シャムキャッツ「TAKE CARE」(P-VINE)

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 3月10日にNHKで放送された、ドラマ『LIVE! LOVE! SING!』を観た。このドラマは、2011年に起きた東日本大震災の〝その後〟を描いている。4人の若者とひとりの教師が福島を目指すというストーリーで、話が進むにつれて、それぞれが持つ東日本大震災に対する距離感をあぶり出していく興味深い内容だ。また、このドラマには、〝みんなひとつになろう!〟みたいなわかりやすいスローガンが一切出てこない。そのかわり、東日本大震災以降の日本にまとわりつく複雑さをそのまま表現している。さらに「GIGつもり(脚本を務めた一色伸幸によると、本来は〝ギグつもり〟だったそうだが)」や、阪神・淡路大震災をキッカケに生まれた「しあわせ運べるように」など、音楽が重要な役割を担っているのも特徴だ。この特徴は言ってしまえば、東日本大震災以降の日本において、表現ができることのひとつを示していた。そのひとつとはおそらく、先に書いた〝それぞれが持つ距離感〟の間に橋を架け、〝それぞれ〟を繋げることなのではないだろうか? そんな可能性を表現に見いだすドラマだと、筆者は感じた。


 このドラマを観たあと、筆者の頭に思い浮かんだのがシャムキャッツだった。彼らも、〝いま、表現にできること〟と向きあうバンドだからだ。こうした姿勢が明確になったのは、2014年リリースのシングル「MODELS」だろう。このシングルに収められた「象さん」では、〈あの地震後浦安は 人が寄り付かぬ土地になり〉〈放射能浴びまくり 代々巨大化を繰り返し〉と歌い、「どッちでもE」では、〈右でも左でも 嘘でも本当でも 僕はどッちでもE〉と歌った。それはいわば、東日本大震災以降の現在に対する想像を試みることだったと思う。その試みを聴き手に披露したのちにリリースされたアルバム『AFTER HOURS』も、タイトルが示すように、彼らなりの"その後"を鳴らした作品だった。さまざまな登場人物が送る生活を鮮やかに描いていく言葉と音は、さながら映画的であった。「象さん」や「どっちでもE」のように直接的な言葉はなかったが、日常とされる風景を切りとったその作風は、殺伐とした現実を否応にも意識させるものであった。時としてフィクションは、事実よりも鋭く真実を指さしてくれるのだ。


 そんな『AFTER HOURS』を経て、彼らは新たな作品を発表した。それが、本作「TAKE CARE」である。本作は全5曲入りのミニ・アルバム。『AFTER HOURS』で顕著だった、ネオ・アコースティックを想起させる繊細で軽やかなサウンドが深化した形で鳴っている。ひとつひとつの音が柔らかく、優しい。そうしたサウンドに呼応するかのように、夏目知幸(ヴォーカル/ギター)の歌声も慈しみを醸している。


 歌詞のほうも、『AFTER HOURS』の路線を受け継いだ、日常の風景を切りとった言葉が多い。〈です〉〈ます〉のような敬体の文末表現が見られる「CHOKE」はどうしても松本隆を想起してしまうが、「GIRL AT THE BUS STOP」や「KISS」などは、シャムキャッツらしい青春的な詩情を漂わせる。甘酸っぱくて、ほんの少しドラマチックな、いわゆるモラトリアム。


 しかし本作には、そのモラトリアムに溺れることを許さないシビアな視点も紛れこんでいる。たとえば、本作のラストを飾る「PM 5:00」で登場する一節。


〈どうしてここにいたいのか たまにわからなくなるのさ 川沿い遮るものもなく西陽が照りつける あの電車に乗らなくちゃ〉(「PM 5:00」


 ここにいたい気持ちが心の片隅にありながらも、自分を〝ここ〟から連れだすであろう〝電車〟に乗らなければいけないこともわかっている。こうした複雑な心情を抱える者たちが、本作の主人公だということを「PM 5:00」は示唆している。そう考えると本作は、現実から目を背けた柔な作品ではなく、むしろハードな現実と向きあうための力強さを持った作品だと言える。


 どうして彼らは、「象さん」や「どっちでもE」から、「TAKE CARE」の境地にたどり着くことができたのか? それはおそらく、彼らが他者の想像力を信じているからだ。ゆえに、わざわざ〝現実と向きあえ!〟と直接的に叫ぶような真似はしない。現実がクソだということは、多くの人がすでに知っているのだから。おそらく彼らも、〝それぞれが持つ距離感〟に想像を巡らせる道を選んだのだ。それは、「TAKE CARE」の特設サイトが、アクセスする時間帯によって背景が変わることにも表れていると思う。つまり、それぞれの生活があり、それぞれの時間と場所があるということ。


 そんな彼らの姿勢が見える本作は、他者に対する絶望からではなく、他者に対する信頼から始まった表現である。



(近藤真弥)

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