Rhucle『The Space Theory Of The Dreams And Phantasms In A Small Box』(Self Released)

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 Rhucleの作品は、音楽と呼べるぎりぎりの場所でリスナーを誑かすように華麗に舞っている。いや、もっと正確に言えば、些細な日常音と普段われわれが聴こうとして聴く類いの音楽には境がないのだと言っている。波も、雑踏も、映画のワンシーンも、美しいヴァイオリンの旋律も、毒にも薬にもならないポピュラーミュージックの破片も、彼にとってはすべて同じ"音"なのだ。


 しかしこう書くと、彼の作品はジョン・ケージの表現行為やブライアン・イーノのアンビエントのようだが、そうではない。両者の哲学は、本来は音楽の外側にあったものを内部へと侵蝕させる芸術であっただろう。それによって音楽の範疇はたちまち肥大した。


 Rhucleの行為はその逆である。今まで音楽と呼ばれていたもの、あるいは音楽となり得た音たちを、外へ外へと押しやり音楽から遠ざけようとしている。それは、音楽に疲れた一人の人間の拒絶反応ともとれるし、無邪気に音楽を楽しめていた二度と戻れない時代への憧れともとれる。


 無邪気に音楽を楽しめていた時代――。


 "群衆協奏曲"と名付けられた4曲目「Throng Concerto」では、流麗なヴァイオリンの演奏を遮るようにまったく関係のない効果音や邪魔なノイズが挿入される。妨害は曲が進むにつれて増してゆき、最終的に人間の喋り声が支配して次のトラックへ移ってしまう。まるで、ひとつの曲に集中しようとしても集中しきれない現代人の散漫な意識を、音楽が、音楽らしきものへと成り果てる様子で表現しているかのようである。


 40秒ほどの2曲目「Cosmic Chorus Through The Over Head」では、小鳥のさえずりをバックに馬が駆け抜ける足音とフューチャリスティックで淡白な女性の歌声が響くのみで、そこにあるのは種の無常観と、音に対する幾ばくかの冷めた視線だ。彼は何も主張しない。叫べとも楽しめとも言わないし、踊れとも、悲しくなれとも言わない。そんな真っ白な(というより真空な)気分で聴かされる7曲目「Hawaii's Guest Room "Chicken's Boiler"」の、このあっけらかんとしたハワイアンの中身の無さったらない。この無味乾燥のハワイアンに象徴される、音を心から楽しまない冷徹なアティチュードが、この作品全体を覆う空気となっている。どんな情感にも迎合しない、どこか真理を悟ってしまった人の心を覗きこむ望遠鏡のような音楽、とでも言うべきか・・・。


 しかし、こんな調子で流れる10トラックの後に待っている「The Night Cataract」に、筆者は不覚にも心を奪われてしまった。こんなにも楽観的で、超現実的で、ロマンティックで、根拠の無い過度の幸福感に癒される自分自身に驚いた。これが自分の求めている音なのだろうか、これが聴きたかった音なのだろうか?


 人は、どんなに喉から手が出るほど欲しかったものでも手にしてしまった瞬間に価値を見出せなくなってしまう時がある。音楽を外へ外へと遠ざけ、あとに残ったユメかウツツかもわからない白昼夢のような音の残像に、Rhucleは、そして我々は、救いを求めている。


 『The Space Theory Of The Dreams And Phantasms In A Small Box』="小さな箱の中の夢と幻想の空間理論"


 Rhucleはこのアルバムにそんなタイトルを付け、彼の求める"夢と幻想"を300円のカセットテープに収めた。冒頭とは逆の結論を書こう。この小さな箱の中には真の意味で"音楽"が詰まっている。そしてもう一度ひっくり返す。


 Rhucleの考える本当の音楽とは、何だろう。



(荻原梓)




【編集部注】『The Space Theory Of The Dreams And Phantasms In A Small Box』のデジタル・ヴァージョンはRhucleのバンドキャンプでダウンロードできます。

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