SOURYA「Winterwind」(359music)

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 冒頭のメロディーの類似からして、曲名は「Autumn Leaves」、つまり「枯葉」とかけているようだ。有名なシャンソン・ナンバーのオマージュ、秋の枯葉を吹き飛ばす初冬の風。鍵盤をフィーチャーし、スタンダード・ナンバーに着想を得た、折り目正しいソング・ライティング、と見せかけてリズムの定型を破壊しカタルシスを生む。それがスーリヤの楽曲に一貫するムードだ。


 レーベル・サイトで公開されているインタヴューで彼らは親の世代が聴いていたクラシック・ロック、そして特にレディオヘッドに影響を受けたと語っているが、なるほど、ヴォーカルの声質、感情の込め方、響かせ方といい、トム・ヨークと似た雰囲気を感じる。この曲のMVは、暴力男が女性たちに復讐されるという内容だが、その暴力とはシャンプーをすごい勢いでかけ合うというもの。物悲しくも美しく、内省的だがどこかユーモアが漂う映像は彼らの曲にマッチしている。私は、トムが愛読する村上春樹の著書、特に映画を意識した作品である『アフターダーク』を思い出した。


 同作では、一見普通のサラリーマンが、中国人の少女を買い、殴り、身包み剥がす。ヒロインは傷ついた中国人の少女に共感する。「彼女は私だったかもしれない」。一方でそのサラリーマンが行った残酷な所業は、実は我々一人一人にあまねく内在することが作中で描かれる。その結果としてヒロインの姉は永い眠りについているようだ。行き場のない世界。「我々は歩く災厄」と歌うレディオヘッドの「There There」のMVも同じイメージを共有している(トムは同曲を村上春樹の『ノルウェイの森』にインスパイアされた曲だと語っている)。


 優れたアーティストは自らを監視するもう一つの目(カメラ)を持っている。映画でも音楽でも作り手のエゴは重要だ。しかし万能感と一体化し、自らも加害者に成り得るという意識を忘れたとき、作品は暴走する。彼らの音楽が前衛に走るあまり、聴き手を無視した身勝手な作品になったとき、彼らはリスナーから復讐される。それを常に意識しているのかもしれない。その緊張感がまた、彼らの音楽の魅力につながっているのだ。



(森豊和)

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