映画『嗤う分身』(エスパース・サロウ)

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 映画を紹介するときによく使われる"ネタバレ"って言葉は、この『嗤う分身』には必要ない。もちろん、あっと驚くストーリー展開はあるけれど、それを語ったからといってこの作品を観る楽しみが台無しになることはないと思う。言わないけどね! そもそも"ネタ"だの"オチ"だので、わかったような気分にはならない不思議な魅力を持った作品だから。観終わったあとに向き合っているのは、(誰の心の中にもいるはずの)もうひとりの自分自身なのだと気づかされるはず。


 テーマとストーリーは、この秀逸な邦題『嗤う分身』に集約されている。映画の原題は『THE DOUBLE』、ドストエフスキーによる原作は『ドッペルゲンガー』(岩波文庫版では『二重人格』)という味気ないほどストレートなタイトル。邦題に加えられた"嗤う"のひとことは、日本語ならではの微妙なニュアンスがひりひりする。自分の分身がニヤニヤしている姿が目に浮かぶ。そしてスクリーンの中に現れるもうひとりの自分は、やっぱりニヤけている。親しげに"笑う"のではなく、不遜にも"嗤う"のだ。僕自身を。


 ピュアな心を持ちながらも仕事も恋も...というか、日常生活すべてを不器用に生きることしかできない主人公のサイモン・ジェームズ。そんな彼の前にある日突然、自分とまったく同じ容姿のジェームズ・サイモンが現れる。そして、密かに想いをよせている同じ職場のコピー係、ハナとの関係も少しずつ変化してゆく。


 一人二役で正反対の人格を演じきるサイモン/ジェームズ役のジェシー・アイゼンバーグと可憐さの中に深い闇を垣間見せるハナ役のミア・ワシコウスカの演技は、まるで二人っきりの舞台演劇のように濃密だ。その舞台とは、"ちっぽけだけど、平和な自分"と"理想だけど、手に負えない自分"、そして唯一の対象ともいえる"憧れ"がひっきりなしに交錯するところ。そう、それは僕たちの心の中そのものなのかもしれない。


 ひとりぼっちで目を閉じても、現実は何も変わらない。鏡を覗き込んでも、イケてる自分はそこにはいない。そして、恋するあの子にも悩みがあることなんて知る由もない。最善策は現状維持なのかな。人には言えない、知られたくない欲望だけが行動理由。そんなふうに自分が造り上げてしまった世界の秩序を破れるのも、自分しかいないのだけれど...。


 そんな複雑なプロットをリアルな心理描写とファンタジックなヴィジュアル・センスで手際良く描いてみせる監督・脚本のリチャード・アイオアディは、ヴァンパイア・ウィークエンド「Oxford Comma」、「Cape Cod Kwassa Kwassa」やカサビアン「Vlad The Impaler」、アークティック・モンキーズFluorescent Adolescent」などのPVも手掛けるインディー/オルタナティヴ・ミュージックにも近い存在(『嗤う分身』にもダイナソーJr.のJ.マスキスがひょっこり登場するから、要チェックね!)。「アークティック・モンキーズのアレックス・ターナーのソロ・デビュー作はサントラだったでしょ。あの『サブマリン』って映画を監督したんだよ!」といえば、ピンと来る人も多いはず。同じくPV出身のミシェル・ゴンドリーやスパイク・ジョーンズが思い浮かぶけれど、ダークなのになぜか笑える『嗤う分身』の感性は新しい。コメディアン/俳優としても活躍する彼ならではの個性だ。


 散りばめられた分身/複製のメタファーはデヴィッド・リンチ的な暗示に満ちている。キューブリックを彷彿とさせるシンメトリーなアングルはスクエアに歪んでいる。そんな孤独な世界を映し出すのに、太陽の光は似合わない。不穏なオリジナル・スコアに混ざって響き渡るのは、坂本九の「上を向いて歩こう」やジャッキー吉川とブルーコメッツの「ブルー・シャトウ」など、60年代の昭和歌謡。面倒な自我とやらに掻き乱されっ放しの頭の中を映像化したらきっとこんなふうに見えるのだろう。「原作がロシア人で音楽が日本人。監督がイギリス人で主演俳優がアメリカ人」というカオスなハイブリッドは圧倒的に正しい。頭の中では、時代も時間も場所も関係なく、すべてがめちゃくちゃにこんがらがっているから。そして、それはポップで切なくて、こんなにも狂っている。少なくとも僕の場合はそうだ。


 "もうひとりの自分"を描いた『ファイト・クラブ』はまだマシだとさえ思える。エンドロールに流れるピクシーズの「Where Is My MInd?」には、"My MInd"を対象として意識している分だけ救いがあるような気がする。けれども、この『嗤う分身』はどうだろう。見つめ直さなくちゃならないものが"My Mind"の内側そのものだとしたら、その答えをどうやって見つければ良いのかな? その問いかけこそが、『嗤う分身』の本質なのだと思う。答えは観る人それぞれに託されている。




(犬飼一郎)

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