VAN DYKE PARKS『Super Chief ~ Music For The Silver Screen』(V4)

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 列車や飛行機をモティーフにした音楽作品は多い。例えば、今年の来日公演も喝采を受けたクラフトワークによる『ヨーロッパ特急』、砂原良徳の『Take Off And Landing』など、ひとつの旅をするように、実際の音までサンプリングされた上で、臨場感を作りあげる作品。いまだに子供は大きな空に想いを凝らし、大人は仕事にしろ、プライベートにしろ、乗り物そのものは勿論だが、「移動」の間における列車や飛行機の時間は特別なものなのかもしれない。


 今年の宮崎駿の長編映画『風立ちぬ』でも、武器を乗せない飛行機を模索する航空技術者の堀越二郎が印象的な形で描かれ、または、自身の幾度とない実験の果ての発見、結果が想わぬ形で悪利用されて悩んできた過去の科学者たちの軌跡を想い返さずとも、これまででは空想的でさえなかった場所まで乗り物は繋げてくれることになった現代は功罪あれども、筆者は悲観的にはならない。ただし、アメリカの建築家でグラフィック・デザイナーであり、情報社会に関する著書も多いリチャード・ワーマンが言うところの「世界の半分がインストラクションで出来ている」としたら、そういったものの理解の本質は遷移にあるともいえる。遷移とは、時代の速度と体感速度のトレードオフのようなニュアンスでも捉えられないだろうか。海外で旧い旅客列車で何時間も揺られる選択肢を取る構法の裏で、そこにはビークルを介した個の想像力がその瞬間に置き去りにされているのだとも思いもする。


 ヴァン・ダイク・パークスが1955年に初めてアメリカを鉄道で横断した旅の想い出に準拠した、あくまで架空のサントラ盤としてこのたび、日本でも手に入りやすくなった今作『Super Chief~Music For Silver Screen』から撥ねるのはまさに、車窓から見える緑の木々や岩山、レールの軋む音、旧き良き時代(という言葉も苦手だが)の時間の流れ、移動中の微睡み、車内でのアクシデントまで、そんな想い出の断片が遷移する理解に並走する。なお、日本でも手に入りやすくなったというのは、今春のレコード・ストア・デイで限定LPとしてリリースされていたのだが、すぐに売り切れてしまったのもあり、日本にも入荷されなかった背景がある。ヴァン・ダイク・パークスといえば、『Songs Cycled』のリリースもあり、音楽の豊潤さをあらためて届けている存在だが、ここでの彼は映画音楽家と想像豊かなストーリーテラーとしての側面を兼ね揃えている。
 

 "オーケストラル・ポップ"と銘打たれ、シカゴとLAを結ぶ旅客列車"スーパーチーフ"で西を目指す少年、そこで、起こる幾つもの出来事。「Go West Young Man」「The Dining Car」「Into The Gloaming」と曲名からそのまま伝わってくるものもあるが、30曲を通じて、何度も出てくるメイン・テーマと小品が結ばれ、浮かんでくる情景はアメリカという題材につねに向かい合ってきた彼の挑戦心のようなものであり、ルーツ・ミュージックや教会音楽、ロマンティシズムが幾重にも折り目をつけながら、例えば、アルマンド・トルヴァヨーリ、エンニオ・モリコーネなどが映画音楽で時おり忍ばせる、幻想的かつ実験的な構成の音楽に対する敬虔さも可視できる。


 また、20世紀のアメリカにて、アーロン・コープランドが残したものも大きかったが、それは古謡や、教会音楽からエミリー・ディキンソンの詩などをフックし、アメリカ音楽のひとつの礎を築いたといえる人物であり、個人的に彼のアーウィン・ショウの劇音楽として書き下ろされた『静かな都会』で木霊するノクターンには今も魅せられる。そのコープランドの血脈を着実に受け継ぐヴァン・ダイク・パークスはこの架空映画の中で、しばしば少年に彼自身の現在の感慨を投射しようとする。それは1955年の、過ぎ去ったアメリカへの何かしらの想いではなく、音楽を通じれば、旅客列車、旅を途程にして、また、今のアメリカに近付けるのではないかと感じさせるもので、この作品から拡がるイメージは聴き手に様々な解釈を促す。その個々の解釈どおり、音楽を乗せた列車は進んでいけば、未踏のどこかに辿りつくのだとも思う。



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