Arcade Fire『Reflektor』 ~ 彼と彼らの脱出について 〜

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今回は草野虹さんから投稿をいただきました。

ひとつの視点としてはアリかと思います。

作品を聴いた方なら同意できる部分もあるはず!

ちゃんと聴きこんでいることが伝わってくる文章です。




なお、このコーナーでは、常時みなさまからの投稿を受けつけています。ただし、投稿に関するルールがいくつかあるので、それをふまえたうえで投稿していただけたらと思います。以下がそのルールになります。


・文字数は最低でも1000字以上。


・原稿の内容は、音楽に関することを主題にお願いします。ただ、主題と文脈的に繋げられるなら、アニメ、映画、小説、哲学など、他要素を混ぜても問題ありません。


・掲載する際には、投稿されてから10日以内に編集部のほうから連絡させていただきます。連絡がない場合は、申し訳ないのですがボツということになります。


・送っていただいた原稿の表記については、クッキーシーンにおける表記統一の決まりに合わせるため、編集部側で変える こともあります。それらがあまりに大量になったり、それによって文章のトーンが変わってしまう場合など問題があると判断した場合も、編集部のほうから連絡 させていただきます。


音楽について語りたい欲求がある若者から、いまだ中二病が心に残っているせいで音楽にロマンを求めてしまう大人になりきれない大人まで、どんな方でも大歓迎です。FEEDBACKのところから投稿できます。よろしくお願いします!




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 アーケイド・ファイアーの新作『Reflektor』をずっと聴いている。2010年のグラミー賞最優秀アルバムを獲得した『The Suburbs』以来、4枚目のフル・アルバム、期待してました。


 2003年、アコーディオン、アップライトベース、ヴァイオリンなどを柔らかく奏でながら、アーケイド・ファイアーはカナダからデビューし、今年で10年を迎える。彼等のデビュー前後からこの10年間で、古臭くもドロ臭い音楽だと思われていたカントリー・ミュージックに変化が訪れている。


 アメリカには、ここ近年話題をさらっていったボン・イヴェールを筆頭に、フリート・フォクシーズ、ザ・ナショナル、ウィルコといったバンド群、ソロ・ミュージシャンならブライト・アイズ、オーウェン・パレット、ルーファス・ウェインライト、アンドリュー・バード、そしてイギリスには、第55回グラミー賞で最優秀アルバム賞を獲得し、カントリーのツーステップを多用したリズミカルで力強いサウンドでグラミー賞を受賞したマムフォード・アンド・サンズがいる。


 マムフォード・アンド・サンズは脇においておくとして、アメリカの若く鋭い感性を持ち合わせた彼らがその両手で丹念にドロを洗い流し生み出したのが、所謂チェンバー・ポップである、と言って8割方は間違いないだろう。そしてその流れを率いてきたのは、間違いなくアーケイド・ファイアーだと僕は思っている。


 2枚組アルバムとなった今作『Reflektor』は自らの音楽性から大胆な脱出を試みたアルバムであり、アーケイド・ファイアーが先導してきたであろうチェンバー・ポップやカントリー・ミュージックそのものにメスを入れ、10年間で顔を出してきた数多のライバル達とは別の次元に行こうと試みた一作だ。


 これまでと同様、カントリー由来のヴァイオリン、アコーディオン、ティンパニを使用しながら、アトムス・フォー・ピースやフォールズのようなクラウトロックに影響されたバンドにもみられる単音フレーズのリフレインやシンコーペーションを多用しているのが大きな特徴だろう。


 またバンドの中心人物ウィン・バトラーが今作製作時の最大のインスピレーションとして挙げるハイチで見たカーニヴァルの体験から、ダブやシューゲイザー的なエコー処理も加えたのも聞き逃せない。LCDサウンドシステムであったジェームズ・マーフィーをプロデューサーに据え、アフロ・ミュージック(アフリカ系音楽)のグルーヴへとより接近している。


 70年代に同じくアフロ・ミュージックへと接近したニュー・ウェイヴやポストパンク、そしてクラウトロックなどは、近年のUSインディーを騒がせるサウンドだ。それらが今作ではチェンバー・ポップと密接に絡んでおり、これまでアーケイド・ファイアーが持ち得なかった躍動感が充ち満ちている。


 1曲1曲の曲時間を見てみればアフロ・ミュージックの楽曲に影響されてか、6分や7分といった長めの曲が並んでいるのに気づく。同時に今作には、これまでの彼ららしい軽快でフォーキーな3分ほどの曲も差し込まれており、アカデミックなプログレ志向と分かりやすいポップ志向が混在している。なんと末恐ろしい作品であろうか。


 ここで、脇に置いておいたマムフォード・アンド・サンズを思い出してみよう。伝統的なカントリーのサウンドに性急気味なツーステップというターボエンジンを搭載することで、あっという間にグラミー賞を奪い取った彼らだが、アーケイド・ファイアーと彼らは、00年代を通してUSインディーの中でふつふつと成熟し広がっていったチェンバー・ポップを更新するためのカギを、BPMとリズム感に見いだしたのだ。


 カナダ出身のアーケイド・ファイアーが、これまで「アメリカには住みたくない」(セカンド・アルバム『Neon Bible』より)と歌い、前作『The Suburbs』ではアメリカナイズされた世界の郊外都市へのメランコリーやノスタルジアを歌うなど、あくまで彼らはカナダ出身ながらアメリカの影を背負わせていたこと。または、かつてはダンス・ミュージックとしても親しまれていたカントリー・ミュージックが、パトリオティズムや国粋主義と結びつき、政治的保守派の音楽として形を変えてしまったこと。過ぎた勘ぐりではあるがこれらを踏まえてみれば、アメリカという文化や思想を"反射"しあう関係であったアーケイド・ファイアーとカントリー・ミュージックによる新たな地平への脱出が、『Reflektor』なのではないか? などと思いたくなる。


 この先彼らが生み出す作品が、今作のようなテイストになるのかは全く読めないし、今作が一時の勢いで生み出してしまった作品なのかどうかも定かではない、この危うさはあまりにも深い問題だとおもう。だが今作のきらびやかな煌きは、ここ数年味わっていなかったことだけは事実だ。



(草野虹)





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