DEERHUNTER『Monomania』(4AD / Hostess)

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 ロックンロールとは、ずっとユース・カルチャーの中心であり、若者が「大人にならないでいられる」ための免罪符だったのか。ディアハンターにとって5枚目のアルバム『Monomania』は、ガレージ・ロックに回帰しながら、ヘヴィーな精神的内面に迫った内容となっている。この内容から察するに、かのブラッドフォード・コックスに安易な考えはなかったのだろう。


 ドアーズというバンドを想い返してみる。今でこそ、ドアーズに刻印されたのは"ユースフル"という言葉で、それは若々しく、背伸びして大人を装う、小さな大人の代弁者であったことを意味しており、そこには、1950年代のいわば親殺し的な、エルヴィス・プレスリーなどの影が落とされていた。

しかし、彼は小さな大人の代弁者ではなく、"子供の振りをした大人"だったのかもしれない。ドアーズの「The End」は11分以上を越えるが、モティーフは、実の父を殺し、母を娶ったオイディプス神話をアレンジしたものだった。


 ロックンロールにおいては「未成熟」であることが極めて重要視され(「初期衝動」という言葉の乱発)、それがジャーナリズムを増長させていることは間違いない。そこではある種の「成熟」が疎まれる。その「成熟」が賛否両論を呼んだ作品として挙げられるのは、去年上梓されたダーティー・プロジェクターズの新譜『Swing Lo Magellan』だ。


『Swing Lo Magellan』は過剰なまでに音がそぎ落とされていたアルバムだ。だが、これは唐突な変化ではなく、『Rise Above』『Bitte Orca』と順に聴いてゆけば、それが意図されたものだとわかる。彼らはアルバムを重ねるごとに、音数を減らし、ビートを際立たせ(『Swing Lo Magellan』におけるビートはヒップホップを意識しているようだ)、メロディーを洗練されたものにしていった。つまり、近年における彼らの志向には"シンプリティー"というものが確実に存在しており、その一つの帰結として『Swing Lo Magellan』という作品がある。そこで得た成果は極めて洗練されたフォルムで、『Rise Above』に存在していたサウンドにおける遊戯性=幼児性が削ぎ落とされ、非常に美しい成熟が聴き取れる。


 このアルバムでは、そのシンプリティーがフォーク・ミュージックのファクターを孕んでおり(タイトル曲「Swing Lo Magellan」など顕著な例だし、フロントマンのデイヴ・ロングストレスはボブ・ディランからの影響を強く受けている)、「成熟=フォーク」という退屈な図式を生み出している部分もあるため、この「成熟」に諸手を上げて賛成というわけにもいかない。だが、ここまで「成熟」したものを聴くと、やはりその美しさには感動させられるし、一時期持て囃されたブルックリン・シーンにおける著名なアクトたちが軒並み失速しているなかで、これほどまでに高い完成度の作品を提示したことは賞賛に値する。


 今作を一聴したとき、冷めやらぬ興奮とともにふと頭の中を過ったのは、実は『Swing Lo Magellan』という、『Monomania』とは音楽性が似ても似つかぬ作品だった。『Monomania』はまさしくNYパンクだ。フロントマンのブラッドフォード・コックスがこの作品を「a very avant-garde rock & roll record」と表現したことからは、ぺル・ウブが自分たちの音楽を「avant-garage」(アヴァンギャルド・ミュージックとガレージ・ミュージックから影響を受けた音楽という意味)と表現したことが嫌でも想起される。しかし、そういったアヴァンギャルド性がこのアルバムに満ちているわけではない。『Monomania』はディアハンターがホワイト・トラッシュ的にガレージ・ロックをやったらこうなるだろうという、極めてシンプルなアルバムだ。


 彼らの過去作を聴けば、ディアハンターがNYパンクの血脈にあるという指摘は今更かもしれない(ブラッドフォード・コックスはラモーンズを敬愛している)。しかし今、改めてそのことを指摘する必要を感じるほどに、『Monomania』の中にはNYパンクが存在しており、それはディアハンターというバンドが持つ表現の核にあるものだと思う。そして、今作ほどそれを感じたアルバムは彼らのディスコグラフィーにはなかった。だから、このアルバムはディアハンターの本質が最も剥き出しになったものだと言えるのではないか。


 5枚目にして、ガレージ・ミュージックという本質がシンプリティーとして剥き出しになるのは興味深い。そういった常に「未成熟」とも言える部分はディアハンターが持ちうる最大の特徴のように思える。ノイジーなギター・サウンドやヴォーカル・エフェクトが多く聴ける今作の中でも、ディアハンター特有のセンチメンタルなメロディーを聴取できるのは、そのセンチメンタリズムが彼らの「未成熟」さと分かちがたく結び合っているからだろう。


 そもそもNYパンクは、音楽的な成熟とはほとんど無関係と言っていいところにその特徴があった。それはロック・ミュージックのフォーマットに、思いつく限りのアイディアを片っ端からぶち込んで、闇鍋状態にし、新しい何かを求め続けるムーヴメントであったといえる。この「音の闇鍋」は決まった形を取らず、煮えたぎるままに様々な形をとり、「完成」や「成熟」とはほぼ無関係に、可能性だけがそこで脈打っていた。そういった「未成熟」であり続けることの喜び、ユーモアを『Monomania』からはひしひしと感じた。そして重要なのは、ここでの「未成熟」はあえての完成を放棄しているということだ。このアルバムは極めて洗練された「未成熟」の産物で、「成熟」と表裏一体である。前述したように、このアルバムを作るために彼らは200曲以上のデモを作成したという。だから、ここに収められた12曲における「未成熟」さは、極めて「成熟」的な身振りから産まれたものだ。


 このアルバムを聴いたとき、『Swing Lo Magellan』を連想したのは、あのアルバムにあった「成熟」が『Monomania』と全く対極的であり、また同時に「成熟」から枝分かれしたものだと感じたからだろう。美しく成熟することと、不定形のまま未成熟であること。2000年代初頭から活動を続け、ピッチフォークを中心に高い評価を受けてきた2つのバンドが、対極的でありながらも同じルーツを持つようなアルバムを上梓してきたのは面白い。そこで、『Monomania』は若者に向けられているが、小さな大人のためであるともいえる。


 先に、『Monomania』はNYパンクのようだと書いた。しかし今作は、NYパンクの中で産まれていた可能性の萌芽、ロックンロールにおける歴史のきざはしをまんま産み出しているわけではない。だが、『Monomania』を"子供の振りをした大人"へ向けてのタペストリーと考えると、その身振りは極めてトラディショナルで、刹那的で、あまりにも優しく、ディアハンターというバンドが紡ぐ音楽の美しさが伝わってくる。



(八木皓平)

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