LOTIC「Heterocetera」(Tri Angle)

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 最近の日本の音楽には、〝共感〟にとらわれたものが多すぎるように思う。もちろん、できるだけ多くの人に届けるための努力や、そうした努力の先にある〝分かりやすさ〟を否定する気はさらさらない。だが、音楽は聴き手の〝共感〟を得るためだけの道具ではないはずだ。たとえば、聴き手の価値観を揺さぶる〝違和感〟をあたえてくれるのも、音楽が持つ魅力のひとつである。そもそも、聴き手の価値観を揺さぶりつづけることで、音楽は進化してきたのではないか?


 とはいえ、ツイッターなどで誰かのツイートをRTして、何かを主張したような気分になる者も少なくない世情である。つまり、誰かのツイートを〝他人の言葉〟ではなく、〝自分の気持ち〟として広めてしまうということ。〝自分のことのようだ!〟と思えるものに出逢えた経験は、それはそれで素晴らしいと思う。だが、〝誰か〟は〝自分〟ではないし、〝誰か〟と〝自分〟はまったく同じ存在ではない。こうした自明を忘れた者が多い現状では、共感ベースの音楽があふれるのも半ば必然なのかもしれない。しかし、このような共感シンドロームと言いたくなる状況には、正直うんざりだ。〝自分のことのようだ!〟という〝共感〟を積み重ねていくと自分にしか興味が行かなくなり、自分と他者の間にある〝違い〟を認めづらくなってしまうからだ。言うなれば、〝不寛容〟になってしまう。そして、その共感ベースの音楽ばかりを求める不寛容さは、アーティストの進化を阻む壁ともなってしまう。これが日本の音楽にとって良いことだとは、どうしても思えない。しかし、その良いことだとは思えない状況になりつつあるのが、いまの日本の音楽だと筆者は思う。


 そう考えると、Resident Advisorのインタヴューで、「DJとして、僕はみんなを踊らせたいけど、何が起こっているのかよく分からない状態にもなってもらいたい」と語るなど、聴き手に戸惑いをあたえんとするロティックの本作「Heterocetera」は日本でどう受けいれられるのだろう? アメリカのテキサス州出身であるロティックは、ベルリン在住の新進気鋭アーティスト。これまでに、ベン・アクア主宰の#FEELINGS(フィーリングス)やSci-Fi & Fantasy(サイファイ・アンド・ファンタジー)からシングルをリリースしてきたが、ロティックの名を一躍有名にしたのは、ミックス・テープ『Damsel In Distress』(2012)だ。さまざまなサンプリング・ソースを細かくズタズタに切り裂いたこの作品は、レオス・カラックスの映画『ホーリー・モーターズ』(2012)のような怒濤のコラージュが展開される。先に引用したロティックの言葉と矛盾するが、『Damsel In Distress』における彼は、聴き手を踊らせる気は微塵もない。作品としての体裁をギリギリのところで保たせる理性の周りで、他者を寄せつけない怒りや哀しみといった攻撃的な感情が複雑に絡みあっている。少なくとも、〝感動した!〟とか〝癒された!〟とか、そういう安易な感想を許さない作品であることだけは確かだ。


 しかし、その『Damsel In Distress』が話題になることで、ロティックの周りには多くの〝他者〟が集まってきた。ビョークにリミックスを依頼され(このあたりの嗅覚はさすがビョークと言う他ない)、ハウ・トゥー・ドレス・ウェルやヴェッセルのアルバムをリリースしたTri Angle(トライアングル)と契約。人生とは実に不思議なもので、自分の意図とは正反対の出来事が多々おきる。


 さて、そのTri Angleから発表されたのが、本作である。まず面白いのは、聴き手のバイアスを簡単に打ちやぶる〝違和感〟は健在ながら、ひとつひとつの音を丁寧に扱う洗練さもあるということ。音数は必要最低限に抑えられ、無駄な音が一切ない。無音の空間を上手く生かしたサウンドスケープも印象的だ。もともと電子音楽の作曲術を学んでいる彼だから、音楽理論に則った音作りもできるのだろう。この洗練さは、本作に静謐な側面をもたらしており、そういった意味で本作は、ひとり家でじっくり味わう〝芸術音楽〟の趣もある。


 しかし一方で、アンゴラを起源とするクドゥーロという音楽を取りいれた表題曲など、クラブに集う観客たちを一瞬で吹きとばす破壊的な曲も収められている。さらには、不気味な金切り声のような音が際立つ「Suspension」も、太い低音が破壊的に鳴り響く。いわばこの2曲は、低音を強調したベース・ミュージック的なサウンド・プロダクションが際立っており、ビートではなく音で〝飛ばす〟タイプのクラブ・チューンだ。このように本作は、ロティックのさまざまな側面を垣間見ることができる。


 また、本作のタイトルについても特筆しておきたい。「Heterocetera」というタイトルは、オードリー・ロードの著作『Sister Outsider』に登場する一説から引用したものだ。詩人/随筆家として有名な彼女は、差別と戦う社会活動家としても知られている。そんな彼女の言葉を引用したのは、ロティックが自身のことをゲイで黒人であると強く意識しているのと無関係ではない。すでに公開されている多くのインタヴュー、くわえて自身の音楽で彼は、自らの背景を強調することで〝ゲイ〟や〝黒人〟に注がれるバイアスに抵抗している。もっと言えば、この抵抗は自身の性的志向や出自の肯定にも繋がっている。こうした肯定が、『Damsel In Distress』にあった他者を寄せつけない雰囲気とは程遠い本作に結びついたというのが筆者の見立てだ。


 確かに彼のような人は、いわゆる〝マイノリティー〟とされるのかもしれない。しかし彼は、少数であることを恐れていない。そんな彼の主張が、日本の聴き手にはどう聞こえるのか? 筆者は楽しみである。



(近藤真弥)

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