November 2014アーカイブ

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2014年11月17日〜11月23日 更新分レヴューです。

ANDY STOTT『Faith In Strangers』
2014年11月18日 更新

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Andy Stott Faith In Strangers.jpg

 《Modern Love》などを中心としたポスト・インダストリアル・ブームの象徴であるアンディー・ストットの前作『Luxury Problems』は、いまも絶大な存在感を放っている。呪術的でダークなサウンドスケープには聴き手の心を掻きむしるエモーションが宿り、深淵の底を這うようなズッシリとしたグルーヴは黄泉にいざなうかのような怪奇さを醸す。ダブ・テクノ、インダストリアル、アンビエント、ドローン、さらにはコクトー・ツインズというインディー・バンドまで引きあいに出されたが、『Luxury Problems』の群を抜いた独創性はそのどれにも当てはまらない。ゆえにこのアルバムは、ポスト・インダストリアル・ブームが落ちついた現在にあっても私たちを魅了する。


 また、ニュー・バウハウスの写真家として知られるアーロン・シスキンドの "Pleasures and Terrors of Levitation" シリーズを連想させるジャケットも素晴らしかった。そのアーロンがよくテーマに用いた "死" の匂いと殺気をいまだ放ちつづけ、『Luxury Problems』が不朽の傑作として存在するための重要な要素になっている。サウンドはもちろんのこと、ヴィジュアル・イメージでも抜かりない『Luxury Problems』が残した傷痕は、いまも私たちの心にまざまざと刻まれている。


 その傷痕が癒えぬうちに、アンディーは新たなアルバムを完成させた。前作から約2年ぶりとなる『Faith In Strangers』である。本作を作りあげるまでにアンディーは、コウトン「Shuffle Good」、トリッキー「Valentine」、バティラス「Concrete」、マップス「I Heard Them Same」といったリミックスを残し、デムダイク・ステアのマイルス・ウィテカーと組んだミリー&アンドレア名義では、フロア仕様の曲が多く収められたアルバム『Drop The Vowels』を発表。加えて今年5月には来日公演をおこなうなど、精力的に活動してきた。それゆえ、"待望の!" と大袈裟に喧伝できるほどの長い不在を感じなかったのが正直なところ。とはいえ、仮に長い間不在だったとしても、アンディーに対する注目が薄れることはなかったと思う。『Luxury Problems』以降にリリースされ、ポスト・インダストリアルの文脈で捉えられるアルバム、たとえばラヴ・カルト・テイク・ドラスの『Yr Problems』、それからアメリカ同時多発テロ(9.11)をテーマにしたヴァチカン・シャドウ『Remember Your Black Day』、第一次世界大戦の写真をジャケットに使用したサミュエル・ケーリッジ『A Fallen Empire』、そしてイギリスの首相デーヴィッド・キャメロンと同国の財務大臣ジョージ・オズボーンをネタにしたパーク『The Power And The Glory』などは、それぞれ持ち味がある良質なアルバムではあった。しかし、『Luxury Problems』と双璧を成せるかと言われれば、やはり難しいだろう。これらの作品を楽しみながらもつくづく思ったのは、『Luxury Problems』の "次" を形にできるのはアンディーだけなのだという確信であった。


 とまあ、早々と本作から話が逸れてしまったが、『Faith In Strangers』は私たちの期待に応える充実作だと言っていい。まずは前作以上に興味深いジャケットについて。フィーチャーされている面長でタイ米のような彫像は、イタリアのリヴォルノで生まれた芸術家アメデオ・モディリアーニの "Tete"という作品。病弱だったモディリアーニは画家として有名かもしれないが、彫刻家としても、体力面での不安が原因でやめるまではいくつか作品を残している。そのうえ、20世紀前半パリを中心に活動していたグループで、自由奔放な生き方を求める画家たちが集まった "エコール・ド・パリ" の重要人物でもある。35歳で夭逝するまでドラッグや酒が常に付いてまわったというモディリアーニの生き様は "エコール・ド・パリ" の精神を象徴するもので、音楽ファンからすると、ジム・モリソンやイアン・カーティスなど、いわゆる破滅的なロック・スターの精神を見いだせるかもしれない。


 そんなモディリアーニの "Tete" を使用した本作のジャケットだが、バックの街がニューヨークというのもこれまた面白い。ニューヨークといえば、かつて2001年のアメリカ同時多発テロで標的となったワールドトレードセンターがあり、2008年のリーマン・ショックを引きおこしたリーマン・ブラザーズが本社を構えていた街である。このふたつの出来事が世界中に影響を及ぼしたのは言うまでもないが、これらの中心地となったニューヨークをバックにアウトサイダーとして自堕落な人生を歩んだモディリアーニの彫像があるというのは、とても意味深に思える。ロシアのマルク・シャガールや日本の藤田嗣治なども絡んでいた "エコール・ド・パリ" の多国籍な側面をふまえると、本作のジャケットは人種の坩堝とよく言われるアメリカに、多国籍な "エコール・ド・パリ" を重ね合わせたとも考えられる。また、その象徴として、異端性あふれるがゆえに芸術界で孤立したモディリアーニの作品を選んだのは、その異端性をマイノリティーと呼ばれる人たちの暗喩に用いるためではないだろうか? 加えて、"Tete" がアフリカ彫刻からインスピレーションを受けて作られたということも、本作を深く理解するためのヒントになると思う。


 そう考えると、レーベルから発表された本作のプレスリリースで、ロン・ハーディー、プリファブ・スプラウト、ドーム、アクトレス、コクトー・ツインズらと一緒に、アーサー・ラッセルが挙げられていることにも納得できる。アーサーはアメリカのアイオワ州オスカルーサ出身のアーティストで、ニューヨークに移り住んでからはパラダイス・ガラージというディスコを語るうえで欠かせないクラブへ頻繁に通い、自身も数多くのディスコ・チューンを制作した。そして、ゲイであった。このように本作は、ジャケットや影響源となったアーティスト、さらには "ニューヨーク" というキーワードを繋げていくだけでも多くの暗喩を見いだせる。だが、そこにアンディーのサウンドが交わると、これらの暗喩はより複雑怪奇になっていく。これまで書いてきた暗喩をふまえて、「Violence(暴力)」「Science & Industry(科学と産業)」「Damage(被害)」といった曲目に目をやると、本作にはアメリカや消費主義に対する徹底した皮肉が込められているのがわかるはず。


 なんて言うと、"さすがにまわりくどくないか?"と言いたくなる者もいそうだが、こうして聴き手にいろいろ考察させるのも表現の役割なのだからまったく問題にならない。むしろさまざまな解釈と観点を生みだすという点において本作は、音楽以外の表現形態を含めて考えても秀逸な作品だと言える。このような本作と類似性が見られる作品を強いて挙げれば、カナダの映画監督グザヴィエ・ドラン制作の『トム・アット・ザ・ファーム』(2013)だろうか。ビートニクの感性を現代に蘇らせ、同時にアメリカへ向けた痛烈な批判を繊細なタッチで描いた物語に込めたこの映画は、本作に匹敵する多くの暗喩と情報量が渦巻いているからだ。本作と『トム・アット・ザ・ファーム』は共に現在と共振できる要素を持ち、さらにグザヴィエがゲイであることを考えると、マイノリティーとされる人々からの視点を孕んでいるという点も共通項になる。


 それにしても、コンセプトだけの作品に仕上がっていないところは、さすがアンディーというべきか。前作から引きつづき、アンディーのピアノ教師だったというアリソン・スキッドモアが全9曲中6曲でヴォーカルを担当したこともあり、ポップ・ソング集としても聴ける幅広さを獲得している。前作にあったダークで退廃的な雰囲気は深化し、聴き手の精神を肉体から解き放つかのような神々しい恍惚感も健在。冒頭で書いたジャンルの要素がすべて詰まった彩度ある音楽性は特定のジャンルに括れるものではないし、もっと言えばどう呼んでも成立してしまう。それほどまでに本作は独創的だ。


 前作よりもヘヴィーなベースが際立っているのは、おそらく『Drop The Vowels』を経たからだと思う。その特徴が顕著に表れているのは、ミリー&アンドレアのサウンドを連想させる「Damage」だろう。ビートの起伏が激しい「How It Was」もベースが前面に出ていて、本作の中では一番踊りやすい曲だ。そういった意味で本作には、ダンス・ミュージックの享楽性もそれなりに残っている。とはいえ、それも残滓レベルの話だが・・・。やはり全体的にはダウナーで不気味なサウンドスケープが目立ち、前作と比べていささか音の隙間がある。前作がその圧倒的かつ荘厳な世界観で聴き手を蹂躙するような能動的作品だったとすれば、本作は聴き手を受けいれる寛容さと誘惑で満ちた受動的作品である。それゆえ前作以上に多くの人がコミットできる懐の深さがあり、"ポスト・インダストリアルの1枚" に収まらない多面性を備えている。フィールド・レコーディングやサンプリングを駆使するなど、貪欲なチャレンジ精神も見逃せない。


 アンディー・ストットはまたしても、私たちを挑発してみせた。さあ、次は筆者も含めた私たちがその挑発に応える番だ。



(近藤真弥)

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2014年11月10日〜11月16日 更新分レヴューです。

DJ SPOKO『War God』
2014年11月10日 更新

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音楽配信サイト、オトトイ傘下TV♭(フラット)で絶賛放送中、テレヴィジョン・クッキーシーン。最新のものから昔のものまで「時代を超えていいと思える曲(いいミュージック・ヴィデオ)」をがんがん紹介していく番組です。


全10曲程度、そして合計35~55分くらい(昔のLP1枚分くらい)のセットリストが、基本「毎月第1木曜日の夜22時」に更新され、時間枠いっぱいに何度もリピート・ストリーミング放送されます。


初回放送時、最初にセットリストが一巡するくらいまで、今回のセレクター伊藤がツイッターの個人アカウントから軽く(?)曲紹介をおこなう予定です...が、もしなにか緊急の予定が入ってしまったらできないかも(注:今回は11月6日(木)に初回放送されたのですが「できなかった」ので、これをアップした直後におこないます。年末が近くて、かなりどたばた...。すみません!)。


なお次回、第54弾の初回放送予定日は、12月4日(木)。その前日である12月3日(水)までは、この第53弾が毎日再放送されていくはずです。


放送時間などについては、その都度TV♭(フラット)のページをご参照ください。


よろしければ、是非!


2014年11月16日9時55分(HI)

2014年9月

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  • ケロケロボニト

    性別で成り立っているムーヴメントは、好きではありません

2014年8月

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  • トラックスマン

    今回はマイクを握って歌っちゃうよ(笑)

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DJ Spoko『War God』.jpg
 南アフリカのハウス・ミュージックを愛聴する人は、いったいどれだけいるのだろう? 最近は配信サイトでも買えるようになったとはいえ、日本のレコード・ショップのハウス・コーナーに並んでいるのは、イギリス、アメリカ(特にニューヨーク)、ドイツのものがほとんど。日本では、南アフリカのハウス・ミュージックがリスナーに行きわたっているとは言えない。


 じゃあ南アフリカ産ハウスのクオリティーが低いのかといえば、決してそうじゃない。2010年に「Superman」というフロア・ヒットを放ったブラック・コーヒーは世界的なDJ/プロデューサーだし、その「Superman」にヴォーカルで参加したブシーは、『Princess Of House』という良質なハウス・アルバムを残している。他にもリキッディープやCWBが質の高いシングルを発表したりと、南アフリカのハウス・ミュージック市場は日本のリスナーが想像するよりも遥かにデカい。それは、ブラック・コーヒーのフェイスブックの「いいね!」数にも表れていると思う。


 そんな南アフリカから、またひとつ興味深いハウス・ミュージックが届けられた。DJスポコの『War God』である。DJスポコは12歳でプロデュースを始め、南アフリカで10年近く活動している男。南アフリカのダンス・ミュージック、シャンガーン・エレクトロの第一人者ノジンジャからサウンド・プロダクションを学んだそうだが、DJスポコは自身の音楽を"バカルディー・ハウス"と呼んでいる。


 確かにDJスポコのサウンドは、シャンガーン・エレクトロと呼べるものではないし、ブラック・コーヒーのソウルフルで上品なハウス・トラックとも違う。粗々しい質感が特徴の音粒に、性急かつ肉感的なグルーヴ。そして何より、汗臭い。お祭り騒ぎの祝祭感であふれ、性欲すらも漂わせる猥雑な雰囲気。それゆえ『War God』に収められた曲のすべては、聴いていて楽しめるものであるのは間違いない。シンセの音からはシャンガーン・エレクトロの影響も見受けられるが、リズミカルな展開とチープで享楽的なところは、南アフリカのクワイトに通じる要素をうかがわせる。こうしたバカルディー・ハウスと類似するサウンドといえば、ブラジルのテクノブレーガと呼ばれる音楽だろうか。要は、踊って楽しんだもん勝ちな音楽であるということ。


 だが、トラックにつけられた曲名は暗喩を滲ませる。アルバム・タイトルもそうだが、「More Pain」「Civil War」などは、タウンシップと呼ばれる黒人居住区に住んでいたDJスポコの背景を考えると、どうしても意味深に思えてしまう。南アフリカといえば、かつて人種隔離政策のアパルトヘイトがおこなわれていたことでも有名だが、タウンシップはアパルトヘイトの影響で黒人が強制的に住まわされた場所という歴史を持っている。その影響は、アパルトヘイトが完全撤廃されたいまも差別や格差という形で残っているのは有名かもしれない。華やかなダウンタウン、それから住民の多くが白人のゲーテッド・コミュニティーと呼ばれる高級住宅街の目と鼻の先に、タウンシップはあるのだ。さらには"ブラック・ダイヤモンド"と呼ばれる黒人の中間所得層も出てくるなかで、黒人間の格差も問題になっている。こうした南アフリカの現状をふまえると、「Man In Black Suit」や「Captain Jack Spoko」といった、とある有名なアメリカ映画をネタにしたであろうタイトルも皮肉に見えてしまうが・・・。DJスポコは、《True Panther Sounds》からリリースしたシングルに「Ghost Town」と名づけるような男だから、ありえなくもない。


 そう考えると『War God』は、"踊り" や "祭り" 自体がひとつの抵抗手段や主張になりえることを証明したアルバムだと言える。パラダイス・ガラージの熱気、アシッド・ハウスの狂騒、そしてハーキュリーズ&ラヴ・アフェアがそうであるように。人は都合よく記憶を風化させる生き物だが、そのような者たちが『War God』を聴いてどう感じるのか、非常に興味深い。


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2014年11月3日〜11月9日 更新分レヴューです。

きのこ帝国『フェイクワールドワンダーランド』
2014年11月3日 更新
OBJEKT『Flatland』
2014年11月5日 更新
映画『嗤う分身』
2014年11月7日 更新

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WarauBunshin.jpg

 映画を紹介するときによく使われる"ネタバレ"って言葉は、この『嗤う分身』には必要ない。もちろん、あっと驚くストーリー展開はあるけれど、それを語ったからといってこの作品を観る楽しみが台無しになることはないと思う。言わないけどね! そもそも"ネタ"だの"オチ"だので、わかったような気分にはならない不思議な魅力を持った作品だから。観終わったあとに向き合っているのは、(誰の心の中にもいるはずの)もうひとりの自分自身なのだと気づかされるはず。


 テーマとストーリーは、この秀逸な邦題『嗤う分身』に集約されている。映画の原題は『THE DOUBLE』、ドストエフスキーによる原作は『ドッペルゲンガー』(岩波文庫版では『二重人格』)という味気ないほどストレートなタイトル。邦題に加えられた"嗤う"のひとことは、日本語ならではの微妙なニュアンスがひりひりする。自分の分身がニヤニヤしている姿が目に浮かぶ。そしてスクリーンの中に現れるもうひとりの自分は、やっぱりニヤけている。親しげに"笑う"のではなく、不遜にも"嗤う"のだ。僕自身を。


 ピュアな心を持ちながらも仕事も恋も...というか、日常生活すべてを不器用に生きることしかできない主人公のサイモン・ジェームズ。そんな彼の前にある日突然、自分とまったく同じ容姿のジェームズ・サイモンが現れる。そして、密かに想いをよせている同じ職場のコピー係、ハナとの関係も少しずつ変化してゆく。


 一人二役で正反対の人格を演じきるサイモン/ジェームズ役のジェシー・アイゼンバーグと可憐さの中に深い闇を垣間見せるハナ役のミア・ワシコウスカの演技は、まるで二人っきりの舞台演劇のように濃密だ。その舞台とは、"ちっぽけだけど、平和な自分"と"理想だけど、手に負えない自分"、そして唯一の対象ともいえる"憧れ"がひっきりなしに交錯するところ。そう、それは僕たちの心の中そのものなのかもしれない。


 ひとりぼっちで目を閉じても、現実は何も変わらない。鏡を覗き込んでも、イケてる自分はそこにはいない。そして、恋するあの子にも悩みがあることなんて知る由もない。最善策は現状維持なのかな。人には言えない、知られたくない欲望だけが行動理由。そんなふうに自分が造り上げてしまった世界の秩序を破れるのも、自分しかいないのだけれど...。


 そんな複雑なプロットをリアルな心理描写とファンタジックなヴィジュアル・センスで手際良く描いてみせる監督・脚本のリチャード・アイオアディは、ヴァンパイア・ウィークエンド「Oxford Comma」、「Cape Cod Kwassa Kwassa」やカサビアン「Vlad The Impaler」、アークティック・モンキーズFluorescent Adolescent」などのPVも手掛けるインディー/オルタナティヴ・ミュージックにも近い存在(『嗤う分身』にもダイナソーJr.のJ.マスキスがひょっこり登場するから、要チェックね!)。「アークティック・モンキーズのアレックス・ターナーのソロ・デビュー作はサントラだったでしょ。あの『サブマリン』って映画を監督したんだよ!」といえば、ピンと来る人も多いはず。同じくPV出身のミシェル・ゴンドリーやスパイク・ジョーンズが思い浮かぶけれど、ダークなのになぜか笑える『嗤う分身』の感性は新しい。コメディアン/俳優としても活躍する彼ならではの個性だ。


 散りばめられた分身/複製のメタファーはデヴィッド・リンチ的な暗示に満ちている。キューブリックを彷彿とさせるシンメトリーなアングルはスクエアに歪んでいる。そんな孤独な世界を映し出すのに、太陽の光は似合わない。不穏なオリジナル・スコアに混ざって響き渡るのは、坂本九の「上を向いて歩こう」やジャッキー吉川とブルーコメッツの「ブルー・シャトウ」など、60年代の昭和歌謡。面倒な自我とやらに掻き乱されっ放しの頭の中を映像化したらきっとこんなふうに見えるのだろう。「原作がロシア人で音楽が日本人。監督がイギリス人で主演俳優がアメリカ人」というカオスなハイブリッドは圧倒的に正しい。頭の中では、時代も時間も場所も関係なく、すべてがめちゃくちゃにこんがらがっているから。そして、それはポップで切なくて、こんなにも狂っている。少なくとも僕の場合はそうだ。


 "もうひとりの自分"を描いた『ファイト・クラブ』はまだマシだとさえ思える。エンドロールに流れるピクシーズの「Where Is My MInd?」には、"My MInd"を対象として意識している分だけ救いがあるような気がする。けれども、この『嗤う分身』はどうだろう。見つめ直さなくちゃならないものが"My Mind"の内側そのものだとしたら、その答えをどうやって見つければ良いのかな? その問いかけこそが、『嗤う分身』の本質なのだと思う。答えは観る人それぞれに託されている。




(犬飼一郎)

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Objekt『Flatland』.jpg

 オブジェクトことTJ・ハーツは、実に多面的な男である。《Hessle Audio》からリリースした「Cactus / Porcupine」はポスト・ダブステップを代表するシングルのひとつだが、「Objekt #2」収録の「CLK Recovery」では、ストレートな4つ打ちが特徴のテクノを披露している。とはいえ、オブジェクトの音楽はダブステップやテクノだけで構成されているわけではなく、ある者にとってはUKガラージの因子を見いだせる音だろうし、コスミンTRGとのスプリット・シングルに収録の「Shuttered」を聴いた者は、ドレクシアなどのエレクトロが流入していると感じるだろう。それほどまでにオブジェクトの音楽は多角的で、聴き手のあらゆる解釈に耐える懐の深さを持っている。


 そうした音楽を鳴らす才に恵まれたオブジェクトが、ファースト・アルバム『Flatland』のリリース元に選んだのは、ベルリンを拠点とする《PAN》。リー・ギャンブル『KOCH』やジェームズ・ホフ『Blaster』に象徴される、実験的かつ急進的な作品を数多くリリースし、昨今のエレクトロニック・ミュージック・シーンのなかでも一際注目されているレーベルだ。活動当初はジ・エックスエックスFKAツイッグスの作品を取り扱う《Young Turks》からシングルを出していただけに、なんだか極北に来てしまったなと言いたくもなるが、お似合いといえばお似合いである。


 さて、肝心の『Flatland』を端的に表すと、なんとも掴みどころがないアルバムのように思えてしまう。まず、キラキラとした未来的なサウンドスケープが際立ち、さまざまな音楽が撹拌された作風は、ロゴスの『Cold Mission』を想起させる。だが、このアルバムがジャングルやグライムの要素を醸すのと比べれば、『Flatland』の音はμ-Ziq(ミュージック)などのIDMに近い。そう考えると、ローン『Reality Testing』やフォルティDL『In The Wild』といった、ここ最近IDMを取り入れた作品が多くなってきた流れとも共振できる。


 とは言っても、「Ratchet」や「Strays」では先に書いたエレクトロを前面に出しており、いわばオールド・スクールなノリも強い。しかし、無機質で冷ややかな質感が際立つ「One Stitch Follows Another」は、シフテッド主宰《Avian》周辺のUKハード・ミニマル、あるいはハーツが住むドイツの《Ostgut Ton》に通じるサウンドである。


 こうした内容の『Flatland』は、過去~現在~未来が溶解した状態で存在し、高い音楽的彩度を誇る作品だ。それゆえ、"◯◯なアルバム" と断定するのが難しく、聴く人の感性次第でいかようにも姿を変えてしまう。再帰的な結論になってしまうが、ある者はIDMだと言い、ある者はエレクトロだと言い、ある者はテクノだと言うだろう。だから筆者も、"◯◯なアルバムだ!" と断言できないが、よりどりみどりな作品になったことで、『Flatland』は聴き手を夢中にさせる多彩さを獲得できたのだ。Resident Advisorのインタヴューでハーツは、『Flatland』について「この仕上がりにはとても満足していますけど、自分から取り除かないといけない要素がある気もしています。なので次回はもっとフォーカスした結果になるでしょうね」と語っているが、今回に限って言えば、フォーカスしなかったことでオブジェクトの多様性が見事に表れたと言える。



(近藤真弥)

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