COET COCOEH 『GLASS COLLAGE』(Modern Tempo)

| | トラックバック(0)
COET COCOEH.jpg

 ピアノと声を軸に、打ち込みやギターをそえて、最低限の音数でシンプルにまとめられた本作は、高島匡未(タカシマ マサミ)という女性のソロ・プロジェクトだ。ヤング・マーブル・ジャイアンツを連想させるチープなリズム・マシーンのようなシンセ音から始まる「美しきコラージュ」をはじめ、80年代ニュー・ウェイヴ/ポスト・パンクの香りが全編に漂う。それは単なる焼きなおしではない。90年代以降の日本のポップス、オルタナティヴ・ロックを通過した感性で再構築されている。タイトル通り、繊細なガラス細工のコラージュのように、彼女の人生を彩る音の記憶を切り貼りしていく。


 タイトルからスーパーカーを思い出させる「SODACREAM」は、ピアノのループと打ち込みによるベース音が絡み、まるでらせん階段を上昇、あるいは下降していくような錯覚を与える。インスト曲「WHISPER」では、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインOnly Shallow」を連想させる轟音のなかに、あるはずのない囁き声を聞く。同じくインストの「ルーリードに花束を」は、タイトル通り、ルー・リードの「Vicious」を髣髴とさせるギター・リフに、教会の賛美歌のようなメロディーが重なり、まるでルーの魂を祝福し包み込むように広がっていく。


 また、元々ファッション・ショーのサウンドトラックとして作られたという本作は、聴きやすい一方、男性の私には近づきがたい雰囲気もある。女性だけの世界、もっといえば彼女の部屋、あるいはプライベートを覗き見したような気分にさせられる。それは香水さえ漂ってくるようなフィジカルな感覚だ。終盤に収録された、はかないピアノの響きが印象的なバラード「ガラスのガール」では、少女の乗るメリーゴーラウンドについて歌われている。小さな闇を抱えた彼女が乗る馬は戦いのペガサスだという。そこで私は、J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を思い出した。ホールデン君が最愛の妹フィービーを回転木馬に乗せて見守る終盤のシーンを。そして、はたと気づいた。ひょっとしたら、本作にちりばめられたノイジーな擬似バンド・サウンドは、少女たちのイノセンスを守るための鎧なのではないか、と。どんな女性にも(そして男性にもアニマという形で)永遠の少女が息づいている。それは象徴的な意味で守られるべきなのだ。


 この作品は、ファッション・ショーというきらびやかな場のためという建前で作られている。しかし同時に、あらゆる少女たちにささげる、自らの闇と戦い生き残るための物語なのかもしれない。美を競うファッション・ショーは一見華やかだが、彼女たちがいずれ放り込まれる過酷な現実世界の縮図でもあるのだから。



(森豊和)



【筆者注】GLASS COLLAGE』はライヴ会場、通販限定です。通販先は公式サイトに順次追加されます。

retweet

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: COET COCOEH 『GLASS COLLAGE』(Modern Tempo)

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://cookiescene.jp/mt/mt-tb.cgi/4036