石橋英子『car and freezer』(Felicity)

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 異国人同士でも片言で分かり合えることがある。言葉の交換が成立していなかったとしても、音楽を介して深い共通理解が生じることがある。


 本作はジム・オルークの手による録音だが、2ヶ月前には彼と山本達久、そして石橋の3人による即興ユニット、カフカ鼾としても作品を発表している。笛の音のようなジムのシンセ・サウンドと、手数を抑えた和太鼓のような山本のドラミングが、石橋の弾くピアノと溶け合い、緊張感と共に不思議なカタルシスを生み出す。日本の古い神事で演奏される音楽のよう。


 本作『car and freezer』は変わって歌モノだ。本人による英詞で歌った盤と前野健太による別解釈の日本語詞を歌った盤の2枚から成る。前野による日本語詞に触発されてか、呟くようで一転、跳ねるように伸びやかに歌われるヴォーカルは今までになく自由だ。演奏ともども堅苦しい音楽理論から解き放たれている。そして二通りの歌詞があることで、なおさら演奏全体から意味を感じ取るよう我々に仕向ける。


 目の前の人間が語っていることが全て本当であるはずがない。誰だって意図的に嘘をつくし無意識に隠蔽することもある。音楽は嘘をつかない。どんなに美辞麗句を並べて歌い演奏しても、奏者に本当の気持ちがなかったら、白々しく平坦でむなしいだけだ。その点、この作品はとても誠実で胸に迫るものがある。ピアノやストリングス、管楽器から匂うジャズやクラシックの素養、元PANICSMILE(パニックスマイル)のドラマーである彼女のノー・ウェイヴなリズム感覚、決して大衆的な感覚ではない。分かりやすさを追求して化学調味料漬けのファスト・フードみたいな音楽でもない。しかし、ある一人の女性の物語、彼女の周囲の人々の息遣い、それをリアルに伝えるという意味で超弩級にポップだ。


 気持ちを単純化して歌詞は同じフレーズの使いまわし、一聴での分かりやすさを追求してアレンジはどぎついマスカラみたい、それじゃ何も伝わらない。前衛とは、他の誰でもない、この世界でただ一人の、自らのアイデンティティーを確認するための最も誠実な在り方の一つだ。石橋英子の音楽から、私はしばしば少女の瞳を想起する。強い意思を宿したそれは、しっかりと我々を見据える。少女は異世界を彷徨っている。年端もいかない子どもたちにとって日常はすべて冒険だ。石橋の音楽はそのことを我々に思い出させる。そしてこのアルバムを聴き終える頃には、少女はこの世界で居場所を見出す。



(森豊和)

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