伊藤英嗣: July 2012アーカイブ

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全国の書店、レコード店、ウェブ・ショップで絶賛発売中『ザ・ストーン・ローゼズ:ロックを変えた1枚のアルバム』のリリース記念即売&サイン会、前回お知らせしたように、今のところ計3ヶ所でおこなわれることになっています(1ヶ所はすでに終了。あと1ヶ所追加があるか? 現在調整中です!)。

大阪の若手バンド、レディフラッシュの企画に伊藤が相乗りさせていただいた第1弾は無事終わり(楽しかったです! ありがとうございます! by 伊藤)、第2弾が目前に迫っております。そしてゲストも確定しました!

『ザ・ストーン・ローゼズ:ロックを変えた1枚のアルバム』発売記念トーク&サイン会

【日時】
 8月2日(木)開演21時
【場所】
 タワーレコード新宿店7Fイベント・スペース
【トーク】
 久保憲司(フォトグラファー)
 伊藤英嗣(クッキーシーン)
 小林祥晴(音楽ライター)※特別ゲスト


約1時間弱のトーク・イヴェントは観覧フリー、無料です。

特別ゲストの小林さんは、この7月、ヒートン・パークで3日間にわたってストーン・ローゼズ再結成ライヴを目撃された方です。ここでしか聞けない貴重な話がうかがえそう!

タワーレコード新宿店にて7月9日発売書籍『ザ・ストーン・ローゼズ:ロックを変えた1枚のアルバム』をお買い上げいただいた方に、先着でトーク・イヴェント終了後におこなわれるサイン会参加券を差し上げます。

また、7月11日以前に新宿店にてお買い上げいただいた方は、イヴェント当日書籍『ザ・ストーン・ローゼズ:ロックを変えた1枚のアルバム』をお持ちいただければサイン会にご参加いただけます。

「タワーレコード新宿店におけるクボケンさん&伊藤によるトーク・イヴェント」恒例(って、まだ2回目ですが:笑)「ジャンケン大会」による、超豪華プレゼント(クボケンさん撮影ローゼズ生写真! そしてフジ・ロックのお土産Tシャツ!)もありますので、みなさん、どうかふるってご参加ください!

2012年7月31日18時15分 (HI)

2012年7月30日

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2012年7月30日更新分レヴューです。

OONO YUUKI『Tempestas』
2012年7月30日 更新
VARIOUS ARTISTS『Ripple』
2012年7月30日 更新
SUPREME CUTS 『Whispers In The Dark』
2012年7月30日 更新
TESUSABI「生活」
2012年7月30日 更新
くるり「everybody feels the same」
2012年7月30日 更新
UHNELLYS『UHNELLYS』
2012年7月30日 更新

2012年7月23日

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2012年7月23日更新分レヴューです。

POP ETC『Pop Etc』
2012年7月23日 更新
VARIOUS ARTISTS『Footwork On Hard Hard Hard!!』
2012年7月23日 更新
ザ・なつやすみバンド『TNB!』
2012年7月23日 更新
VARIOUS ARTISTS「Witchcraft EP」
2012年7月23日 更新
BLUR「Under The Westway」
2012年7月23日 更新

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120816_nano_mugen.jpg 今年は少し遅めの開催だった印象のあるサマーソニックも終わり、「夏の洋楽」フェス・シーズンもそろそろ大団円ってな感じだが、その先陣を切って決行されたナノムゲンのエッセンスを濃縮した恒例コンピレーション・アルバムは、季節やトラックの新旧に関わらず、その素敵な輝きを失っていない(って、まだリリースから2ヶ月たってないわけで...。ポップ・ミュージック界では、時間の感覚がちょっと奇妙なことになっている...)。

 以前クッキーシーンが紙媒体で隔月刊だったころ、毎号コンピレーションCDをつけていた。聴いてくださったひとたちがどう思ったかはわからないけれど(いや、かっこつけずに言えば好評だった。それが目的で買ってくださっている...という話もときおり耳にしたり...。ありがとうございました!)、トラック借用交渉から曲順決定まで、毎号かなり膨大な時間と精神力をかけていた。単体の商品盤CDの選曲をやったり、クラブDJをやるときと同じくらいに。

 毎年『Nano-Mugen Compilation』シリーズを聴くたび、いつも当時のそんな作業を思いだす。とても大変だったけれど、楽しかった。ぼくは音楽バカだから。このシリーズの選曲者も、明らかにそうだと思う。「おお、このあとにこんな曲がくるのか!」「この流れ、意味あるね!」とか思いつつ、実に気持ちよく聴ける。クラブDJ的な選曲より「インパクト勝負」ではない分、賞味期限も長い。

 7月なかばにビッグな会場でおこなわれたナノムゲン・フェスのみならず、その前に各地のライヴハウスをまわったナノムゲン・サーキットの参加者たちによる珠玉のトラックが、CD2枚に全22曲ぎっしりつまっている。

 CD1の冒頭から(フェスとサーキット両方に出演した主催者)アジアン・カンフー・ジェネレーションにつづいて(後者に登場した)ブラッドサースティー・ブッチャーズが登場するところからして、いい意味で意表をついている。もしかするとブッチャーズって、ここに入っている洋楽バンドたち以上に「アジカンとは遠い」存在と思われているかも? まあ、ぼくはマーケッターではないので、アジカンのファン層がどんなものなのか、おぼろげにしかわからないけれど!

 3番手チャラの曲目が「オルタナ・ガールフレンド」というのも素敵だ。この(アーティストと曲名の)とりあわせは、なんとなく「理想的なアジカンのコア・ファン層(?)」にとって、すごくピンとくるのではないかとも思ったり...。ぼくはマーケッターではないので(...以下同上)。

 チャットモンチー、ザ・シェフ・クックス・ミー、80キッズ、フォノ・トーンズ(アジカン伊地知らによるバンド)、クアトロ、ストレイテナーなど、ぼくが「好き」と公言してはばからない日本のアーティストたちの音源もたくさん入っていて、まずはうれしい。そして彼らのトラックは、どれもグレイト。

 ちなみに、ストレイテナーの曲は「ネクサス(アコースティック・ヴァージョン)」。歌詞の《ここでリンクした》というフレーズが印象的だ。ぼくなどはこのタイトルを見ると、どうしてもウルトラマンネクサスを思いだしてしまうのだが(笑)、もう5年以上前になる放送当時のキャッチ・フレーズに「絆、ネクサス」ってやつがあった(nexus:きずな、結合、関連性のある一連のもの、集合体:Mac OS 10.5.8ビルトイン辞書より)。震災後、絆という言葉が使われすぎて(「言葉」を仕事にしている者としては)少々辟易してるところがあった。この曲の歌詞にも「絆」という言葉は出てこない。そういうところも、いいなと思う。

「これまで名前はなんとなく聞いたことあるかな? くらいの感じだったけれど(ちゃんと聴いたことなかったです。すみません...)このコンピを聴いて、かなり『好き』かもと思った」日本人アーティストは、秦基博、岩崎愛。こういう「発見」もあって楽しい!

 さて、ここからは、得意の(?)洋楽バンドに関する話です(笑)。

 以前このサイトでも述べたとおり、今年のナノムゲン・フェスでは、ファウンテインズ・オブ・ウェインモーション・シティ・サウンドトラックという、ぼくなどはまじで三度の飯より好きと言えるパワー・ポップ・バンド(と言えるのかな? 前者はより「ポップ」寄り、後者は「パワー」...? じゃないな、表面上オタクっぽいし...。まあ、「ハード・エッジ」寄り?)のそろい踏みを見ることができたという意味で、「洋楽フェス」としてもフジロックやサマーソニックに負けないインパクトが残せたと思う。ファウンテインズやモーション・シティの音源未体験で、「そこまで言うか? 本当にいいの?」みたいに興味を持ってくださった方は、是非このコンピを聴いてみてほしい。それぞれの最新アルバムからのリード・トラック(最もキャッチーな部類に属する曲)が、前後の流れもばっちりで入っているから。

 パワー・ポップ・ファンに人気の高いオズマ、USインディー・ファンなら要チェックのメイツ・オブ・ステイト、そして90年代のUKロック...というかブリット・ポップの立役者だったスウェードの曲も、もちろん収録。

 ジャンルがばらばらだって? そんなの気にするな! アジカンもそう思ってるかどうかは知らないけれど、ぼくはそう主張したい。あらゆる意味で。

 そして、スウェードの曲が「トラッシュ」であることもうれしかった! 実は、ぼくとしてはスウェードって(「好き」ではあるけれど)「大好き!」とまではいかない。とくに初期は「うーん、そこまで高評価に値するのかな?」とか思っていた部分もある。ギタリスト、バーナード・バトラーが脱退してからの、彼のソロ活動は「大好き!」なのだが...。この「トラッシュ」は、バーナード脱退後の曲。でも、ぼくはスウェードのレパートリーのなかで、これがいちばんのお気に入り(この曲だけ断トツで「大好き!」と言えるかも)。ふっきれたようにキャッチーなメロディーで、微妙なかっこつけも残しつつ、《単なるくずだよ/おれもおまえも》と歌われる部分に、ポップ・ミュージックの神髄の一形態が集約されているようで、しびれる。

 というわけで、聴きどころだらけの名コンピレーション。ナノムゲン・フェスやナノムゲン・サーキットに行けた人はもちろん、行かなかった人だって、「洋邦問わず幅広い、(オルタナ...いや、オルタナティブな)いい音楽にふれてみたい」という向きには、強烈にお薦めしたいアルバムだ。

 

(伊藤英嗣)

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FUN.jpg アリゾナのインディー・バンド、ザ・フォーマットの解散後にヴォーカルのネイト・ルイスが新しく組んだファン(Fun.)がここまでの成功を収めるとは。まずは、全米で俄かには信じられないほどの大ヒットを記録した「We Are Young」。プロムとか、ヒット・チャートのポップ・ソングばかり流れるクラブとか、あるいは学校からの帰り道に二人で歩く夜の道とか、そういうシチュエーションばかりが頭に浮かんでしまう超青春アンセムだ。ミーカ顔負けのキャッチーなアンセム、ただしミーカのような暗部はまったくなし、軽薄と言ってしまえばそれまでだが、これを全力で楽しめなくてどうするの、とわたしは思う。どんな時代であろうが、青春は永遠に青春であり続けるし、そのためのBGMはいつだって彼らのようなポップ・アクトが作り上げてきた(そして手ひどい批判を受けなりなんかする)。だが、すこし考えてみてほしい。彼らの書いている曲はとてもパーソナルな体験に基づいているように聴こえるし、ファンタジーとリアルの"とっても魅力的なあいだ"のことを歌っていて、そこに嘘はない。そういう意味ではヴァクシーンズやグループラヴとだって、共鳴し得るバンドだ。

 約1年前のアメリカのフェスの動画を観たときに、けっして多いとはいえない観客の前でネイトは声を張り上げて「We Are Young」を歌っていた。カニエ・ウェストのライヴに漂っているようなリッチな悪臭なんかぜんぜんなかったし、とても潔く爽やかで、同時に泥臭く牧歌的な光景だった。わたしは日本のポップ・アクトが青春をまったく正しく表現しないことにかなりがっかりしていた。恋愛には必ず悲哀がついてまわる。だが、その表層的な部分だけ取り上げて、結局自分のための歌しか歌わないような人ばかり日本ではレーベルと契約を結ぶ。妄想も含めて、恋愛は底なしにハッピーでアホになれるから最高なのに。そういうフィーリングを感じようと思ったら、これからはファンの『Some Nights』を聴くのがベストだと思う。「We Are Young」以外の曲もクオリティが高い(余計なヴォーカル・エフェクトとやたらに大仰なサウンドは愛嬌ということで)。何だかミュージカル映画のサントラみたいに聴こえないこともないけれど。

 こういうのを聴くと、アメリカもまだまだ元気でやってくれよな、と思う。ジメジメとした暗めのカルチャーはイギリスと日本だけで十分だ。アメリカのカラッとしたオールライトな空気がときどきは恋しくなるから。隅々まで楽しいアルバムです。是非。

(長畑宏明)

 

 

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Gorge Out Tokyo 2012.jpg 最近ネット上で話題の"ゴルジェ(Gorge)"は、インド~ネパール山岳地帯のクラブシーンで生まれた音楽だそうで、クライミング・カルチャーと深い関わりを持っている(蛇足だが、ゴルジェと同じスペルを持つ"ゴルジュ"という登山用語がある)。そんなゴルジェのオリジネイターとしてリスペクトされているのが、DJ Nangaなる人物。DJ Nangaが言うには、《Use Toms(タムを使うこと)》 《Say it "Gorge"(それがゴルジェと言うこと)》 《"Don't say it "Art"(それがアートだと言わないこと)"》という3つのルールによって形成された"GPL(Gorge Public License)"に準拠している音楽を、ゴルジェと呼ぶらしい。ゴルジェを鳴らす者は"ゴルジェ・ブーティスト"と呼ばれ、日本はもちろんのこと、アルゼンチンのMVVMやカナダのシアターXなど、"ゴルジェ・ブーティスト"は世界中に存在している。そして、そのゴルジェ・ブーティスト達が一堂に会したコンピレーション・アルバム、それが『Gorge Out Tokyo 2012』である。

 ゴルジェを初めて聴いたとき、中低域を強調した独特な音像と、過剰とも言えるウォブリーな歪みから、『Degenerate』期のヴェクスドの音を発展させたような音楽? と思ったりもしたのだが、その後ゴルジェと呼ばれる曲をいろいろ聴いていくと、実に多様な要素を伴った音楽であることがわかってきた。それは本作も例外ではなく、アレックス・パターソンのヴォイス・サンプリング・センスが憑依したようなウッチェリ「Dead End Gorge」や、シャックルトンの呪術的グルーヴを想起させるハナリ「Gorge is Gorge」、さらにはジャジー・ゴルジェと呼べる風合いに仕上がっているソビエツキー・ブレジネフ「La La Gorge」といった曲もあるなど、"バラエティー豊かな"という次元を遥かに超越した、言ってしまえばメチャクチャなコンピレーション・アルバムである。そもそも、先述の"GPL"を守りさえすれば何でもゴルジェと呼べるだけに、本作が"何でもあり"な作品となってしまったのは、必然といえば必然だ。ノイズ/インダストリアル・ミュージックとして解釈したほうがわかりやすい曲が多いという点では、ある程度の共通性を見いだせなくもないが、「それぞれのGorgeがそれぞれの場所と、それぞれの人にある」と、DJ Nangaがインタビューで語っているように、ゴルジェとは特定の音楽性を指すジャンル名ではなく、思想のようなものではないか。ジョー・ストラマーの名言をもじった言い方をすれば、"ゴルジェ・イズ・アティチュード"なのかもしれない。

 と、ここまでゴルジェと本作について書いてきたわけだが、実はゴルジェ、一部の人のあいだではマッチポンプ、つまり自作自演の音楽ではないかという声もある。正直筆者も、マッチポンプではないかと疑っている。だが、それがどうしたというのだ? 仮にゴルジェが虚構の積み重ねで作りあげられたものだとしても、面白い音楽がそこにあるという事実に変わりはない。それだけで十分だと思うのだが、どうだろう? 「人間とは精神である。精神とは自由である。自由とは不安である」というキルケゴールの言葉があるように、人間とは依拠できる"規定"や"決定"、いわゆる"絶対的なもの"を常に求めているし、虚構であるというだけで偏見を抱いてしまいがちだ。しかし、そうした偏見を捨て、良いものは良いと認めてしまえばいい。実際にゴルジェという音楽は、とても興味深いものなのだから。

 

(近藤真弥)

 ※本作は《Gorge In》のバンドキャンプからダウンロードできます。

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FOUR TET.jpg アラン・リクトの『Sound Art : Beyond Music,Between Categories』は今読んでも、発見が多いどころか、サウンド・アート研究の中でも特筆に値するものだと思う。2010年には邦訳書(『サウンドアート―音楽の向こう側、耳と目の間』監修:木幡和枝、訳:荏開津広、西原尚/フィルムアート社)も出ているので良ければ、参考にしてほしいが、音がそのまま聴覚的なものへ、映像が視覚的なものへと連結するのかという「当然」への疑義を呈しながら、時間軸の中で作品そのものの概念性の把握、状態性へフォーカスをあてる。この書では、ジョン・ケージ、池田亮司、サーストン・ムーア、スティーヴ・ライヒなどカテゴリーを越える多岐に渡るアーティストが取り上げられ、アートとしてのサウンドの「フレーム」を巡る考察を深めてゆくインスパイアも受ける。

 ロンドン出身のキエラン・ヘブデンのソロ・プロジェクトたるフォー・テットの00年代の駆け抜け方は鮮やかだった。元々、彼はポスト・ロック・バンドのフリッジでギタリストとして属していたのだが(注:現在は活動停止状態)、99年のフォー・テット名義でのファースト・アルバム『Dialogue』から、その実験性と先鋭的な在り方は注視を集めることになる。その後も、ジャズ・ドラマーとのセッションからブリティッシュ・フォークとエレクトロニカのエクレクティズム、フォークトロニカという音像の生成からレディオヘッド、ブロック・パーティー、エイフェックス・ツインなどのリミックス・ワーク、DJまで実に幅広く、ときに、スキゾに動き、更には、2010年の『There Is Love In You』では、ロマンティック且つビートと電子音の美しさに拘った開かれた転機作になったのも記憶に新しい。昨今では積極的にダブステップへの近接の意識とともに、ブリアルとコラボレイトし、独自のサウンド・メイクを魅せ、これまでのキャリアの来歴もさることながら、何より今時点のアクションに世界から多くの反響が寄せられるアーティストになっている。

 この度、自身主宰のレーベル《Text》からリリースされた『Pink』は前アルバム以降に12インチのヴァイナルで出されていたトラックをコンパイルし、なおかつ新曲の「Lion」、「Peace for Earth」が収められた企画、編集盤的な様相が強いが、アルバムとしての総体は進行形の熱量を保った内容になっており、アウト・オブ・ストックになっているものもあるので、ファンのみならず、フォー・テットの新作としても聴くことができると思う。性質上、これまでになくフロア・コンシャスでありながらも、ヘッド・ミュージックとしての機能性と美しさがあるのは唸らされるのと同時に、ミニマルにストイックに刻まれるビートに被せられる絶妙なウワモノ、そして、リズムの込み入り方もそうだが、叮嚀に細部まで美意識が行き届いているのは流石だといえる。

 なお、新曲に関してだが、「Lion」は淡々とした始まりからじわじわとパーカッシヴにトライバルな盛り上がりをしてゆくものの、そこにはオリエンタルな馨りよりも、いささかキュリアスなムードが漂うのも彼らしい機知が見える。「Peace For Earth」はタイトル名通りといおうか、アンビエント色の強い穏やかなトラックで電子音の粒子がドリーミーで優美な11分を越えるもの。

 この作品で感応できる反復と柔らかな差異、そこにはソニマージュ的にある種の視覚効果をもたらせながら、サウンド・アートとしての「それ」を思わせ、平面的なフレームを跨ぐ立体位相が浮かび上がる。しかし、「それ」をまた翻してくるのが彼なのだとも感じる新しい次への予感に満ちた過程作だという気がする。

 

(松浦達)

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LEGGYSALAD.jpg レギーサラダ(LEGGYSALAD)とはkevin mitsunagaによる電子音楽ユニットであり、彼は佐藤純一(FLEET)とyuxuki waga(s10rw)とともに、ブロードバンド前世代~ニコニコ動画ボカロ世代~ネットレーベル世代というインターネット3世代によるユニットfhána(彼らの初公式音源となった傑作アルバム「New World Line」についてはまたどこかで書きたい)のメンバーとしても活動している。

 レギーサラダにとって初のCD作品となる同作は、ビート・メイカーのSeihoによる「惑星への小旅行」をコンセプトにした、関西を中心にスタートしたインディペンデント・レーベル《Day Tripper Records》からリリースされた。このレーベルは「ダウンロード配信が主流の今こそ、あえて物として、手触りまでをも楽しめる作品を。」をコンセプトに、ネットで活動するアーティストの音楽をフィジカルにリリースしている。

 それではこのアルバム『Verda Planedeto』について考えてゆこうと思う。

 このアルバムのテーマが「切断」にあることは間違いないだろう。流れるように美しい旋律を奏でてゆくピアノ、深く優しくたゆたうストリングス、柔らかに棚引くシンセサイザー、様々な場所から抜き取られたボイス・サンプル、他にも数多くの音がそれぞれの連続性の中から細かく切り出され、空間に配置されている。その散らばった音の破片たちは時に音のレイヤーを形成し、時に自在に空間の中を飛び交い、まるで森の木々の葉の隙間から零れる木漏れ日のような、まさに『Verda Planedeto』(エスペラント語で「緑の惑星」)と呼ぶにふさわしいサウンドスケープを獲得している。

 『Verda Planedeto』にある無数の音の破片は極めて多様な表情を見せながらサウンドを組織し、また解体する。切断された音たちは反復する音の中に繋ぎとめられることによって新たなメロディを生み出しているだけでなく、「Reminiscences」におけるピアノの音のように沈黙と接続されることによって、メロディならざるメロディを形成し、滑らかなビートとともにグルーヴを創出することもある。いまや世界を席巻していると言っても過言ではないチルウェイヴを彷彿とさせるシンセ・サウンドから始まる「Sleeping Beauty」ではデデマウスを彷彿とさせるボイス・サンプルを用いているが、デデマウスのそれとは異なり、より空間に同化してゆくような使い方がなされており、あくまでばら撒かれた音の一つとして他の音たちと有機的に絡み合いながら曲を形作っている。「Awakening」をはじめとした、このアルバムで鳴っている電子音はアイ・アム・ロボット・アンド・プラウドのような聴き手を包み込むような暖かさを基調としながらも、時にマウス・オン・マーズにおけるそれのようなアグレッシヴな瞬間をちらりと覗かせることもあり、ばらばらに飛び交っているように聴こえるが、よく耳を・キませてみるとそれぞれの音の粒子が丹念に磨かれ、非常に巧妙に空間に配置されていることがわかる。また、ストリングスや、ピアノ、アコースティックギターなどの生音の反復が奏でる清涼でかつ喜びに満ちたメロディと確かな質感はスティーヴ・ライヒをはじめとするミニマル・ミュージックを思わせる。参照のためにざっと挙げたアーティストたちからもわかるように、このアルバムには非常に多くの文脈から構成されたエレクトロ・ミュージックの歴史が刻みこまれている(アンビエント・ミュージック、ミュージック・コンクレートの文脈からこのアルバムを聴くこともまた可能であろう)。この若さ(kevin mitsunaga は1990年生まれである)で意識的か無意識的かこれだけの情報量をつぎ込まれたものが、押しつけがましさや過剰さが一切感じられず、ナチュラルな形でまとめられていることに新世代の鮮やかな息吹を感じずにはいられない。

 私はこのアルバムのテーマは「切断」であると書いた。しかし、実はこのアルバムを通して聴けば分かるように、一曲一曲の切れ目は非常に曖昧であり、そこにはある種の「連続性」を感じることすらできる。また、とある音の断片が、それが最初に配置されていた曲とは異なった曲に再度配置され、その断片が基調となってまた違った展開が生成される、といった試みがなされている。このアルバムの中に点在する音の断片たちは出現と消滅を繰り返すのであるが、それが消滅するたびに新たな音楽を奏でるきっかけとなっており、ここにもまた一つの「連続性」が存在しているように思える。これらのことからわかるように、このアルバムは「切断」を基調としながらも最後にはある種の「連続性」に至っている。この相反する二つのキーワードが互いに絡み合い、空間に散りばめられた音の粒子たちを鮮やかに輝かせていることは、このアルバムにとって、そして音楽にとって極めて幸福なことのように思えてならない。

 

(八木皓平)

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NOVELLA.jpg 60年代サイケデリックを思わせるジャケット。しかしアメリカや日本的なイラストが描かれている。そういったところに今っぽさを感じるというか、例えるならグライムスのジャケットほどではないが、似たものを感じる。

 ローファイなサウンドでひたすら聴き手を引っ張っていくロンドンのスリー・ピース・ガールズ・バンド、ノヴェッラによるファースト・ミニ・アルバムである本作は、鮮烈極まりないフレーズを次々と繰り出し、キュートな歌声と相まって実に快楽的だ。メロディ・ラインのところどころにはブラーの『Modern Life Is Rubbish』やオアシスの『Definitely Maybe』、ストーン・ローゼズやビートルズを思わせるものがあり、決して新しくはないのだが(僕は新しさを価値基準にしていないが)、ブリット・ポップをガレージ・ロックに落とし込んだ音楽性が爽快に響き渡る。これがなんとも心地いい。

 技巧に長けたドラムが駆け抜け、痛快に鳴らされるノイジーなギター・サウンドには抑制の美があればダイナミックでもある。ラモーンズやヨ・ラ・テンゴの要素も強くあり、彼女たちは国や年代に囚われず、自由奔放に音の中で弾けている。いわば、とても今日的な音楽だ。

 特筆すべきは2曲目の「He's My Morning」。変拍子を交えたこの曲は、聴き手をずるずると引き込むような妖しさがある。「ただのガレージ・ロック」と言われかねない音楽性をからかうように自分たちの豊富な音楽体験を音楽に反映させ、それをあっけらかんとやってのけてしまうのが、ノヴェッラの真骨頂だろう。スーパーカーの『スリーアウトチェンジ』から青春の匂いがするように、このバンドも青春という、どこへでも行ける、未来は開けている、という感覚を持っている。そこにおける無邪気っぷりは素晴らしい。

 本作を「ただのガレージ・ロック」とだけ評するリスナーはいないであろう。このバンドにとって最も重要なことは、気だるいメロディと輝くメロディが交差する中で、歌声にギター・ノイズを絡ませるという、好きな事を好きなようにやるということだ。結局、それだけなのだ。が、しかし、衝動という言葉は似合わなく、彼女たちの場合、豊富な音楽的バック・グラウンドがあり、自然に滲み出ているがゆえの奥の深さがある。ギター・バンドにとってジャンルの交差の先に見える新たな景色を映し出してくれそうな音の鳴りが聴こえてくるのだ。プライマル・スクリームのような道を歩めるバンドだと思うし、そうなってほしい。ライヴ映像を観る限りだとスリッツになれる可能性も十分ある。

 バンド名と本作のタイトルは「短編物語」という意味。ゆくゆく発表されるであろうフル・アルバムはどんな長編になるのか気になるミニ・アルバムだと言えると同時に、ギター・バンドという枠で音を聴かせないギター・バンドだと言える。

 

(田中喬史)

 

【筆者注】JET SETTHE STONE RECORDSにて販売中。

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今回の「表紙」にフィーチャーされたのは、実に短いスパンを再来日を果たし、アジアン・カンフー・ジェネレーション主催NANO-MUGEN FES.に出演するファウンテインズ・オブ・ウェインです。もちろん最新アルバムについても聞いている、彼らのインタヴュー記事は、ここ

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2012年7月12日17時35分 (HI)
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