伊藤英嗣: June 2012アーカイブ

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こちらでお伝えした件、無事終了。盛りあがりました。ご視聴いただいたみなさん、ありがとうございます!

今後も、いろんな形のユーストリーム放送をつづけていきたいと思います。よろしくお願いします!

2012年6月13日14時39分(HI)

2012年6月11日

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2012年6月11日更新分レヴューです。

DAMON ALBARN『Dr Dee』
2012年6月11日 更新
柴田聡子『しばたさとこ島』
2012年6月11日 更新
FRANKIE ROSE『Intersteller』
2012年6月11日 更新
SLOW MAGIC『▲(Triangle)』
2012年6月11日 更新
DR. JOHN『Locked Down』
2012年6月11日 更新
JUNIOR HIGH『Junior High』
2012年6月11日 更新

2012年6月4日

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2012年6月4日更新分レヴューです。

KINDNESS『World, You Need A Change Of Mind』
2012年6月4日 更新
KEANE『Strangeland』
2012年6月4日 更新
JACK WHITE『Blunderbuss』
2012年6月4日 更新
H MOUNTAINS「Sea」
2012年6月4日 更新
KIRA SKOV『KIRA Sings Billie Holiday』
2012年6月4日 更新

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『The Silk Road』.jpg 「面白いことはみんなここ西海岸で起こっている」とは、《Magniph》のインタビューにおけるバーン・オウルの発言だが、そのUS西海岸の盛り上がりを代表するレーベルといえば、アマンダ(LA・ヴァンパイアズ)/ブリット・ブラウン夫妻によって運営されている《Not Not Fun》であり、姉妹レーベルの《100% Silk》だ。

 エクスペリメンタルなドローン/アンビエント作品が多い《Not Not Fun》に対し、《100% Silk》はダンス・ミュージック路線を強く打ち出した音源をリリースしている。主にインディー界隈からの反応が多い《100% Silk》だが、カタログの大半はハウスである。そう、いまやハウスの更新を促しているのはインディー・ミュージックなのだ。そんな《100% Silk》のダンス・ミュージックは、80年代後期~90年代初頭の熱気を帯びたバレアリック精神、そして開放的なエネルギーに満ち溢れた明朗快活なものだ。

 『The Silk Road』は1000枚限定のコンピレーション・アルバムで、日本独自企画盤となっている。監修をアマンダが務め、それをブリットがサポートする形をとっている。基本的には《100% Silk》印のインディー・ダンス・ミュージックを収録しているが、シカゴ・ハウスのエロティシズムを感じさせる曲もある。それが明確に表れているのはフォート・ロメウ「Say Something」、LA・ヴァンパイアズ・バイ・オクト・オクタ「Found You」といったところだろう。そして、呪術的ヴォーカルが美しいマリア・ミネルヴァ「A Love So Strong」のように、"飛ぶ""ハマる"といった意味での"踊る"を鳴らす曲もある。こういった具合に、本作にはダンス・ミュージックのあらゆる要素が詰まっている。

 驚いたのは、マジック・タッチ「Clubhouse」が収録されていること。この曲は、ミラクルズ・クラブのハニー・オーウェンスが参加したレイヴィーなトラックだが、スロウなハウスが多い本作のなかでは少々浮いている。昔《Avex》が出していた『Super Club Groovin』シリーズに収録されていてもおかしくないというか・・・。つまりジュリアナ系に近い。ローズ・オブ・アシッド、ジニー、L.A.スタイルを想起してしまう疾走感。こういう意外性も《100% Silk》の面白さだ。

 本作を聴くと、アマンダは流行を意識した最先端指向者ではなく、あくまで自分の感性に従う自己信奉者であることが分かる。それは、元々はライターという"言葉の仕事"を目指していたアマンダが、ポカホーンティットでのノイズ/ドローンを経て、ミラーボールが煌めくダンスフロアに辿り着いたことからも明白だ(このアマンダの遍歴は、言葉から離れようとする音楽が増えた"今"を語るうえでも重要)。こうした従来の価値観ではありえない文脈が平然とシーンの潮流になる。それがテン年代以降の音楽なのだ。この事実をアマンダは、自ら急先鋒となって繰り返し主張する。すべての音楽がフラットになった今だからこそ、自分の感性を信じ、音楽に触れ、愛すること。

 Let's make a new history!

 そんな情熱に満ちた志が《100% Silk》にはある。

 

(近藤真弥)

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AOKI LASKA.jpg  今のアオキ・ラスカを位置づけるとしたら、どこになるのだろうか。スパングル・コール・リリ・ラインのようでいて別物だ。フアナ・モリーナや畠山美由紀を思わせるところもあるが、アルバム全体を通して聴けばそれも違う。フォークトロニカやトイ・ポップ、ポスト・ロックを思わせるところもあり、彼女はファースト・フル・アルバムにして、様々な音楽性を飛び交い、どこにも位置づくことのない場所に立つことを選んだ。

 デビュー・ミニ・アルバム「About Me」と同じく、フォーク・スクワットの平松泰二がプロデュース、録音、ミックスを手掛けた本作『It's You』。ここには飛び跳ねることなく、めいっぱい笑顔を見せるでもなく、今の自分と向き合っている歌がある。とても自然に自由に歌をうたう喜びを噛みしめながら、自分を存分に表現する歌。そこには邪気も無邪気も何もない。素直という言葉が最も適している歌声をシンガー・ソングライター、アオキ・ラスカは謳歌する。顔と首にペイントしたジャケットにあるように。その素直で透明感のある歌声には曇り空を吹き飛ばす力があり、強い雨に打たれてもかまわないという言葉が聞こえてきそうだ。

 その強さは彼女の不遇の時期が反映されているのかもしれない。彼女には、自主制作でCDをリリースしたが、反応は芳しくなく、音楽やり続ける気力をなくした時期があった。当時を振り返り彼女は言う。「音楽がなくなったらどれだけ毎日楽しいだろうと思ってた。歌うことがつらくて。」(ライナーノートより)。しかし、アオキ・ラスカはそんな時期を乗り越えた。どん底の状態だった5年前に作った曲「流れる」が本作のラストに収録されているのは、自分の過去を潔く受け入れているということなのだろう。実際に「流れる」での繊細さと強さ、そしてわずかな刺を持つ歌声とメロディはしなやかに辺り一面に広がっていく。楽曲構築に関してもミニ・アルバム「About Me」よりも空間の広がりがあり、ピアノの調べの美しさはそのままに音数も増え、しかしそれらは歌声を邪魔せず、アオキ・ラスカがステージの真ん中で堂々と歌う姿が目に浮かぶ。

 本作には鼓膜を穏やかに揺らす歌はない。あまりにもあっさりと刺激する。例えば「物語」での無音の寂しさと遊園地にまぎれ込んでしまったような音世界の右往左往を優美に聴かせる音の鳴りと歌。「ひとつになりたい」での朗らかな歌声と、ふと、ひるがえる、泣いているような歌声。彼女の闇と光の部分が交差し合い、時として触れればすぐさま崩れてしまうような危うさ。だが崩れない強さ。音世界にすっと聴き手を吸い込む神秘的な音の鳴り。そして闇と光のある歌詞。闇がないところに光は宿らず、光を照らせば影が生まれる。こころの影が。アオキ・ラスカの歌詞世界のそういったところに魅力を感じる。

《きてみて/特別なきみがみえる、よ/まちがいだらけで立ってる/ずっと/それでもいいから/うたおう/ずっと/もう、いいよ/さあ、行こう/さあ》(「みてみて」)
《言えない言葉わかって/知っていいよ/好きなだけ》(「Kiseki」)

 僕らはアオキ・ラスカを知るのが遅すぎたのかもしれない。でもこれからきっと彼女と多くの人が出会うだろう。

 希望的なものと哀しさの同居。光と影。それらは歌声にも表れている。感覚を大切にする彼女は、本作で歌の巧さより感情を重視した。その歌はささくれ立ったものだ。ここにあるのはアオキ・ラスカの感情という闇をまとったファルセットによるディストーションであり、自身の感情の暗部を見詰めたがゆえに見付けた光がある。その音はたとえ些細なものだったとしても、あまりにも眩しく輝いている。その輝きは何なのか。自分自身の声が「あなた」に届いてほしいと願う彼女の歌声を聴けば、"It's You"、それが答えとして響き渡る。そうして僕らは本作に内在する、静かに染み入ってくる影の存在に気付かされる。それはいたく沁みる。

 

(田中喬史)

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BIO TOLVA.jpg 「奇作」という表現ほどこのアルバムにふさわしい言葉はないだろう。しかし、このアルバムは一聴した瞬間に、「これはなんて奇妙なんだ」と思うようなものではない。むしろストレートなポップ・ミュージックとして広く受け入れられても全くおかしくはない。「一体どこが奇妙なのかわからない」という声すらこのアルバムを聴いた人々の口から聞こえてきそうですらある。だが、やはりこのアルバムの魅力を語る際に「奇妙」という言葉を外すことはできない。普通に聴いていると、北欧の名だたるアクトたちによる音楽との程良い類似を見せながら、それを巧みに組み合わせることによって作られた音楽である、というように簡潔にレジュメする事ができそうだ。聴者はそのようにしてこのアルバムの内容から、各々が体験してきた様々な種類の音楽を連想するだろう。我々はその音の由来を探るために、自分たちの記憶を探ってゆく。しかし、その記憶の探求は断ち切られる運命にある。それは他ならぬアルバムから放たれる音楽によって断ち切られるのだ。確かに聴いたことがあるはずなのだがそれを探ろうとしても必ず失敗してしまう。聴けば聴くほどその音が不可解な物に感じられてしまい、最後にはゲシュタルト崩壊を起こす。なぜこのようなことが起こってしまうのか、その原因を考えてゆくことによってこのアルバムが持つ不可思議な魅力を伝えたいと思う。

 オフィシャル・サイト/CD帯のコメントにも書いたようにビオ・トルヴァのデビュー・アルバム『Chiaroscuro』のサウンドは「記憶の衝突劇」と呼ぶのにふさわしいものとなっている。シガー・ロスの深遠な音響、散りばめられるムームのような細やかなサンプリング、ゴールドムンドの静謐な旋律といった北欧のアーティストの様々なサウンドがそこから聴き取れるだけではなく、スティーブ・ライヒのようなストリングスや、時には映画音楽のような壮大なスケール感をそこに見いだすことも可能だろう。ここにあるのはビオ・トルヴァ―これは牧野圭祐のソロ・プロジェクトである―が体験してきた音楽の記憶であり、それがある時はそのまま抜き出され、ある時は複雑に絡み合って構成されている。そしてビオ・トルヴァのオリジナリティ=奇妙さはその記憶の抽出/再構成する方法にこそある。

 記憶とは極めて曖昧なものである。自分がかつて体験したことがある物事を思い出す際、我々はそれを再構成する手段を持たない。どんなに正確に記憶を掘り起こしていってもそこにあるものは、我々が空想で足りない部分を補ったものであり、真実とも虚構とも言えないものだ。思いだそうとすればするほど記憶の迷宮に入り込んでゆき、そこから抜け出るために、欠如した部分を虚構によってまた埋め合わせる。この繰り返しによって記憶は虚構に浸食されてゆく。

 ビオ・トルヴァは他のどんなアクトにもましてその曖昧な記憶を追い求め、それを頼りに音を作り出した。だから虚構に浸食された記憶が放つ煌めきと歪みが、このオリジナルで圧倒的に「奇妙な」音楽を生み出しているように感じられ、それがゲシュタルト崩壊の原因となっている。そういう意味において崩壊寸前と言っても良いこのサウンドは、世間的には「北欧的なサウンド」「ポストロック」「ポスト・エレクトロニカ」などと呼ばれるであろうこのアルバムが、それらが該当する凡百のアクトと全く異なる場所に位置していると考えるのはそのためである。

 先ほど「崩壊寸前」と書いたが、それはあくまで「寸前」であり崩壊に至る前にギリギリの状態でつなぎ止められている。ではビオ・トルヴァの音をつなぎ止めているものはなんだろうか。それは6組のゲスト・ミュージシャンたちによるボーカルによってである。ここでは彼らの名前を挙げるだけにとどめておくが、Junko Minato、Bertoiaのmurmur、Anriettaのkokko、唯一の男性ボーカルであるusのShota Osaki、《Kilk Records》所属のアーティストであるukaやferriたちの歌声によってこのアルバムに納められた楽曲たちは崩壊を免れている。というよりも、そのヴォーカリストたちへの信頼が牧野にこのようなトラックを作らせたのだろう。彼らによるヴォーカリゼーションと牧野の手によるトラックの幸福な出会いがこの極めて奇妙な楽曲たちを優れたポップ・ミュージックとして昇華させている。

 「奇妙」「崩壊寸前」などと少々物騒な言葉でこのアルバムを言い表してきたものの、このアルバムが最終的に我々に与えるフィーリングは極めてポジティヴなものであるということを最後に書き留めておきたい。それは田中佑佳が手がけたこの素晴らしいアルバム・ジャケットにも現れているように、雨の中、華麗に踊り続けるようなフィーリングだ。このアルバムを最後まで聴き通したとき、頭の中に浮かんだのは「雨に唄えば」のジーン・ケリーが土砂降りの雨の中で、ダンスをしながら「雨に唄えば」を唄うあの、有名な一場面だ。そしてその歌詞の一節が見事にこのアルバム『Chiaroscuro』の気分を反映しているように思えたので、最後にその部分をここに挙げてこのレビューを終わらせたいと思う。

《Come On With The Rain / I've A Smile On My Face / I Walk Down The Lane / With A Happy Refrain / Just Singin' / Singin' In The Rain》(「Singin' In The Rain」)

 

(八木皓平)

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rega.jpg  「言い方悪いんですけど、ちょいダサいみたいな感じだったんですよね、前作は。そういうのを今回はカットして、あとメンバー間のコミュニケーションが密になった分、(曲や演奏が)男同士の会話みたいになって、カッコの付け方が前とは変わりました」(Ba. 青木昭信)

 東京を中心に活動する4人組インスト・ロック・バンド、レガ(rega)。傑作アルバム『Lyrics』を経て1年8ヶ月振りに彼らが発表した待望の新作は、そう、前作までのレガとは大きく変わったのだ。スポンジのように新しい要素をグングン吸収しながら発展し続ける彼らの魅力が詰まっている1枚。絶妙かつ巧妙なアレンジに磨きがかかり、浮遊するギターがますますかっこいい。

  「今回も基本、レコーディングは一発録りなんですが、一曲だけクリック使った曲('cobweb')があるんですよ。エンジニアさんが提案してくれてやってみたら、新たな発見がありました。あと今回はギターを重ねたりもしましたね」(Dr. 三宅隆文)

 そういった前作との違いもありつつ、やはり、もっと内面的な変化が今作には大きく影響しているようだ。

  「前作の時はがむしゃらだったんですね。(Gu. 四本)晶がバンドに入ったばっかりで...。多分、晶が一番しんどかったと思うんですけど、それまでのレガに対するイメージもあって、これからどうすべきか? っていうところで凄く考えて。そこから1年8ヶ月晶と一緒にいて、彼自身がレガでやるべき事、やりたい事が明確になってきて、それを彼以外の3人が受けて話し合うことで、今回は作品にしていきました。バンドの中での人間関係を築き上げてきたことが今回のアルバムに大きな変化をもたらしてますね」(青木)

 そんな綿密なコミュニケーションから生まれた今作。アルバム・タイトルはどこから? SALTじゃなくSOLTなのは何故?

  「直訳すると、良い塩梅の、塩梅。今回は前回よりも足下が固まってきたので、良いバランスでやりたいっていう思いがあって、そう考え出したらアルバムということを意識した作品を作れるぐらい余裕が出来て、結果良い塩梅で作れたんです。その、塩梅っていう日本語から『SOLT&PLUM』になったんですが、そのソルの綴りを変えて、太陽のSOLにしてます。これは、毎日の生活が基盤になって、その生命力みたいなものの中で、毎日良いものを良いバランスで選んでいきたいっていう気持ちから、ですね」(青木)

 彼らの作風はパンク・マインドを抱えつつ、構築的なソングライティングと圧倒的なインストゥルメンタル・スキルでクラブ・ミュージックやフュージョン、そしてロックと向き合った、耳触りの全く新しいサウンドであり、それは幾多の試行錯誤や熟成期間があってこそのもの。ライブ感溢れるサウンドの中、彼らはしなやかに、かつ軽やかに躍動する。
「次の作品は、また違った風になると思う。もっと何か踏み込みたい。踏み込むっていうか...素直にやればそうなると思う」(Gu. 井出竜二)
 

  今後もさらなる発展が期待出来そうだ。

(粂田直子)

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ミタメカマキリ.jpg いま日本のインディー・ミュージックが面白い。まあ、筆者が声高に叫ばなくても、早耳リスナーであるあなたなら既にご存知かもしれないが、そんな日本のインディー・ミュージックのなかでも長野が興味深い動きを見せている。沖に娘あり、洞などを擁する《これレコード》周辺や、確かな演奏技術に根ざした奇天烈ガレージ・サイケを鳴らすベガ星人など、面白い音が続々と生まれている。そして長野にあるライヴハウス《ネオンホール》では、県外で活動するバンド/アーティストをゲストに迎えたイベントが連日開催され、地元の音楽リスナーに面白い音を紹介しつづけている。このように長野では、オーガ・ユー・アスホール(彼らも長野出身)以降と言える状況が出来つつあるようだ。

 その長野から新たに出てきた面白いバンド、それが男女混合の4人組であるミタメカマキリだ。筆者がミタメカマキリを知ったキッカケは、《ネオンホール》で販売されている『にじますとしろくま』というコンピレーション・アルバム。数多くのバンド/アーティストが参加しているなかで、初期XTCやフォールズを想起させるミタメカマキリのポップ・サウンドは一際異彩を放っていた。

 これまでミタメカマキリは「デモCDR1」「デモCDR2」という自主制作盤をリリースしているが、「デモCDR3」ではミタメカマキリの特徴である前のめりなグルーヴと演奏力がまたひとつ上のレベルに達している。さらにキャッチーなメロディーも色気を漂わせるなど、本作はミタメカマキリの進化を示すものとなっている。

 そして、躁状態で突っ走るヴォーカルにも磨きがかかっている。デヴィッド・バーン、アレックス・オンスワースを彷彿とさせるヴォーカルはミタメカマキリにとって大きな武器のひとつだと言えるが、リズミカルに吐き出される焦燥的歌詞と相まって高い中毒性を生み出している。語感の良い言葉とバンド・アンサンブル。このふたつが絶妙に交わるミタメカマキリの音楽は、文字通りクセになる。

 

※本作はライヴ会場とJetSetで販売しています。

 

(近藤真弥)

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