PASSION PIT『Kindred』(Columbia / Sony)

パッション・ピット Kindred.jpg

 会う人ほぼ全員に言っているせいで、もはや言い飽きた気もするが、この場でもぜひ言わせてほしい。グザヴィエ・ドランの映画『Mommy/マミー』(2014)は本当に素晴らしい。まず、物語に宿る凄みが半端ない。これまでのドランは、物語のエモーションよりも、作品のスタイルが注目されがちだった。もちろん、シンメトリー、スローモーション、独白、そして後ろ姿を頻繁に映すカメラワークなど、あらゆる手法を駆使するそのスタイルは、ドランの綿密な計算と美学を感じさせる秀逸なものではある。


 しかし、そんなスタイルがあまりにもインパクトがでかすぎるせいで、ドランのパーソナルな領域が多分に含まれた作品自体のエモーションには、なかなか注目がいかなかった。それゆえドランは、〝オシャレな人が観るための映画を作る監督〟みたいに見られることも多かった。しかし、ドラン作品の根底を成すのは、現実と戦う泥臭さである。こうした側面は、自身の性に目覚めたことで周囲の人間との摩擦に悩む者を描いた『わたしはロランス』(2012)、さらには恋人の兄の暴力に服していく同性愛者をドラン自ら演じた『トム・アット・ザ・ファーム』(2013)など、これまでの作品でも垣間見れたが、その側面が『Mommy/マミー』によってやっと多くの人に理解されるはずだ。ドランは、映画史のなかでも高い独自性を持ちつつ、それを多くの人に届けられるベタな感性も持ちあわせているということが。この共生は、時に過剰なまでに表現されることもあるが、こうした過剰さもドランの人間臭さという魅力になっていると思う。


 とはいえ、表現において人間臭さは忌避されることもある。アーティスト自身の人間性と作品を結びつけたがらず、このふたつを可能な限り引き離そうとする者は、送り手にも受け手にも多い。もっと言えば、〝おまえのことなんかどうでもいい〟という人たち。


 そのような人たちにとって、パッション・ピットことマイケル・アンジェラコスの音楽はどのように聞こえるのか? 彼の音楽もまた、ドランの映画と同様、過剰さから滲みでる人間臭さが目立つ。かつて筆者がインタヴューしたとき、マイケルは次のように語ってくれた。


「僕は自己満足のために音楽を作っている」


 これは言いかえれば、マイケルのなかで作品と人間性は不可分なものとして強く結びついているということ。それは、マイケル自身の自殺未遂の経験をもとにした「Where We Belong」を収録するなど、非常に内省的な前作『Gossamer』を聴いてもわかるはずだ。いわば、マイケルの音楽を聴くということは、マイケルの内面を見ることと同義である。


 それは、本作『Kindred』でも同じだ。しかし、〝ハッピーでなければいけない〟という、一種の強迫観念を感じさせるきらびやかでアッパーな前作のサウンドと比べ、本作は少々落ちついている。シンプルなメロディーとビートが際立つ「Where The Sky Hangs」などは、これまではあまり見られなかった平穏さを漂わせる。この平穏さ、前作までのマイケルが常に全力で躁鬱の両極端を表現していたことを考えると、非常に興味深いと思う。


 ちなみに本作は、マイケルの妻に捧げられたアルバムだそうだ。マイケルは昔、妻のために(当時は婚約者)音楽を作っていたというのは有名な話だが、この原初的な衝動が本作にもある。このような衝動が再び戻ってきたことは、先に書いたインタヴューでマイケルが、「僕にとって正しい場所を見つけられたのかというと、まだ見つけることはできていない気がする」と答えてくれたことをふまえると、とても感慨深い。そう言っていたマイケルが、〝正しい場所〟を見つけられたということなのだから。そう考えると、家族団欒のなか、ひとりの子供が振りかえり今にも語りかけてきそうなジャケットは、マイケル自身を表象しているのかもしれない。だとすれば本作は、愛する妻に昔話をしながら感謝も伝える、ひとりの男が主役のラヴストーリーとも言える。当然、こうしたアルバムを作るまでには、美しい想い出だけではない紆余曲折があっただろう。実際マイケルは、「フィアンセに「今は一緒にいられない」と、別れ話」をしたこともあるのだから(これまた先に書いたインタヴューを参照)。それでも、マイケルとマイケルの妻の間にある〝愛〟は、引き裂かれなかった。なんともロマンチックではないか...。


 そういえば、映画『カッコーの巣の上で(原題 : One Flew Over the Cuckoo's Nest)』(1975)を彷彿させる『Mommy/マミー』のラストは、〝それでも愛は引き裂けない〟ことを示しているように見える。それはエンディング・テーマに、〈愛されてるだけじゃダメなときもあれば 物事が上手くいかないときもある 理由はわからないけど それが人生なの(Sometimes love is not enough And the road gets tough I don't know why Keep making me laugh)〉と歌われる、ラナ・デル・レイ「Born To Die」を選んでいることからもわかるはずだ。


 本作についての原稿を書くうえで、どうしても『Mommy/マミー』のことが頭から離れなかったのは、共に〝愛〟を描いているせいだろう。しかもその〝愛の形〟は、どこか似ている。


 それは言ってみれば、こういうことだ。美しい想い出だけの愛は、愛じゃない。泥臭くいがみあい、時には憎しみあっても消えない愛こそ、本当の愛なのだ。だからこそ、本当の愛は美化できるものではないが、希望になりえるのだ。



(近藤真弥)

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