CHOO CHOO PANINI『Moon Ray』(AGATE)

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 2010年前後に、エレクトロ・スウィングと呼ばれる潮流が出て、世の中に受け入れはじめたとき、個人的にあまり歓待できなかった。それは、一部ではあるが、クラブ・ジャズとカフェ・カルチャーをハイブロウに折衷させた00年代の空気感とは違い、少し粗雑でインスタントな明るさを感じさせたのもある。


 そもそも、スウィング自体には多義あるが、ひとつには、ジャズの歴史下では、1929年の世界大恐慌を経て、じわじわと景況が回復しだした頃のNYを中心にした白人のヴォーカルとビッグ・バンドが鳴らしはじめた演奏スタイル、つまり、モダニズムに繋がってくる前夜のものをいい、そういう意味であれば、モダニズム"以降"の、しかも、やや大味な打ち込みやエレクトロと時代を越え、強引に「接着」させようとした際の異化は、革新というよりも刹那的な要素を孕んでいたとも思えた。


 ただ、奇しくも、2010年代に入る空気感のなかには、そんな刹那性を受け容れる磁場が確かにあったとは思う。00年代を折り返し、一定層が細部への降下、リヴァイヴァルへのメタ認知から転じて、ベタな身体知への希求や閉じた共犯言語的な何かへと向く回流があらわれだしていたのもあり、その回流の一端として、エレクトロ・スウィングは正面を切って、時代錯誤気味に、大きな音でカフェやクラブで流れていた。そこには、ノスタルジアや長い音楽的な歴史背景への配慮よりも、"ムードとしてのオプティミズム"みたいな集合意識の支持もあったような気がする。そして、2010年代が進み、世界のみならず、日本もカオティックな情勢に傾ぐなか、このチュー・チュー・パニーニのように、エレクトロ・スウィング"以降"において、より小文字な音楽に等価交換したといえる、リンディー・ホップへと対峙しているのは興味深い。


 リンディー・ホップとは、1920年代にニューヨークのハーレムの黒人たちのなかで生まれ、1930年代に流行ったダンス・ステップのこと。語義由来は、創設者のショーティー・ジョージとビッグベンが、リンドバーグが大西洋横断に成功したニュースの見出し(リンドバーグがホップした)からなり、タップ、ブレークアウェイ、チャールストンなどをベースに人気を博したもので、リンドバーグそのものの人気や存在の翳りもあったのか、リンディー・ホップの名称は80年代を経た、リヴァイヴァルのうえで今に至る間、1930年代ではベニー・グッドマンによるジッターバグに取って代わられ、更にはジャイヴなどへとも継承されてゆくことになる。


 そんな、スウィングほどの大文字ではない、リンディー・ホップを今に再定義しようとするのは、クセはないが、滑らかな歌声を魅せるドイツ出身のフィメール・ヴォーカリスト、ネリー・コースターと、ギター、トランペット、トロンボーン、チューバを演奏するポーランド出身のラディック・フェイドクを中心とするドイツ、オランダを主活動とするユニット。ちなみに、この『Moon Ray』の録音もそうだが、ライヴでは基本、ピアノのローマン・バビック、ベースのニールス・エムフォースト、ドラムのパトリック・フリングストのクインテット編成で行なわれる。当初は、まさにヨーロッパにおけるリンディー・ホップのダンス・パーティーの小さなシーンから始まり、こうして、地域性を越えて、じわじわと拡がりが出てきているということは、彼らの音が一概に狭いジャンルや国柄を越えてくるものがあるということだろう。


 聴く人が聴けば、淡くジャジーなグルーヴが心地良い、または、昨今のオーガニック・スウィングの流れのひとつという浅薄な印象論に帰すかもしれない。ましてや、エラ・フィッツジェラルドの歌唱で有名な「A Tisket A Tasket」、ナット・キング・コールの「Straighten Up And Fly Right」などスタンダードな曲と呼ばれるものが俎上に置かれているのもあり、古いレコードに改めて針を落とすような気分にもなり、匿名的な音として十把一絡げにジャズ・コーナーやカフェ・ミュージックの棚に並べられる杞憂もないでもない。


 ただ、個人的には、わざわざジャケットに"lindy hop approved"を付し、アレンジメントの細部をよく視たときの変性が気になる。特に、後半9曲目の1942年のアンディ・ラザフとピアニスト、ラッキー・ロバーツによる「Massachusetts」から最後の、ジョージ・シアリングによって作られたスタンダード・ナンバーである1952年の「Lullaby Of Birdland」に至る流れは、とても現代的な響きをもって心の琴線に届いた。


《Lullaby of birdland whisper low / Kiss me sweet, and we'll go(バードランドの子守歌がかぼそくささやいたら / 私にくちづけを そして 私たちは行きましょう(筆者拙訳)》

(「Lullaby Of Birdland」)


 あらゆるアレンジやカヴァーがなされ、スイートな場所や、部屋、ベッドルーム、雑踏で数え切れないほど、流れただろうラブソングがこの『Moon Ray』を通して最後に聴こえてくると、じんわりと今のこの、日々刻々の行間を縫い、優しく響く。元来のリンディー・ホップの持っていた刹那的なダンス・ステップを踏んでいる間に、ある瞬間、日々は、夜はあっという間に明けてしまう。しかも、何かをしているようで、何もしていないように。

 

 これは、現代における、ほんのささやかな社交のための音楽なのかもしれない。社交といっても、ゲオルク・ジンメルのような精緻な定義ではなく、正装したり、構えたり、コミュニティにこもることなく、もっと軽やかに、ほんのわずかな時間と小さな音にも五感を預ける余裕があれば、誰かと繋がれる、そんな。



(松浦達)

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