fula「safari !」(FunLandRyCreation)

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 昨今のJ-POPの体たらくを見るにつけ、ああこれは衰退してるのではなく転換期なのか、と思うようになってきた。かつて歌謡曲と呼ばれたそれは、エレクトロニック・ミュージックやR&Bを吸収する過程でJ-POPへと変容していったように、それから20年以上醸造された「J-POP」ーー乃至そこから生じるイメージの総体は、この変革期を経て石化した標本のようになるだろう。近年盛り上がる夏フェス系イベントで鳴らされるJ-ROCKや多くのジャンルを侵蝕しているアイドル文化、そしてインターネットにおけるヴォーカロイド文化など、これらJ-POP以降の分化したポップネスの新しい形態(消費構造も含む)はテン年代的ポピュラー音楽の在り方を的確に示しているが、しかし、ここで敢えて筆者が一石を投じたいシーンを挙げるとすれば、それは東京のインディーズ・シーンと、そのシーンに共鳴して各地方から発せられる音楽である。


 2011年にcero『WORLD RECORD』を聴いた時、これは僕たち(西東京/郊外)の音楽だ! と喜んだのを覚えている。西東京というのは新宿や渋谷などと一緒に「トーキョー」と括られるにはあまりにも違い過ぎる空気があって、時間の進むスピードは遅いし、都心へ行こうと思えば簡単にアクセスできることに甘んじた都会の劣化コピー感たるや・・・という。あのアルバムで東京のインディー・シーンが途端に注目された感もあるが、ceroをはじめ、今注目されている東京のインディーズ・バンドの多くがやっていることは何かと言えば、それはキリンジの自身による歌詞についての言及が解り易い。端的に言えば、"何かが起こりそうで何も起きない整然とした住宅街、どこへ行っても同じ模様のアスファルトと信号機の連続・・・目眩のするようなそれら郊外の憂鬱を視点を変えて美しく魅せることはできないか"という試みである。ceroであれば《普通の会話を愛している》(「大停電の夜に」)という一節が印象的であり、今年絶賛で迎えられた森は生きているのファースト・アルバムも《夕暮れ時に聴こえてくるあのチャイムは》(「帰り道」)のような歌詞が、普段我々が住むこの味気なく整備された日常を色鮮やかに照らしてくれる。


 さて。fula(ふら)は4人組のバンド、東京の西(地図上は中央より東)の吉祥寺をメインに活動する。彼らの初の全国流通盤「safari !」は、ざっくりと二つの視座をリスナーに与えている。一つは、冒頭で触れたJ-ROCKサウンド的な立ち位置から掘り下げるようにして出会うポップ・ミュージックの風景である。つまり、ミスター・チルドレンを思い出させるこのアルバムジャケットや、スペシャル・アザーズやバンド・アパートを彷彿させる軽やかなジャム演奏をベースとしたポップネスの最新形という見方。もう一つは、現行のインディーズにおいて、密かに、けれどもダイナミックに胎動している「東京インディー」なるシーンから眺めたポップネスの将来であり、日本語ロックの歴史に2013年の考察を与えたcero以降の音楽という見方だ。筆者はこの二つを同じものとして捉えていない。それどころか、この二つはまったく別の道を辿るものだと思っていた。しかし「safari !」で鳴らされているのは、紛れもなくこの二つの展望が溶け合ってゆく過程である。


 「orion coffee」や「tropical5」の跳ねるリズムに呼吸を合わせるようにして鳴らされるきらびやかなギターとメロディーのアンサンブルや、「Can't Go」の分厚くうねるベースを基調にサイケデリックなジャム演奏が繰り広げられる様子は、このバンドの真骨頂と言えるだろう。そこでトリッピーなムードを感じたかと思えば、繊細で巧みな演奏に舌を巻く「Grizzly」といった具合に、どの曲もフルカラーで彩られており、なんとも美しい。


 《僕の淹れる苦いコーヒーに冬の星座が反射した》


 「Orion Coffee」で彼らはこう歌う。多くのバンドが新たな視線を以て世界を美しく見せようとしているなか、fulaは世界を本当に美しいと思わせてくれる。



(荻原梓)




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