きのこ帝国『フェイクワールドワンダーランド』(DAIZAWA RECORDS / UK.PROJECT)

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 きのこ帝国『eureka』のレヴューで筆者は、次のように書いている。


 「「渦になる」を初めて聴いたとき、お世辞にも愉快とは言えない感情を抱いてしまった。あれは一種の拒絶反応、例えば、今まで見たことがない存在に遭遇したときの気持ち悪さに近いものだったと思う」


 彼らのデビュー・ミニ・アルバム「渦になる」、それからファースト・アルバムの『eureka』が、強い興味を持たせる内容であるのは確かだ。しかし同時に、聴き手に対する無用な攻撃性が目立つものでもあり、この部分がきのこ帝国を聴く際の引っかかりとしてずっとあった。怒りや憤りをサウンドに変換するのが悪いわけではないし、むしろジョイ・ディヴィジョンやジーザス・アンド・メリーチェインなどを愛聴してきた筆者からすれば、そのようなサウンドは大好きだ。とはいえ、怒りや憤りはあくまで音楽という表現の礎であってほしいし、わざわざ他者に向けて傷つけるための手段、もっと言えばその "傷" を演者と受け手のコミュニケーションとして捉えている節があったのが、ハッキリ言えば好きではなかったのだろう。


 だが、セカンド・アルバム『フェイクワールドワンダーランド』では、無用な攻撃性が鳴りを潜めている。聴き手を受けいれる隙と余白が生まれ、自分たちの音楽をできるだけ多くの人と共有したいという意思が見てとれる。これまで以上にメロディーと歌が際立ち、胸ぐらを掴んで自分たちの世界に引きずりこむ強引さよりも、手を繋いで導く優しさが色濃い。他者を拒むように鳴らされていた轟音もほとんどない。


 こうした作風に至ったのは、『eureka』のあとにリリースされたEP「ロンググッドバイ」の存在が関係していると思う。このEPは、音響面での実験精神が表れた「FLOWER GIRL」を収録する一方、《さよなら ありがとう 幸せになってね》と歌われる表題曲、さらに心地よいサイケデリックなサウンドスケープが耳に馴染む「海と花束」など、聴き手に寄りそう歌があるのも特徴だ。これをふまえると本作は、突然変異的に生まれた作品ではなく、きのこ帝国がこれまで切り拓いてきた道の延長線上にある作品だと言える。こうした側面は、デビュー当初から彼らを熱心に追いかけてきた者たちも納得できる"物語"と"深化"として、しっかり受けいれられるだろう。


 だが、本作が何よりも素晴らしいのは、これまでのきのこ帝国を知らずに聴いた人も惹かれる力強さが宿っていることだ。オープニングを飾る大名曲「東京」や続く「クロノスタシス」など、本作には "街"という風景がひとつの側面として存在する。味気ないアスファルトの香り、儚い光を放つ夜の街灯、さらにはそこを行き交う人々の呼気。このようなものが本作では表現されている。温もり、冷たさ、喜び、哀しみ、怒り、憤りなどさまざまな感情が熔解した形で渦巻き、聴き手の心を激しく揺さぶる。特に「クロノスタシス」は、先行で公開されたMVと合わせて聴くと、本作をより深く理解するための手助けになるだろう。関 和亮が編集なしのワンカットで制作した「クロノスタシス」のMVを観たときは、思わずザ・ヴァーヴ「Bitter Sweet Symphony」のMVを想起してしまったが、後者がリチャード・アシュクロフトの唯我独尊的なカリスマ性を活かしているのに対し、前者はヴォーカル/ギターの佐藤が街に馴染んで微笑みを見せている。かつての近づきがたい雰囲気はなく、彼女の中で何かしらの変化があったのではないか? と思わせる内容だ。意思の強さを感じさせる点は両MVに共通するが、前者が不遜でギスギスしているとすれば、後者は優しく温かいし、キラキラしている。確かに孤高でいることのカッコよさも惹かれるものではある。だが、フェイスブックでいくらフレンドを作り、ツイッターでフォロワー数を増やしたところで、それはあくまで緩やかな繋がりによって維持されたネットワークに過ぎず、こうした脆さに不安を抱いてしまう人も少なからずいるだろう(というか、いるからこそクローズドなLINEが普及してるのだと思う)。そのような孤高になれない者たちにとって「クロノスタシス」は、ひとつの希望になりえる曲だ。


 そして、本作の中でも特に耳を惹かれるもう1曲が、表題曲の「フェイクワールドワンダーランド」だ。アコースティック・ギター、ハーモニカ、佐藤のヴォーカルというシンプルな構成で、1分弱足らずの短い曲である。しかし、そこで紡がれる言葉は、他の曲と比べても一際強く迫ってくる。


 《一瞬の世界の醜ささえ 越えてゆけるさ そんな気がした 一瞬の世界の美しさに 騙されて 君と歩きたいのです》

(「フェイクワールドワンダーランド」)


 《未来はそんな悪くないよ》と控えめに唄われる、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」がアクチュアリティーをもって語られる現在には、夢や理想の居場所はないのかもしれない。とはいえ、それでも人は夢や理想を語る。KOHH(コウ)の「I'm Dreamin'」がそうであったように。その欲望は消費主義という名の蟻地獄に利用されることも多々あるが、誰かを好きになったり、あるいはこうなりたいという願望が日々を生きるうえでのエネルギーになるのも事実だ。


 SEKAI NO OWARIが綿密なファンタジーを提供する一方で、シャムキャッツなどが日常的風景を描いて支持される現在の日本のポップ・ミュージック・シーンは、二極化の傾向にあると思う。そうしたなかで、先に引用した「フェイクワールドワンダーランド」の一節は、そのどちらにも安易に偏らない絶妙なバランス感覚を持っている。たとえば、《世界の美しさ》とまんま唄うのではなく、《一瞬の》を加えるところなど。たった3文字の違いだが、この《一瞬の》によって「フェイクワールドワンダーランド」は、聴き手に問いかける説得力と返答を受けいれる余白を手にできている。複雑にこんがらがった感情を平易な言葉で表現しきった点では、チャットモンチー「シャングリラ」で紡がれる、《胸を張って歩けよ 前を見て歩けよ 希望の光なんてなくったっていいじゃないか》という一節に匹敵する。また、「フェイクワールドワンダーランド」が入ることで、その説得力がアルバム全体に及んでいるのも見逃せない。それゆえ本作は、アルバムとしても高い完成度を誇っている。


 もし、本稿を読んでいるあなたが、既存の価値観や常識に対する問いかけなり揺さぶり、あるいは理想や夢をポップ・ミュージックに求めているとすれば、本作を聴いてみればいい。その期待に応えてくれるはずだ。



(近藤真弥)

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