経立『Tane to Zenra』(Call And Response)

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 日本のポスト・パンク/ニュー・ウェイヴに感銘を受け、バンド活動だけでなく音楽ライター業、レーベル運営まで手がけるイアン・マーティンという英国人がいる。カヴァー・バンドを結成するくらいガイデッド・バイ・ヴォイシズを愛し、ヒカシューをフェイヴァリットに挙げる男。去る2014927日、東高円寺二万電圧にそんな彼のイベントを観に行った。筆者好みのアクトだったのは、ニュー・オーダーを想起させる2組。キーボードを歪ませて、激しく楽しくパワー・ポップ寄りなJEBIOTTO(ジェビオット)。それから、一見オシャレな女性スリー・ピースだが、ときに民謡のような力強い節回しのヴォーカルと、ファンク寄りのポスト・パンクなグルーヴ感が素晴らしいmiu mau(ミウ・マウ)。両バンドとも、歌い手の華奢な身体のどこからあんな気迫が出てくるのかと引き込まれた。


 メロディアスで踊れる彼女らとは対照的だが、度肝を抜かれたのが鹿児島のサイケデリック・デュオ、経立(ふったち)だ。長い黒髪の女性イグゼット漱石が叫びながら歌い、痙攣するように叩き弾く鍵盤の轟音。そこに長身、スーツの男性O-miの爪弾くギターが荘厳な雰囲気を加える。歌というより原初の叫びと衝動的に鳴らされる伴奏、その中に景色が見える。凄惨な景色、美しい景色、もの悲しい風景。単純なノイズの繰り返し、そのズレ、隙間に様々な感情がよぎる。


 本作は30分ワン・トラック音源。時代の流れの真逆。ツイッターフェイスブックで目にするキャッチ―な3分間ポップスや、タイトルで興味を引きクリックさせるようなニュース記事とは対極のアプローチだ。同じ形式で有名なのはX JAPANART OF LIFE』。クラシックの素養を持つYOSHIKIは組曲としてこの長さがないと自分の半生を表現できないと考えた。本来、人の思考なんて複雑で簡単には表せない。そして、『ART OF LIFE』も『Tane to Zenra』も約30分という長尺にも関わらず、聴きだすと引き込まれ最後まで聴いてしまう。


 本作では途中、「君が代」を連想させるギター・フレーズが何度も聴ける。繰り返し現れるうちにそれは歪み、高速化してハード・ロック調になる。子守唄のように優しいコーラスが加わった後に全てはフェイド・アウトしていくが、最後まで残るリズム・トラックの単調な響きで、ふいに私は幼少期の記憶を思い出した。両親が帰ってこない公営住宅の一室で眠れずに過ごす私の耳にコツコツと規則的で不気味な音が大きく響き、それに合わせて両瞼がひどく痙攣して苦痛を覚えた。度々そういうことがあったが、音の正体は秒針が動く音だったと後に気付いた。時計は私の不安も同時に刻んでいたのだ。


 柳田國男『遠野物語』によれば、"経立"とは長寿を経た動物が妖怪化したもので、主に東北に分布するという。誰しもが抱く不安を別の形に置き換えた彼らの音楽はまさに妖怪と同じ。時に妖怪は災害のメタファーとして生まれる。川で子どもが溺れ死ねば、河童に尻子玉を抜かれたという。子を失った親の悲嘆を背負うのが妖怪だ。


 スピードに重きが置かれる情報化社会において、伝わりやすく拡散されやすいキャッチ―な表現は便利だ。しかし世界の様々な事象、それに伴う人々の感情はそれだけでは正確に表せない。経立の音楽のように、長い時間と手間を要する表現にアートもメディアも最終的に回帰していくはず。



(森豊和)

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