ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー at 代官山ユニット 2014.3.21 〜"情報とポップ・ミュージックの関係"についての問題提起〜

ワープ・レコーズの伝統...みたいな言い方をしてしまうと、主にアラサー以上のひとたちは「ああ、テクノですか?」みたいに早合点してしまいそうだけど、もうひとつ重要なポイントがある。それは(同じく地方ベースで始まり、地元にも深く根ざしつづけていたインディー・レーベルであるファクトリーと同じく)昔から「アートのヴィジュアル面」が、ぼくら日本の音楽ファンからぱっと見ても「すげえ!」と即座に感じられるほどクールかつグレイトということだ。


先月後半に代官山ユニットでおこなわれたワンオートリックス・ポイント・ネヴァーとパテンのパフォーマンスをぼく自身は観れなかったものの、この文章を読むとそれが、うん、よくわかる...!


(伊藤英嗣)



このThe Kink Controversyは基本的に読者の方々からの原稿を掲載する場として作られたコーナーです(が、「関係者」が投稿することもあります)。


投稿時の主なルールは以下のとおりです。


・文字数は最低でも1000字以上。


・原稿の内容は、音楽に関することを主題にお願いします。ただ、主題と文脈的に繋げられるなら、アニメ、映画、小説、哲学など、他要素を混ぜても問題ありません。


・掲載する際には、投稿されてから10日以内に編集部のほうから連絡させていただきます。連絡がない場合は、申し訳ないのですがボツということになります。


・ライヴ写真などの画像類を掲載する場合には「権利者の許諾」が必要になります。その作業は「かなり大変」であることも少なくありません。それゆえ、申し訳ありませんが写真は送らないでください。場合によっては編集部で画像をそえることもありますが「投稿自体はテキストのみ」でお願いします。


・送っていただいた原稿の表記については、クッキーシーンにおける表記統一の決まりに合わせるため、編集部側で変えることもあります。それらがあまりに大量になったり、それによって文章のトーンが変わってしまう場合など問題があると判断した場合も、編集部のほうから連絡させていただきます。


音楽について語りたい欲求がある若者(近藤くんのような?)から、いまだ中二病が心に残っているせいで音楽にロマンを求めてしまう大人になりきれない大人(伊藤のような?:笑)まで、どんな方でも大歓迎。FEEDBACKから投稿できます。


皆さまからの熱い原稿を心からお待ちしております!



 膨大な量の情報が行き交い、それらを必死に追いかける私たち。ツイッターで有用なニュースをチェックしたかと思えば、フェイスブックやライン、それからインスタグラムでは友達の近況を確認。まるで1秒たりとも無駄にはできないとばかりに"情報"を必死に追い求めている。そんな現代に生きる私たちは、さながら情報の奴隷のように思えてくる。少しでも多く情報を得て、誰よりも優位に立ちたいという欲望。みんなが知らないことを誰よりも早く知りたいという好奇心。こうした人間の性(さが)を翻弄するかのように、"情報"はとてつもないスピードで更新されていく。


 そうした現況のせいか、情報量の多いポップ・ミュージックも珍しくなくなった。それらには大量の音楽的要素が込められ、しかも"マニアック"の範疇に収まらない曲としてアウトプットできる者も現れはじめた。例えば赤い公園というバンドは、昭和歌謡、ヘヴィー・メタル、ハードコア、J-POP、実験音楽といった要素をひとつの作品のなかで撹拌させながらも、映画やドラマの主題歌になるほどのキャッチーな曲も生み出し、さらにメンバーの津野米咲はSMAPに「Joy!!」という良質なポップ・ソングを提供している。既に至るところで言われているが、今は誰もが沈潜的に音楽を掘ろうと思えば掘れるのだ。こうした環境下にある現在では、単一な音楽のほうが珍しいと言えるだろう。


 3月21日、代官山ユニットでおこなわれたワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの来日公演にゲスト出演したパテンのライヴは、そんな"今"を表象するものであった。手元に置かれた機材を駆使して鳴らされるサウンドは、フライング・ロータスに通じるビート感覚を滲ませながらも、音数の多さで観客を巻き込むプロダクションは蹂躙的に映った。時折ドローンやノイズの要素が顔を覗かせたりと、起伏の激しさも印象的。映像もそんなサウンドに呼応し、グリッチ・アート的なイメージを基調としつつ、ネットから持ってきたと思われる画像がサブリミナルのように次々と挟まれる。これは筆者からすると、インスタグラムで矢継ぎ早に流れてくる画像を眺めるときと似た感覚をもたらすもので、MGMT「Your Life Is A Lie」のMVみたいに"場面"や"一瞬"を繋ぎあわせた、言ってしまえば"リブログ的"な手法である。さらに映像とサウンドに宿るスピード感は日本のバンド§§(サス)のライヴ・パフォーマンスと比肩するもので、思わぬ形で点と点が繋がったのも面白かった。一定のリズムはなく踊りやすい音でもなかったが、こうした変則的な展開から生まれるグルーヴは肉体性を確かに宿し、目と耳に流れ込んでくる情報量は過剰とも言えるほどだった。


patten0404.jpgパテン:photo by Masanori Naruse


 一方のワンオートリックス・ポイント・ネヴァーは、情報を極限にまで削ぎ落としたミニマルなサウンドスケープを披露し、パテンのライヴとは違い音数も多くなかった。最新作『R Plus Seven』では彼なりのポップスを取り入れたキャッチーな側面も覗かせていたが、ライヴでの彼は文字通り自由奔放。自身の曲をズタズタに切り裂くエディット、たまにキックらしき音を鳴らしてもそれがビートの体を成すことはなく、最後まで奇妙なシンセ・ドローン・サウンドを貫き通した。度々ヘッドフォンで音を確認する姿は、2009年のサマーソニックで観たエイフェックス・ツインのライヴを連想させるもので、おそらくDJのように音を出し入れしていたのだろう。しかし、その出し入れのタイミングは、"ここで鳴る"という観客の予想をことごとく裏切っていた。いわば観客に合わせるのではなく、まるで時を操る魔術師のように、観客を自身の時間軸に巻き込んでいく。その姿はあたかも、1秒24コマで撮影した映画を1秒16コマで上映するなど、"時間"という概念を弄んだかつてのアンディー・ウォーホルに通じるが、同時にネオ・ダダの文脈も見え隠れしていた。こうしたアルバムとはまったく違う表現方法は、ライヴのほうが本質云々というよりも、それぞれ別物だと考えたほうがいい。そのうえで言わせてもらえれば、筆者はライヴにおけるワンオートリックス・ポイント・ネヴァーのほうが断然好きだ。


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ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー:photo by Masanori Naruse


 また、多くの観客が今まで味わったことのない映像と音を前に呆然と立ちつくす光景は、見ていてとても奇妙なものだった。もっと言えば、戸惑いながらも心は昂ってしまうというある種の矛盾が雰囲気となって現出していた。あの筆舌に尽くし難い空間は、ライヴというよりは現代美術のインスタレーションに近い。踊れなければ、拳を振り上げ絶叫することも躊躇してしまうあの空間は、究極的に言えば"無駄"。もの派の作品やバイオテクノロジーなどを想起させるイメージが飛び交う映像や、そこに絡む冷ややかサウンドも、徹底的に"意味"を排していた。とはいえ、そんな音と映像の元に人が集まり、結果ソールド・アウトになったという事実には意味があるはずだ。おそらくその意味とは、あの1時間弱の"無駄"に時間を捧げた"贅沢な気持ち"なのではないだろうか? 冒頭でも書いたように、膨大な量の情報が行き交う現在においては、無駄や無意味なものが排除され、ゆえに"必要なもの"だけがクローズアップされがちだ。しかし、そうやって"無駄"をどんどん省くことは、私たちに何をもたらすのか?音楽、映画、文学、批評、演劇なども生きるために必要不可欠とはいえない"無駄"だが、そうした"無駄"が私たちの心を豊かにし、それが周囲にポジティヴな影響をあたえ良いヴァイブスが広がっていくというのはよくあること。


 そんな"無駄"の可能性を、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンのサウンドは孕んでいる。あの日のダニエルは、現代に対するオルタナティヴを確かに鳴らしていた。



(近藤真弥)

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