MONOCHROME SET『Super Plastic City』(Disquo Bleu)

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 人が何かを正確に語ることができるのはそれが過ぎ去った後だけだ。精神疾患やアート創造の過程において特にそれは言える。


 例えば、統合失調症では発症時に名状し難い圧倒的な恐怖を体験する。なんでもない日常が突然暗転し奈落への陥穽と変わる。聴こえないはずの音が聴こえる。ホワイト・ノイズが耳鳴りのように持続してしだいに意味を持ち始める。たいていは自分を責める内容だ。何もない場所に何らかのイメージが映る。スノー・ノイズが起こっているだけのアナログ・テレビに異様な白黒番組が映るかもしれない。それらは幻覚妄想であるが、その渦中において正確に言い表すことは難しい。


 モノクローム・セットに「White Noise」という曲がある。再発LPのタイトルにもなっている重要曲だが、かつて日本盤収録の際、ソング・ライターのビドは歌詞掲載を拒否した。ひょっとしたらこの曲は彼の思春期における幻聴体験について歌っているのかもしれない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響を感じさせる穏やかなナンバーは、幻聴体験が過ぎ去った後の奇妙な静けさ、安堵感がテーマに思える。


 モノクローム・セットとは白黒テレビの意味で、彼らのレパートリーにはSF映画『アルファヴィル』から名前をとった曲もある。その歌詞は死のイメージをはらんだ壮大な妄想世界だ。まとまりのない突発的なリズム、予想しにくい曲展開は、統合失調症の連合弛緩を思わせる一方で、それこそが彼らの独創性であり、ザ・スミスやR.E.M.といったポスト・パンク・バンドの先駆けと呼ばれるゆえんである。もちろん現行のギター・バンドへの直接間接の影響は計り知れない。


 しかし、もし彼らが初期の奇妙なテンションを維持し、突拍子もないフレーズを出し続けなければならないとしたら、それはとてもつらいことではないだろうか。では彼らの新作はどうだろう。2012年の前作『Platinum Coils』のタイトルは、くも膜下出血に倒れたビドが受けたコイル塞栓術に用いるプラチナ・コイルに由来し、生命の賛歌と原点回帰を高らかに歌っていた。続く2013年の本作『Super Plastic City』も基本路線は同じだが、メンバーが幼い頃聴いていたであろうドゥーワップや、その影響下にある初期ルー・リードやデヴィッド・ボウイを連想する滋味深いメロディーがより目立つ。


 モノクローム・セットのファースト・アルバムのジャケットには海へ落ちていく男が描かれていた。彼は彼岸へ向けて飛び立ったのだ。一部の統合失調症患者は病気のある時期に、生と死の境さえ飛び越えることができると考える。全てを超越するとても孤独な営為だ。一方で、くも膜下出血から生還した現在のビドは、潤いのあるギターの響きとともに、生きていることの喜びを歌っている。彼らの新作はとても心地よく耳に響く。



(森豊和)

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