MUM『Smilewound』(Morr Music / Hostess)

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 今や、アイスランドの音楽グループとしては世界的な知名度を誇っているが、2000年のファースト・アルバム『Yesterday Was Dramatic‐Today Is Ok』の時点では、シガー・ロスと比較され、有機的なエレクトロニカ、叙情性を共鳴させる存在として、或る種の記号性が先走っていたきらいがあったのは否めない。時に、アイスランドの持つ空気感や景色の色眼鏡をメディアやジャーナリズムなどが彼らにかけていたように、いまだに"オリエンタリズム"という観点から世界中のポップ・ミュージックは着色、装飾されてしまうのは常だが、アイスランドには、音楽に関しては日本にとって、イメージ、感覚知としてはとても近い何かがあったように思える。


 また、彼らに関しては、パステルズのスティーヴン・パステルが当初、ムームのおかげでアイスランドがいっそう輝かしく見えるし、DJをしていて駄目になってしまった時に備えて、「The Ballad Of The Broken Birdie Records」の12インチを2枚持っているとファースト・アルバムの際にコメントを寄せ、メンバーの双子の姉妹であるギーザとクリスティンがベル・アンド・セバスチャンの4作目『わたしの中の悪魔』のジャケットに象徴的に用いられていたように、アイスランドからの音楽という文脈よりもインディー・ポップ・シーンの中で捉えられていたような"分かりやすさ"があったのも言及しないといけないだろう。


 振り返ってみるに、エイフェックス・ツイン『Selected Ambient Works 85-92』のテープからモティーフを得て、オルヴァル・スマラソンとグンネル・ティーネスという二人の青年から1997年にベースが作られているムームだが、彼らが元々組んでいたバンドはヨ・ラ・テンゴのようなサウンドに近いものを孕んでいた。その後メンバーが増え、少しずつ自分自身たちの音が固められていった際に、丁度《Mille Plateaux》や《FatCat》などのレーベルを筆頭にエレクトロニカという音楽形態が急速に浸透していた時期とシンクしたムームは、00年代を模倣から実体へ、匿名から記名への道を逆進していった、そんな見方もできるような気がする。


 例えば、2004年の『Summer Make Good』ではやや前衛的に、また、アンビエント的な要素が強まり、初期の"分かりやすさ"やポップネスは排され、静謐を描くように音色を織り込んでいくひとつの区切りになったが、組織体としてのムームも変革していかざるをえなかったのは、メンバーの脱退やその後リリースされた作品群からも察せられる。


 約4年振りとなる新作『Smilewound』は、そういった00年代の多くの模索を抜け、10年代の地平でセルフ・プロデュース、初期オリジナル・メンバーのギーザの復帰、地元のリハーサル・スタジオをメインにじっくり固めていったという原点回帰の側面もありながら、彼らの歳月を重ねてきたなかでの無邪気な遊び心が活きた作品となっており、再スタートともいえる内容だ。


「When Girls Collide」や「Candlestick」など、もはや80年代風のエレ・ポップとも思える軽快な曲や、緻密なアレンジメントや新しいサウンドを取り入れ、細部を埋めるのではなく、トイ楽器、穏やかな電子音が響き、初期の頃の美麗さを持った曲もある程度は併存させながら、ラジオ・フレンドリーといおうか、よりポップ・ミュージックそのものの雑食性と、ふと聴いた者の耳にも届く敷居の低さが映えている。なお、ここでの敷居の低さと、当初の彼らの分かりやすさは差異があると思う。前者は記名的な在り方としての矜持、後者は周囲の役割期待でついた何かが加速させていた匿名性が付随していたとも思えるからで、今作ではあのカイリー・ミノーグが参加している曲「Whistle」もあるように、誰もが求める彼らの在り方の外に、これからの可能性が見え隠れするのも興味深い。


 グループ名であるムーム(múm)がそもそも、アイスランド語としての発音が良かっただけで意味のない言葉ということからして、まさにそんな語感の良さそのものを楽しめるようなところが嬉しい。



(松浦達)


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