MOBY「A Case For Shame」(Little Idiot)

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 彼ほどのビッグ・ネームにもなれば、細かい導線や戦略を敷かずとも、届く力はあるだろうに、モービーのフェイスブックを見ていると、頻繁に写真や真摯なメッセージを残し、ツイッターホームページ、ライヴの動画配信、フリー・ダウンロードの枠まで含めて、如何にSNSのコントロールを上手く的確に行なうかのひとつの例を感じることがある。


 2011年の『Destroyed』におけるまろやかな音像と、鋭角的、好戦的ではなく打たれるビートは、いつかのレイヴ・シーンで歓待された「Go」における明けない夜に向けた煌めいたミラー・ボールのまわるクラブの下からキャリアを長く重ねてゆくなか、ライヴ後のホテルに帰ったときの孤独な落ち込み、疲弊、そこからツアーの合間や休暇中に触れる自然や生物、空気、そういったものに魅せられるように、音楽性のみならず、知見も"広さ"を増していったのを示す途程の作品だった。


 モービーの場合、"広さ"とは強みであり、浅学的な広さではなく、誰もが足を踏み込めるおおらかな音楽とも置換でき、いまだに世界中で色んな形で流れ、愛好される彼の代表曲のひとつ「Porcelain」はテクノ、アンビエント、電子音楽、ヒーリング・ミュージック、多様な解釈があろうと、あの薄い電子音の漣にピアノと声が水墨画みたく曲に馴染む、そこに優しさや癒しを感じる方たちは国境を越えるのもわかる。伝えないと伝わらないが、伝え方によってはどれだけの解釈が起こってもいいということであり、アーティスト・エゴがほのかに消えるようなモービーの曲のなかに、画家ピカソの『マ・ジョリ』を想い出すことがある。人間の輪郭はなくなり、向こうが透けて見える画角の中に入っている断片。


 また、《BrooklynVegan》の企画だが、2012年の彼の選んだベスト・アルバムには、いかにもなゴンザレスやローレル・ヘイローと並び、ライアーズ、ブリアルの名前が挙がっていたのも彼のアンテナを思わせる。振り返るに、2008年に『Last Night』のような少し野暮ったさも孕んだダンス・アルバムをリリースしても、周囲は受け止めた訳で、モービーというアーティストは決して斬新にシーンを攪乱せしめようとするような位置に今はいないともいえるかもしれないが、彼のその時代における感性をフックし、届ける力はそのベスト・アルバムの選出内にも入っていたコールド・スペックスと組んだこのシングル「A Case For Shame」でも発揮されている。


 コールド・スペックスはロンドンをベースに活動するカナダ出身のフィメールSSWで、2012年の『I predict a Graceful Expulsion』はフォーク・リヴァイバルの趨勢と重なり、シンプルながら、美しい内実も合わさり、各方面から注目され、これからの活動がより期待される気鋭。その歌声は若くして、渋みとソウルフルな余韻が残り、往年のエミルー・ハリスのような、しわがれたブルージーさもある。その彼女が全面にフィーチャーされたこの曲のMVでは、水、モービー自身、熊やうさぎの着ぐるみ、モンスターなどが粗めの映像のなかでゆらゆらと揺れ、そこに水中に差してくる光のレイヤーと彼女の声がシンクロしてくる、簡単にいえば、最小限のサウンド・アレンジメントに徹したソウル・ミュージック。


 10月に控えている新作『Innocents』では、ザ・フレーミング・リップスのウェイン・コイン、スクリーミング・トゥリーズのマーク・ラネガンなどの参加もアナウンスされているゆえに、まだ全体像は見えないが、前作からの流れを考えると、よりスムースでユーフォリックなものになっているような気がする。


 なお、この曲のリミックスも印象的なものが多く、特にアルト・ジェイのトム・グリーンによるリミックスは、雨と雷の音が含まれ、ビートの震え、ダブステップ的な要素が加えられており、期待に違わぬアグレッシヴな出来となっている。モービーのサウンドクラウドからダウンロードできる「Honor Detroit Remix」では、実験性と壮大な盛り上がり、音の壁で塗り潰されてゆく後半の展開は圧巻でもある。シングル一曲として他のバージョンと比較することで、立体的になる感覚もおぼえる。


 最後に、曲そのものも良いが、込められた歌詩にある《I will not shame / You today》とは、彼からの世界で今を生きてゆく多くの人(=あなた)へ向けた切なる希いの断片なのかもしれない。



(松浦達)

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