HERCULES & LOVE AFFAIR『The Feast Of The Broken Heart』(Moshi Moshi)

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 アンディー・バトラー率いるハーキュリーズ&ラヴ・アフェアのファースト・アルバム『Hercules And Love Affair』が発表されてから、6年近く経った。このアルバムは、妖艶で甘美なサウンドをまとったハウス・ミュージックでありながら、ザ・ラプチャーLCDサウンドシステムなどを中心とした、2000年代前半のディスコ・パンク・ブームを牽引したレーベル《DFA》からのリリース。このインパクトは、当時をリアルタイムで過ごした筆者からすると、相当デカイものだった。


 『Hercules And Love Affair』が面白かったのは、ハウス・ミュージックの持つエロティシズムを2000年代に蘇らせたこと。ハウスという形式を用いるだけでなく、ハウスが主にゲイから支持された音楽であり、ハウスの創始者フランキー・ナックルズや、フランキーの友人ラリー・レヴァンがDJを務めたニューヨークのクラブ《Paradise Garage》といった起源にまで及ぶ愛情がほとばしっていた。いわばハウス・ミュージックの精神を受け継いでいたのだ。そんな『Hercules And Love Affair』は、エドゥアール=アンリ・アヴリルなどが有名な芸術のジャンル "エロティカ" を連想させる作品でもあった。


 おまけに、ヘラクレス(Hercules : 英語形はハーキュリーズ)という言葉がグループ名に入っているのも暗喩的だった。ヘラクレスといえば、古代ギリシャ時代の伝承などによって作られたギリシャ神話の登場人物として知られるが、その古代ギリシャ時代の哲学者プラトンは著作『饗宴』で、もともと性は "男男" "男女" "女女" の3種類あったと書いている。さらにプラトンの師匠ソクラテスは、アルキビアデスという名の美男子と恋人関係だったのは有名な話。言ってしまえば古代ギリシャ時代は、"同性愛" と深く結びついていた。


 また、古代ギリシャの要素は、「僕は人々の踊ることができる公共の場を作りたい。人々がいる場所で踊ることが重要なんだ」というかつてアンディーがガーディアン誌で語った持論に関しても重要なものだ。古代ギリシャ時代のアテナイ(アテネの古名)に住む人々は、スタジアムや寺院、劇場、さらにこれらを繋ぐ公共空間が豊かになれば、良質な都市空間が生まれることを知っていた。それゆえアテナイは民主主義発祥の地として幾度も言及され、哲学、芸術、学問の中心となり、ヨーロッパ全土に絶大な影響力を及ぼした。こうしたアテナイの優れた都市機能は、先述したアンディーの持論に少なからず影響をあたえている。ゆえにハーキュリーズ&ラヴ・アフェアは、世界中にある多くの都市が殺伐とした消費主義の苗床、いわば単一目的化していくなか、異なる文化や要素が混合し響きあう "多様性の容れ物" としての可能性を持つに至った


 このように、アンディー・バトラーはハウス・ミュージックの伝承者であると同時に、ひとりの思想家とも言える存在だ。『Hercules And Love Affair』にしても、サウンドそのものが革新的だったかといえばそうじゃない。多くの人がハウスの精神を忘れていた時期に颯爽と現れ、その精神をみたびインディー・ミュージックの文脈に接続したことで、ハーキュリーズ&ラヴ・アフェアは "衝撃" となった。そうした伝承者としての側面は、本作『The Feast Of The Broken Heart』でも健在、いや、より強くなっている。前作『Blue Songs』でも、ハウス・クラシックとして知られるスターリング・ヴォイド「It's Alright」のバラッド・カヴァーに挑戦するなど伝承的側面をうかがわせたが、本作ではそういったメランコリーな雰囲気はどこへやら。ひたすら享楽的で、踊らせることだけに焦点を絞ったハウス・ミュージックの快楽で埋めつくされている。トリッピーなアシッド・ハウス「5:43 To Freedom」、そして粗い質感が印象的なシカゴ・ハウス「Liberty」といった具合に、フロアで映えるダンス・ミュージックとしての機能性を追求したトラックが目立つのも特徴だ。このあたりは、2012年にリリースしたミックス『DJ-Kicks』で、幾多のハウス・クラシックを振りかえった影響が少なからずあるだろう。


 2014年3月31日、フランキー・ナックルズが59歳の若さでこの世を去った。それでもハウス・ミュージックは鳴り止まない。「It's Alright」でも歌われたように、《今から3千年も経とうとも 音楽はつづいているだろう 時間を超越した波長に乗って》ということだ。本作には音楽という文化の自由さとロマンが刻まれている。



(近藤真弥)

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