LANA DEL REY『Honeymoon』(Polydor / Interscope / Universal Music)

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 だいぶ前の話になるが、キム・ゴードンの回想記『Girl In A Band』を読んだ。サーストン・ムーアやコートニー・ラヴなど、これまでキムが関わってきた人たちについて書かれたもので、ユーモアと優しさにあふれるキムの人柄が伝わってくる良書。


 その本でキムは、ラナ・デル・レイにも言及している。なんでも、ラナはフェミニズムが何たるかをわかってないとのこと。これはおそらく、ラナがFADER(フェーダー)のインタヴューでおこなった、フェミニズムには興味ないという旨の話を指している。確かにラナの発言は、〝フェミニズム〟を大雑把にとらえすぎなところがあると思う。とはいえ、そうした乱暴さが魅力的な表現に繋がることも事実。音楽も含めた表現の役割のひとつは、現実では実現できない世界を表出させることだが、そんな表現の特性をラナは存分に活かしている。


 それは、4作目となる本作『Honeymoon』を聴いてもわかるはずだ。これまで以上に倒錯的かつ依存度が高い関係性を描き、妖艶な雰囲気を漂わせるサウンドスケープは、甘美なメランコリーを醸している。どこまでも耽美的で、どこまでも自己破壊的。こうした世界観を〝尊崇〟の次元にまで昇華して表現する手腕は、もはや達人の域だ。これは、物議を醸す発言も含めて、一種の芸と言っていい。ラナがどんな背景を持ち、いかなる考えの持ち主なのか、ラナの作品においてはそれほど重要じゃない。もちろん、倫理や道徳、教訓といった領域も関係ない。そんな100円ショップに売ってそうな3点セットはクソ食らえ、とでも言いたくなる豪胆さが、本作の根底にはある。その豪胆さに依拠した姿勢は言うなれば、〝芸術のための芸術(l'art pour l'art)〟。19世紀のフランスで用いられはじめたとされるこのスローガンは、本作にこそ相応しい。ラナも2曲目「Music To Watch Boys To」で、こう歌ってみせる。



〈抑制する必要はない 慣習を壊すためにここにいる(No holds barred, I've been sent to destroy, yeah)〉(「Music To Watch Boys To」)



 とはいえ、サウンドが破壊的かと言えば、そうじゃない。ひとつひとつの音は繊細で、聴き手の性感帯をなぞる艶かしさが印象的。ラナの歌声も〝パーツのひとつ〟として扱うプロダクションは、ポップ・ソングというよりも映画のサウンドトラックに近い。すべてのパートが〝調和〟を目指しており、どれかが強調されることはほとんどない。妖しくも心地よいラナの歌声でさえ、である。このような本作を聴いて思い浮かべたのは、デヴィッド・リンチやアンジェロ・バダラメンティも関わった、ジュリー・クルーズのアルバム『Floating Into The Night』(1989)。このアルバムはジャズの要素があり、本作はヒップホップの要素が顕著などの違いはあれど、メロウで静謐な空気が特徴という点は共通する。そういえば、ラナは過去にボビー・ヴィントンの「Blue Velvet」(1963)をカヴァーしていた。そう、デヴィッド・リンチが1986年に制作した映画、『Blue Velvet』でも流れるあの曲だ。



(近藤真弥)

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