはや特権ではないことも告げていた。知識は "占有" ではなく "共有" されるものと認知され、多くの者がネット上に資料をアーカイヴとして次々とアップする、いわば "記憶の外部化" が進んでいるのだから、それも致し方ないというもの。そして、この流れが行き着いた地点こそ、《Ninja Tune》などから多くの作品をリリースしているミスター・スクラフが筆者に語ってくれた、「昔に比べて細分化されたから、自分の音楽史というか履歴が他の人とかぶることが少なくなったかもしれない。みんなインターネットを介して、個々の音楽文化を築き上げている」(※1)という現況だ。


 そんな現況がもたらした興味深い作品が、『#INTERNETGHETTO #RUSSIA』である。本作はロシアの《Hyperboloid》というレーベルによって企画されたコンピレーション・アルバム。ジューク、ダブステップ、ラガ、トラップ、EDM、ジャングルなどが混在した内容で、フロア映えするトラックが多く収められている。ちなみに、本作のメガミックスがアップされているサウンドクラウドのタグには、"techno trap" "tropical bass" "webpunk" といったジャンル名がある。このあたりは、単一タグで括れない表現が当たりまえになった現在だからこそであり、面白くはあるが、決して珍しいものではない。筆者からすると、《R&S》が2011年にリリースし、テクノ、IDM、ダブステップ、ヒップポップが交雑したコンピ『IOTDX』のアップデート版にも聞こえるが、アルバム・タイトルに "GHETTO" があることからもわかるように、『IOTDX』と比べたら本作は享楽的で、汗臭さが漂う。それゆえアゲアゲなグルーヴが際立っている。


 また、そんなグルーヴがアルバム全体を支配しているのも興味深い。コンピレーションともなれば、色彩豊かな雑多感を少なからず醸すものだが、本作はそうした雑多感を残しつつも、刹那的でアッパーなレイヴ感、それからハドソン・モホーク『Butter』以降のツルッとしたアーティフィシャルなシンセ・サウンドという2点が全曲に通低している。ゆえに本作は雑多感よりも統一性を強く感じさせ、言ってしまえば、とあるアーティストによるオリジナル・アルバムと紹介されて聴いたとしても、何ら違和感がない。


 先に引用したミスター・スクラフの発言には筆者も同意できるし、レヴューやライナーノーツといった場を借りて何度も繰り返し書いてきたことでもある。だが、本作の統一性は、みんなが同じ方向に傾いた画一的な熱狂や連帯とは違う、いわば新しい帰納的な連帯の形、それこそ「個々の音楽文化を築き上げ」た先を示しているように見える。音自体の面白さはもちろんのこと、人と人の繋がり方に新たな視点を提示したという点でも、本作は多くの人の興味と好奇心を促す作品だ。



(近藤真弥)



【編集部注】『#Internetghetto #Russia』は《Hyperboloid》のバンドキャンプからダウンロードできます。



※1 : ミュージック・マガジン2014年6月号掲載 ミスター・スクラフのインタヴューより引用。

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Chromeo-White-Woman.jpg

 2014年も、すでに半分すぎてしまった。今年前半の、ぼくの最高の「愛聴アルバム」は、テンプルズサム・スミス、それは結構揺るぎないとして、もちろんほかにも素晴らしいものがたくさんあった。ちょっと俯瞰的に、比較論もまじえれば、こんな言い方もできる。


 2014年の「インディー・ロック」トップ・アルバムがフォスター・ザ・ピープルだったとすれば、彼らクローミオによるこの『White Women』こそ、まぎれもない「インディー・ポップ」トップ・アルバムだと。


 まあ、どちらもiTunesにつっこんだとき(Gracenoteをつうじて)表示された「ジャンル」は「インディー・ロック」だが(笑)。というか、彼ら...カナダのクローミオに関しては、ちょっと意外だ。00年代のポスト・パンク/ディスコ・ リヴァイヴァル・ブーム期に世に出た男性ふたり組ユニット。今調べてみたら、前作にあたる2010年のサード・アルバムのジャンル表記は(「ヒップホップ」ではなく:笑)「ラップ」だったし。


 もともと彼らの名前を耳にしはじめたころ、LCDサウンドシステムのジェームズも「注目してる」と言ってたから「エレクトロニカ/ダンス」でもおかしくない(ただ、同じく今ぼくのiTunesライブラリを確認してみたら、LCDのファーストとセカンドは「オルタナティヴ&パンク」だった。自動的に出てきたものなのか? それとも、ぼくが勝手に変えたんだっけ? 今となっては記憶がないぞ...:笑)。


 そういった「ざっくりした」話は、ちょっと置いといて、ぼくのなかにおける彼らの位置づけに関して言えば、ほぼ同じころ好きになりはじめたオーストラリアのカット・コピーや、フランスの(かつてのダフト・パンクフェニックス→)ブレイクボットあたりと近い。「ギターやベースやドラムスと同じようなものとして、それが使われはじめたころ」、つまり70年代末~80年代っぽいエレクトロニック感覚を継承しつつ、なによりエヴァーグリーンなポップ・エッセンスが、むちゃくちゃ気持ちいい。


 そんな意味で、この『White Women』、彼らの最高傑作だ。ヨーロッパ盤は名門パーロフォンから出てるだけあるというか。全盛期のプリンスに勝るとも劣らない完成度。ぼくはプリンスの80年代の作品を今もときどき聴く。やはり「当時のサウンドだな」と感じつつ。あくまで「アーカイヴ」として楽しんでいる。それに比べると、こっちは、もちろん「今の音」そのものだし、「とにかく楽しい」という意味ではプリンスより、もっと「普通のヒット曲」寄りかもしれない。


 そう、このアルバムは、本当に、ちょっとどはずれなくらいに楽しい。楽しすぎる。だから、ぼくは「精神的にはめをはずしたい、思いっきり逃避したい」とき、これを聴いている。


 だからこそ「インディー・ポップ」なのだ。フォスター・ザ・ピープルの新作セカンドも素晴らしかった。しかし、そこには「社会のなかにおける自分の位置づけ」に対する苦悩がすけてみえた。もちろん、いい意味で、エンターテインメントに徹しつつ。ピンク・フロイドの『Animals』や『The Wall』と、ためをはるくらいの深さで。それゆえ「ロック」だと思った。


 そして、ぼくは疑心暗鬼に陥ってしまった。フォスターのセカンド、噂によるとファーストに比べてあまり好きじゃないという人も多い、すごく賛否両論...らしい。えっ、なんで? もしかして、あれなのかな? 「インディー・ミュージック」ファンって、「社会」というファクターが音楽に入ってくると、拒否反応を示してしまうことも多い...ってこと?


 はあ...。正直に言おう。ぼくは長年クッキーシーンというメディアをやりつづけていた。だけど、その「イメージ」も含め、自分自身がそれを「完全にコントロール」できるわけではない...ってことも長年やっていて痛感した。とりわけつらかったのが、「雑誌」時代の後期...00年代末ごろ。そういった意味での「インディー・ファン」が読者に多くなってしまったのではないか? という...。


「政治? 社会? 知らないよ。選挙? 関係ない。われこそセカイの中心...みたいな(笑)」。


 やめてくれ...。素晴らしいポップ・ミュージック/ロックには「逃避」的側面がある。それは、たしかなこと。だけど、これは違うだろう。そんなふうに「閉じこもって」ばかりいたら、「逃避」をとおりこし、そのうちやがて「死」がやってくる。きみのわきに、しのびよってくる。それは、今の日本の社会に暮らしていれば、わかるはず...じゃないか?


 英語版ウィキペディアによれば、彼らは自らのことを「人類の文化の曙以来、はじめて『成功』した、アラブ人とユダヤ人のパートナーシップのたまもの」と称している。この音楽を聴き、ユーチューブでそのヴィデオを鑑賞したとき、『White Women』というアルバム・タイトルから、なにより強く伝わってくるのは「あー、きれーな白人ねーちゃんと遊びまくりてー、あわよくば結婚してーよー!」という、やむにやまれぬ感覚(笑)だが、その裏にある「批評性」は、上記の自己認識からして、もう明白だろう。


 さらに、アートワークに使われている車を見たとき、今さらながら気づいた。ずっと「クロームという金属名と(ジュリエットに対する)ロミオという人名の合成語」かと思っていたバンド名の、もうひとつの意味...ニュアンスに...。そっか「Chromeo」というつづりは、なんか「シボレー・カマロ(Chevrolet Camaro)」にも似てるぞ!


 今回、彼らがアートワークに使ったカマロは、80年代後半~90年代初頭の古いもの。ちょうどウルトラマンティガの(世界平和機構TPC傘下で最初は「武器」を持っていなかった)防衛隊GUTSの使用車(黄色いシャーロック)として使われたのと、ほぼ同じ年式。ちなみに、それより新しい年式の黄色いカマロは、トランスフォーマー実写版で複主人公たるバンブルビーにトランスフォームする。


 すごく「男の子」っぽい車だし、もうひとつ言っておけば、カマロはシボレーのラインのなかで、わりと低価格帯に属する比較的「庶民的な」スポーツカーだ。80年代初頭のプリンスに「Little Red Corvette」という大ヒット曲がある。スポーツカーに仮託して《あなた(のちんぽは「Little Red Rooster」ならぬ)赤い小さなコルヴェット...(いくの)速すぎ(フラストレーションたまっちゃう)!》と歌われたそのコルベットは、GM(ジェネラル・モーターズ社)全盛期におけるシボレーのフラッグシップたる高級車だった。でもって、クローミオは白い(古いし、たぶんそれほど速くもない)カマロ。こんなところにも、クローミオの「特質」が、よく現れているではないか...!


 最後に、ひとつ意地悪な? ことを言っておこう。


 このアルバムには、さまざまな人たちがゲストとして参加している。(LCDサウンドシステムの、わりと「パンクな面」を支えていた者のひとり)パット・マホニーや、(そういう名前のユニットがあることは知ってたけれど、ぼくも聴いたことがない)フールズ・ゴールドの人たち。そして、これが「でかい」んだが、ヴァンパイア・ウィークエンドのエズラや、トロ・イ・モワまで! ただし、彼らのフィーチャーのされ方は、決して「インディー・ミュージック」を「知的シェルター」として捉えている人たちが喜ぶような形ではない。むしろ「下世話なポップ・ミュージックの典型シンガー」として、そんなタイプの「インディー・ファン」たちが眉をひそめるか、もしくは「はあ? 関係ないよ、ぼくには...」などと言ってしまいそうな役割を与えつつ。その典型が、トロ・イくんをフィーチャーした「Come Alive」のヴィデオだろう。彼自身すごく「楽しんでいる」ように、ぼくには見えるのだが(笑)。


 ぼくは「最高!」と思った。さて、あなたは、どんなふうに感じるだろう?



(伊藤英嗣)

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