FOURCOLOR『Ballet』(Duenn)

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 いま、僕の手もとにひとつの音源がある。黒く、やわらかいフェルトのポーチには小さなバッヂ。そこにはアルバム・タイトル『Ballet』とアーティスト名である〝FourColor〟の文字。よく見ればカタログ・ナンバーもしっかり記されている。第一印象は「かわいい!」だった。手に取ってみたくなるデザイン、遊び心にあふれたパッケージは所有欲をくすぐる。それはレーベルやアーティストの「この音楽を楽しんでもらいたい」という気持ちの表れなんだろう。


 でも音楽って、もともとそういうもんじゃなかったっけ? いや、CDやアナログ・レコード、デジタル配信の音源が悪いってわけじゃくて、僕がいま手にしている〝カセット〟は、そんなふうに「楽しむ」気持ちを素直に表現しやすいフォーマットだということ。(ラジカセやカセット・デッキがあれば...だけれど)再生も録音もシンプル。だから、磁気テープに刻み込まれたサウンドもパッケージ・デザインもアイデア次第で自由にできる。「Do It Youreselfは、やっぱり面白い!」ってことに改めて気づいたり。ここ数年の間にまた注目され始めているカセットとの再会を、僕はこんなふうに楽しんでいる。


 僕がカセットを10数年ぶりに手にしたのは、とあるクラブ・イヴェントの物販にちょこんと置かれていた『duenn feat nyantora returns part I』『duenn feat nyantora returns part II』を見つけたことがきっかけ。それは、リリース元である福岡のカセット専門レーベル〈Duenn(ダエン)〉のメイン・アーティストであり主宰者でもあるダエンと、元スーパーカーの中村弘二がニャントラ名義でコラボしたアンビエント・アルバムだった。やわらかな電子音のはざまに聴こえるのは、浅瀬を流れる水のせせらぎや遠くへ走り去る自動車のエンジンのうなり。静かに、目の前に風景が広がってゆくような感覚が心地いい。そのサウンドのせいなのかもしれない、久しぶりにカセットを手にしたときに感じた微かなノスタルジアは消え去っていた。


 カセット・テープに封じ込められたアンビエント・ミュージック。提唱者であるブライアン・イーノの言葉にもあるとおり「聴き流してもいい音楽」と定義されたその繊細なサウンドと、一度は消滅しかけたアナログなフォーマットの組み合わせを不思議に感じたことも確か。けれども、その音楽に耳を傾けているうちに気づいたことがある。


 生活にとけ込む限られた音数のサウンド、言語の不在、そして、先に述べたとおりのカセットならではのフォーマットの自由さとは裏腹に、その音楽を鳴らすことができるのは(現在では持っている人がそう多くないはずの)再生装置が整っている場合だけという限定性。なるほど! アンビエント・ミュージックが持っているもうひとつの側面である〝ミニマリズム〟は、(流通方法も含めた)カセットというフォーマットだからこそ体現しやすいのかも。そして僕はもう一度、かわいらしいフェルトのポーチを手に取る。


 FilFla(フィルフラ)、Minamo(ミナモ)、Fonica(フォニカ)などエレクトロニカ系のユニットから映画/演劇への楽曲提供、大手企業のCM曲まで、〝多彩/多才〟という言葉がぴったりな活動を展開している杉本佳一によるFourColor(フォーカラー)名義の新作は、こうしてカセットというフォーマットでリリースされた。


 抽象的なサウンドの断片が折り重なって躍動感をも生み出す音像は、アンビエント(環境)というよりも僕たちの鼓動に似ている。それは、アルバム・タイトルである『Ballet』とも響きあうようだ。周縁と内面、優雅さと不穏さ、テクノロジーと肉体性、デジタルとアナログ。相反するイメージが静かに、スリリングに混ざりあう。そして、カセットが持つ〝限定性〟は、このアルバムを手にしたときに〝可能性〟へと変化するはず。


 「このアルバムは3万枚しか売れなかったけど、聴いた奴らはみんなバンドを始めた」。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファースト・アルバムにまつわるそんな言葉を思い出した。そう言ったのも、またブライアン・イーノだ。事実かどうかもわからないし、ロマンティックでナイーヴすぎるけれど、音楽が持つ可能性を言いあらわしている。


 「どれだけ多く」ではなく、ひとりひとりに「どれだけ深く」届くかということ。杉本佳一が意識的に選び取ったカセットというフォーマットとFourColorとしての40分ほどのアンビエント・ミュージックには、そんな思いが込められていると思う。



(犬飼一郎)

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