ハリネコ『roOt.』(ho:oh / DEFREC) 

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 大友良英も関わる『音遊びの会』という取り組みがある。知的障害者とその家族、音楽療法家や様々なアーティストが集まり、即興演奏を通して新しい表現を開拓する試みだ。そのメンバーである原山つぐみが、2013年に神戸でスタインウェイ・リレーという順番にグランド・ピアノを演奏していくイベントに出演したのを観た。故・佐久間正英や早川義夫、モーマスにDODDODO(ドッドド)といった顔ぶれに挟まれて。極めて直感的なプレイ、というか瞬発的な叩き方、感情が染み出してくるようなパフォーマンスだった。


 既成の常識にとらわれないゆえに素晴らしい表現をするアーティストがいる。彼らこそ新しい普遍的なポップスを作る可能性がある。札幌出身のSSW沙知を中心としたプロジェクト、ハリネコもそのひとつだろう。勢いと艶のある彼女の歌がまず心臓をわしづかみする。さっぱりとした色気と生命力あふれる声。時にギリギリな響き、喘ぎ、あるいは切実な祈りを思わせる。ギター、シンセサイザー、ベース、チェロ、ドラムからなる彼女を支える演奏はシアトリカルというか、歌舞伎、浄瑠璃のような日本古来の伝統芸能、舞いと演奏が一体になったパフォーマンスを想起させる。次々と展開していき、とりとめがないようで整合性がある。収まる所に収まる。また、沙知の声はもちろん大人の女性のそれだが、歌いまわし、声色の端々に年端もいかない少女が見え隠れする。全体として大人の豊満な女性の質量ではなく、中性的で軽やかな響きとなる。演劇をイメージさせると書いたが、ある少女の波乱に満ちた成長を描く物語に聞こえてくる。


 ここまで書いて、ハリネコの音楽から冒頭に書いた原山つぐみの演奏を思い出した理由が分かった。その日の演奏中、妨害する街頭の騒音にさらされた彼女はその場を立ち去りたい衝動を必死にこらえているように見えた。何度も中断しながらも、しかし演奏を途中でやめなかった。つらさの尺度は人それぞれ、泣きたい、叫びたいくらいの苦しさを乗り越えて表現する。彼女の演奏が終わると観衆は一際大きい拍手を送っていた。そのとき微笑んでいた彼女が沙知のなかに居る少女とだぶったのだ。拍手する観衆は彼女にとってのバンド・メンバー。北の都から出てきた少女は東京で7人の小人ならぬ精鋭ミュージシャン達と巡り会う。誰の人生においても困難を乗り越えるためには仲間の存在は欠かせない。アバンギャルドなようでスタンダードな安心できるものにちゃんと行き着くのは、多彩なメンバーが彼女を支えているからなのだろう。



森豊和

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