【合評】FRANZ FERDINAND『Right Thoughts, Right Words, Right Action』(Domino / Hostess)

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 女の子が踊り、軍人も涙するダンス・ミュージック。疾走感と懐かしさの奇妙な同居。祭囃子や80年代SFのテーマ曲みたいなシンセに、つんのめり痙攣しながら疾走するギター・カッティングとビートのいびつな調和。引きこもりの青年が転じてヒーローになる、少年漫画の王道を行くような物語性。オーケー、言ってしまえば今回もそれだけ。フランツ・フェルディナンドはどこまで行ってもフランツ・フェルディナンドなのだ。


 トーキング・ヘッズやロキシー・ミュージックをよく引き合いに出されるが、この独特な感触は、他の人が見過ごすような細かいことを、延々と考え続けた末に行き着いたシンプルさかもしれない。難しいことを簡単にまとめたともいえる。中心人物のアレックスはNMEのインタヴューで、スコットランドの作家アラスター・グレイの小説『Lanark』が本作のテーマとして重要だったと語っている。内向的な人間が社会と向き合い自身をさらけ出す勇気を持つことについての壮大で引き込まれる物語だ。クッキーシーンのインタヴューでは、僕らの曲がアニメ映画『ピューと吹く! ジャガー いま、吹きにゆきます』に使われたのは最高にクールだとも発言していた。主人公ジャガーは、音楽で世界を支配しようと企む秘密結社で育てられ、超常的な音楽の才能と引き換えに感情を無くし自分の殻に閉じこもっていた。しかし育ての親による捨て身の愛情のおかげで彼に感情が戻る。これはアレックス自身の過去にあてはまりはしないか? 江口寿史の 『ストップ!! ひばりくん!』でデヴィッド・シルヴィアンと忌野清志郎が言及され、冨樫義博の『幽遊白書』では戸川純が後半の雰囲気を示す重要なキーワードとして使われていたように、音楽とある種の物語は相互補完する。


 またアルバム・タイトルは仏教における八正道という教えに影響されたという。快楽と苦行の両極端を否定した適切な行い(Right Action)のことだ。鳥山明の国民的漫画『ドラゴンボール』に例えるのを許してほしい。孫悟空とベジータは最後の戦いに備え精神と時の部屋という亜空間で修行する。ひたすら筋力増強を唱えたベジータの態度はフランツでいえば2作目に相当する。一方で特別なことはしない、基礎鍛錬が大事だと考えた孫悟空は3作目の考え方に近い。3作目『Tonight』では心臓の鼓動である80前後のBPMを意識し、再び楽曲の基本構造を強化した。その結果、何をやってもフランツになる完璧な自信と基礎体力を得た。アレックスは言う、アティチュードが大切だ。過去のミュージシャン、地元の友人達から様々なことを吸収した。彼らへの敬意を忘れない。人々を食い尽くそうとする魔人を、全世界の仲間から集めた勇気の元気玉で討ち果たした孫悟空のようだ。スコットランド、グラスゴーの音楽シーンにおいて同胞や後輩と影響を分かち合っている。彼らはとても博識で理屈っぽいことを考えるけれど、最終的には本能と勘を優先させる。それは理性に裏打ちされている。自分はしょせん道化だと言い切れる人間は信用できる。「ユー・ウィル・ビー・オーライ!」、アレックスは宣言する。君もきっと大丈夫だ、と。



(森豊和)

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 例えば、ピナ・バウシュのダンスを観ると、"踊る"という行為そのものは自由に対する身体性の解放以外に、心の内奥に疼痛もおぼえもするが、それはフランツ・フェルディナンドのライヴを何度となく体感するたびに感じる頭と身体に起こる時間差と、あくまで部分的な要素が直線的というよりもBPMを変えて、パッシヴな知覚に刺さるということと似て非なる要因について考えることがある。


 2004年の大々的なデビューの際、当時はアウトキャストを筆頭にラジカルなヒップホップが世界を席巻し、2000年代のガレージ・ロック・リヴァイヴァルの下、ストロークス、ヴァインズなどのラフながらクールかつジャンクな音で溢れていたところに、彼らはバンド名をサラエヴォ事件で暗殺された大公の名前から拝借し、ポスト・パンク直系のサウンドとダンサブルなビートを特徴に、《I say don' t you know You say you don't know I say take me out(筆者拙訳:僕は言う 君はわかってないよ あなたはでも言う そんなの知らない 僕は言う とにかくここから連れ出して》(「Take Me Out」)と歌った。


「ここ」とは、アレックス・カプラノスをはじめ、メンバーたちの葛藤と長い下積みのなかでの切なる懇願だったかもしれず、「女の子を踊らせたい」というには、ファースト・アルバムの曲調と比して、歌のベースは「女の子のこと」をメイン・モティーフにしながらも、仄かな影が落ちている。それはデビュー前に何度もライヴをしていた場所である廃墟的なウェアハウス"ザ・シャトー"の影にも見え、スーツで全身を固め、シーンに颯爽と顕れたときから、アート・スクール的なセンスとベタな佇まいにあくまで"イメージとしての英国的な"何かと距離を感じたのが正直なところだった。ただ、2005年のセカンド・アルバム『You Could Have It So Much Better』のリード・トラック「Do You Want To」での鮮やかさには心を奪われた。繰り返されるリフレイン、キャッチーなフック、ふと変わるテンポ、誰もが聴いて耳に残るポップ・ソング。CMのみならず、世界中、本当に多くの場所でこの曲は流れていた。


 アルバムそのものも、シンセやピアノなどが巧みに取り入れられたのも功を奏し、同時代性抜きに、躁的な勢いと鋭角的なリズム・アンサンブルが映えた内容からは飛躍が感じられ、さらにはデーモン・アルバーンのようなシニックな言い回しも増え、一筋縄ではいかなくなっていたのも興味深かった。スターリン、ヒトラー、チャーチル、毛沢東、ユトレヒト、R.E.M.「Everybody Hurts」などが刻印される歌詞。そして、アルバムの最終曲「Outsiders」の、リズムが細かく刻まれ、スイングするなかの最後のラインは決定的だった気がする。


《The only difference is what might be is NOW》

(「Outsiders」)


 当初から外れ者、時代錯誤的な要素を含んだバンドが「今」を謳い、強引に「今」を引き寄せた矜持。そこから、2009年の『Tonight』は少しBPMを落とし、ダブ・ミュージックのコンセプトがあったというとおり、プロデューサーのダン・キャリーの手腕も活き、これまではやや平面的だったサウンドに深みが増し、同作のダブ・ヴァージョンの『Blood』も含め、エクスペリメンタルな試行の痕が美しくもあった。


 そして、最新作『Right Thoughts,Right Words,Right Action』はよりシンプルになっていると言おうか、ホット・チップのアレクシス・テイラーとジョー・ゴダード、ビヨーン・イットリング、トッド・テリエらとのセッションなども含めて作り上げていったゆえの程よい緩さも心地良く、フランツ・フェルディナンドの新しいアルバムとして構えて聴くよりも、軽やかな一枚のポップ・アルバムとしてリフト・アップされる内容になっている。個人的には、彼らの批評性と併存する野暮ったさも好きな要素のひとつだったものの、結果としてこういうサラッとした衒いのない作品を求めていたところもあり、毀誉褒貶はあるだろうが、「Love Illumination」でのメロディーが冴えるギター・ロック、80年代のディスコ的な「Stand On The Horizon」、清冽なギター・ポップ「Fresh Strawberries」の中盤の流れは特に聴いていて感慨深い。しかし、ザ・スミスをリファレンスしたというように、入ってくるリリックはダークなものが多い。


 サウンド面での若返りと、キャリアを重ねてきたゆえの黄昏た雰囲気、自身の過去作の満遍ない音楽エッセンスがとてもコンパクトに纏められているのもらしい。なにかと音楽には意味付けや時代との関連付けが求められるが、そういった冠詞を抜きにした何気ないこういう作品もあるからこそ、ロック・ミュージックは尽きぬ彩りを深めるのだと思う。



(松浦達)

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