EMILIANA TORRINI『Tookah』(Rough Trade / Hostess)

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 例えば、ガブリエル・タリドの『模倣の法則』はさまざまな分野でリファレンスされることが多い書だが、人間の最大の誘惑のひとつに類似性を見つけだすことや、擬態そのものが空間への同化を起こすことなどに言及している。但し、模倣は類似の源泉だったのかというと、そこの相似律はもう少し現代では再定義が要るように思う。相似律から敷衍しての模倣は、類似同化ではなく、異化への道を用意する可能性があるのではないか、そういう含意もあるような気がするからだ。2005年に《Rough Trade》から出た『Fisherman's Woman』の印象がいまだに強い方は多いかもしれず、筆者もそのジャケットと音からはジュディ・シル、ジョニ・ミッチェル、ローラ・ニーロ、ヴァシュティ・バニヤンなどの少し翳りを持つフィメール・シンガーソングライターの系譜の香りを感じた。


 非常にシンプルでフォーキーなサウンドに、エミリアナのか細く、少し舌足らずな声だけが切々と描かれる内容。デヴェンドラ・バンハート『Cripple Crow』やジョアンナ・ニューサム『Ys』などのアシッド・フォーク的な音像がその前後には世界でじわじわと隆盛していたのもあり、目立つ訳ではない、当該作の滋味深さはしかし、一定の人には評価され、その衒いのなさはニック・ドレイクの諸作を想い出せば早いように、じわじわと彼女の存在はあらためて巷間に拡がっていき、アーティストとしてのポテンシャルを期待させるものだった。


 そもそも当初から、エミリアナ・トリーニには、余分なイメージが先行、またはある偉大なアーティストとの類似が往来していたきらいがある。アイスランドという場所からまず、端整なルックスと澄んだ声で2002年に世界的にヒットした『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』のエンディング・テーマを歌い、俄然、注目を浴びてしまったこと。


 ただでさえアイスランドでは、ムーム、シガー・ロス、パスカル・ピノンなど日本でも人気の高いアーティスト/バンドがおり、また、ヨハン・ヨハンセン、ステファン・ハーコンなどさまざまな音楽のフィールドにも花を咲かせている。そこに並ぶ形で、エミリアナの周囲には好奇や関心が寄せられた訳だが、1999年のデビュー作『Love Is The Time Of Science』は、焦点のうまく定まっていないオルタナティヴな多岐性に溢れていた。トリップホップ的な意匠から、エレクトロニクス的な加工された音に、エレキ・ギターが烈然と響き、彼女の声がときに咆哮するなど、オーヴァー・プロダクション、支離滅裂的な、ともいえる情報量が多いアルバムだったものの、その2002年の映画におけるエンディング・テーマでのブレイク、そして、冒頭で触れた05年のアルバムにおいて、ブレはじわじわと再矯正されていき、或る程度は余計な冠詞がなくなったといえる。


 その後、彼女自身の冒険心はトラディショナルなフォーク・シンガーという枠を越え、2008年の『Me And Armini』においては、フォーキーな曲とレゲエ、ロックステディー風の曲、ビートを強調した実験的な曲までのみならず、思索/試作の後がそのまま呈示されていたりと、『Fisherman's Woman』に続くものとしては途っ散らかったところがあり、個人的に戸惑いが先だったのも事実であった。作品ごとに座標軸がブレてしまうさまは、元来のオルタナティヴ気質に依拠するかもしれないにしても、今後、どういった歩みを進めていくのか、心配にもなったおり、約5年振りとなる新作『Tookah』が届いたが、これは非常に興味深い。


 ミニマルなビートが反復し、刻まれる1曲目の「Tookah」にはモービーロイクソップのような穏やかな電子音楽と彼女のセンスの融和がある。ほのかなアンビエンスが後景しながら、ギターだけの3曲目の「Autumn Son」には叙情が刻まれ、オーガニックな、という言葉は使い勝手がいいだけに、あまり多用は好きではないが、肩の力の抜けた4曲目の「Home」辺りがやはり今作の本懐なのだと感じる。


 なお今作では、プロデューサーにフランツ・フェルディナンドなどを手掛けたダン・キャリーを招き、じわじわと輪郭を詰めていったとおり、いかにもダンらしいトラックにはリード・シングルたる「Speed Of Dark」が挙げられるだろうか。ダンサブルな曲だが、先鋭的なビート・メイクという訳ではなく、煌びやかなシンセと音響の奥行きを気にしたようなミドル・テンポのもので、80年代的な懐かしさを感じないでもない。それをリミックスしたのも、アンドリュー・ウェザーオールという人選もらしく、そのデキも手堅い。


 さて、ここまで具体名をあえて挙なかったが、アイスランドという場所含め、ビョークと比較、類似点を指摘されることも多くあったエミリアナだが、例えば8曲目の「Blood Red」は、『Vespertine』期の内省的かつ緻密に組まれた音響性が静かな余韻をおよぐという意味でやはり近似は感じるがしかし、この9曲という締まった曲群の中には前作同様、多彩な曲が入り混じるものの、今回は散漫な印象はおぼえず、それは着実にキャリアを積み重ねてきた彼女自身のオリジナリティーがしっかり確立されているのを感じるからでもある。


 そもそも、エミリアナが目指していたのはこういう遊び心溢れる風通しのよい場所だった気がする。そんな充実した作品になっている。



(松浦達)

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