伊藤英嗣: February 2014アーカイブ

2014年2月27日

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2014年2月27日更新分レヴューです。

DANA RUH『Naturally』
2014年2月27日 更新
DROWNERS『Drowners』
2014年2月27日 更新
N'TOKO『Mind Business』
2014年2月27日 更新
大森靖子『絶対少女』
2014年2月27日 更新
CRZKNY「RESIST EP」
2014年2月27日 更新

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音楽配信サイト、オトトイ傘下TV♭(フラット)で絶賛放送中、テレヴィジョン・クッキーシーン。最新のものから昔のものまで、時代を超えていい曲(いいミュージック・ヴィデオ)をがんがん紹介しています。


全10曲程度で合計45分くらい(昔のLP1枚分くらい)のセットリストが、基本「隔週」木曜日22時に更新され、時間枠いっぱいに何度もリピート・ストリーミング放送中!


でもって...すみません、今日は再放送延長のお知らせ...です。


次回の選曲担当であった伊藤があまりにどたばたゆえ、近藤が選曲を担当した第43弾の放送を、もう2週間延長させてください。本当に、すみません...。


放送日時は以下のとおり。


2/20(木) 22:00-24:00 ※再放送(以下同)

2/21(金) 18:00-21:00

2/22(土) 20:00-22:00

2/23(日) 10:00-18:00

2/24(月) 10:00-16:00

2/25(火) 13:00-18:00

2/26(水) 10:00-16:00


2/27(木) 22:00-24:00

2/28(金) 18:00-21:00

3/1(土) 20:00-22:00

3/2(日) 10:00-18:00

3/3(月) 10:00-16:00

3/4(火) 13:00-18:00

3/5(水) 10:00-16:00


なお、第44弾(選曲を近藤が担当するか伊藤が担当するかは未定。これから相談して決めます)の初回放送は、3月6日(木)22時スタート予定。


よろしければ、是非!


2014年2月20日8時22分(HI)


2014年2月20日

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2014年2月20日更新分レヴューです。

TEMPLES『Sun Structures』
2014年2月20日更新
【合評】ミツメ『ささやき』
2014年2月20日更新
KATY B『Little Red』
2014年2月20日更新

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Real Estate - Atlas.jpg

 リアル・エステートも風格が漂うバンドになってきた。と、思ったのは1月半ばに先行で公開された「Talking Backwards」を聴いた時だった。ただ、同楽曲のMVに映る彼らの和やかな表情を見ていると、「そうでもないのかな?」と自分を疑ってしまったりもする。リアル・エステートから風格を感じたのは、初めて聴く楽曲にも関わらず、彼らが作るノスタルジックなメロディーに自然と胸を撫で下ろすことができたから。ニュー・アルバム『Atlas』を聴いていると、このバンドのメロディー職人的な部分は3年前の『Days』からさらに洗練されているように感じる。


 また、自分たちの作るメロディーを支えるバンド・アンサンブルが円熟してきたというのも少なからずある。『Atlas』でもこれまでと同じように、マーティン・コートニー、マット・モンダニル、アレックス・ブレーキーの3人が学生時代からここまで共に過ごしてきた時間の密度をそのまま映し出したようなアンサンブルが芯になっている。密度という点においてはますます良くなっていて、「Crime」をタブ譜付きで聴くことができるヴィデオ「How to play... Crime」を初めて見た時は、肝心のタブ譜よりもマーティンとアレックスの息の合い具合に目がいってしまった。そして、3人でも埋め切れなかった隙間を新メンバーの2人が埋めていく。鼓膜へ優しく沁み込むようなギターのリヴァーブやマーティンのソフトなヴォーカルを後押ししているのは、新キーボーディストのマット・コールマン(過去にガールズ『Broken Dreams Club』やクリストファー・オウエンス『Lysandre』に参加していた)で、アレックスの太く滑らかなベースと共にドリーミーな雰囲気と音風景が薄れていかないようにしっかりとした額縁を作るのは、前作リリース後のライヴから参加していた新ドラマーのジャクソン・ポリスである。特に「The Bend」と「Primitive」に新リアル・エステートの関係性がよく現れている。加えて、今作はプロデューサーとミキシングを担当したトム・シックによってこれまで以上に各パートの一音一音がクリアになっているため、音像に微かな靄が立ち籠めていた『Days』よりもさらに、アンサンブルのディテールに耳を澄ますことができる。


 ところが、リリックに注目してみると、音像からは消えた靄がマーティンの心の方に立ち籠めていることがわかる。その原因はガールフレンド(おそらく2012年に結婚した方)との遠距離恋愛だ。アルバムの1曲目「Had To Hear」から、《帰れるかどうかわからない/だけどこの夢を叶えるため(中略)君に電話をかける/君を近くに感じるために思わず同意してしまった/違うと知って/だけど久しぶりだから/よくないと知って》と歌うように、ニューヨークに拠点を移してからもツアーやフェスで各地を飛び回り、バンドとして確実に成長する一方で、ガールフレンドと大きな距離ができてしまったことに不安を感じていたようだ。彼の不安、孤独感を最も緩和させているのは彼女との電話。他愛無い会話でも、コミュニケーションをとることで、お互いがどこに居ても繋がっているような気分になれる。少しでも長く電話したいがために《逆さまから喋ったらどうかな/君には意味が分からないかな?》(「Talking Backwards」)と言う彼だから、なかなかうまくいかない時もあったのだろう。それでも彼は自分自身を見つめ直し、心の靄を取り払うように、正直な言葉と一途な思いを彼女に伝えている。彼には彼女しかいない。《一晩中眠れないんだ/どうしたら良くなるのかもわからないんだ/深刻な不安だよ(中略)死にたくないよ/孤独と緊張で/僕の側にいて》(「Crime」)。


 「『Atlas』のために、ブルックリンでの現在の生活についてもっと書いてみようとしたんだけど、僕には少し違和感があったんだ。だけど僕自身が本当にブルックリンが好きじゃないんだということがわかったから良かったし、郊外(出身地のニュージャージーのこと)に戻りたかったから郊外について書き続けたんだ」(※1)


 マーティンの一途な思いは、故郷のニュージャージーにも向けられている。しかし同時に、時間が経って景色が変わってしまったことに寂しさを感じている。


《この近所に帰ってくることはできない/自分の年齢を気にせずに》《ここは僕が知っていた場所と同じ場所ではない/だけどここにはまだ昔と変わらない音がある》(「Past Lives」)。


 アートワークに使われているステファン・ナップの壁画も、かつてニュージャージーにあったAlexander'sというデパートの外壁に飾り付けてあったもので、彼に"今は無き昔のニュージャージー"をイメージさせるものなのだろう(壁画は無題で、通称"Alexander's mural"と呼ばれていた。1992年にAlexander'sが閉店した後に取り外され、現在はニュージャージー州バーゲン群カールスタッドにある倉庫に保管されているそう)。


 もしかすると、リアル・エステートの風格を作り上げている要素の中には、誰かへの、どこかへの、あるいは音楽への一途な愛も含まれているのかもしれない。そう考えると、『Atlas』全体に漂う空気が温かいのも納得できる。もう少し気温が上がって本格的に春を迎えたら、ぴったりの作品だ。中でも「April's Song」は特に。



(松原裕海)



※1 : Pitchforkの特集記事『Suburban Dreams』より



【編集部注】『Atlas』の国内盤は3月26日リリース予定です。

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シャムキャッツ『AFTER HOURS』.jpg

 エイドリアン・トミネという作家がいる。日系アメリカ人である彼は、グラフィック・ノヴェルと呼ばれる作品をいくつも発表し、過去にはウィーザーのツアー・ポスターも手掛けるなど、音楽ファンにも馴染みのある名前だろう。彼の真骨頂は、淡々とストーリーを進めながら、テンポの良い会話によって読者が共感できる日常的風景を描き出すところにある。一読しただけではすべてを理解できないが、ゆえに読者は好奇心をくすぐられ、何度も読んでしまう。


 そんなトミネの作品と類似する雰囲気が、シャムキャッツの最新作『AFTER HOURS』にも漂う(そういえば、ジャケのデザインもトミネのタッチを想起させる)。前作『たからじま』が衝動にまかせた作品だったのに対し、本作は彼らの成熟を窺える内容だ。アズテック・カメラやオレンジ・ジュースといった、いわゆる "ネオ・アコースティック" の要素を醸し出すサウンドが印象的。アルバムが進むにつれてサイケデリックな色合いが表れるのも面白い。アレンジのヴァリエーションも豊富で、テンションの押し引きも巧み。なんだが、人生経験を積んだ大人相手に会話しているような気分にさせられる。そういった意味で本作は、ストレートな部分が影を潜め、シニカルで鳥瞰的な視点が以前にも増して目立つ作品とも言える。だが、そうした作風が感情の機微を描写することに繋がっているのだから、ここは素直に拍手喝采すべきだろう。


 歌詞のほうも秀逸だ。ドライバーの若者、裁判官、そしてカップルなどなど、本作には多くの登場人物が存在し、それぞれ違った物語を持ちながらも、その数だけドラマがあるという事実に思わずホロリとしてしまう。こうした昂りを得られるのは、『AFTER HOURS』からの先行シングル「MODELS」を経て本作がリリースされたことも大きな要因だ。というのも、このシングルには「MODELS」の他に、3.11以降の日本をユーモアたっぷりに歌う「象さん」、そして人の持つ陰陽をすべて受け入れるかのような「どっちでもE」が収められているからだ。もちろん、本作は独立した作品として楽しめるクオリティーを備えるが、「象さん」と「どっちでもE」を通過したうえで本作に入り込んでみると、より多彩な世界観が目の前に現れる。それこそ "After Hours" 、いわば "その後" を生きる私たちと共振する世界。


 また、「象さん」を事前に発表したのは、彼らにとって大事なことをうやむやにしないよう細心の注意をはらったからではないか? 本作は "音楽の力" を確かに宿しているが、時としてその力は人を盲目にし、向かい合うべき問題を曖昧にする。そうした危険性に陥ることを避けるため、《あの地震後浦安は 人が寄り付かぬ土地になり》《放射能浴びまくり 代々巨大化を繰り返し》といったフレーズが登場する「象さん」を彼らは作り上げたのかもしれない。このあたりはシャムキャッツの成長とクレバーさを感じさせる。さらにこのクレバーさは、どこにでもありそうなカップルの日常や生活を描くだけで "今" を表すことができるという姿勢にも行き着いている。言ってみれば、分かりやすい政治的スローガンを盛り込まなくても、目の前の風景を歌えば自然と "今" が浮かび上がってくるという気づき。だからこそ本作は、音楽的であると同時にどこか映画的であり、もっと言えばドキュメンタリーのようでもある。それゆえ繰り返し聴きたくなる味わい深さを持つ。


 聴いて楽しめる作品はたくさんある。しかし聴いて励まされる作品はそうそうない。だが、そうそうない作品こそが "傑作" と呼ばれるのだ。『AFTER HOURS』は、そう呼ばれるに相応しいアルバムである



(近藤真弥)

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Metronomy love letter.jpg

 はるか過去に書かれた未来小説、あるいは全てが終わった後の静けさ。メトロノミー4枚目のアルバムである本作から私が受けた印象だ。


 2000年代後半、クラクソンズとの交流からニュー・レイヴの文脈で注目された彼らは、しかし当時のシーンから背を向け、80年代的なシンプルなアナログ・センセの音色を用いて極上のソウル・アルバム『Nights Out』を作り上げた。次作3作目『English Riviera』では70年代ウエスト・コースト・サウンド志向を加え、本作でも60年代ガールズ・ポップ風から、雅楽、教会音楽を思わせるような曲まで様々だ。最新技術を用いて時代を遡っていく、まるでタイムマシンのようなユニット。ニュー・レイヴが「ニュー」でなくなり、当時のアクトの多くが精彩を失い苦境に立たされている今、むしろ彼らの音は洗練され、存在感を増している。


 表題曲「Love letters」は、2台のシンセサイザーとベース、ドラム。それに女性コーラス隊とともに演奏される。フロント・マンであるジョセフ・マウントは痛切な表情で絞り出すように歌う。繰り返されるフレーズは「僕はラヴ・レターを書き続ける」。決して届くことのない、読まれることのない手紙。それでも彼は強迫的に歌い続ける。記憶のなかで生きる、誰よりも素敵な君へ向けて。


 リード・シングル「I'm Aquarius(みずがめ座)」や終盤の「Reservoir(貯水池)」など、水に関連した曲が多いが、後半の1曲「The Most Immaculate Haircut」はその流れのなかでも一際、興味深い。曲の中盤、間奏がフェイド・アウトして、単調な虫の音や何かが水に飛び込む音がする。官能的なファルセットのヴォーカルと相まって、性的なイメージを喚起する。


 そういった強烈なインパクトを残す曲がある一方で、全体を通して聴くと、昼寝に最適というか、皿洗いのBGMになるというか、つまり邪魔にならない。かつて栄華を誇った王国、その宮殿の廃墟で流れているような音楽。その王国の名前は、かつてオブザーヴァー紙が提唱した、ニュー・エキセントリックというやつかもしれない。


 思えばメトロノミーはデビュー当初から一貫して、同様のフィーリングの音を鳴らしていた。簡素でスマート。一音一音のアナログな響きを大切にしながら、少しずつ過去に学び、伝統的な衣装を身に着けていく。時代の残骸から離れ、一歩一歩着実に進んでいく。逆説的だが、過去への旅は、時に未来へとつながるのだ。




(森豊和)



【編集部注】『Love Letters』の国内盤は3月26日リリース予定です。

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石橋英子『car and freezer』.jpg

 異国人同士でも片言で分かり合えることがある。言葉の交換が成立していなかったとしても、音楽を介して深い共通理解が生じることがある。


 本作はジム・オルークの手による録音だが、2ヶ月前には彼と山本達久、そして石橋の3人による即興ユニット、カフカ鼾としても作品を発表している。笛の音のようなジムのシンセ・サウンドと、手数を抑えた和太鼓のような山本のドラミングが、石橋の弾くピアノと溶け合い、緊張感と共に不思議なカタルシスを生み出す。日本の古い神事で演奏される音楽のよう。


 本作『car and freezer』は変わって歌モノだ。本人による英詞で歌った盤と前野健太による別解釈の日本語詞を歌った盤の2枚から成る。前野による日本語詞に触発されてか、呟くようで一転、跳ねるように伸びやかに歌われるヴォーカルは今までになく自由だ。演奏ともども堅苦しい音楽理論から解き放たれている。そして二通りの歌詞があることで、なおさら演奏全体から意味を感じ取るよう我々に仕向ける。


 目の前の人間が語っていることが全て本当であるはずがない。誰だって意図的に嘘をつくし無意識に隠蔽することもある。音楽は嘘をつかない。どんなに美辞麗句を並べて歌い演奏しても、奏者に本当の気持ちがなかったら、白々しく平坦でむなしいだけだ。その点、この作品はとても誠実で胸に迫るものがある。ピアノやストリングス、管楽器から匂うジャズやクラシックの素養、元PANICSMILE(パニックスマイル)のドラマーである彼女のノー・ウェイヴなリズム感覚、決して大衆的な感覚ではない。分かりやすさを追求して化学調味料漬けのファスト・フードみたいな音楽でもない。しかし、ある一人の女性の物語、彼女の周囲の人々の息遣い、それをリアルに伝えるという意味で超弩級にポップだ。


 気持ちを単純化して歌詞は同じフレーズの使いまわし、一聴での分かりやすさを追求してアレンジはどぎついマスカラみたい、それじゃ何も伝わらない。前衛とは、他の誰でもない、この世界でただ一人の、自らのアイデンティティーを確認するための最も誠実な在り方の一つだ。石橋英子の音楽から、私はしばしば少女の瞳を想起する。強い意思を宿したそれは、しっかりと我々を見据える。少女は異世界を彷徨っている。年端もいかない子どもたちにとって日常はすべて冒険だ。石橋の音楽はそのことを我々に思い出させる。そしてこのアルバムを聴き終える頃には、少女はこの世界で居場所を見出す。



(森豊和)

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fruity.jpg

 kush in the air,kush in the air,kush in the air...


 FRUITY(フルーティー)の作る曲は、スカしてて、利口で、生意気で、器用で、口を開けば嫌味ばかりで、人を馬鹿にしてて、カッコつけてて、ドライで、冷淡で、横柄で、自信たっぷりで、シニカルで、尻尾をつかませなくて、不遜な態度をキメ込んでて、洒落てて、計算高くて、斜に構えてて、髪は七三に分かれてて...。そんな聴こえをしてる。


 実はFRUITYのサウンドクラウドにあがってる「No War」に歌をつけてみようと思ったことがあったんだけど、全然うまくいかなかった。その後、正式にリミックス用にいろいろデータをもらったんだけど、どの曲も聴いた瞬間にオレが歌詞をのせたりできるような余地が全くないってことが分かったよマイメーン。音数が少なくて派手な感じがないくせに、隙がなくて揚げ足を取りづらい造りっていうか。とにかく "嫌なヤツ" が作ってる音楽ってことは確かだぜ。


 FRUITYと話してたら「そいつの作ってる音楽がヤバいかどうかよりも、そいつのコミュニティーがヤバいかどうかが大事」って話題になって、Weezy(ウィージー)やBoogieMann(ブギーマン)擁する《SHINKARON》のことも話してた。


 そもそもシカゴ・ハウスやジュークを好んで聴くようになったのもジュークのパーティーに行くようになったからで。そこに行くとだいたいいつも同じヤツらがムサ苦しくたまってて、飽きもせずシカゴ産のフットワークで盛り上がってる。そこにはそのコミュニティー独自のアンセムや情報が渦巻いてて、メインストリームの流行には左右されない興奮があるんだよ。


 若い女の子が華奢で汚れを知らない綺麗な指で針を落とす「French Kiss」に猛烈にシラけながら、やっぱあれをフラストレーションなく回してくれるのは30過ぎたおっさんか、女ならグローカル・プッシーズか、とボンヤリ考えながらペイズリーパークスのライヴが始まるのを待ってたのはもう随分前のことだ。そんなヤツばっかだからジュークのパーティーにはジャンキーとおっさんしか来ないわけなんだけど。


 そんなわけで、『LET DA MUSIK TALK』はコミュニティー・ミュージックだ。これをヤバがってるヤツはクラブのデカいスピーカーでジュークを聴いた経験が幾度となくあるだろうし、Battle TrainやHigh&LowやShin-jukeに足を運んでるヤツらだ。「Everynight(FRUITY Remix)」の48秒のところのブレイク直後にフロアが歓喜する瞬間を想像できるヤツらだ。「Sex On Da B****」や「No War」を聴きながら、夜を迎える強烈な期待と、どうしようもなく哀愁を感じてしまうヤツらだ。


 『LET DA MUSIK TALK』はジュークに興味を持って最初に聴くようなビギナー向けの音源じゃない。テクノと呼ぶには快楽性に欠け、ヒップホップと呼ぶにはエンタメ性に欠ける、こんなにも華麗でフィジカルを求めるジュークの面白さをお前らは楽しむことができないだろ?


 去年来日したRPブーが「シカゴでは失われたものが日本のシーンには存在している」と語ったとされているけど、それを最も体現してたのがRPブー来日時のShin-jukeでのFRUITYのプレイだったわけ。FRUITYがフットワーク・クラシックスを繋いでいくなか、熱狂とともにできあがったサークルの内側で観客が次々とフットワークをキメていくあの光景は、2012年にトラックスマン来日したときにはまだ存在していなかったものだし、これは日本のジューク・シーンが過去のシカゴを模倣しつつドメスティックな発展を遂げてる確かな証拠さ。


 シカゴには夕闇が訪れた頃、日本ではまた新たな夜が始まる。『LET DA MUSIK TALK』はそれを知らせる確かな一枚で、今夜もオレたちはこれを聴きながらバビロンを徘徊するんだよ。



(浅見北斗)

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NATURE DANGER GANG『THE BEST OF NDG NONSTOP MEGAMIX』.jpg

 以前クッキーシーンでもレヴューしたLes ANARCHO(レ・アナーコ)「OKANE WO MOYASOU」を筆頭に、現在の《オモチレコード》は面白い作品を数多くカタログに並べている。こうした《オモチレコード》周辺の音楽やイヴェントに触れると、かつてのナゴム周辺もこんな感じだったのだろうかと想ったりもする。もちろん、88年生まれの筆者は、親にナゴム関連の作品を聴かせられた後追いだから、あくまで想像に過ぎないのだが・・・。ただ、そんな想像をさせるくらいに、現在の《オモチレコード》周辺は面白いというのは本当の話。


 さて、そんな《オモチレコード》が新たに放った刺客こそ、『THE BEST OF NDG NONSTOP MEGAMIX』を発表したNATURE DANGER GANG(ネイチャー・デンジャー・ギャング)である。2013年に結成されたばかりで、今もっとも面白いバンドのひとつ。バンド、と書いてはみたものの、ライヴによって参加メンバーが異なり、正式な構成はいまだハッキリしていない。それでも、瞬く間に観客を驚かせ、熱狂の渦に巻き込むということに変わりはない。全盛期のとんねるずがそうしたように、NATURE DANGER GANGもまた、"演者と受け手(聴き手)"という枠組みを破壊する。珍しいもの観たさで彼らのライヴに行くスカした表情の観客も、彼らの音楽を前にすればその表情を崩すはめになる。ピクリともせずに、終始腕組みしてるだけのインテリ気取りなど吹き飛ばしてしまえ!、と言わんばかりの膨大なエネルギーを彼らは抱えているのだから。


 とはいえ、ただのキワモノバンドではないのもNATURE DANGER GANGの面白いところ。彼らの音楽は実に多くの要素で彩られており、ジュークなどのベース・ミュージックや90年代初頭のレイヴ、それからパンクの精神も窺える。これらが持つ享楽的側面だけを抽出し溶解させた結果、NATURE DANGER GANGのハチャメチャな音楽は生まれる。


 その音楽は、いわゆる"スカム"と呼ばれるものかもしれないが、NATURE DANGER GANGの音楽には "スカム" にありがちな排他的雰囲気がまったくない。本当の意味で、誰もがコミットでき誰もが楽しめる音楽を彼らは鳴らしている。そこに打算的な思惑を持ち込まないのも実に愉快。理性では到底たどり着けない音楽というのは確かに存在するのだ。



(近藤真弥)

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Rainer Veil「New Brutalism」.jpeg

 チルウェイヴは過剰なリヴァーブで埋め尽くされたサウンドスケープを描き、《Telefuture》などを中心とした80'sエレ・ポップ色が強いシンセウェイヴの潮流は、ソニーのビデオデッキの名を掲げたベータマックスがそうだったように、人が持つノスタルジックな感情を抽出しそれをロマンティックなディスコに変換した。


 一方で、ロマンティシズムを排除していったのが、昨今のインダストリアル・ブームだ。アンディー・ストット『Luxury Problems』などはロマンとリアリズムが入り雑じっていたものの、このアルバム以降に生まれたインダストリアルと呼ばれる作品のほとんどは、無機質でリアリスティックな方向性を見せてきた。パーク『The Power And The Glory』のように、現実世界に対する明確なリアクションを示すインダストリアル作品も生まれるなど、現実を反映する度合いは徐々に高まっている。


 そんななか、ライナー・ヴェールの「New Brutalism」というEPが世に解き放たれた。既にお気づきかもしれないが、タイトルは1950年代に現れた建築形式ニュー・ブルータリズム(New Brutalism)が元ネタである。この形式には、素材をできる限りそのまま生かそうという理念があり、荒々しい自然さを残そうと試みた潮流だ。いわば、テクノロジーの発展により、私たちが望めばどこまでも "洗練" を極めることができる現代とは真逆に位置すると言え、そうしたニュー・ブルータリズムをEPのタイトルに掲げるあたり、現代に対するライナー・ヴェールなりの反抗心が窺えるようで興味深い。


 《Modern Love》からのリリースということもあり、おそらく"インダストリアル"として捉える者もいそうだが、それだけではない多くの要素で本作は彩られている。シンプルなビートの上に乗るサウンドは、cv313やディープコードといった《Echospace》周辺のダブ・テクノを感じさせ、さらに音像で訴求力を獲得しようと試みていることからもわかるように、アンビエントの要素も色濃く滲んでいる。とはいえ、低音の鳴らし方はベース・ミュージックそのもので、最近レコード・ショップでよく見かけるフレーズを使って表せば、「New Brutalism」の音楽は "アンビエント・ベース" になるだろうか。そういった意味で本作は、インダストリアルという音楽を拡張する作品だと言える。



(近藤真弥)



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