ザ・レインコーツ

THE RAINCOATS

わたしたちは、アルファ・メイル以外の
みんなにそんな気持ちを与えているのかもね

70年代の末にレコード・デビューを果たしたバンド、ザ・レインコーツは、当時思春期まっただなかだった筆者にとって、同じくラフ・トレード・レコーズと契約していたヤング・マーブル・ジャイアンツと並ぶ、実にやっかいで、大きな存在だった。

彼らに対する思いというのは、生身の恋愛相手に抱く感情と似ていたかもしれない。後者のシンガーは女性だったが、ソングライティングはおもに男性が手がけていた。一方レインコーツは、途中から男性メンバーを含みつつも、中心的存在は女性たち。

それゆえ、よけいに...。

そんなふうに感じてた者は、世界中に少なからずいたようだ。今は亡きニルヴァーナのカート・コバーンも、そのひとり。それが、90年代前半におけるレインコーツ再結成を後押しした。当時筆者はロンドンのライヴ・ハウスとレディング・フェスで一度づつその勇姿をおがむことができた。ガラージという名前から想像できるとおり前者のキャパは決して大きくなかった。終演後、普通にフロアに出てきた彼女らに、みんないろいろ話しかけていた。だけど(自分にしては珍しく。だから、前記のような理由で:汗&笑)、声をかけることなど、まったくできなかったと正直に告白しておこう。

今からちょうど5年前、2010年6月には、まさかの来日公演も実現。ぼくが観た90年代から約15年たっても、その音楽の素晴らしさはまったく衰えていなかったどころか、さらによくなっていた。

そんな彼女らが、またもや、5年ぶりに日本に来てくれる!DUM-DUM LLPのイヴェント(DUM-DUM Party)、そして単独公演のために!

なんとも、うれしいことではないか。それを記念して、諸般の事情(って、単に筆者が「抱えて」いただけともいう...。すみません...)でお蔵入りとなっていた、ふたりの中心人物、アナ・ダ・シルヴァとジーナ・バーチのインタヴューを、今ここに公開しよう!

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 90年代に復活作『Looking In The Shadows』を出して以降、いわゆるニュー・アルバムは発表していないザ・レインコーツだが、別名義で活動したり、ときどき思いだしたように情報が伝わってくることはあった。00年代初頭のメルトダウン・フェスティバル(ロバート・ワイアットがキュレーターを務めるライヴ・イヴェント。そういえば偶然にも、今年はヤング・マーブル・ジャイアンツが出るらしい!)に出演したり。

 当時同じくラフ・トレードと契約していた彼は、ザ・レインコーツのセカンド・アルバムに参加していたので決して驚天動地のできごとではなかったにしても、やはり驚いた。

「あのときは、本当に素晴らしかった。ロバート・ワイアットと1曲いっしょに演奏したり」(アナ)

「そう、あれは彼自身のライヴ・パフォーマンスとしても貴重なものだった。それまで、ほとんどやってなかったみたいで。ラフ・トレード主宰者のジェフ・トラヴィスは『一生のなかで数回あるかないかの素晴らしい音楽的記憶のひとつだよ』と言ってた。わたしたちのなかには、いわゆる巧いシンガーっていないでしょ? でも彼は、テクニカルな意味でも素晴らしい。ピアノの演奏にあわせて彼が歌ってるところを聴きながら...本当に...涙が出てきちゃった(笑)」(ジーナ)

 また、00年代以降に、いわゆるポスト・パンクのエッセンスを伝えることに関して重要な役割を担ったバンドのひとつ、チックス・オン・スピードのレーベルからは、00年代なかばにアナのソロ・アルバム『The Lighthouse』も出ている

 破天荒なガールズ・バンド、チックス・オン・スピードは、各地で「普通じゃない」イヴェントを主催したり、それと深く絡んだりもしていた。そこには、もちろん彼女らも招かれた、

「音楽をやってるひとたちだけじゃなくて、アートのひとたちとか、いろんな女性がたくさん集まってきて...。わたしたちも、バンドとして演奏するだけじゃなくて、それぞれがいろんな...奇妙な楽器を持って、いろんなひとたちと音を出したり(笑)。ロンドンからきた、編み物をやっているふたりが作った、輪みたいなのの動きにあわせて、テープ・ループをまわす、ってこともやったな。とてもスペクトラムの広いイヴェント。ファンタスティックだった」(アナ)

 2010年の段階で、すでに気になるのは、ザ・レインコーツとしての新譜だった。それは、ありえるのか...と訊くか訊かないかのうちに...。

「ノー(笑)。わたしたちは、ときどきスペシャルなライヴをやったり、今のところ、そういうので充分(笑)。このあいだ(00年代末に)キル・ロック・スターズからラフ・トレード時代の作品のアナログ盤が出たり、日本では(10年代初頭にそれらが3枚とも)CD化されたり」(ジーナ)

「南アメリカに行けたり、こうして日本に来れたり!」(アナ)

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 とても、いい姿勢ではないか。ちょっとまじめに思うのだが、「市販される新曲もしくはニュー・アルバムを出しているのが現役バンド」という見方は、21世紀に入って結構成立しなくなった気もする。5年前に比べ、今はさらにそうだ。

 こういったことは別としても、あくまで男性として彼女らの音楽にどっぷりつかっていた70年代末〜80年代初頭から、ぼくは不思議なことに、それに励まされることが多かった。たとえ「ぎゃーっ」と叫んで、男性をこっぴどく「ふる」曲だったとしても。それは、もちろん怖かった。だけど、びびってしまう前に、なにか人間として、すごく自然なものを感じていた。

「おもしろいね。わたしたちは、まあ、そう、アルファ・メイル(すごく男っぽい男。もしくは猿山のボス的な存在)以外のみんなにそんな気持ちを与えているのかもね。とりわけ、センシティヴな男性とか?」(アナ)

「えーっ、そうかなあ(笑)。ジョン・ライドンだって、わたしたちの音楽に影響受けたとか言ってたよー(笑)」(ジーナ)

 (笑)

 ここで、ラフ・トレード時代...70年代末から80年代前半にかけての、3枚のアルバムについて、ふりかえってもらおう。いわゆる、ライオット・ガールズの先駆者的に見られることの多いアメリカや日本では、ファースト・アルバム『ザ・レインコーツ』が最も好まれているようだ。ただ、よりアヴァンギャルド性を増したセカンド、思慮深さはそのまま弾けるポップ性が印象的なサードも、同じくらい高く評価されていいのではないか...。

「たしかに、そう。パンクとかに入れこむ女の子にとって、わたしたちのファースト・アルバムはすごく入っていきやすい。だけど、ポルトガルとかでは、実は『オディシェイプ』(セカンド・アルバム。みっともないルックス...つまり〝ぶす〟みたいに訳すことも可能)がいちばん好かれてるみたい。わたしたちは、そのアルバムで、とにかく...実験をやっていた。いろんな楽器を使ったり、いろんなゲストを迎えたり。限界をおしひろげようと思った。サード『ムーヴィング』でも、そう。実際すごくいい曲が入ってる、曲的には、わたしたちができる最高のレベルに達した。だけど、その直後に解散したという記憶と結びついて、個人的にネガティヴな感情がわきあがってしまう部分は...あるんだな...。そこが、ちょっとつらいところかもね」(アナ)

 実は『ムーヴィング』が10年代初頭に日本でCD化された際には、(90年代の再発時と異なり、今度こそ)最初のアナログ盤に入っていた曲を全部入れるつもりで、実際マスタリングも終わっていた。だけど、実際聴いてみたら「うーん、やっぱ、この曲は入れたくないなあ...」というのが出てきてしまった、だからまた数曲カットしたということらしい(それゆえ、3種類のリリースの収録曲は全部異なる。CDになるたび新しいボーナス・トラックが入り、それぞれ別の曲がカットされていく。まさに。タイトルどおり「動いて」いる)。たぶん、上記のような理由で。

 そう、こんな〝自然な姿勢(好き勝手な態度ともいう:笑)〟が、たぶん最も思いっきり発揮できている分、実は筆者は『ムーヴィング』期(CDにボーナス・トラック収録されたシングル曲含む)がいちばん好きだったりする(笑)。

「80年代というのは...まあ、奇妙な時代だった(笑)。70年代後半にパンクというものが鳥瞰図を示してくれたから、わたしたちは自らの可能性というのものに関して、すごくインスパイアされた。そして80年代になると...すっごくたくさんの、ストレンジな音楽をやる人たちが出てきた(笑)。シンセサイザーという楽器も一般的になってきて、スティーヴ・ストレンジ(ヴィサージ)とかマリリンとか、女の子みたいに見える男の子もふえてきて。それはそれでラディカルだったのかもしれないけれど、わたしたちは、また違うことがやりたかった」(ジーナ)

「まあ、わたしたちは...危険なゲームをやっていたのかもね」(ジーナ)

 それで、いくところまでいってしまった?

「いや、そうじゃなくて...。わたしたちの音楽には、常にアイロニーがあったでしょ? でも、アイロニーは諸刃の刃みたいもの。それでうまくいったら、必ずバックファイアーが待っている。たとえばわたしたちは、メジャー・レーベルから作品を出したこともある。すると彼らは、なんというか...とにかく、わたしたちを〝ゴージャス〟に見せようとする。そういう意味での、危険なゲーム...みたいな感じ?」(ジーナ)

 彼女たちは、それを乗りこえて、賢くなった。このときの会話でも、そう自負していた(笑)。いや、まじめな話、そうじゃなければ、たとえば今回5年ぶりにふたたび日本で演奏するといったことも、きっとできなかっただろう。

 イギリスでパンクが「爆発」した直後、いわゆるポスト・パンクの始まりから、すでに40年近い歳月がたっている。しかし、パンク後の世界の音楽シーンは、ああいった「危険なゲーム」をのりこえて、とても賢く...強くなった気がする。そんな意味で、今も普通に、そしてここ数年はとくに「ポスト・パンク(パンク後)の時代」なんだよな...。

 彼女らの音楽は、そんなことも気づかせてくれる。


2015年6月
取材(2010年6月)、翻訳、文/伊藤英嗣


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ザ・レインコーツ
『ザ・レインコーツ』
(1979)

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ザ・レインコーツ
『オディシェイプ』
(1981)

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ザ・レインコーツ
『ムーヴィング』
(1984 / 1993 / 2010)

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