PHOENIX『Bankrupt!』を通して見える新自由主義的なカルチャー・ビジネスの状況

|
今回は、弊誌編集長である伊藤英嗣の原稿を掲載いたします。もちろん記事タイトルが示すように、フェニックスの『Bankrupt!』を中心に書いているのですが、伊藤さんお得意? の横断的内容となっていて、いろんなところに話が飛んでおります。


しかし、それでも面白く読めるものに仕上げてくるあたりは、伊達に長く執筆活動をやってないなあと思います。しかも「なるほど!」って思える部分も多くあったり。


と、書くと何だか偉そうに聞こえるかもしれませんが、素直に「すごい!」と感心しましたよ。本当です!






>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>



 90年代なかばにパリ郊外ヴェルサイユで結成された4人組バンド、フェニックスの新作が、あまりに素晴らしい。2000年から2009年までにリリースされた過去4枚のオリジナル・アルバムも全部良かった。だけど誰かに「どれをまず聴けばいいの?」と訊かれても返答に困るというか、それぞれ方向性が違いすぎて、「彼らの場合、その成長に沿って聴くのがいちばんという気がするので、ファーストの『United』から全部を順番に!」としか言いようがないというか(笑)。


 その『United』では、クラブ・ミュージック・ノリと70年代末~80年代前半のMOR/AORポップ・アレンジが極上のセンスで混じりあっていた。トニー・ホッファーを共同プロデューサーに迎えた2004年のセカンド『Alphabetical』は、よりスタジオ作業に凝った作品。わりと脳天気な雰囲気のあったファーストから、一気に内省的な方向へふれていた。そこからライヴ・バンド・ノリを取りもどすべく、実況録音盤『Live! Thirty Days Ago』をへてリリースされた2006年のサード『It's Never Been Like That』は、セルフ・プロデュースかつ「できるだけオーヴァー・ダビングを廃する」方向で制作されていた。


 2009年の前作『Wolfgang Amadeus Phoenix』は、ファースト以来久々に旧友フィリップ・ズダール(カシアス)とコラボレートして、過去のアルバムの「いいところ」を集大成したようなアルバムだった。ただ、その分方向性が分散しており、サードまでに比べるとインパクトが弱かった。さらに、せっかくズダールが絡んでいるのに『United』と比べると、ちょい(音質面の)ボトムが弱いというか。インディー・ロック系イベント「以外の」クラブではかけづらい......というのが、残念といえば残念な点だった。ファンというのは、わがままなものです(笑)。


 ところが新作『Bankrupt!』を聴いて、ぶっとんだ。みたびズダールと組み、前作に欠けていた(と「ファン」に感じられた)部分が全部クリアされている。『United』にあった、クラブ・ミュージックとロックの狭間に生まれた鬼子っぽい雰囲気も(比較的後者寄りの形ながら)復活。フェニックスというバンド自体が生まれかわった......もしくは一皮むけたという印象さえ受ける、実にパワフルかつクールなアルバムとなっているではないか! まごうことなき最高傑作だ。


 フェニックスは90年代、もともと自らのレーベル、グラスノートからデビュー・シングルを発表していたのだが、ファースト~サード・アルバムはEMI傘下のソース・レコーズからのリリースだった。本国フランスでは順調に人気を高めていたものの、(ドメスティック・ミュージック・マーケットが極端に大きい日本を除いて)世界一の音楽市場アメリカではトップ200に食いこむことさえできなかった。そのせいか、4作目『Wolfgang Amadeus Phoenix』の制作に入る前にEMIとの契約は解消。アルバムは、コーペレイティヴ・ミュージック(いわゆるコープ。多くのインディー・レーベルを統括する企業)の助けを得て、90年代に最初のシングルを出した自らのグラスノートを復活させる形で発表することになった。


 ところが、その『Wolfgang Amadeus Phoenix』、なぜか(失礼!)突然バカ売れしてしまったのだ! 本国でも初めてトップ20入り。全米トップ40に食いこんだのみならず、グラミーのベスト・オルタナティヴ・ミュージック・アルバム賞を獲得、ゴールド・ディスクに認定されている。


 その勢い、いまだ衰えず。最新作『Bankrupt!』は、本国、US共に初のトップ10入り(フランス3位、アメリカ4位)という順調なすべりだしを見せた。内容も、さぞやイケイケ、アゲアゲなのかなって? いや、そうでもないんだよな......。もちろん前作で獲得したある種の自信みたいなものは透けて見える。音のひとつひとつがこれまで以上にたくましい。インターネットで先行発表されたアルバム冒頭曲「Entertainment」などは、特にそうだ。彼らの場合、英語が母国語じゃないこともあるし、歌詞の抽象度も高いし、昔から「ぱっと聴き、その曲でどんなことが歌われているか」が結構わかりづらい傾向がある。アルバムを買って、歌詞カードを眺めつつ何度も聴きなおし、最も印象に残ったフレーズは、これだ。


《トラブルはぼくがひきうけるからさ/ぼくの心を持っていっていいよ》


 この直後に、曲名がくりかえされる。もしかすると、彼らにとっての「エンターテインメント」とは「そういうもの」なのだろうか? ちょっと重い。なんとなく、あのギャング・オブ・フォーのデビュー・アルバムのタイトルが『Entertainment!』だったことを思いだすくらいに(いや、もちろん音楽性云々はまったく関係なく!:笑)。


 アルバム・タイトルが、『Bankrupt!』つまり「倒産!」であることも意表をついている。前作がそれだけ売れたのなら、お金もたくさん入っただろうに、なぜ......というのは素人の浅はかさ(笑)。制作費をどのように工面したかによって、CDが1枚売れたときアーティストに入ってくる割合がどうなるかは、まさに千差万別。簡単には読みきれない。


 さらにいえば、そこで瞬間的に、どれだけ「流動費用」が入ってこようとも、彼らが(少なくとも『Bankrupt!』の制作段階で)「左うちわ」状態でなかったであろうことは、その手のビジネスを(主に90年代に、ですが)経験してきた自分にとっては、想像に難くない。そんな簡単に「大もうけ」はできないんだよ。


 タイトル・ナンバー「Bankrupt!」は、全体的にアッパーな勢いのあるアルバムのなかで、最も内省的な部類に属する曲。いくつかの状景や状態が断片的に並ぶ象徴的な歌詞のなか、何度もくりかえされる《Justice done(正義の鉄槌がくだされる)》というフレーズが目立つ。あたかも、いきすぎた新自由主義経済体制のもと、「倒産」も「正義」のひとつにすぎないといわんばかりに。「小さな政府」のもと、「自由度の高い市場」をなにより重視する新自由主義においては、経済的弱者と強者の格差が、かぎりなく広がっていく。


「バンドは生き物だ」とよく言われるけれど、ミュージック・ビジネスにおいて「バンド」はかなり弱者の部類に属する(たとえば、今はどうなっているか知らないけれど、数年前までJASRACは「バンド」としての著作権登録を受けつけてくれなかった。つまり「バンド」は、作詞作曲の権利を有する「法人」とは認められなかった。少なくとも日本では)。先述したとおり、フェニックスは「生き物としてのバンド」というテーゼを、かなり理想的に反映しつつ成長してきた。そう考えつつ、この曲を何度も聴いていると、歌詞全体のどこかしこから「新自由主義的なカルチャー・ビジネスの状況を、弱者の側から見た」ときのような批評性が、びんびんに伝わってくるような......。


《いにしえのスコットランド人/若くて裕福/自ら権利を管理するセルフ・ポートレイト/裁判が始まる/正義の鉄槌がくだされる》《ぼくは結局急いで作品を出して そんな状況に飛びこむ/永遠 それはぼく以外のみんなのもの》


 まあ、インタヴューとかで彼ら自身にそう伝えたら、「おもしろい見方だね! でも、それは深読みのしすぎじゃない?」と一蹴されてしまうような気もするけれど(笑)。


 ここで少し話が飛ぶ。フェニックスは、もともとダフト・パンクと深い関係があったことをご存知だろうか。フェニックスでギターとキーボードを担当するローラン・ブランコウィッツは、1996年にフェニックスに加入する以前、ダーリンというガレージ・バンドに在籍していた。その後ダフト・パンクを結成するギ=マニュエルとトーマ・バンガルテルのふたりも、ダーリンのメンバーだった。


 それだけではない。1997年にリリースされたダフト・パンクのファースト・アルバム『Homework』には、そのものずばり「Phoenix」というタイトルの曲も収録されているのだ。種明かしをしてしまえば、フェニックスというのは、ダフト・パンクも彼らも大好きな1976年の映画『ファントム・オブ・パラダイス』の登場人物の名前なのだ。


 ブライアン・デ・パルマ監督の出世作と言われるカルト・ムーヴィー。売れないシンガーソングライターである主人公ウィンスロウが、悪魔に魂を売ったミュージック・ビジネスの黒幕スワンに曲の権利をすべて奪われ、その顔をレコード・プレス機につぶされつつ、最後になんとか復讐を遂げながら、自らも息絶えるという切ないバッドエンドが、なんとも味わい深い。


 この映画、近田春夫から中原昌也まで、カルチャー・ビジネスを斜めに見つつそのまっただなかで奮闘している者たちの多くに愛されている。ちなみに近田春夫は、その映画の登場人物から名前を拝借した、ザ・ビーフそしてジューシー・フルーツというバンドを70年代末に手がけていた。中原昌也が90年代、メジャー傘下でぼくが主宰していたレーベルからCDを出す約束を交わしたとき口にした、「伊藤さん、お願いだからレーベル名、デス・レコーズに変えてくださいよ」という最高のジョークは、今もぼくのお気に入りのひとつだ(デス・レコーズというのは、スワンが主宰していたレーベルの名前。最初の脚本段階ではスワン・ソングだったものの、偶然にもレッド・ツェッペリンが同名レーベルを始めてしまったため、使えなくなってしまったらしい!)。


 ダフト・パンクが松本零士と組んで制作した映画『インターステラ5555』のプロットは、まるで『ファントム・オブ・パラダイス』をなぞったようだった。そのバッドエンドを「切ないハッピーエンドの夢物語」に変えた感じというか。みんな、カルチャー・ビジネスに対するトラウマ(もしくは警戒心)を、どこかに抱えているんだよね。


 そんなダフト・パンクの新作、ぼくも発売日に入手して愛聴しまくってる感じで、とにかく素晴らしい。全米1位になったのも納得の出来(フェニックス、負けちゃったね!:汗&笑)なのだが、ひとつ驚愕した点がある。それは『ファントム・オブ・パラダイス』劇中曲すべてのソングライティングを手がけ、自ら悪役スワンとして出演したポール・ウィリアムスがゲスト参加、大活躍していることだ。まさに『ファントム・オブ・パラダイス』の音楽を連想させる形で。


 ダフト・パンクは(映画にも、ばりばりにあった)自虐的な批評精神もこめて、自らをデス・レコーズの立ち位置に置いたのだろうか? とすれば、どこか沈痛なおももちで「Bankrupt!」を歌うフェニックスは、さしずめウィンスロウ? いや、違うな。フェニックスは、やはりフェニックスだった。あの映画で、ウィンスロウがその歌声に惚れこみ、彼女が歌うのであれば......とデス・レコーズのペテン契約にひっかかってしまうきっかけとなった歌姫の名前が、フェニックスだった。決してかなわないと思われた彼女に対するウィンスロウの恋心は、最後に彼女が真実を知ることで、いまわの際にむくわれた。そう、フェニックスというのは、まさに女神であり、ミューズ(詩や唄の精)。


 フェニックスには女性はいない。しかし、ミュージック・ビジネスの荒波に翻弄されつつ、彼らはいつだってミューズ(詩や唄の精)の心を、最も深い部分でつかまえていた。ニュー・アルバムを聴いて、ぼくはそんな思いを新たにした。



(伊藤英嗣)

retweet