CHROMEO『White Women』(Last Gang / Parlophone)

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 2014年も、すでに半分すぎてしまった。今年前半の、ぼくの最高の「愛聴アルバム」は、テンプルズサム・スミス、それは結構揺るぎないとして、もちろんほかにも素晴らしいものがたくさんあった。ちょっと俯瞰的に、比較論もまじえれば、こんな言い方もできる。


 2014年の「インディー・ロック」トップ・アルバムがフォスター・ザ・ピープルだったとすれば、彼らクローミオによるこの『White Women』こそ、まぎれもない「インディー・ポップ」トップ・アルバムだと。


 まあ、どちらもiTunesにつっこんだとき(Gracenoteをつうじて)表示された「ジャンル」は「インディー・ロック」だが(笑)。というか、彼ら...カナダのクローミオに関しては、ちょっと意外だ。00年代のポスト・パンク/ディスコ・ リヴァイヴァル・ブーム期に世に出た男性ふたり組ユニット。今調べてみたら、前作にあたる2010年のサード・アルバムのジャンル表記は(「ヒップホップ」ではなく:笑)「ラップ」だったし。


 もともと彼らの名前を耳にしはじめたころ、LCDサウンドシステムのジェームズも「注目してる」と言ってたから「エレクトロニカ/ダンス」でもおかしくない(ただ、同じく今ぼくのiTunesライブラリを確認してみたら、LCDのファーストとセカンドは「オルタナティヴ&パンク」だった。自動的に出てきたものなのか? それとも、ぼくが勝手に変えたんだっけ? 今となっては記憶がないぞ...:笑)。


 そういった「ざっくりした」話は、ちょっと置いといて、ぼくのなかにおける彼らの位置づけに関して言えば、ほぼ同じころ好きになりはじめたオーストラリアのカット・コピーや、フランスの(かつてのダフト・パンクフェニックス→)ブレイクボットあたりと近い。「ギターやベースやドラムスと同じようなものとして、それが使われはじめたころ」、つまり70年代末~80年代っぽいエレクトロニック感覚を継承しつつ、なによりエヴァーグリーンなポップ・エッセンスが、むちゃくちゃ気持ちいい。


 そんな意味で、この『White Women』、彼らの最高傑作だ。ヨーロッパ盤は名門パーロフォンから出てるだけあるというか。全盛期のプリンスに勝るとも劣らない完成度。ぼくはプリンスの80年代の作品を今もときどき聴く。やはり「当時のサウンドだな」と感じつつ。あくまで「アーカイヴ」として楽しんでいる。それに比べると、こっちは、もちろん「今の音」そのものだし、「とにかく楽しい」という意味ではプリンスより、もっと「普通のヒット曲」寄りかもしれない。


 そう、このアルバムは、本当に、ちょっとどはずれなくらいに楽しい。楽しすぎる。だから、ぼくは「精神的にはめをはずしたい、思いっきり逃避したい」とき、これを聴いている。


 だからこそ「インディー・ポップ」なのだ。フォスター・ザ・ピープルの新作セカンドも素晴らしかった。しかし、そこには「社会のなかにおける自分の位置づけ」に対する苦悩がすけてみえた。もちろん、いい意味で、エンターテインメントに徹しつつ。ピンク・フロイドの『Animals』や『The Wall』と、ためをはるくらいの深さで。それゆえ「ロック」だと思った。


 そして、ぼくは疑心暗鬼に陥ってしまった。フォスターのセカンド、噂によるとファーストに比べてあまり好きじゃないという人も多い、すごく賛否両論...らしい。えっ、なんで? もしかして、あれなのかな? 「インディー・ミュージック」ファンって、「社会」というファクターが音楽に入ってくると、拒否反応を示してしまうことも多い...ってこと?


 はあ...。正直に言おう。ぼくは長年クッキーシーンというメディアをやりつづけていた。だけど、その「イメージ」も含め、自分自身がそれを「完全にコントロール」できるわけではない...ってことも長年やっていて痛感した。とりわけつらかったのが、「雑誌」時代の後期...00年代末ごろ。そういった意味での「インディー・ファン」が読者に多くなってしまったのではないか? という...。


「政治? 社会? 知らないよ。選挙? 関係ない。われこそセカイの中心...みたいな(笑)」。


 やめてくれ...。素晴らしいポップ・ミュージック/ロックには「逃避」的側面がある。それは、たしかなこと。だけど、これは違うだろう。そんなふうに「閉じこもって」ばかりいたら、「逃避」をとおりこし、そのうちやがて「死」がやってくる。きみのわきに、しのびよってくる。それは、今の日本の社会に暮らしていれば、わかるはず...じゃないか?


 英語版ウィキペディアによれば、彼らは自らのことを「人類の文化の曙以来、はじめて『成功』した、アラブ人とユダヤ人のパートナーシップのたまもの」と称している。この音楽を聴き、ユーチューブでそのヴィデオを鑑賞したとき、『White Women』というアルバム・タイトルから、なにより強く伝わってくるのは「あー、きれーな白人ねーちゃんと遊びまくりてー、あわよくば結婚してーよー!」という、やむにやまれぬ感覚(笑)だが、その裏にある「批評性」は、上記の自己認識からして、もう明白だろう。


 さらに、アートワークに使われている車を見たとき、今さらながら気づいた。ずっと「クロームという金属名と(ジュリエットに対する)ロミオという人名の合成語」かと思っていたバンド名の、もうひとつの意味...ニュアンスに...。そっか「Chromeo」というつづりは、なんか「シボレー・カマロ(Chevrolet Camaro)」にも似てるぞ!


 今回、彼らがアートワークに使ったカマロは、80年代後半~90年代初頭の古いもの。ちょうどウルトラマンティガの(世界平和機構TPC傘下で最初は「武器」を持っていなかった)防衛隊GUTSの使用車(黄色いシャーロック)として使われたのと、ほぼ同じ年式。ちなみに、それより新しい年式の黄色いカマロは、トランスフォーマー実写版で複主人公たるバンブルビーにトランスフォームする。


 すごく「男の子」っぽい車だし、もうひとつ言っておけば、カマロはシボレーのラインのなかで、わりと低価格帯に属する比較的「庶民的な」スポーツカーだ。80年代初頭のプリンスに「Little Red Corvette」という大ヒット曲がある。スポーツカーに仮託して《あなた(のちんぽは「Little Red Rooster」ならぬ)赤い小さなコルヴェット...(いくの)速すぎ(フラストレーションたまっちゃう)!》と歌われたそのコルベットは、GM(ジェネラル・モーターズ社)全盛期におけるシボレーのフラッグシップたる高級車だった。でもって、クローミオは白い(古いし、たぶんそれほど速くもない)カマロ。こんなところにも、クローミオの「特質」が、よく現れているではないか...!


 最後に、ひとつ意地悪な? ことを言っておこう。


 このアルバムには、さまざまな人たちがゲストとして参加している。(LCDサウンドシステムの、わりと「パンクな面」を支えていた者のひとり)パット・マホニーや、(そういう名前のユニットがあることは知ってたけれど、ぼくも聴いたことがない)フールズ・ゴールドの人たち。そして、これが「でかい」んだが、ヴァンパイア・ウィークエンドのエズラや、トロ・イ・モワまで! ただし、彼らのフィーチャーのされ方は、決して「インディー・ミュージック」を「知的シェルター」として捉えている人たちが喜ぶような形ではない。むしろ「下世話なポップ・ミュージックの典型シンガー」として、そんなタイプの「インディー・ファン」たちが眉をひそめるか、もしくは「はあ? 関係ないよ、ぼくには...」などと言ってしまいそうな役割を与えつつ。その典型が、トロ・イくんをフィーチャーした「Come Alive」のヴィデオだろう。彼自身すごく「楽しんでいる」ように、ぼくには見えるのだが(笑)。


 ぼくは「最高!」と思った。さて、あなたは、どんなふうに感じるだろう?



(伊藤英嗣)

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