FRUITY『LET DA MUSIK TALK』(SHINKARON)

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 kush in the air,kush in the air,kush in the air...


 FRUITY(フルーティー)の作る曲は、スカしてて、利口で、生意気で、器用で、口を開けば嫌味ばかりで、人を馬鹿にしてて、カッコつけてて、ドライで、冷淡で、横柄で、自信たっぷりで、シニカルで、尻尾をつかませなくて、不遜な態度をキメ込んでて、洒落てて、計算高くて、斜に構えてて、髪は七三に分かれてて...。そんな聴こえをしてる。


 実はFRUITYのサウンドクラウドにあがってる「No War」に歌をつけてみようと思ったことがあったんだけど、全然うまくいかなかった。その後、正式にリミックス用にいろいろデータをもらったんだけど、どの曲も聴いた瞬間にオレが歌詞をのせたりできるような余地が全くないってことが分かったよマイメーン。音数が少なくて派手な感じがないくせに、隙がなくて揚げ足を取りづらい造りっていうか。とにかく "嫌なヤツ" が作ってる音楽ってことは確かだぜ。


 FRUITYと話してたら「そいつの作ってる音楽がヤバいかどうかよりも、そいつのコミュニティーがヤバいかどうかが大事」って話題になって、Weezy(ウィージー)やBoogieMann(ブギーマン)擁する《SHINKARON》のことも話してた。


 そもそもシカゴ・ハウスやジュークを好んで聴くようになったのもジュークのパーティーに行くようになったからで。そこに行くとだいたいいつも同じヤツらがムサ苦しくたまってて、飽きもせずシカゴ産のフットワークで盛り上がってる。そこにはそのコミュニティー独自のアンセムや情報が渦巻いてて、メインストリームの流行には左右されない興奮があるんだよ。


 若い女の子が華奢で汚れを知らない綺麗な指で針を落とす「French Kiss」に猛烈にシラけながら、やっぱあれをフラストレーションなく回してくれるのは30過ぎたおっさんか、女ならグローカル・プッシーズか、とボンヤリ考えながらペイズリーパークスのライヴが始まるのを待ってたのはもう随分前のことだ。そんなヤツばっかだからジュークのパーティーにはジャンキーとおっさんしか来ないわけなんだけど。


 そんなわけで、『LET DA MUSIK TALK』はコミュニティー・ミュージックだ。これをヤバがってるヤツはクラブのデカいスピーカーでジュークを聴いた経験が幾度となくあるだろうし、Battle TrainやHigh&LowやShin-jukeに足を運んでるヤツらだ。「Everynight(FRUITY Remix)」の48秒のところのブレイク直後にフロアが歓喜する瞬間を想像できるヤツらだ。「Sex On Da B****」や「No War」を聴きながら、夜を迎える強烈な期待と、どうしようもなく哀愁を感じてしまうヤツらだ。


 『LET DA MUSIK TALK』はジュークに興味を持って最初に聴くようなビギナー向けの音源じゃない。テクノと呼ぶには快楽性に欠け、ヒップホップと呼ぶにはエンタメ性に欠ける、こんなにも華麗でフィジカルを求めるジュークの面白さをお前らは楽しむことができないだろ?


 去年来日したRPブーが「シカゴでは失われたものが日本のシーンには存在している」と語ったとされているけど、それを最も体現してたのがRPブー来日時のShin-jukeでのFRUITYのプレイだったわけ。FRUITYがフットワーク・クラシックスを繋いでいくなか、熱狂とともにできあがったサークルの内側で観客が次々とフットワークをキメていくあの光景は、2012年にトラックスマン来日したときにはまだ存在していなかったものだし、これは日本のジューク・シーンが過去のシカゴを模倣しつつドメスティックな発展を遂げてる確かな証拠さ。


 シカゴには夕闇が訪れた頃、日本ではまた新たな夜が始まる。『LET DA MUSIK TALK』はそれを知らせる確かな一枚で、今夜もオレたちはこれを聴きながらバビロンを徘徊するんだよ。



(浅見北斗)

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