DE DE MOUSE「to milkyway planet」(not)

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 ニュートンはかつて太陽系の模型を作ったが、中央に金メッキの太陽を配置し、周辺の惑星は各位置に所在し、レバー操作で、各惑星が軌道に沿ってゆっくりと動き出すというものだった。それを見た英国の天文学者のハレーは、その模型の精巧性に唸ったものの、模型を越え、複雑にして精巧さを保つ本当の太陽系、宇宙とはやはり人間の叡智を駆使しても届かないものだとも気付いたという。


 思えば、プラネタリウムというものも当初はルネッサンスを経て、18世紀を跨ぎ、部屋の天上にレールを敷き、中心に太陽を置き、その周囲を惑星が多くの歯車で正確にまわる運動儀が開発されることで原型を為し、"プラネタリウム(planetarium)"という造語が付されるまで長い時間を擁した。"planet(プラネット)=惑星"と"~orium(~オリウム)=場所"の合わせ言葉。そこから、惑星以外の星も表現し、今現在のプラネタリウムへは更に変節と改良が加えられてゆく。


 本来の宇宙そのものの宏大さと、疑似的な宇宙を希求する人間の欲求の差異。自然と人為の鬩ぎは、想像力を強化させることもあるとしたならば、プラネタリウムという場所で得る感覚はトレースされた果てない宇宙への好奇心なのかもしれない。


 さて、おそらく、このEPのジャケットからまず、これまでのデデマウスが孕むノスタルジアと同時にヴィヴィッドなひろがりを期待する人は多いかもしれない。「faraway girl」からおよそ1年、今後は定例になるかもしれない、プラネタリウム・ライヴに向けた、会場限定EPとしての第2弾「to milkyway planet」。


 今年を振り返ってみても、昨年の自主レーベル《not》から通算4枚目となるアルバム『sky was dark』も引き続き高い評価と注目を受け、初プロデュース作たるThe Selection of DE DE MOUSE Favorites performed by 六弦倶楽部 with Farah a.k.a. RF『Vol.1』と加速を重ねるなか、サンリオピューロランドにおける「キキとララの星空の旅」の劇盤プロデュースも行なった。その間隙を縫い、膨大な量の各地でのイヴェントやライヴ活動にも暮れ、こうした音を紡ぎ、届けるというのはもはやワーカホリックといった域よりも、デデマウスという存在が常に前を向きながらも、自己刷新を常に試みているようなマッドな熱量を感じる。


 「天の川へ」というタイトル、提灯、燈籠、煌びやかな夏の空気感をおさめたジャケットと6曲のバランスは統一感と多彩性を持ち、構成的にもEPながら物語性も汲まれている。


 例のカットアップ・ヴォイスと眩い電子音が有機的にいびつに絡み合い、少しずつ宇宙の淵へと運んでゆくような壮大な「milkyway planet」から、彼自身の内省性がほのかに浮き出る「nobody's place」におけるミニマルにシェイプされた音像に至るまで鮮やかに、これまでの自身の像を残映させ、更新してゆく。


 彼が作り上げるスタジオ・ワークと、ライヴでの乖離をして、スタジオ・ワークが端整だという訳ではなく、スタジオ作の方が導路がはっきりしていると言おうか、ライヴでは整合美よりも無軌道でラフなインプロヴィゼーションに魅力が発現するときがあるゆえに、こうして纏まったコンセプチュアルな内容で魅せる際の彼の集中力と構成力は美しい。マウス・オン・マーズや、デッドマウス、オヴァル辺りがふと忍ばせる人懐っこさを思わせる3曲目の「old friend's song」はタイトルそのままに、簡素ながらも音の重なりや掛け声のようなエフェクト・ヴォイスが行間を盛り立て、オリエンタルな雰囲気を醸す。"旧友のための唄"。直訳すればそうなるが、昨年の「faraway girl」EPに比すると、彼岸感よりも受け手が各々に近接にかつ密に平衡的な感覚に寄り添うビートと曲展開が目立つように思える。ただ、近接に各々の感覚に寄り添うと言っても、空、その先の宇宙を見上げたときに皆が感じる"それ"に近いと言おうか、花火大会でもいいが、同じものを違う人たちが違う場所で視るというマジカルな瞬間は、その実、貴重なもので、音楽を共有する、共に聴くという行為もそういうことであり、プラネタリウムという装置で彼の音楽がシェアされる場所における帰一性というのも掛け替えのないものなのだと思う。


 だからこそ、スペーシーで少し無愛想で不規則な変拍子が刻まれる7分を越える4曲目の「farther shore」で、冒頭からの流れは、静かに不穏かつ神経症的なものに移ろう。空がそのまま星を映さないように、夜がずっと暗闇を描かないように、咲く花火が儚く散るように。《Warp》レーベルの諸アーティスト、オウテカやスクエアプッシャーなどから受けた志が活きた、エレクトロニカ的要素が強く、途程でドラムンベース的に持ち崩れたりする曲内で、脈拍をはかり直すように、ズレた心地で聴き手の感性を散逸させる。冒頭から陶然と浸れないでもない音世界はしかし、不穏なままではなく、やわらかく、そのまま収斂、昇華するように、後半の2曲へとつながってゆく展開は流石といえる。「milkyway planet」から「to milkyway planet」の"to"までの距離。


 誰もがデデマウスに求めるだろう稚気や蛮性、ロマンティシズムや彼岸性も包含し、この「to milkyway planet」では、衒いのない彼の精神性とトリップさせられる音の快楽がより増している。確実に研ぎ澄まされてゆく音風景が"milkyway planet"と称されるのかもしれず、ならば、いつかは彼岸の少女へ想いを馳せ、郊外の空の暗さのなかの光を想っていたアーティストは今、空を見上げて、その向こう側の限りない可能性と煌めきを信じようとしている、そんな気もする。8月、9月と各地を巡るプラネタリウム・ツアーとこのEPは並走しながら、あまり夜空を見上げることも、星を数えることもなくなった人たちもやわらかく包み込むことだろうと思う。


 プラネタリウムや現実の空で感じる星とは、過去の光を今に届けている。その過去にあっただろう光の眩しさを、優しく果敢無くデデマウスは音に変える。



(松浦達)



【編集部注】「to milkyway planet」は、8月16日からはじまる《to milkyway planet tour》より発売開始になるライヴ会場限定発売です。



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