HIKASHU『Hikashu Super 2』(EMI)

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 暑い。日本の夏は、とにかく暑い。地球温暖化のせいだか知らないけれど、最近の夏はまた湿度が高い...ような気がする。日本の夏、キンチョーの夏...じゃなくて、アラフィフ音楽(主に洋楽)野郎である自分は、こんなふうに言いたくなってしまう。日本の夏、ザ・ヴェンチャーズの夏。いや、ここはやっぱり、20世紀風にベンチャーズと表記したいところだ。


 80年代初頭、彼らがメジャーと契約していた時代に東芝EMIからリリースされたベスト&レア・トラック集『ヒカシュー・スーパー』につづく、30年以上ぶりの続編『ヒカシュー・スーパー2』。前作にも、1980年に彼らがベンチャーズと共演した際のライヴ・トラックが2曲入っていた。かつてはヒカシューの代表曲「プヨプヨ」「パイク」にベンチャーズが参加したものだったけれど、今回は逆にベンチャーズの「十番街の殺人」「テルスター」にヒカシューが参加したトラック! 『ヒカシュー・スーパー2』の流れとしては、その2曲の直後に79年のヒット曲「20世紀の終わりに」のまさに20世紀末(2000年)に録音された「ダクソフォン・ヴァージョン」が、極めて自然につづいていく(リアルそのもの...)。


 そういえば、1980年、高校2年生だったぼくのサマータイムの最愛聴盤は、ヒカシューのセカンド・アルバム『夏』だった。うん、日本の夏、ヒカシューの夏...。


 ちょうどYMOが大ブレイクしていたころの話だ。彼らは、プラスティックス、Pモデルと並んで「テクノ・ポップ御三家」と呼ばれていた(笑)。ぼくは、そのみっつを並べた場合、今挙げた順番で好きだった。ヒカシューとプラスティックスは、かなり大好き。そのあと、のりこえられない壁があってPモデル...ってな感じで...。そう思ったきっかけのひとつは、愛読(カルチャー?)誌『ウィークエンド・スーパー』に載っていた「ヒカシュー巻上とPモデル平沢のバトル」の顛末記を読んで、Pモデル...だっせー...と思ったことも理由のひとつだった(詳細は略。またの機会に:笑)。


 当時は、いわゆる「ビニ本」が登場してきた時期。健康な高校生男子としては大変興味を持っていた。その流通形式を使って『ジャム』『ヘヴン』といった先端的な雑誌も売られていたことは知っていたものの、なかなか買えなかった。売ってる自販機が近所になかったうえに、とても高かった...。しかし『ウィークエンド・スーパー』は、1000円以下で近所の本屋さんで普通に買える。毎号(いわゆる無名時代、よりゲリラ的であった時期の荒木経惟による)極めてエロい無修正写真も毎号載っていた。『ヒカシュー・スーパー』というアルバム・タイトル、およびロゴは、その雑誌へのオマージュとなっている。


 まさに、日本の夏...(笑)。


 ベンチャーズの話に戻ろう。彼らは50年代~60年代の日本で確立された「エレキギター=不良」というイメージの源流のひとつにもなっている生粋のギター・バンドなのだが、なぜかエレクトロニックな音楽との相性がとてもいい。構造的にそれほど複雑ではなく、どこか機械的にぎくしゃくした味があるから、だろうか。ちなみに(USの)ディーヴォも(79年の)セカンド・アルバムで、ベンチャーズのレパートリーとして世界的に有名な「秘密諜報員」をカヴァーしている。ディーヴォも、そしてクラフトワークも、70年代末~80年代前半の日本では「テクノ・ポップ」と呼ばれていた。ヒカシューはファースト・アルバムで、クラフトワークの「モデル」を、あまりに巧みに(歌謡曲かと見まがう素敵なお水っぽさで)カヴァーしている。そして、この『ヒカシュー・スーパー』では、90年代末に日本でリリースされたクラフトワーク・トリビュート・アルバムにも収録されていた、彼らの「放射能」が聴ける。


 おお...と思った。今の時代状況に会っている。ライナーを読んでみると、98年録音か。そういえば...と思ってウィキを調べてみたら、おっと、それは違ったか...。


 例の、茨城県東海村の原発事故は99年のことだった。作業員がバケツで放射性物質を運んでいたなど、寒気に襲われるしかない事実があとになって発覚したものの(当時は主に東京の編集室で)がんがんにDTP作業しているとき、ネットで入ってきた速報ニュースを見たときは...! ちょ、ちょっと待てよ...死がそこまで迫っている...とばかり、数時間~1日くらい作業を中止して、ネットで情報を追うことしかできなかった。ツイッターなど影も形もないどころか、2ちゃんもまだまだ全然マイナーだった時代。今思いだしてもぞっとするし、ネットでニュースを得ることの重要性を、ぼくはそこで最初に学んだ気がする。


 で、この「放射能」、それを受けて録音されたものではなかったけれど、逆に時代を少しだけ先取り...日本の未来を予言していたと言えるかもしれない。もちろん、チェルノブイリやセラフィールド、ヒロシマに対する言及はある。そして、最近のライヴでは、当然フクシマにも...。


 これまでCD化されていなかった80年代初頭のシングル「私はバカになりたい」(荒木経惟ほどではないけれど、当時はまだほどよくアンダーグラウンドな存在だった蛭子能収のマンガ作品に対するオマージュ曲)「超・少年」と、それらのカラオケ・ヴァージョン、新録/新ミックス曲や90年代に録音されたものも含む、全12曲。テクノ・ポップなのかトライバル・アヴァンギャルドなのか? ロックなのかJポップなのか? そんな中途半端な対立項をのりこえ、ついでに70年代後半から現在に至る40年の時代も軽々とまたぎこしてしまった。グロテスクであると同時に美しく湿った(プラスティックというより生きたビニール人形的である)ヒカシューの音楽の魅力が、見事に集約されていると言えるだろう。


 日本の夏は...(以下略)。



(伊藤英嗣)


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