【合評】ミツメ『ささやき』(mitsume)

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 どこか異邦人の匂いがする。浮世離れしているというか、別の世界から奏でられた音というか、でもたまらなく親近感を感じる。ミツメのサード・アルバム『ささやき』のことだ。このバンド名から私は最初、手塚治虫の漫画『三つ目がとおる』を連想した。超能力を有した古代人「三つ目族」の唯一の生き残りである写楽保介の物語。名前が似ているからではない。シーンにおける孤高の立ち位置も似ている気がする。


 ミツメはこれまでの音源全てを自主レーベルから発表している。JAPAN TIMESのインタヴューでメイン・ヴォーカルの川辺素は、「僕たちは誰のコントロールも受けていない。できることはなんでも自分達でやりたい」と語っている。ドラマーの須田洋次郎によれば「まず曲をレコーディングしてネットで公開していた。(結成当初は)東京のインディー・シーンをよく知らなかった」という。ギターとシンセサイザーを操る大竹雅生はMOSCOW CLUBのメンバーでもあり、ベースのナカヤーンは近くソロ作を発表する。彼らの活動は柔軟かつ自由でどこにも属さない。


 本作で彼らはより彼岸に向かっている。もともと抑制されていた感情はミニマルでエレクトロなビートの奥へさらに後退している。エコーがかったヴォーカルはもやの中に隠れて、しかし、なお意味を失わない。現代の感性と技術で70年代のサイケデリック・ロックやファンク・ロックの空気感を表現しようとしたらこうなるのかもしれない。


 個人的にはアナログ・レコードA面からB面へのつなぎが白眉だった。A面ラスト、肉体性を削ぎ落とし精神性をダークに突き詰めたかのようなファンク・ナンバー「いらだち」から、続くB面1曲目、対照的に力強くポシティヴなギターが鳴らされるタイトル・トラック「ささやき」への流れ。この2曲から私は、プリンスが一度封印した『The Black Album』と次作『Lovesexy』をイメージした。


 彼らは情報過多のインターネット世代に生まれ、それを使いこなし活動しながらも、その音楽は過剰さを避け、音数を抑制していく。最新のネット上の音楽から影響を受けながらも、古典的なロックの方法論へ、その起源に近づいていく。逆にネット世代だからこそ容易なのだ。過去の音楽史を全て参照できる彼らの世代ならではの共通無意識を辿っていく。ユングの云う共時性の概念を思い出す。全ての事象が原因であり同時に結果でもあり等しくそこに在るのだ。



(森豊和)


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 ミツメによる本作『ささやき』は前作『eye』以来となるアルバムだが・・・何とも不気味な作品である。『eye』、そして去年リリースのEP「うつろ」でも見られた抑制的な雰囲気が極まり、もっと言ってしまえば、メンバー4人の顔がまったく見えてこない。もちろん歌声は存在し、「クラーク」「ささやき」といった曲には親しみやすいメロディーもある。しかし、それでも本作はどこか機械的な印象を抱かせ、歌声にしてもこれまで以上に心許なく儚い。「停滞夜」などで窺えるファンクの要素によって肉体性をかろうじて保っているものの、その肉体性も"保とう"という主体的な意思ではなく、主体がナニカに侵食された後の残滓に思えてしまう。


 そんな本作を聴いて筆者が想起したのは、パフォーマンス・アーティストのステラーク。約20年日本に住んだこともあるステラークは、過去に自らを鉤針で吊り下げるパフォーマンスをやったりと、かなりの変人。90年代に入ると自身の肉体を実験台とするバイオテクノロジーに傾倒し、その成果の代表例には、自分の左腕に耳を人工形成した『腕にある耳』などが挙げられる。ステラークもまた、そのアイディアや行為は主体的でありながら、それがもたらす結果はマゾヒスティックなもので非随意的。ステラークが示す肉体とテクノロジーの関係性は、人が使いこなしているはずのテクノロジーに、いつの間にか人が操られ支配されてしまう危険性を暗喩という形で表す。こうした暗喩をエンターテイメントに仕立て上げ、逆説的にテクノロジーの有用な使い方を提示するのもステラークの面白さだが、例えば似たようなコンセプトのヴィジュアル表現や作品を残してきたダフト・パンクとは違い、ステラークの表現は肉体的空間から遠のいており、これと類似する側面を『ささやき』に見いだせることが先述の想起に繋がっている。


 また本作には、ファンク、ディスコ、ダブ、サイケデリック・ロックなどさまざまな要素が放り込まれながらも、日本のインディー・ロック・バンドによく見られるUS/UKロック志向がないのも面白い。これはおそらく、ネットを介していろんな音楽にアクセスできる現在も関係していると思うが、数多くの要素を取り入れながらも抜群のセンスによって "ポップ・ソング" に仕上げているところから察するに、メンバー全員レコード店に足繁く通うほどの音楽フリークではないかとも考えられる。


 歌詞は散文詩的で言葉数も少ない。全12曲にそれぞれ風景や心情を込めるように言葉が紡がれている。それこそ、ジャケットに写る団地の各部屋に住む人たちについて歌われているのかもしれないが、筆者はインスタグラムやヴァイン(Vine)で次々と流れてくる数秒の動画を眺めているような錯覚に襲われた。全12曲中6曲が2分台以下という短さもこの錯覚を助長する。そう考えると本作は、ミツメなりに "今" を解釈したうえで作られたのが分かる。言ってしまえばすごく戦略的で、聴き手を惹きつけるための意図も見え隠れする。


 とはいえ、そんな意図によって生まれたのが『ささやき』なる怪作なのが恐ろしいというか何というか・・・。本作は、ゆらゆら帝国の「ソフトに死んでいる」で歌われたことに極めて近い風景を描いているのだから



(近藤真弥)

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