the chef cooks me『回転体』(only in dreams)

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 ザ・シェフ・クックス・ミーに初めて出会ったのは、先月、たまたま観に行った下北沢シェルターでのライヴだった。前々から名前だけは知っていたが、そのバンド名を見て真っ先に宮沢賢二の『注文の多い料理店』を想起していたわたしは、西洋料理店の山猫軒に来た人々を調理して食べてしまうような、そんな恐ろしい音楽を奏でるプログレ・バンドなのだろうか・・・と、ぞっとする思いを抱きながらライヴに足を運んだ。しかしそこで待っていたのは、ビッグ・バンドのような大所帯のバンドがステージ上で思いっきり笑いながら極上のポップ・ミュージックを奏で、観客も手を掲げながら幸せそうに踊る、最高にハッピーなショウだった!


 今作は、そんなステージで繰り広げられていたような喜怒哀楽を詰めこみ、めまぐるしく展開していく万華鏡のような一枚。王道のポップ・ミュージックというよりはファンク、カントリー、ジャズ、フュージョンなどの音楽要素も放り込まれた色彩豊かな曲が集結している。ストリングス、ホーンがふんだんに盛り込まれた「流転する世界」からこのアルバムの幕は上がる。トランペットのハイトーンが印象的に鳴り響き、歩を進めるように曲が展開する「ケセラセラ」に心臓の高鳴りを感じながら、リード・トラックである「適当な闇」では幾多にも重なるコーラスとホーンで感情の昂ぶりにひとさじ。アッパーで明るい曲調とは裏腹に、《人は皆考えるほどに 素直さと人らしさなくし 苦しくて死にたくもなるさ》という、人の中の「闇」も顔を覗かせる。ファンキーな「パスカル&エレクトス」で今作は高揚を迎え、「環状線は僕らをのせて」では今作のプロデュースも行っているASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文、シンガーソングライターの岩崎愛、HUSKING BEEの磯部正文がゲスト・ヴォーカルとして心地よいビートに乗せて三者三様のラップを披露している。泣きのスロー・ナンバー「うつくしいひと」の冒頭では《消えてなくなればいい そう思うものありますか》と聴き手にヘヴィーな問いを投げかける。いつまでも未完成なままの私たち、だがその欠けている部分すら受け入れて、誰もが本当は美しい人なのだと柔らかくすべてを包み込み、フリーキーなテンポから始まる「song of sick」では良くも悪くも自分のすべてを狂わせた無数の歌に対する気持ちを、まるで草原を駆け抜ける少年かのごとく、アッパーなテンポとめまぐるしい曲展開に乗せて愛も皮肉もごちゃまぜに「アイラブユー!」と叫びまくる。


 一聴して様々な性格を持つ曲の集まりに思えるが、他方、歌詞に注目してみるとアルバム全体を通して同じテーマが繰り返し歌われていることに気づく。「生」と「死」、「愛」と「憎」、「肯定」と「否定」。そして、それらを繋ぐ「線」と「輪」。背反する言葉の間をたゆたいながら、わたしたちの毎日は規則正しく、地球の自転と共にぐるぐると回る。多幸感のあるサウンドに乗せて歌われる死生観に、心をじかに掴まれた心地に陥る。彼らはただ底抜けにポジティヴなポップ・ミュージックを奏でているわけではない。血と汗と涙を流しながら、ふがいない自分に厭きれながら、消え失せてしまいたくなりながら、それでもどうにか自分の「闇」を隠し時には滲ませながら、私たちは日々を生きている。そんなめまぐるしい日常に、このアルバムは輝きを見出し色彩を与えてくれる。瞬きをしている今にも回り続ける、街と人。それぞれが関わりあって回り続ける回転体だ。メランコリーと戯れながら、なんてことない変哲な日常を綴るわたしたちに寄り添ってくれるザ・シェフ・クックス・ミーの音楽は、あなたの耳元でも温かく鳴り響き、包み込んでくれるはずだ。幕がおりるその時まで。



(竹島絵奈)

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