OGRE YOU ASSHOLE『ペーパークラフト』(P-VINE)

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OGRE YOU ASSHOLE『ペーパークラフト』.jpg
《あなたの周りを気づけば占領》
(「見えないルール」)


《きれいな海 あふれる光 ハリボデの街もなんだかいい》
(「いつかの旅行」)


 このふたつの印象的な一節が登場する、OGRE YOU ASSHOLE(オウガ・ユー・アスホール : 以下 オウガ)の最新アルバム『ペーパークラフト』を聴いて筆者が想起したのは、1998年に公開された、アレックス・プロヤス監督による映画『ダークシティ』だ。


 『ダークシティ』は、舞台俳優としても知られるルーファス・シーウェルや、今では "ドラマ『24』のジャック・バウアー" と呼ばれがちなキーファー・サザーランドのコミカルな演技を楽しめるSFスリラー。ルーファス・シーウェル演じるジョン・マードックが、ある日バスタブの中で目を覚ますと、なぜか記憶をなくしていて、おまけに殺人犯として追われる身になっていた。ジョンは逃亡を続けるが、そのなかで彼は、いま自分のいる街がストレンジャーという謎の異星人たちによって作られたものであり、その街に住む人々の記憶も、人の心を知るというストレンジャーの目的のため操られていること、さらに、自分が生まれ育った "シェル・ビーチ" は存在しないという事実を知ってしまう、というのが大方のストーリー。そんなストーリーは観客に、"真実"とはなんなのか?、そして、ジョンと妻であるエマの関係を通して "人との繋がり" について問いかける。


 アレックス・プロヤスが『ダークシティ』に込めたメッセージ、それは、人々は記憶に生かされるのではなく、おのおのに沸き立つ偶発的感情や不確実な行為の積み重ねによって生かされ、互いを繋いでいくということ。ストレンジャーは、同じ記憶を全員で共有しながら生きてきた画一的存在として劇中に登場するが、そのような存在に打ち勝つジョンは、偶発的感情や不確実な行為によって生じる多様性の象徴と言える。現にジョンは映画のラストで、戦いのなかで得た、ストレンジャーと同様の街を作りかえる力でシェル・ビーチを作り、ジョンの妻としての記憶を失い "アンナ" となってしまったエマと、シェル・ビーチに向かって共に歩きだす。つまり、偶発的感情のひとつである "愛" を信じたのだ。


 そんな『ダークシティ』と類似する思想が、『ペーパークラフト』では描かれているように聞こえる。そうなると、腰を据えて聴かなきゃいけない重厚な作品と思うかもしれないが、クラウトロック、ファンク、ポスト・パンクといった要素によって築きあげられたミニマルでサイケデリックなサウンドスケープは、重苦しさを感じさせない。肉感的なベース・ラインとシンプルなリズムでグイグイ引っぱっていく「見えないルール」や、トライバルなリズムが印象的な「ムダがないって素晴らしい」などは、ダンスフロアで流れたら観客が踊りだすであろうグルーヴを持っている。もちろん、石原洋(サウンド・プロデューサー)や中村宗一郎(レコーディンク/ミックス・エンジニア)という長い付き合いを持つスタッフと練りあげられた音粒は、聴きこめば聴きこむほど味わい深さが増してくるし、さまざまな音楽的要素が上手く混在しているおかげで何度聴いても飽きがこないから、腰を据えて音楽に向きあうタイプの聴き手にも届くだろう。おまけに、リリースからある程度の時が流れても、ふと想いだしたように再生してしまう魔力も宿っている。だが、誤解を恐れずに言えば、さながらイージーリスニングのように聴けるのだ。ソファに寝そべりながら・・・なんてシチュエーションで聴いても本作は見事に機能する。少なくとも、レディオヘッドのような聴いていて死にたくなる暗さはまったく感じられない。


 とはいえ、歌詞に注目してみると、『homely』とそれに続く『100年後』の流れを汲んだシニカルな言葉選び、さらには『homely』リリース時のインタヴューで出戸学(ヴォーカル/ギター)が語っていた、「居心地がよくて悲惨な場所」(※1)というテーマが健在なのは明白。ゆえに本作では、"熱を帯びた音に冷ややかな言葉" という、非常に興味深い共立が実現している。その共立は聴き手の多様な聴き方や解釈を許す余白を備えており、この点は坂本慎太郎の『ナマで踊ろう』に通じる。片手間で音に耳を傾けるだけでも惹かれるが、そこから作品に深く入り込むと想像力が刺激され、「画一的な熱狂」とは異なる連帯を私たちにもたらしうるという意味で。このような余白には、現在の日本を当てはめることも可能だし、身の周りの人間関係を重ねても不自然ではない。過去に出戸学も言っていた、「そういう場所をどう思うかっていうのはみんな次第なんじゃないかな」(※2)という姿勢が残っているからだ。


 また、本作の歌詞が、『homely』や『100年後』と比べるといくばくか具体的になっている点も見逃せない。もちろん、いろんな解釈ができる曖昧さを孕んでいるのは確かだ。しかし、《みんなが未来や夢を語り合った 問題は誰を見捨てるか》(「他人の夢」)、《不気味だルールは》(「見えないルール」)など、オウガにしては "言い切った言葉" も目立つ。


 かつて出戸学は、弊誌のインタヴューにおいて、編集長の伊藤英嗣と次のようなやり取りをしている。


「伊藤 : 日本でも何でもいいんだけど、『居心地がいいんだけどどうなのか...』という部分にしぼって、ズバリどうなんですか? そこを脱出したほうがいいと思うのか、それともそこにずっと居つづけていいと思うか?

出戸:気づかなかったらいいと思いますけどね。気づいちゃったときは居られなくなるんじゃないすかね。そんな感じしますけどね。」(※3)


 もしかすると、本作を作る過程でオウガは気づいてしまったのかもしれない。だからこそ、"言い切った言葉" が多くなったのではないか? そう考えると本作は、バンドとして着実に深化を果たしながらも、共時性と通時性の共存という音楽の理想形に近づいた傑作だと言えるだろう。



(近藤真弥)



※1、※2、※3 :  クッキーシーンでおこなわれた『homely』リリース時のインタヴューより引用。


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