伊藤英嗣: August 2012アーカイブ

2012年8月27日

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2012年8月27日更新分レヴューです。

VARIOUS ARTISTS『Asian Kung-Fu Generation Presents Nano-Mugen Compilation 2012』
2012年8月27日 更新
【合評】FUN.『Some Nights』
2012年8月27日 更新
VARIOUS GORGE BOOTISTS『Gorge Out Tokyo 2012』
2012年8月27日 更新
FOUR TET『Pink』
2012年8月27日 更新
LEGGYSALAD『Verda Planedeto』
2012年8月27日 更新
NOVELLA「Novella」
2012年8月27日 更新

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 さて、みなさん、サマーソニックでニュー・オーダーは見られただろうか? ぼくは見てない。正直フッキー(ピーター・フック)抜きのニュー・オーダーなど見る気がしないから...というのは言い訳であって、もしサマソニに行ったのであれば、たぶん会場にかけつけただろう(変な話、ロジャー・ウォーターズ抜きのピンク・フロイドだって、ライヴそのものを体験したことはないけれど、ライヴDVDを見るとかなりいいと思えるし...)。まあ、単にプライヴェートな事情でサマソニ自体に行けなかったという(泣&笑)。

 今日ここで紹介するテキストは、この春、湘南でおこなわれたハシエンダ大磯フェスティバルのレポートだ。この夏、幸運にも今の(フッキー抜きの)ニュー・オーダーを目撃できた人はもちろんこと、そうでない人も、是非ご一読を...というか、原稿は数ヶ月前にあがっていたにも関わらずアップが遅くなってしまい、本当にすみません。すべて、ぼくの責任です(汗)!

 では、どうぞ!

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ORGE YOU ASSHOLE 100.jpg それまでは一部メディアでは何らかの形で、アニマル・コレクティヴ、モデスト・マウスなどUSインディー・シーンとの共振、親和の枠で語られるところから確実に舵を切り、AOR的な意匠を含み、柔らかな無的な何かへの降下を望みながらも不穏なサイケデリアが覆っていた転機作『homely』。毀誉褒貶が分かれたが、聴取者に何らかの壁を置き、敢えて拒むようなノーマンズ・ランド的サウンド・デザイン、モダンネスの尖りは彼らの覚悟が伺えた。

  そして、この『100年後』は新しいフェイズに更に踏み込んでいる。物悲しいトーンとかなりシェイプされた音像が真っ先に飛び込んでくる。「100年後には今あるものは何もない、生きている人もいないと思うとホッとする」と述べているギター、ボーカルの出戸氏の発言があるとおり、世界から少し外れ、チューニングのズレた場所で、静かに音楽でトリップしてみせる、そんな様がオウガ・ユー・アスホールの一つの美しさだったとしたら、この9曲は、筒井康隆の1989年に発表したSF小説『残像に口紅を』ではないが、どんどん使える文字がなくなっていき、最後には《なにもない》(「泡になって」)という言葉が「ある」ということを突き詰めてゆくエクスペリメンタルな試行の痕と浮遊感がある。それでも、コンセプチュアルという文脈では、今作はより構成は練られている。

 オウガは、現在、オリジナル・メンバーは出戸氏以外に、ギターの馬渕氏、ドラムの勝浦氏の3ピースになっている。囲む敏腕のサポート・メンバー、プロデューサー、エンジニア、精鋭の鉄壁の布陣にある。例えば、前作のときにも挙げたが、後期のフィッシュマンズ、ゆらゆら帝国が最後に向かっていったときに残ったものは空気の"揺らぎ"とほのかな光へ向けての近い希求的な何かだったが、確実に彼らもそういった境地にリーチしようとしているのがほのかに可視化出来ながら、そういった訳でもないのも面白い。

  リードでMV公開されていた「夜の船」はメロディーと滑らかなサウンド・メイクだけ捉えれば、これまで以上に拓かれたポピュラーさがあるのも然り、これまで以上に求心力と透き通った音風景に魅せられる。ドリーミーであり、ヒプナゴジカルな要素とともに、時おりフッと引っかかるメロディーから、その時の感情の揺れで多くのミーニングで捉えられそうな耳に残る直截的な歌詞は彫像美みたく、触れた途端、折れてしまいそうな繊細さもありながらも、無比の世界観の生成は極まった。今の時代のぼんやりと漂う不穏さとシンクするとともに、なだめすかすムードがあるのも麗しい。

 ただ、ここまでの境地まで入ってしまった彼らのネクスト・フェイズが既に気になってもしまうのも杞憂だろうか。最終曲の《なにもないからどうにでもなれる》(「泡になって」)に沿うならば、そのどうにでも、はどうなるのか。どうなった結果のオウガはさらに捉えようのない化け方をしてゆくのか、分岐点というよりは、分かれ道を自ら設定したアルバムだという推察も出来る。聴き手、受け手は踏まえて、けもの道を行くのか、舗装された道を行くのか、は見えない。

 それでも、言葉と音の混じり合いが存外、セクシュアルでしっかり、トバしてくれる感覚がある所為か、そこまで窮状に神経が詰められるというよりも、彼らの提示するプレートに足を乗せたら、極北の幻想へと運んでくれる節もある。極北の幻想―そのイメージは幸福なのか、不幸なのか、把握するには"100年"ではおそらく足りないだろう。シンプルに削ぎ落とされたタイトル名。「これから」、「夜の船」、「素敵な予感」、「100年後」、「すべて大丈夫」、「黒い窓」、「記憶に残らない」、「泡になって」のとおり、ネガ・ポジを往来するというよりも、保有していた予感があらかじめ刈り取られるようなその線の上で、9曲の総体が想像の限界地点に置かれる。

  これを『LONG SEASON』の揺蕩いへの接近と迎えるには、牧歌的な時代の話で、暗がりを帯び、ソフトな質感で何らかの終わりに向かうのが彼らの今のスタンスを示す。終末思想でも諦観でもない、オウガが作品を重ねていく中で、見えてきたリアリティを音に歌詞に落とし込んだとき、以前のようなカラフルさと螺子の外れたアレンジメントは必要なかったという真摯なジャッジなのだろう。そのジャッジは、曖昧な藪の中に隠される可能性もある、それがこの作品の持つ深みだと思う。

 「深度」は「進度」とともに、彼らの在り方は反転的に極北の有的な何かへと対峙していこうとするのは胸打たれる。今、彼らは過度の装飾や意匠もなく、身一つのままで「100年後」を夢想する。サイケデリックな浮遊感と要所に響くフレーズや音色、メロディー、オウガは孤高の場所に立つことになった。孤高に立ったからこそ、見渡せる未来はどこまで先なのだろうか。

 

(松浦達)

 

【編集注】9月19日リリース予定。

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ricardo-villalobos-dependant-and-happy.jpg リカルド・ヴィラロボスの名を聞くと、筆者のとあるエピソードを思いだしてしまう。某クラブで知り合い、今は友人として親しくさせてもらっている方の妹さんに出会ったときのこと。その妹さん、おそらく熱心にテクノを聴いてはいないはずで、実際それほど詳しくはないのだけど、そんな彼女のiPodに入っている曲を見せてもらうと、2008年にリカルドが放ったフロア・アンセム「Enfants」が入っていた。なぜ「Enfants」を入れているのか訊いてみると、「この人についてはよく知らないけど、子どもの"ワワヤヤー"って声が忘れられないから」とのこと。

 それを聞いて筆者は思わず笑ってしまったのだが、確かにリカルドは、"実験的" "難解"と言われながらも、フロアで聴いた次の日にレコード・ショップへ走らせるキャッチーな曲を数多く生みだしている。「Enfants」はもちろんのこと、生首ジャケが印象的な長尺トラック「Fizheuer Zieheuer」でさえ、1度聴いたら忘れられないポップな旋律がある。そして、このキャッチーな側面が戻り、顕著になったのが、ミニアルバム「Vasco」以来約4年ぶりとなるアルバム『Dependent And Happy』だ。

 とはいえ、リカルドのキャリアを追いかけている者なら周知のように、彼は過去を繰りかえすようなマネはしない。特定のスタイル、シーン、コンセプトに依拠することなく音楽を作ってきたし、常に"自分自身"を超えるためだけに創造性を発揮してきた。その向上心は本作でも衰えておらず、それは本作がアナログでは5枚組で構成され、パート1・2・3に分けてリリースされていることからも窺いしれる。

 肝心の音は、ため息がでるほどの綿密なプログラミング、そこにリカルドが持つ狂気をスパイスとしてふりかけることで、艶かしい官能美すら感じさせる音像が構築されている。特にドラム・プログラミングは秀逸で、細かいベロシティーの設定や繊細なイコライジング、さらには音の抜き差しのタイミングまで、非の打ちどころがない。

 ほとんどのトラックがお得意の4/4リズムであるにも関わらず、聴けば聴くほど本作のトランシーな深淵世界にのめり込んでしまうのはそれゆえだし、研ぎすまされた音がシャープに絡みあっていく「Das Leben Ist So Anders Ohne Dich」のようなビートレス・トラックを間に挟むことでアルバムに起伏をもたらすなど、全体的な流れもよく練られている。

 だから特に推したい曲、というのが実はなくて、「とにかく全曲通して聴いてください」としか言えないのだが、強いて推すなら、やはり「Put Your Lips」になるだろう。男女のヴォイス・サンプルが細やかに変調しながらループし、そこに鋭利なリズムがスマートに忍び寄る瞬間(この瞬間は間違いなく本作のハイライトのひとつ)は、何度聴いてもハッとさせられる。

 そして本作は、ルーマニア勢のミニマリズムと比べられるのだろうけど、筆者はLFOの名を挙げてみたい。顰蹙を買うことは承知のうえで言うのだが、「Das Leben Ist So Anders Ohne Dich」の音色は、LFOの『Frequencies』に収められていてもおかしくないように聞こえるし、アルバム全体を通して、90年代初頭のブリープ・テクノに通じるヘヴィーなベースが多い。

 昨今話題のバレアリックなインディー・ダンスなどは、一昨年あたりから90年代の音楽をブラッシュアップしたような音を鳴らしているが、そうした潮流にリカルドも便乗した? と、本作を聴いて思ったのが正直なところ。だからといって批判するわけではないし、便乗の云々関係なく、本作が今年のベスト・アルバム候補たるクオリティーを備えていることに疑いの余地はない。

 ただ、「Vasco」リリース以降にリカルドが手がけたリミックス・ワークのほとんどは、実験精神が暴走した凡庸なトラックが多かっただけに、リカルドなりに本作のジャストなバランスを見つけるため、あえて90年代初頭のエレクトロニック・ミュージックの要素を取りいれたのではないか。だとしたら、本作の平易な側面にも説明がつくのだが。

 

(近藤真弥)

 

【編集注】CD版はミックス仕様。日本盤は9月26日リリース予定。

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WILD NOTHING『Nocturne』.jpg ワイルド・ナッシングことジャック・テイタムは、80年代UKインディー・ポップへの憧憬を抱いている。ジャック自身インタビューでザ・スミスやキュアーに対するリスペクトを公言しているが、この憧憬は、『Gemini』から2年振りとなるアルバム『Nocturne』においても、ジャックの底流を成す重要なものであるようだ。親しみやすいグッド・メロディーに、シンプルながらもキャッチーなリズム。謂わばポップ・ミュージックの普遍性とも言える要素を抽出し、磨きあげた歌が詰まっている点も前作と変わっていない。

 スマッシング・パンプキンズのストリングス・ワークを参考にした「Shadow」など、90年代に影響を受けた音楽が多い昨今の潮流と共振する曲もあるが、これは流行を意識したというより、ジャックの嗜好が素直に反映されただけのように思える。アルバム全体を通して聴くと、やはり従来の80年代UKインディー・ポップ的要素が随所で見られるし、そういった意味でジャックは、良く言えばマイペース、悪く言えば流行に鈍感な人なのかもしれない。

 だからといってまったく変化がないわけではなく、「Counting Days」「The Blue Dress」は従来のワイルド・ナッシングには見られなかったメタリックな質感を湛えているし、「This Chain Won't Break」には、スパイスとしてダブ的処理が施されるなど、明確な音楽的前進が窺える曲もある。これらの曲は、音楽リスナーとしてジャックが備えている多様性と、ワイルド・ナッシングを"ドリーム・ポップ"なる単一タグで語る者に対する反抗心が垣間見えるようで面白い。

 とはいえ、本作の一番の魅力は、ディレイドな者たちに捧げられた美しいプレゼントであることだろう。凄まじいスピードで情報が飛びかう現代において、流行の移りかわりが激しいのは当たりまえとなっているし、多くのポップ・ミュージックは、ひとつの消費物として瞬く間に捨てさられる運命にある。

 だからこそジャックは、ひとつの消費物となることを拒むかのようにそれぞれがオリジナリティーを追求し、ナイーヴながらも多くの人に受けつがれるだけの音楽を残した、80年代UKインディー・ポップにシンパシーを抱くのかもしれない。

 このシンパシーは、本作に"時の流れ"というある種残酷なものに耐えうる強度をもたらし、さらに"ポップ・ミュージックにはこうあってほしい"というジャックの願望と相まって、"人と人を繋ぐためのポップ・ミュージック"として愛されるクリアなピュアネスを獲得している。

 本作のクリアなピュアネスについては、プロデューサーを務めたニコラス・ヴェルネスの仕事や、設備が整ったニューヨークのスタジオに入って制作されたこともあるのだろうが、それ以上に本作がクリアな音像となり、リバーブやディレイの海に溺れていないのは、ジャックのポップ・ミュージックに対する理想主義が貫かれているからではないだろうか。その理想とはおそらく、普遍的なものとしてのポップ・ミュージック、それこそ先述した、"人と人を繋ぐためのポップ・ミュージック"だと思う。前作より開かれた印象を抱かせる本作を聴くと、そう思えてならない。

 

(近藤真弥)

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efb.jpg  かつて詩人の谷川俊太郎はこう言った。「純粋に言葉の美しさを求めるのなら言葉に意味を宿してはいけない」と。確かにそうかもしれない。音楽表現に話を移せば僕らは音楽に何か意味を求めてしまう場合が多いのだろうし、意味が宿っていると思う場合が多々ある。

  しかし、フランス在住のシンガー・ソングライター、ツジコノリコとドイツ在住のエレクトロニック・アーティスト、竹村延和が創作したアルバム『East Facing Balcony』は平和も反戦も愛も表現していない。自分すら表現していないと感じる。そこに意味付けはなく、いわば音楽によって音楽を表現している。無論、それは矛盾した言い方だ。しかし、音楽は音楽しか表現できないという意思が本作に内在されている。それゆえの美しさは谷川俊太郎の詩と結ぶことができるだろう。

 もともと竹村延和は個人名義の作品で電子音楽の匿名性を穏やかにころころと可愛らしく鳴らすことができた。すっと感情の昂ぶりが抜けていく繊細な音色、透明度の高い潔白な音の数々は、自我を押し付けるところは一切なく、音が寄り添ってくる感覚があった。そう、無垢だった。子供のように。これらはそのままツジコノリコにも言える。同じ感覚を持つふたりのコラボレーションは自然というより必然だった。

 本作はレイ・ハラカミと矢野顕子によるヤノカミと比べることができ、ヤノカミがジャンルの融合というよりは、人と人との出会いによって生まれる創造性だったことと同様に、本作もまた、出会いの音楽としてある。『East Facing Balcony』を聴いて思ったのは、もはやジャンルの融合に価値を見出す時代は過ぎ去り、人と人との出会いが音楽を生み出していく時代が主流になってきているのだということだった(アニス&ラカンカや高野寛+伊藤大助がまさにそうだし、ヒップホップやジャズ、リミックス・ワークに関して言えばきりがない)。

 「Kirei」での、ゆっくりと弧を描くように歌われる歌声とコーラスには聴き手の意識を静かにさらっていく幻想的な響きがあり、コーラスが重なっていくたびに圧迫されるというよりは楽曲が弛緩していき、決して昂らず、落ち込みもしない歌の温度が辺りに広がっていく様が肌で感じることができる。アルバムを通して室内楽的な鳴りが丁度いい具合に品よく貫かれている。管楽器やウッド・ベースがわずかにジャジーな香りを与え、ポスト・クラシカル、ハウス、テクノ、IDMを思わせる音色が加わるが、何かのジャンルに流れる様子は見受けられず、驚く程ごく自然にジャンルの無効化として本作は存在している。

  ジム・オルークやフェネスを彷彿させる音響を生み出したうえで幼げな声で詠うポエトリー・リーディングやラップは、言葉が音としての美しさを持っていることを聴き手に思い起こさせる。しかも言葉が持っている意味はするすると抜け落ちていくという感覚を本作は鳴らしているものだから、噛み砕かずとも全ての音が聴き手にすっと入り、違和感を覚えるところが一切ない。

 本作には意味付けされていない、あるいは意味付けできないがゆえの、音楽の潔白性という美しさがある。もちろん資料的な文脈で語るなら、この作品に意味付けはいくらでもできるだろう。しかし『East Facing Balcony』の根底にあるのは、この音楽は音楽以上のものには成りえず、純粋な音楽表現ということなのだ。その音の鳴りと大衆音楽としての強度に不思議と嬉しくなる。今年の重要作だ。

 

(田中喬史)

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SMILELOVE.jpg 垢抜けていないのに洗練されているという、なんとも摩訶不思議なロックに仕上がった4人組のスマイルラヴの本作「Njajaja」(7インチ)は、ペイヴメントやヴェルヴェット・クラッシュらと比べることができるサウンドで、その入り組んだギター・サウンドの数々は実に複雑でいてキラキラと輝いている。

  思ってもみなかった場所で友人と出会ったときのような驚き、喜び、みたいなものがありながらも、そういった感覚論だけではなく、ギターのフレーズの一筋一筋が突発的な新鮮性を持って鳴らされるものだから聴き手を飽きさせない。シンプルなフレーズも、折れ線グラフのようなフレーズもきまっている。

 それ以前にベース、ギター、ドラム、女性ヴォーカルそれぞれの絡みが絶妙だ。バランスが崩れそうで崩れない境目を縫うように鳴っている。それはミックスを手掛けたコーカス(CAUCUS)の柳川勝哉によるところが大きいのだろう。

  もともとスマイルラヴが持っていた引き出しを一気に開け広げ、整頓し、提示している。でも妙な細工はしていない。それがスマイルラヴの小気味の良さをさらに浮かび上がらせていて痛快なのだ。ポップなジャケット同様にポップ。ついボリュームを上げたくなる。

 

(田中喬史)

 

【編集注】本作はTHE STONE RECORDSにて販売中

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ドレスコーズ.jpg 時にロックンロール・スウィンドルとして、時に類まれなロマンチストとして、デカダンスの衣を纏いながら、毛皮のマリーズのフロントマン志磨遼平は日本のポップ・ミュージックシーンにおいて常に特異な存在感を放っていた。

  しかし、メジャー・デビュー以降リアル・タイムでその活動を追っていた身としては、彼らの出す音源にはいまひとつピンとこなかったというのも正直なところだ。その理由の一つとして彼らのパスティーシュが、その露骨な、過去の音楽への参照が彼らなりの表現形態として結実しておらず、少なくとも音楽としての面白みが感じられなかったからだろう。

 例えばミイラズ(The Mirraz)はアークティック・モンキーズへのあからさまな執着/模倣が最終的に彼らのスタイルとして昇華されることによってその表現型が確立されたが(メジャー1stシングル「僕らは/気持ち悪りぃ」で彼らはまた次のフェイズに入ったようだが)、毛皮のマリーズにおけるそれはどうしても模倣以上の何ものかがそのサウンドから立ち上がってこないように思えたからだ。

  彼らが参照する様々な音楽、例えばメジャー1stアルバム『毛皮のマリーズ』におけるRCサクセションやT.Rex、ほとんど志磨遼平のソロ・アルバムといってもよいメジャー2nd『ティン・パン・アレイ』におけるフィル・スペクター、ティン・パン・アレイ(ティン・パン・アレイとはNYの28番通りの5番街とブロードウェイにはさまれた、音楽出版社が集まっていた一帯を指す。ここで、ジョージ・ガーシュインをはじめとした多くの優れた才能を持ったアーティストによってロックンロール誕生以前のアメリカン・ポップスの基盤が整えられていった)などは確かにそれぞれのアルバムのコンセプトに適しており(その参照はサウンドだけではなく歌詞レベルにも及んでいる)、そのチョイスの幅広さとセンスには唸らされるものがあるが、その器用さがもたらしたのは豊潤さではなく、毛皮のマリーズというバンドのアイデンティティ(それは結局なんだったのだろうか)をわかりにくくする曖昧さではなかっただろうか。

  その曖昧さはしかし、彼らの唯一無二の魅力として機能していたのもまた確かであり、それがどこに行き着くのかを見届けるつもりで彼らの動向には常に注意を払っていたのだが、周知のとおり去年の9月に彼らはラスト・アルバム『THE END』を発表し、そして解散してしまった。

 映画『苦役列車』の主題歌にドレスコーズ「Trash」が使われる、という記事をネットで見つけたのがドレスコーズというなにやら怪しげな名前を持ったバンドとの初めての出会いであった。その名前に魅かれるままにバンドのことを調べ、志磨遼平が新たに作ったバンドだと知った時には驚いたものだ。そして彼らのデビュー・シングルの曲名が「Trash」=「ゴミ」であったことには志磨遼平らしさを感じ、そこには新たな始まりを予感させる極めてポジティヴな響きが宿っているようにも思えた(英バンド、スウェードの美しい同名曲がバーナード・バトラー脱退後の彼らの低迷を覆した起死回生の一曲であったことがその理由の一つであろう)。

 ドレスコーズの1stシングル「Trash」、特にタイトル曲である「Trash」とフランス語で歌われる志磨のヴォーカルが気怠く、そして艶めかしいミュゼット風のロック・ナンバー「TANGO,JAJ」における主役がドラムスの菅大智であることはまず間違いない。ザ・フーのキース・ムーンを彷彿とさせる、荒れ狂う彼のドラム・サウンドは、今後ドレスコーズのゆるぎないトレード・マークとなってゆくだろうということが容易に想像つく。これほど手数が多いのにもかかわらず、まったく曲の邪魔をせず、志磨の歌と詩を引き立てているところが実に素晴らしく、希有のドラマーの誕生に立ち会ったのではないかという興奮を覚えてしまったことは隠しようもない事実だ。山中治雄(元チョモランマ・トマト)のベースと丸山康太のギターがある程度、曲の世界観に寄り添っているように聴こえるのに対し、この菅のドラムスは、間違いなく曲を構成している大きなファクターでありながらもその曲を内側から食い破ってゆくようなバイオレントなものとして存在している。志磨にとって、自分以外にもう一つの強い個性がバンド内にいるという事実が非常に新鮮なものであることは、ワンマン・バンドとしての色が強かった毛皮のマリーズの頃と比較して考えてみるとまず間違いないだろう。

 この新たなバンドを得て、志磨は「I'm Trash」と歌っている。ここには後ろ向きな想いはまったく現れていない。彼はマーク・ボランがメタル・グル―に呼びかけたように、ボブ・ディランが「How Does It Feel?」と歌ったように、彼は潰れた爬虫類のような声でBlueに「何かを失った気分はどうだい?」と歌い、デヴィッド・ボウイがロックンロールの自殺者となった時のように、こめかみに銃を突きつけながら「打ち抜いてくれコルトガバメント」と歌っている。クリシェとしてのタナトスに満ちた志磨の歌詞は《愛し合う、ってやつをちょっとばかりつかむんだ》という言葉と同列に並べられることによって強烈なスウィング感を生み出し、それはロックの歴史が作り上げてきた、限られたものだけが使用することを許された方程式に従って、類まれな高揚感となる。

 この3曲だけではまだ、ドレスコーズの全貌は見えてこない。前述したような毛皮のマリーズが持っていた(と私が考えている)問題点がまた顔をもたげてくるとも限らない(事実3曲目「バラードの犬」には毛皮のマリーズの時と同様の危うさが漂っているように思える)。しかし、来るべき彼らの1stアルバム(9月1日、オフィシャルサイトのNEWSに1stアルバム完成との報告があった)はこういった不安を軽々と越えてくるような傑作になるのではないかという期待のほうが今ははるかに大きい。

 オフィシャルサイトのCOLUMNで志磨遼平は「ぼくは幸福を恐れない」と書いていた。そんな男が作る音源がどんなものになるのか、楽しみでならない。

 

(八木皓平)

2012年8月21日

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2012年8月21日更新分レヴューです。

七尾旅人『リトルメロディ』
2012年8月21日 更新
HERE WE GO MAGIC『A Different Ship』
2012年8月21日 更新
THE VIEW『Cheeky For A Reason』
2012年8月21日 更新
高木正勝「Yu So Ra Me」EP
2012年8月21日 更新

2012年8月6日

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2012年8月6日更新分レヴューです。

HOLY BALM『It's You』
2012年8月6日 更新
NENEH CHERRY & THE THING『The Cherry Thing』
2012年8月6日 更新
GREAT3「Emotion / レイディ」
2012年8月6日 更新
YOHUNA「Revery」
2012年8月6日 更新
ラジ・パテル『肥満と飢餓 世界フード・ビジネスの不幸のシステム』
2012年8月6日 更新
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