BEN WATT『Hendra』(Unmade Road / Hostess)

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 例のごとく、「その言葉でタグづけされているアーティストが好きじゃない」ってことではないけれど(笑)、レイドバックというやつが苦手だった。


 まあ、パンク/ディスコ世代の特徴かもしれない。当時苦手だったフュージョンって言葉も時代をへるに従って許容できるようになったものの、レイドバック...は、だめだ...。


 たぶん、ぼくは心底「くつろいだ、のんびりとした、ゆったりした」音楽を求めていないのだろう。性格的に。


 だからベル・アンド・セバスチャンが『Dear Catastrophe Waitress』のラスト曲で、イラついたようなサウンドにのせて《どうやって事態を改善していけるんだ?/もし きみの望むのが うだうだ怠けているような状態だけだとしたら》と歌ったときは完全に快哉を叫んだし、ティーンエイジ・ファンクラブが『Howdy』収録曲「My Uptight Life」で《ぼくの人生はずっとはりつめた神経質さにあふれていた/でも それでいい》と歌ったときにも激しい共感を覚えた。


 エヴリシング・バット・ザ・ガールの片割れベン・ワットが、そのグループを始めた少しあとに発表したファースト・ソロ・アルバムから30年以上の歳月をへてリリースした、セカンド・ソロ・アルバム。


 彼も当然ジジイになっている。もともと「若々しいけれど、枯れた味もある」人だった。にしても、変なふうに歳をとってたらやだな...と不安を抱えつつ聴きはじめ、冒頭のバーナード・バトラー(元スウェード...というより、ぼくにとっては、それを脱退して最初におこなったエドウィン・コリンズとのコラボ・ワークや、クリエイション・レコーズから出していたソロ・アルバムが印象的。今回、多くの曲に参加している)のギターで「うっ、ちょっと、エリック・クラプトンみたい(汗&笑)」と思った瞬間、まさか「レイドバック」アルバムか? と...(笑)。


 いや、しかし大丈夫だった。


 アルバム全体をとおして(本質的なブルース...もしくはブルーズ...もしくは憂鬱ってやつを会得した表現であるという意味で)エリック・クラプトンに通じる部分はあるかもしれないが、少なくとも、「レイドバック」などまったくしていない。


 もともと前作や初期エヴリシング・バット・ザ・ガールの作品をとおして「アズテック・カメラと並ぶ、メジャー・セヴンス(・コードを効果的に使った)・ポスト・パンク・ポップ」の代表格としてその名を知られるようになったベンだが、近年はいわゆるエレクトロニック・ミュージックに傾倒していた。DJとしても活躍していただけに、クラブなどの現場で、若い者たちと交流する機会も多かったから、そうならずにすんだのかもしれない。


 このアルバム自体は、近年の彼の活動からこちらの頭に浮かぶ予想をくつがえすように、ハウスやテクノ的ノリは皆無に等しい。バーナードのギターを除けば、ブルースというよりはメジャー・セヴンスな感じ...つまり、同じ黒人音楽でいえばジャズやそれ系中南米音楽に近い? でも、あえてなにかに例えろと言われれば...そうだな「スーパー・キャッチーじゃない」ときの(そして、もちろん女性ヴォーカルじゃないときの)フリートウッド・マックとか?


 彼の世代/年齢的なことを考えても、いわゆる70年代AORに近づいてしまうのは、もう本能的...というより、それに近い形で子どものころから身にしみついてしまった素養として、仕方ないことだろう。そして、あれだ。本作には(それほど目立たないけれど)ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアも、こっそり参加している。この世代の、それほど遠くない位置づけにあるアーティストが彼(ら)と接近した前例としては、ドリーム・アカデミーが挙げられる(このアルバムには、彼らの作品に近い面もある。感動的なラスト・ナンバーとか...)。そして、ベン自身は、先述のソロとほぼ同時期に、ロバート・ワイアットの共演EPを出していたなあ...などということも思いだしてしまった。原盤供給元の「まだ作られていない道」から、欧米でライセンスされたレーベル名義は、なんとキャロライン(70年代にはヴァージン傘下レーベルとして、当時は完全にマニアック・レーベルだったヴァージンという会社のなかでも、さらにマニアックな部分を担当していたというか...:笑)だし...!


 プリファブ・スプラウトの近作ほど、この先もしつこく愛聴していくかどうかはわからないけれど、いいアルバム。好きです。



(伊藤英嗣)

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