October 2015アーカイブ

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Little Simz『A Curious Tale Of Trials + Persons』.jpg

 言葉は面白い。たとえば、〝彼女いるの?〟ではなく、〝恋人いるの?〟と訊くだけで話のレンジが広がる。さらには、使い方次第で多彩な風景を生みだすこともできる。


 日本語だけをとってみても、その魅力はわかるはずだ。ここでは類語を例にするとして、〝お礼〟の類語をいくつか挙げてみる。〝謝礼〟〝謝儀〟〝謝意〟〝感謝〟などなど、たくさんある。こうした数多くある言葉の中から、自分にとって最適なものを選び、相手に意志を伝える。そして、この意志こそが、〝個性〟である。その個性を作るための言葉選びは、何者にも制限されることがない自由なものだ。


 しかし、ツイッターやフェイスブックに投稿される言葉を見ていると、その〝自由〟を自ら放棄しているのか? と勘繰ってしまうものが多すぎて、げんなりする。それは言うなれば、安易に単純化されたがゆえ、不必要に他者をなぶる暴力性を帯びてしまった言葉たち。


 最低限の生活すらも送ることが難しくなりつつある〝不自由な現在〟において、言葉選びの自由が持つ多彩さは、不安や抑圧に対抗する武器になる。そしてこの武器は、異なる価値観を持つ者たちを繋ぎ、不安や抑圧と戦うための支えになってくれる。そんな素晴らしい支えをやすやすと手放すなんて、本当にもったいない。


 もちろん、手放さない者もいる。それが、去年『Everybody Down』という傑作をリリースしたケイト・テンペストであり、このたび最新アルバム『A Curious Tale Of Trials + Persons』を発表した、リトル・シムズだ。


 リトル・シムズは、ロンドンを拠点に活動するラッパーで、ナイジェリアをルーツに持つ。これまでに彼女は数多くのEPやミックス・テープをバンドキャンプで発表してきたが、実は役者として、『Spirit Warriors』(2010)という子ども向けのTVドラマに出演したこともある、興味深いキャリアの持ち主。


 そんな彼女の言葉は、詩的かつ内省的なものとなっている。人にまつわる機微をすくいとり、それが色濃く反映された物語を描く言葉は、とても複雑だ。直截的なスローガンなども、ほとんどない。だが、その複雑さに批判をくわえるのはお門違い。そもそも、人という生き物が単純ではないからだ。喜怒哀楽に収まらない感情をいくつも備え、それゆえ他者と衝突することもある。こうした人の矛盾や罪も、彼女は受けいれてみせる。こうした、複雑なことを複雑なまま表現する誠実な姿勢は、先述のケイト・テンペストや、『A Grand Don't Come For Free』(2004)という2000年代を代表するアルバムを生みだした、ザ・ストリーツことマイク・スキナーに通じるものだ。


 複雑さを単純化しない本作は、安易な希望や共感を訴えたりはしない。むしろ、多くの人が目を背けがちな側面を見せるという点では、聴いていてヘヴィーな気持ちになるはずだ。しかし、それでも言葉を紡ぎ、顔も見えない誰かにメッセージを伝えるという姿自体が、希望になりえる。もっと言えば、だからこそ本作は、多くの人を奮い立たせる知性とパワーで満ちている。


 先に筆者は、「彼女の言葉は、詩的かつ内省的」と書いた。しかし、だからといって、本作のベクトルが〝外〟へ向いていないというのは違う。確かに、2曲目「Wings」の冒頭で、リトル・シムズは次のようにラップする。


〈これは私の物語(This is my story)〉


 ところが、彼女はその言葉をすぐさま、〈wait, nah(いや、そうじゃない)〉と退ける。そのあと紡がれるのが、次の一節。


〈これは私たちの物語(This is our story)〉


 そう、本作の物語は、リトル・シムズという〝私〟のものであると同時に、〝あなた〟のものでもある。〝my(私)〟から〝our(私たち)〟への変化。些細な変化だが、この変化が本作にダイナミズムをもたらしている。〈これは私たちの物語〉以降に飛びだすフレーズも書いておこう。


〈これは私たちの王国(This is our kingdom)〉

〈これは私たちの自由(This is our freedom)〉

〈これは私たちの苦闘(This is our struggle)〉


 他にも、〝痛み〟〝愛〟〝場所〟などが〝私たち〟のものとして登場する。最後に、ふたたび〈これは私たちの物語〉と念を押すようにラップされ、「Wings」は幕を閉じる。全曲必聴の本作だが、迫力という点では「Wings」が群を抜いている。


 「Wings」が終わると、〈あなたも死体を見たい?(Do you wanna see a dead body?)〉(「Dead Body」)など、人が持つ負の側面を聴き手に突きつける曲や、孤独や哀しみをモチーフにした寓話的な曲が次々と鳴り響く。また、その寓話に、宗教的な世界観を用いることが多いのも興味深い。「God Bless Mary」はタイトルからしてそうだし(〝Mary〟は聖母マリアのこと)、〈私の翼を返して(Give me back my wings)〉という一節がある「Wings」は、天使が元ネタだ。本作でのリトル・シムズは、さながらプリーチャー(伝道者)である。


 本作は、〝人〟という存在にどこまでも迫った、非常にストイックな内容だ。それゆえ、他人の言動を盲信するだけの無知な姿勢に胡座をかくことはせず、己の醜い部分を隠して知らん顔という卑しい真似もしない。リトル・シムズは、己の醜い側面もしっかり見つめている。


 こうした内容だからこそ、本作は国を越えてあらゆる場所に届くのだ。多くの問題を抱え、〝ブロークン・ブリテン〟と言われて久しいイギリスはもちろん、何かと大変なここ日本にも。



(近藤真弥)

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Kate Simko & Tevo Howard『PolyRhythmic LP』.jpg

 今年も残すところ、あと2ヶ月と数日。ライヴハウスやクラブに行けば、「今年面白かった音楽は?」と訊かれ、映画館に行けば「今年最高だった映画は?」という話で盛りあがる。


 映画の話は後日するとして、ここでは音楽の話を。今年は、ハウスのレコードにグッとくることが多かった。たとえば、ルーマニア出身のメロディー(Melodie)。彼が今年リリースした「Influences EP」は、巧みな音の抜き差しが生みだすグルーヴを堪能できる、素晴らしい作品だ。ここ数年、日本では〝ルーマニアン・ミニマル〟という言葉と共に、ペトレ・インスピレスク、ラドゥー、ラレッシュといった、ルーマニアのテクノ/ハウス・シーンで活躍するアーティストをよく見かけるようになったが、こうした流れの新しい芽がメロディーである。掘れば掘るほど、ルーマニアのテクノ/ハウス・シーンの奥深さを実感する今日この頃。


 とはいえ、ハウス・ミュージック誕生の地、アメリカも負けてはいない。事実、ケイト・シムコとテヴォ・ホワードによる『PolyRhythmic LP』は、今年リリースされたハウス作品のなかでは群を抜いた出来である。本作には、ふたりともシカゴ出身ということもあり、「Exotica Exhibition」など、音数が少ないラフなビートを打ちだしたシカゴ・ハウスも収められている。だが、洗練さの極みを見せつける「No Regrets」こそ、本作のハイライトだ。優雅な心地よさをまとうシンセから始まり、そこからキック、ハイハット、ヴォーカル、タム、クラップといった具合に、音が加えられるたびに増していく高揚感は絶品。多くの人々が集うダンス・フロアはもちろんのこと、ドライブのお供に最適なポップ・ソングとしても機能する。


 また、TB-303風の音が織りなすベース・ラインと、メタリックでキラキラとしたシンセ・フレーズが反復される「PolyRhythmic Theme」は、いなたい雰囲気を醸すあたりがイタロ・ディスコみたいで面白い。とは言っても、細かく刻まれるハイハットとリムショットが印象的なビートは、シカゴ・ハウスそのものだ。TB-303といえば、「Fall」は「PolyRhythmic Theme」以上にTB-303風の音を前面に出したトラック。それは文字通りアシッド・ハウスと呼べる内容だが、ピアノ・リフ、シンセ・ストリングス、ライド・シンバルの3つが上品に鳴りわたる様は、ラリー・ハードのディープ・ハウスに通じるものを感じさせる。


 このように本作は、一口にハウス・ミュージックといっても、さまざまなタイプのトラックを楽しむことができる。さながら、絵柄が矢継ぎ早に変わる万華鏡のようなもの。耳が喜び、心が躍るハウス・ミュージックを求めるあなたに、本作をオススメしたい。



(近藤真弥)

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Lana Del Rey ‎- Honeymoon.jpg

 だいぶ前の話になるが、キム・ゴードンの回想記『Girl In A Band』を読んだ。サーストン・ムーアやコートニー・ラヴなど、これまでキムが関わってきた人たちについて書かれたもので、ユーモアと優しさにあふれるキムの人柄が伝わってくる良書。


 その本でキムは、ラナ・デル・レイにも言及している。なんでも、ラナはフェミニズムが何たるかをわかってないとのこと。これはおそらく、ラナがFADER(フェーダー)のインタヴューでおこなった、フェミニズムには興味ないという旨の話を指している。確かにラナの発言は、〝フェミニズム〟を大雑把にとらえすぎなところがあると思う。とはいえ、そうした乱暴さが魅力的な表現に繋がることも事実。音楽も含めた表現の役割のひとつは、現実では実現できない世界を表出させることだが、そんな表現の特性をラナは存分に活かしている。


 それは、4作目となる本作『Honeymoon』を聴いてもわかるはずだ。これまで以上に倒錯的かつ依存度が高い関係性を描き、妖艶な雰囲気を漂わせるサウンドスケープは、甘美なメランコリーを醸している。どこまでも耽美的で、どこまでも自己破壊的。こうした世界観を〝尊崇〟の次元にまで昇華して表現する手腕は、もはや達人の域だ。これは、物議を醸す発言も含めて、一種の芸と言っていい。ラナがどんな背景を持ち、いかなる考えの持ち主なのか、ラナの作品においてはそれほど重要じゃない。もちろん、倫理や道徳、教訓といった領域も関係ない。そんな100円ショップに売ってそうな3点セットはクソ食らえ、とでも言いたくなる豪胆さが、本作の根底にはある。その豪胆さに依拠した姿勢は言うなれば、〝芸術のための芸術(l'art pour l'art)〟。19世紀のフランスで用いられはじめたとされるこのスローガンは、本作にこそ相応しい。ラナも2曲目「Music To Watch Boys To」で、こう歌ってみせる。



〈抑制する必要はない 慣習を壊すためにここにいる(No holds barred, I've been sent to destroy, yeah)〉(「Music To Watch Boys To」)



 とはいえ、サウンドが破壊的かと言えば、そうじゃない。ひとつひとつの音は繊細で、聴き手の性感帯をなぞる艶かしさが印象的。ラナの歌声も〝パーツのひとつ〟として扱うプロダクションは、ポップ・ソングというよりも映画のサウンドトラックに近い。すべてのパートが〝調和〟を目指しており、どれかが強調されることはほとんどない。妖しくも心地よいラナの歌声でさえ、である。このような本作を聴いて思い浮かべたのは、デヴィッド・リンチやアンジェロ・バダラメンティも関わった、ジュリー・クルーズのアルバム『Floating Into The Night』(1989)。このアルバムはジャズの要素があり、本作はヒップホップの要素が顕著などの違いはあれど、メロウで静謐な空気が特徴という点は共通する。そういえば、ラナは過去にボビー・ヴィントンの「Blue Velvet」(1963)をカヴァーしていた。そう、デヴィッド・リンチが1986年に制作した映画、『Blue Velvet』でも流れるあの曲だ。



(近藤真弥)

2015年10月5日〜18日

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2015年10月5日〜18日 更新分レヴューです。

DISCLOSURE『Caracal』
2015年10月9日 更新
KING MIDAS SOUND / FENNESZ『Edition 1』
2015年10月12日 更新
NICOLE DOLLANGANGER『Natural Born Losers』
2015年10月13日 更新

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Nicole Dollanganger『Natural Born Losers』.jpg

 カナダのシンガー・ソングライター、ニコル・ドールアンガンガー。彼女のことを知ったのは、音源ではなくインスタグラムがキッカケ。友人に「おもしろいセンスの写真をアップする人がいる」と教えてもらい、それがニコルだった。さっそく、彼女のインスタグラムを覗いてみると、ゴスロリの格好をした彼女自身、愛犬のパグ、メルヘンチックな自室など、さまざまな被写体が並べられていた。それらから漂ってくる雰囲気はどこか病的なものだったが、筆者の興味を強く引きつける切実な〝ナニカ〟も漂わせていた。


 そこで、彼女のバンドキャンプにアップされている作品を、一通り聴いてみた。まずは、コロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにしたカヴァー集「Columbine EP」(2013)。犯人が影響を受けていたとされたマリリン・マンソンのカヴァーを収録し(※1)、ジャケットには事件当時の写真を使うという徹底ぶり。他には、作家/イラストレーターのエドワード・キャリーによる著作、『Observatory Mansions』(2001)からタイトルを拝借した『Observatory Mansions』(2014)や、日本のヴィデオ作品シリーズ、『ギニーピッグ』の英題と同名の『Flowers Of Flesh And Blood』(2012)など、カルチャー全般への興味をうかがわせる作品もあった。しかも、曲のほとんどが彼女の弾き語り。これは面白いということで、彼女の作品はしばらくの間、筆者の耳を占領することになった。


 そんな彼女が、グライムスが設立したレーベルEerie Organization(イーリー・オルガニゼーション)から最新アルバムを発表した。タイトルは、『Natural Born Losers』。彼女のことだから、オリバー・ストーンの映画『Natural Born Killers』(1994)をネタにしたのだろうか? この映画は、ヴァイオレンスな描写が特徴の作品だが、本作も随所で似たような描写が登場する。なにしろ、1曲目「Poacher's Pride」の歌いだしが、〈私は父のライフルで天使を撃った(i shot an angel with my father's rifle )〉(※2)である。本作の歌詞は、ドラッグや銃といったキーワード、くわえて宗教的な世界観が際立つものになっている。全体としては、聖と俗を行き来している印象だ。このような歌詞を彼女は、美しくも儚いウィスパー・ヴォイスで紡いでいく。ただでさえ痛々しい歌詞が、彼女の歌声によってさらに痛みが増している。正直、聴いていて重苦しい気分になってくる。ところが、メロディーはやたらと人懐っこい。誰かに私を見つけてほしいとばかりに、とてもキャッチーだ。しかし、そのおかげで、なおさら痛々しさが沁みてしまう。


 それでも、筆者が本作を繰りかえし聴いてしまうのは、彼女の病的な振るまいやヴィジュアル・センスが表層的ではないからだ。たとえば、8曲目の「American Tradition」。日本語では〝アメリカの伝統〟と訳せるこの曲は、寓話という形でアメリカに対する批評眼を発揮しているように思えるし、そもそも全曲、日々の生活で見逃されがちな機微を掬いあげたような言葉であふれている。それは言うなれば、痛み、哀しみ、慈しみが交わる極上のリリシズム。そして、このリリシズムに宿るのは、〝愛と憎しみは紙一重〟を体現するヒリヒリとした緊張感。


 このように本作は、危ういバランスのうえに成り立っている。さながら、孤独に耐えながら必死に立ちあがろうとする、弱々しくも凛々しい姿。そこに、グライムスやスカイ・フェレイラのような鼻っ柱の強さはない。あるのは、心を剥きだしにしたニコル・ドールアンガンガーという人間だけだ。しかし、そんな作品が、聴き手の心を揺さぶる多彩な情動で満ちているという事実に、ただただ感動する。なぜならこの事実は、〝生きる〟ことそのものが、何よりもドラマチックで尊いということを証明しているからだ。




(近藤真弥)




※1 : のちの報道で、影響を受けていなかったことが明らかになっている。


※2 : ニコルのバンドキャンプに掲載されている歌詞から引用しました。

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KING MIDAS SOUND : FENNESZ『Edition 1』.jpg

 ザ・バグとしても有名なケヴィン・マーティン、詩人のロジャー・ロビンソン、在英日本人キキ・ヒトミの3人による、キング・ミダス・サウンド。そんな彼ら彼女らが、坂本龍一との共演などでも知られる、クリスチャン・フェネスとコラボレーションしたアルバムを発表。『Edition 1』と名付けられたそれは、『Mezzanine』(1998)までのマッシヴ・アタックや初期のポーティスヘッドを想起させる、耽美的かつダークなサウンドスケープを描いた良作になっている。


 『Edition 1』は、これまでフェネスが残してきた、サンプル・ネタやギター・トラックといった未発表の素材を、キング・ミダス・サウンドが使用し制作された。ゆえに本作は、キング・ミダス・サウンドの音楽的嗜好が色濃く反映されているように感じる。たとえば、リフレインされるベース・ラインが印象的な「On My Mind」と、先行公開された「Waves」の2曲。共に清涼なアンビエンス・サウンドを漂わせる曲だが、曲全体にまとわりつくミステリアスな雰囲気は、キング・ミダス・サウンドの作品群でよく見かける要素だ。特に、『Dummy』(1994)期のポーティスヘッドを連想させる「On My Mind」は、キング・ミダス・サウンド流ポップ・ソングとも言える作風。


 また、「Loving Or Leaving」という曲も、キング・ミダス・サウンドの音楽的嗜好が強く出ている。この曲でのヘヴィーな低音、ダビーなディレイとリヴァーブの使い方、そしてトラップの要素を取りいれたビートは、フェネスの作品群ではあまり見られないものだ。このように本作は、キング・ミダス・サウンドがイニシアチブを握っていると思われる。


 正直、コラボレーションによって生じる突発的な化学反応という点から見ると、本作は及第点以下だろう。しかし、ここではないどこかへ聴き手を飛ばし、一種の精神拡張をもたらしてくれるという点においては、最高のアルバムである。ひとつひとつの音が、心の奥深くにじんわりと潜りこんでくる感覚は、至上の快楽そのもの。この快楽は、ヘッドフォンでひとり聴くだけでも味わえるが、できるだけ大音量で流し〝浴びる〟ように聴いたほうが、より深く味わえる。それこそ、クラブのサウンドシステムなどが、本作の音像をもっとも明確に伝えてくれるはずだ。このあたりは、やはりキング・ミダス・サウンドはクラブ・カルチャーの歴史が生みだしたグループなのだなと実感させてくれる。



(近藤真弥)

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Disclosure  Caracal.jpg

 ガイとハワードのローレンス兄弟によるディスクロージャーが、サム・スミスをヴォーカルに迎えたシングル「Latch」(2012)で注目されてから約3年。この3年の間でふたりは、ポップ・スターへの階段を駆けあがった。ファースト・アルバム『Settle』(2013)は本国イギリスでチャート1位を獲得し、その後メアリー・J. ブライジとも共演した。


 また、Moshi Moshi(モシ・モシ)から発表されたデビュー・シングル、「Offline Dexterity」(2010)の頃から追いかけている筆者としては、ふたりの音楽性が変化したことにも注目したい。実を言うと、「The Face EP」(2012)までのふたりは、UKガラージが基調にあるサウンドを鳴らしていた。しかし、「Latch」以降のふたりは、ハウスやR&B色を前面に出してきた。そのおかげで、ふたりの音楽はポップ・ソングとしての訴求力を獲得し、世界的な人気を得ることにも繋がった。クラブだけでウケるプロダクションではなく、より幅広い層に届く順応性こそ、ふたりが選んだ道なのだ。


 セカンド・アルバム『Caracal』は、その道を突きつめた〝深化〟の作品である。まず、本作に参加したヴォーカリストを見てみよう。ザ・ウィークエンド、サム・スミス、グレゴリー・ポーター、ライオン・ベイブ、クワブス、ロード、ミゲル、ナオ、ジョーダン・ラケイ。すでにスターの地位を得ている者から、ここ最近注目を集める若手まで、豪華な顔ぶれだ。


 さらにサウンド。一聴して耳を引くのは、前作以上にR&Bの要素が色濃く出ていること。前作も、しっとりとした艶やかさが漂うサウンドで、さながらベテラン・アーティストのような作風だったが、本作はその老練さがより顕在化している。グレゴリー・ポーターが歌う3曲目「Holding On」以降は、Nervous(ナーバス)やEmotive(エモーティヴ)あたりを想起させる、いわゆるNYハウスのエッセンスを取りいれた軽快な曲もあるが、アルバム全体の作風は非常に落ちついており、踊らせるよりも聴かせる内容となっている。プロダクションも、ヴォーカルを強調したものが目立ち、〝歌〟を意識しているのは明らか。


 そんな本作、人によっては物足りなさを感じる作品だと思う。たとえば、前作の成功で得た勢いをそのままに、チャレンジングなアルバムを作るべきだったという意見。あるいは、ゲストに頼った保守的な作品だと思う者もいるだろう。しかし筆者は、本作を大歓迎したい。確かに、前作との明確な違いは見られず、目新しさもない。だが、どこまでもロマンティックで、最初の音が鳴り響いた瞬間、目の前の景色をガラリと変えてしまうポップ・ソングが詰まった本作は、不当な評価にさらされるべきではない。グッド・メロディーに、グッド・サウンド。言ってしまえば本作はそれだけだが、そのふたつだけで極上のポップ・ソング集を生みだせるという事実には、驚愕するばかりだ。


 そもそも、本作を高く評価できない者たちは、いまだ〝古い/新しい〟という時代錯誤な価値基準にとらわれているにすぎない。もはや、〝古い音楽〟など存在しないのだ。あるのは、自分がまだ聴いたことのない音楽だけ。このことに多くの人はもう気づいている。そして、その〝多くの人〟に、ディスクロージャーが含まれるのは言うまでもない。



(近藤真弥)

2015年9月21日〜10月4日

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2015年9月21日〜10月4日 更新分レヴューです。

STEREOPHONICS『Keep The Village Alive』
2015年9月20日 更新
柴田聡子『柴田聡子』
2015年9月22日 更新
NEW ORDER『Music Complete』
2015年9月26日 更新
CHVRCHES『Every Open Eye』
2015年9月29日 更新