シャムキャッツ「MODELS」(P-VINE)

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 あなたはポップソングにコミットする必要性を感じるリスナーだろうか。それとも、必ずしも自分の生活をリプレゼントしていないポップソングに対しても寛容なリスナーだろうか。僕はどちらかといえば前者寄りだったけど、最近はそうでもなくなってきた。たとえば、ジャンキーが作る音楽に自身のバックグラウンドを重ね合わすことはできなくとも、その音楽自体の良さを認めて、楽しむことはできるようになった。進歩だ。


 さて、シャムキャッツの楽曲に登場する人々やシーンにはジャンキーっぽさの欠片もない。無鉄砲な勢いがあり、輪郭のない夢があり、愛すべき現実がある。冒頭のように書いてはみたものの、やっぱり僕はこういうバンドの音を聴くと安心する。これまで日本のインディーとメジャーのあいだを隔ててきたものは、無意味な非日常性の有無にあると思っている。だってさ、厭世的な人間を演じて、本質とはかけ離れたファンタジーを歌われたところで、僕はその一晩だけ魔法に酔いしれることはできても、けっしてハッピーにはならないじゃんか、と思ってしまう。とくにいまは。


 だから、「MODELS」という曲は革命なんだ。彼らは普通に考えると絶望してしまう日常を歌っているにも関わらず、その表現が変に遠回りでもなければ、ペシミスティックでもなければ、ドラマティックでもないおかげで、この曲は逆説的に希望に満ち溢れている。そんなこと声を大にして言いたくないよ、ということを軽快なビートに乗せてさらりと歌ってくれたおかげで、日常レベルの悪い妄想が取り払われたような気がする。


 この曲のなかに登場するのは一組のカップル。付き合いも長く、いまは工業団地で同棲している。彼氏は夜間トラックの運転手をしていて、彼女は昼に働いているので、1日で顔を合わせるのは夕方のすこしの時間だけだが、それがお互いにとってささやかな毎日の楽しみになっている。二人とも何となく将来のことを考え、お金のことを考えている。電車の窓から見える景色で季節の移り変わりを感じている。とくに代わり映えしないけど、それに絶望もしないし、一方で余計な夢を見ることもしない。ただ、半径5メートルの幸せを模索しながら生きている。それがいまの二人にとっての希望だ。


 幸せの価値観の転換が必要だと叫ばれて久しい。いまの日本の世代別人口比を考慮すると、これまでの資本主義で若者が幸せになることなんかできっこないし、かといって『トレインスポッティング』のような世界に逃げ込むわけにもいかない。日本人はイギリス人と違って、下流であることを意識したがらない。いつか中流に、あるいは上流にいけると信じながら、そんな目標とは程遠い地点で意味のない仕事を続けていたりする。果てしない絶望。「MODELS」はそんな "生きるために生きている" 現状を正直にリプレゼントしている。なるほど、僕たちのリアルはたしかにしんどい。だけど、みんな似たり寄ったりなことを考えて生きている。まずはそこがスタート地点だ。イギリスの労働者階級の奴らが生み出したカルチャーだって、自分たちの身分を血統レベルで思い知らされるところから始まっている。もう、誰かを出し抜いて自分だけ幸福になろうとしたってうまくいかないんだ。だってどうするんだ? ブロガーになる? それともプチ有名人と食事に行ってFacebookで自慢する?


 泳ぐようにうねるベースが僕らをあてのない日常の旅へと連れて行ってくれる名曲「MODELS」。果たして、この曲が描く現実の先には何が待っているんだろう。



(長畑宏明)



【編集部注】「MODELS」はタワーレコード限定発売シングルです。

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