怒髪天 feat.キヨサク(MONGOL800)「団地でDAN!RAN!」(Imperial Records)

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 頼れる父親がいるから子どもは何度でも安心して転べる。失敗しても立ち向かうことができる。両親も近所のおばさんも頑固な髭のおやじも、町ぐるみで子ども達を抱える環境があればなお素敵だ。


 同じ内容を精神分析の世界では難しい専門用語やロジックを駆使して長々と説明する。それも必要だ。しかしこの曲はわずか4分で明快に伝えきってしまう。怒髪天feat.キヨサクによるNHK総合アニメ『団地ともお』主題歌のことだ。


 「団地でDAN!RAN!」は西城秀樹「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を思わせる、運動会の行進曲のような勇ましい4つ打ちダンス・ビート。一度聴いたら頭から離れないサビのフレーズに恥ずかしげもなく弾きまくるギター・ソロ。アニメ・ソングとは本来こうあるべきで、誰でも口ずさめる親しみやすさと大衆性は怒髪天の最大の武器だろう。しかもMONGOL800のキヨサクが参加し交互にボーカルをとっている。フジロックやライジングサンといった数万人規模のフェスに出演し武道館公演を来年に控える怒髪天と、言わずと知れた国民的ロック・バンドMONGOL800のヴォーカリストの共演。それが原作漫画に合わせて作ったアニメ・ソングだというから痛快だ。


 怒髪天は稀な経歴を持つロック・バンドである。1984年札幌で結成。1991年メジャー・デビューするも1996年活動休止。1999年活動再開。2004年再メジャー・デビュー。結成4半世紀を経た今になって最も注目されている。紆余曲折あるその生き様は、しかし『団地ともお』の世界観とリンクする。増子直純の人間性、遍歴はまるで原作者小田扉の作品に出てくる主人公のようでもある。


 漫画の世界ではあるまいし、メジャー落ちしたロック・バンドが急にこの世界から消えてしまうわけではない。生きていくためには時に日雇い労働でもやってしのがなくてはならない。生活は続いていく。


 苦汁をなめた日々に培われた経験が、子ども達のためのアニメ・ソングという場で惜しげもなく発揮されている。かっこわるくてもぶざまでもちゃんととるべき責任をとる大人が今の日本にどれだけいるのか? 増子直純はそう問いかけているようだ。


 児童精神科医である佐々木正美の著作『子どもへのまなざし』を最近読んでいる。医学書ではない。初めて子育てをする人に勧めたい読みやすく面白い本だ。


 この厳しい世界で生きていくためにはエリクソンがいう「基本的信頼」が必要だという。乳幼児期に大人がどれだけかまってくれたかで世界に対する安心感が決まる。ミルクを与えられず放って置かれるのはもちろん、おもちゃをたくさん与えられて親が別事をしているのも形を変えた虐待だ。良くも悪くも大人が真剣に向かい合い相手をすることで基本的信頼が根付く。しっかり甘えることができる体験は世界への信頼につながる。すると成長して自立できるのだ。


 薬物依存症になる人々の一部にこの基本的信頼を持たない人達がいるという。ダルク女性ハウス代表でありエレファントカシマシの熱狂的ファンでもある上岡陽江は、それを「応援団を持たない人々」と表現する。子どもの頃に適切な距離で変わらず接してくれる大人達がいなかったから対人関係が下手なまま成長し、その苦しみへの自己治療として薬物に手を出すという構図。


 ロック・ミュージックも含むアート全般が時に基本的信頼を確立するためのもがきだったとしたら? 長きに渡り薬物依存に苦しんだビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンは父親との間に深刻な確執が存在したという。


 パオロ・ヒューイット著『クリエイション・レコーズ物語』はアラン・マッギーのこんな言葉で締めくくられていた。「母さん、ぼくはもう大丈夫だよ」。


 ボスニア戦災孤児救済のチャリティー・アルバム『HELP』に参加した際にオアシスのノエル・ギャラガーはこう語っていた。「大人どもはどうでもいい。けれど孤児になる子ども達のことを思うとホロリとくるよ。俺達もみんな子どもだったんだから」。


 もしもロックンロールが世界から見捨てられた孤児に向けた音楽だとしたら、「団地でDAN!RAN!」はまさしく最高の強度を持ったロックンロールであり同時にみんなのうた(アンセム)だ。


(森豊和)

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